白い帽子 【月夜譚No.398】
掲載日:2026/04/19
木の枝に帽子が引っかかっている。鍔の広い、真っ白な帽子。目印のように巻かれた朱のリボンが風に靡いて、青い空の下を泳ぐ。
少年は釣り竿とバケツを足許に置くと、するすると危なげなく木に登って、その帽子を手に取った。裏返してみるが、名前のようなものはどこにも書いていない。
「……あ」
どうしたものかと思っていると下から蚊の鳴くような声がして、視線を落とす。
バケツの隣に立った影がこちらを見上げて、少し不安そうに瞳を揺らしている。風に戦ぐ長い毛先と赤みがかった双眸が、この帽子のリボンに似ていると思った。
「これ、君の?」
「……」
尋ねると、少女はこくんと小さく頷いた。
少年が慣れた様子で一息に地面に飛び下りる。驚いて目を丸くする少女に少し笑ってから、帽子をそっと差し出した。
恐る恐るそれを受け取った少女は微笑み返してから深く頭を下げ、少年が歩いてきた川の方へ駆けていった。
何とはなしにその後ろ姿を見送っていると、陽炎のように視界が一瞬歪む。何だと思った次の瞬間には、もう少女の姿は何処にもなかった。
帽子の感触が残った掌を数秒見つめた少年は、何事もなかったかのように釣竿とバケツを持って家路に就いた。




