第24話 十五時三十九分
ループ24回目。今日の目的:神崎が真壁へ届ける“携行用の文字”の正体と経路を特定する。新変数:庶務の午後便は15:30台に一度だけまとめて動き、高瀬はその流れに紛れる。
7:02
アラームの音で目を開けた瞬間、胸の奥に黒いケースと灰色のファイルが並んでいた。
B-6。C-2。
前のループで、私はそれを見つけて、神崎がどうやって真壁を殴っているのかをやっと知った。
真壁の古い放送音声。
中央柱の混乱写真。
必要なところだけを切り抜いて、十四時の着信の前に見せる。
でも、それだけじゃ終わらなかった。
B-6もC-2も押さえたあとで、神崎は“もっと小さいもの”へ移ったはずだ。
紙よりも薄く、箱よりも軽く、真壁の胸ポケットに滑り込む何か。
そうでなければ、あの人はまだ毎日、胸を押さえるように指先を動かさない。
今日は、その“何か”を見つける。
奪わない。
見つける。
形と、時間と、置かれる位置を確定する。
位置が分かれば、次で切れる。
7:30
警備詰所の前で、飯田さんが鍵束を鳴らしていた。今日も初対面の目。
だから入口の言葉は、もう迷わない。
「迷子は、守りたいです。あの時の後悔ごと」
飯田さんの指が止まる。
そのまま私は、本題を置いた。
「B-6とC-2を切ったあとも、真壁さんは胸ポケットを触ってました。別の紙が届いてるはずです」
飯田さんが眉を寄せる。
「紙なら、庶務便だな」
「庶務便?」
「午後の社内便は、一回だけまとめて回る。だいたい15:30台。
急ぎの紙は、白封筒で庶務棚から出る。祭りの日はそこがごちゃつくから、変な便が紛れやすい」
白封筒。
胸の奥が硬く鳴った。
紙は、いつだって地味な顔で来る。
「庶務の人に聞きます」
「聞け。
それと、社内便は机の“右上”に置く癖のある奴が多い。庶務上がりは特にな」
右上。
ただの癖かもしれない。
でも、こういう小さい癖が後で効く。
8:00
危機管理課に電話を入れる。
短い声が返る。
「篠原」
「午後の庶務便です。15:30台にまとまって出る紙の流れを見たいです」
向こうが一拍黙った。
「……箱と同じね。次は紙の供給線」
「はい」
「八時五分はいつも通り押さえる。そのあと庶務棚を見に行く。今日は切るんじゃなく、流れを覚える」
「お願いします」
8:05
掲示板前。
紙の貼り替え。高瀬の顎の傷。藤崎の手袋。
いつもの始まりが、今日も同じ順番で来る。
高瀬が掲示板脇の細い扉へ向かった瞬間、飯田さんが塞ぐ。
「そこは通さない」
「点検です」
「点検なら、なおさら通さない。今日は人が多い」
篠原が来て、狭い通路を開ける。赤いレバー。『設備点検モード』。
「今日は封鎖。触らせない」
高瀬のスマホが二音鳴る。
藤崎の肩がわずかに揺れる。
計画変更の合図。
私はその揺れを視界の端に押し込みながら、今日の本番は午後だと自分に言い聞かせた。
紙は、まだ来ない。
でも必ず来る。
9:20
庶務棚の前で、佐々木さんが台帳を抱えていた。
前に名前を借りて誤魔化した、あの人だ。
今日は誤魔化さない。
「佐々木さん」
彼女が顔を上げる。
「また安全確認?」
「はい。午後の庶務便について聞きたいんです」
私が言うと、篠原が一歩前に出た。
「祭当日の流れ確認です。15時台の社内便、誰がどの机へ回してますか」
佐々木さんは少し考えてから答えた。
「本来は私か、手が空いてる庶務が回します。でも祭りの日は雑用便と一緒くたになりがちです」
「雑用便?」
「各部署の“ついでに回して”ってやつです。
保全部、工事、備品、なんでも白封筒に入れて持ってくる。急ぎって書いてあると、忙しい時はそのまま通しちゃう」
胸の奥がひやりとした。
神崎のやり方だ。
“急ぎ”の顔をして、正規の流れの横から滑り込む。
「今日もありますか」
「たぶん。15:30過ぎにまとめて来ると思います」
佐々木さんは台帳を見下ろした。
「……変だと思ってたんです。保全部の至急って、受領番号ついてないのに机まで行くことがあって」
やっぱり。
誰かは気づいている。
ただ、忙しさがその違和感を飲み込んでいただけだ。
11:10
換気室。
巡回員のスマホが二音鳴る。
手がスイッチへ伸びる前に、篠原が遮る。
「封鎖。触るな」
巡回員は電話口で小さく言った。
「神崎さん、無理っす。危機管理が……」
換気は止まらない。
甘い匂いも薄いまま。
駅の普通は守れている。
それでも、紙はまだどこかで折られている気がした。
12:30
軽事故の交差点。
今日も群衆が膨らみ、スマホが向けられ、苛立った男が「救急車呼ぶほどじゃない」と吐き捨てる。
私は処置の補助をしながら、高瀬を探した。
いた。
輪の外。スマホ。二音。
そのあと高瀬は、駅務区画でも第二倉庫でもなく、庶務棚のある廊下をちらりと見た。
やっぱりそこだ。
午後便の流れに入ってくる。
13:40
庶務棚の前は、紙とインクとコーヒーの匂いが混ざっていた。
白封筒の束。青い角印。受領番号票。
佐々木さんが机に向かって台帳を書いている。
私は少し離れたところで避難導線図を見ているふりをした。
篠原は人員表の確認をするふり。
何も起きていない顔で、起きるのを待つ。
15:31
白封筒が三通、庶務棚に届いた。
差出部署はばらばら。
本物の庶務便。
佐々木さんが受領番号票を貼り、青い受領印を押す。
その一連の手つきが、妙に綺麗だった。
“正しい流れ”には、形がある。
神崎はいつも、その形に似せる。
15:39
高瀬が来た。
今日は雑用係みたいな地味な上着。手には白封筒が二通。
顔はいつも通り穏やかで、急いでいるようにも見えない。
それが怖い。
急ぎの紙ほど、急いで見えない顔で運ばれる。
「それ、受領番号は?」
佐々木さんが顔も上げずに言う。
高瀬は笑った。
「保全部です。至急で、真壁さんへ」
「だから受領番号を」
淡々とした声。
責めるわけでもなく、ただ仕事を言っているだけ。
でも高瀬は、その場では押し切らなかった。
笑顔を保ったまま、「あとで回します」とだけ言って、廊下の奥へ引いた。
引いた、ように見えた。
ヒヤリ。
いま消えたふりをして、別の角度から駅務区画へ入る。
そういう動き方を、私はもう何度も見てきた。
リカバー。
私は壁沿いに位置をずらし、駅務区画の入口が見える掲示板の前へ移った。
正面を見すぎない。
でも見失わない。
その距離を作る。
15:39と数秒。
高瀬が来た。
今度は駅務区画の内側から。
庶務棚を通らず、廊下を回って別の入口から入ってくる。
手にはまだ白封筒が二通。
やっぱりだ。
“庶務の顔”を借りるんじゃなく、“庶務の裏”を使う。
私は息を止めた。
高瀬は机の並びに沿って歩く。
一通目を手前の机。
二通目を真壁の机。
封筒の角を、右上にぴたりと揃える。
それから奥の机へ向かう。
封筒はもうない。
でも、奥で何か一言だけ言う。
戻る。
出る。
その間。
ほんの短い空白。
八秒もあるか、ないか。
でも、ある。
胸の奥が硬く鳴った。
ここだ。
次はここへ入る。
15:50
真壁が席へ戻る。
机の右上の白封筒を見る。
少しだけ顔が曇る。
でもすぐには開けない。
判を一つ、書類を一枚、電話を一本。
それから封を切る。
中の紙を読む。
三つ折りにする。
胸ポケットへ入れる。
動きが、決まっている。
何度もやってきた人の動きだ。
喉の奥がひりついた。
あれだ。
胸ポケットの紙は、十五時三十九分に届く。
白封筒で。
高瀬が運ぶ。
右上に置かれる。
そして三つ折りで胸へ入る。
16:25
花火警備へ警察車両が流れる時間。
折返しの配置につく。
篠原は手前。
警察は死角。
飯田さんは一般導線の出口。
私は壁沿い。
でも頭の中では、ずっと机の右上だけが光っていた。
17:18
藤崎が来る。
鏡面広告板の前で、一拍。
袖から腰ポーチへ銀の筒。
顔が一般導線へ向く。
篠原の左手が下がる。
警察が出る。
鏡板に肘が当たり、ガン、と音が鳴る。
私は振り返らず、壁沿いへ声を出す。
「そのまま前へ! 止まらないでください!」
波は小さい。
藤崎はまた、ぎりぎりで抜ける。
でも今日は焦らない。
次に切る場所が、はっきり見えているからだ。
17:20
火災報知器が鳴る。電子音。
真壁がマイクを取る。
一拍。
胸ポケット。
それでも、まだ新しい一文を言える。
「火災報知です。係員の案内に従い、走らず壁沿いにお進みください。現場確認は後続班が行います」
胸の奥が静かに鳴る。
ギリギリの綱渡りだけど、まだ駅は立っている。
でも、もう綱渡りで進みたくない。
十五時三十九分の白封筒を切れば、もっと楽になる。
その確信だけが、今日は収穫だった。
17:35
煙は上がった。甘い匂いも一瞬だけ強くなる。
それでも爆発の衝撃は来ない。
換気も放送も生きている。
私は喉が枯れるまで誘導しながら、白封筒の角度と、机の右上と、奥の机へ向かう高瀬の背中だけを何度も思い出していた。
18:50
耳の奥で、アラームの気配が鳴り始める。戻る準備の音。
篠原が低く言った。
「見えた?」
私は頷く。
「はい。15:39。白封筒二通。庶務棚を素通りして、別入口から駅務区画へ。
一通目は手前の机、二通目は真壁さんの机、右上。
そのあと奥の机に寄る。八秒くらいです」
飯田さんが短く息を吐く。
「十分だな」
十分。
その一言で、胸の奥の張り詰めた糸が少し緩む。
そうだ。
十分だ。
次は、差し替えられる。
19:00
空気が薄くなり、視界が暗く落ちた。
7:02
アラーム。
私は飛び起き、胸の奥で時刻と位置を並べた。
十五時三十九分。
白封筒。
机の右上。
八秒。
次は、そこへ手を入れる。




