第九話 鎮圧
建設途中の都市中枢リング――新開市の“未来”になるはずだった巨大な円環は、いまや未完成の骨組みのまま夜空に掛かっていた。
鋼材と複合材の梁が蜘蛛の巣のように伸び、ところどころに仮設の床が張られ、照明と配線だけがやけに立派だ。
未完成のくせに、ここは“映える”。
だからこそ、戦場に選ばれる。
そして今日の戦いは、最初から「映えるため」に始まった。
OCM本社の会議室では、誰も声を荒げなかった。
荒げるのはネットの仕事で、ここはビジネスの部屋だ。
壁面ディスプレイに流れるのは、例の五秒だ。
PROJECT: LEGION
LC Series — 現地実証、成功
LCシリーズはLEGIONの成果です
「一瞬だけ露骨」――その一瞬が、社内の胃を締め上げた。
「切り抜きが回っています」
広報が短く言う。
「“討伐映像に広告が挿入された”という体裁が、企業倫理の話に接続され始めています」
法務が短く言う。
「現場の連携が乱れています。機動隊側も苛立っている」
運用が短く言う。
そして、責任者がもっと短く言った。
「上書きします」
誰かが「火消し」を口にする前に、責任者は続ける。
「正しい鎮圧の映像で、正しい空気を取り戻す。
LCシリーズを出します。“協力”の顔で。――今夜中に」
誰も止めなかった。
止めれば、その人間がリスクになるからだ。
「対象は?」
「GHOST。ならびに支援者。サムライ・ヒーロー含む。
ただし致死は避ける。致死は“割れた顔”をさらに割る」
冷たい結論。
冷たいほど現実的で、だから怖い。
都市中枢リングの下層、仮設エレベータの脇で、義弘はバイザーを上げた。
視界に浮くログは、いまや地図と同じくらい馴染んでいる。
「来るな」
トミーが肩の上で耳を立てる。
「来るね。しかも“映像を取り戻す”顔で」
義弘は頷いた。
「撮影=戦場。なら、戦場を作らせない」
その言葉が終わる前に、白いライトがリングの外周を舐めた。
警告が走る。
――《回線同期:異常》
――《封鎖線更新》
――《LCユニット複数:接近》
アリスの翼が、遠隔で小刻みに震えた。
彼女は別の足場にいる。リングの中腹、未完成の梁の上。
シュヴァロフの影と双子の工作の気配が、画面越しに見えるようだった。
「……来た」
アリスの声は短い。怒りは長く持たない。吐き気が先に来るからだ。
「今日は、ちゃんと殴る」
まず現れたのは“壁”だった。
LC-01 バスティオン。
盾列が、リングの通路を塞ぐ。
盾はただ硬いだけではない。盾の向こうに「通す」「通さない」の運用がある。
続いて床に撒かれるのは、薄い網と粘着フォーム。
LC-02 マギスト。
転倒させる。拘束する。
転倒はドラマで、拘束は正義の絵になる。
そして白い閃光。
LC-03 グレア。
視界が割れる。耳の奥が熱くなる。
煙が立てば、人は逃げる方向を間違える。
最後に――目。
LC-05 アイドロン。
カメラリグの塊が、リングの梁の上に張り付く。
配信の主導権を奪い返すための、配信の獣。
義弘のバイザーが“角度”を計算した。
撮られている角度。
撮らせたくない角度。
「……まず目だ」
義弘はアンカーを撃った。人工蜘蛛の糸が空を裂き、梁に刺さる。
そのまま身体を引き上げ、滑るように移動する。
だが路面が変わっていた。
磁性粉。摩擦の調整。滑走殺し。
「アーバレストの手口が混ざってる」
義弘が呟く。
LCシリーズは“鎮圧”の顔で、戦場の条件を固定してくる。
勝敗ではなく、絵を固定する。
義弘は滑るのをやめ、歩きに落とした。
歩きに落としても遅くならない。
遅くならないように、最初から身体が作られている。
その時、リングの上空で白い影が揺れた。
グリンフォンは、夜空に“礼”を描いた。
白い翼が広がり、デジタル迷彩が星の光を貼り替える。
空域監視のARが一拍ラグる。
――《識別:失敗》
――《再計測》
迎撃ドローンが上がる。網投射。妨害波。
空の穴を塞ぎに来る。
グリンフォンは飛行形態から四脚、そして二脚へと切り替え、梁を蹴った。
翼で加速し、爪をレイピアのように突き出す。
騎士道精神のふりをして、最短で目を刺す。
最初に落としたのは監視ではない。
配信だ。
梁に張り付いていたアイドロンの小型カメラ群が、次々と暗くなる。
暗くなると同時に、コメント欄の「神回」だけが浮く。
――「うおお空から来た」
――「白いの何」
――「騎士みたい」
――「かわいい」
――「撮影班落ちたw」
意味は理解されない。
でも拡散は起きる。拡散が起きれば、OCMが欲しい“正しい鎮圧”は崩れる。
グリンフォンは格好をつけた。
格好をつけることが、彼の戦い方だ。
シュヴァロフは下で無言だった。
母親は格好をつけない。
ただ、最悪のものから子どもを庇う。
リング中腹、梁の影。
アリスは鉄パイプを握っていた。
鉄パイプは古い。汚い。
でも握った瞬間に、彼女の身体はそれを“武器”に変える。
骨格がハードウェアに置き換えられているからだ。
小柄なのに、重い動きができる。
軽く見えるのに、破壊力だけが現実だ。
トウィードルダムとトウィードルディーが、無言で足場を整える。
梁の上の滑りを消し、転倒を消し、影になる位置を作る。
大好きが手順になる。
シュヴァロフがアリスの半身を隠す。
影が濃い。影が深い。
それだけで、アリスは“少女”から外れる。
アリスは吐き捨てた。
「美少女? メタボ?……好きに言え」
彼女は鉄パイプを肩に担ぎ、歩き出す。
「叩くのは同じだ」
次の瞬間、マギストの粘着フォームが飛んだ。
白い泡が床に広がり、足を奪いに来る。
双子が“先に”泡を蹴り飛ばした。
泡は梁の外へ落ちる。落ちるだけで終わらない。
泡は下層で膨らみ、避難路を一瞬塞ぐ。
そこにシュヴァロフが飛び込み、泡を爪で剥がす。
戦闘担当なのに、今日は掃除担当。
母親の仕事だ。
アリスは鉄パイプを振り抜いた。
狙うのは機体の装甲ではない。
装甲は堅い。堅いほど映える。
狙うのは、マギストの射出リール。
粘着の供給ライン。
金属音。
リールが歪み、射出が止まる。
アリスは歯を見せて笑った。
笑いは気持ち良さのためじゃない。吐き気を抑えるためだ。
「……鎮圧? 笑わせる」
その背後で、地鳴りが響いた。
コロボチェニィクが来た。
正三角形を逆さにした胴体。三対の腕。
都市迷彩の塊が、リングの外周から力任せに這い上がってくる。
脳筋。
最初の一撃は、拳で来る。
バスティオンの盾列へ、正面から叩きつけた。
盾がたわむ。
“壁”が揺れる。
コロボチェニィクのAIは闘志に満ちている。
威嚇の動き。ゴリラの真似。遠吠えの真似。
そして――味方の盾になる気合。
盾列がさらに展開しようとする。
だがコロボチェニィクは止まらない。
止まらないものは、運用を壊す。
グレアが閃光を投げ、煙を焚いて、戦場を“映える形”に整えようとする。
だが煙は、いまや味方にも敵にも邪魔だ。
リングは狭い。狭い場所では、煙は逃げ場を奪う。
そこへ双子が、無言で送風ドロイドを出した。
煙が散る。
散った瞬間、カメラが困る。
困るほど、OCMが困る。
そして、アーバレストが現れた。
LC-07。
四脚で低く、二脚で壁になる。
背部には武器ラック――今日は鎮圧モジュール。
音。煙。網。固定クランプ。
前線固定。
固定されるのは通路だけじゃない。視聴者の気分も固定される。
アーバレストの無機質な声が短く響いた。
「前線固定」
義弘のバイザーが赤くなる。
――《固定点生成:検知》
――《熱限界:接近》
――《衝撃限界:接近》
杭が打ち込まれる。ワイヤが走る。
空間が線で区切られる。
義弘の足場が“指定”される。
指定された足場の上では、義弘は“ちょうど良く映える”。
刃が光れば、正義の鎮圧の相手役として完璧だ。
義弘は光らせない。
光らせないために、切る場所を選ぶ。
最初に切ったのは杭ではない。
杭の供給ライン。
打ち込み装置のフィード。
結節部だけを断つ。
ワイヤがたわむ。
固定が一拍だけ緩む。
義弘はその一拍で、アーバレストの背部ラックへ近づいた。
だが近づくために使うのは、衝撃増幅ではない。
衝撃増幅は強い。強いほど熱が出る。熱が出るほど冷却が走る。
冷却が走れば、装甲以外の保護が消える。
この高さでは、落下が死になる。
義弘は刃を“刺す”ように使った。
都市戦用ブレードが示す「切るべき線」は、背部ラックのクイックマウント。
鎮圧モジュールの電源と制御を束ねる一本の線。
一閃。
鎮圧モジュールが落ちた。
音響が止む。煙が途切れる。網が出ない。
“正義の顔”が一枚剥がれる。
アーバレストが一拍止まる。再計算。
その一拍に、義弘は勝負を乗せる。
「……調整する」
義弘は両腕の衝撃増幅を起動した。
熱・衝撃置換装置が唸る。
腕の中で力学が熱に変換され、赤い警告が走る。
――《強制冷却》
腕が白く冷えていく感覚。
その代わりに、拳が砲になる。
義弘はアーバレストの胸ではなく、脚の付け根を叩いた。
固定点に依存する機体は、固定点を失う瞬間に弱い。
脚が浮く。
杭の線が一瞬ずれる。
義弘はそのずれに刃を滑り込ませた。
制御中枢。固定アルゴリズムの束。
刃が“線”を切り、拳が“塊”を砕く。
金属が鳴いた。
鳴き声みたいな音だった。
アーバレストの二脚が揺れる。
壁が崩れる。
「撃破――」
義弘が呟くより先に、足場が逝った。
固定のために打ち込まれていた杭とワイヤが、崩れた機体の重みで引きずられた。
梁がたわむ。床が割れる。
強制冷却で、義弘の腕はもう守ってくれない。
電磁反発で滑ろうとしても、路面は汚されている。
義弘は最後にアンカーを撃った。
だが刺さる前に、梁が裂けた。
夜風が、落下の音を連れてくる。
義弘の身体が、空に放り出された。
「義弘!」
トミーの声が裂けた。
シュヴァロフが動いた。
母親の影が、最悪に速い。
だが距離がある。
リングは高い。
高すぎる。
落ちる。
落ちる“絵”は神回になる。
それを知っているのが、いちばん胸糞だ。
その瞬間――街の中で、別の種類の“動き”が起きた。
避難所のモニタ。飯屋の無音配信。
子どものごっこ遊びを止めた親の手。
「場所だ」「そこだ」と指が動く。
視聴者が、救助者になる。
切り抜き職人が、いつもの癖で位置情報を拾ってしまう。
“神回の場所”を共有してしまう。
その共有が、今日は救助になる。
作業ドロイド。
工事用の簡易ドローン。
ロープ。シート。仮設ネット。
未完成の都市中枢リングの下で、ネットが広がった。
「こっちだ! 張れ!」
「風向き!」
「落ちるぞ、早く!」
誰かの声。
誰かの善意。
娯楽に飢えた街の手が、一瞬だけ真面目になる。
義弘は落ちた。
そして――落ち切らなかった。
衝撃はあった。
だが致命ではない。
ネットが受けた。人が支えた。ドロイドが引いた。
義弘はそのまま意識を失った。
白髪の老人が、ようやく“人間”に戻った。
その上で、戦いは続いていた。
義弘が落ちた瞬間、OCMは“正しい鎮圧の絵”を失いかけた。
だから、さらに押した。
LCが増える。
盾が増える。
光が増える。
だが――他のサムライ・ヒーローが、ようやく動いた。
ひとり、ふたりではない。
チームだ。
資産家の支援を受けた連中。企業の広告を背負った連中。
ふだんは煙たがられ、炎上に晒される連中。
彼らが動いた理由は単純だった。
義弘が落ちた。
そして――討伐映像に広告が混ざった。
「……俺たち、使われてたのかよ」
誰かが言った。
その一言で、ヒーロー界隈の空気が変わる。
プライドは、正義より速い。
彼らは“鎮圧”を奪い返した。
LCシリーズを、サムライ・ヒーローの戦い方で叩く。
バスティオンの盾列は、複数の刃で割られる。
マギストの拘束は、別の誰かの救助ドロイドが剥がす。
グレアの煙は、双子の送風で散る。
アイドロンの目は、グリンフォンが空から突き刺す。
コロボチェニィクが吠え、盾になり、拳で押す。
シュヴァロフが影になり、母性で守り、爪で潰す。
アリスは鉄パイプを振り回し、泣き言を言わず、悪態だけ吐いて殴る。
「ほら! 鎮圧だろ!? ちゃんと鎮圧しろよ!」
彼女の声は汚い。
汚いほど、正しい。
LCシリーズは“運用”で強い。
だが運用は、現場の混乱に弱い。
戦場が複雑になればなるほど、固定が崩れる。
そして固定が崩れた瞬間、映像の“正しさ”も崩れる。
今日、正義の顔を塗り替えたのはOCMではない。
現場だった。
街だった。
ヒーローたちだった。
翌日。
OCMは糾弾された。
会議室ではなく、会見の壇上。
ロゴは綺麗で、言葉は冷たい。
「当社はプロジェクト・レギオンの実証運用において、治安維持への協力を行ってきました。
しかしながら、通称“ゴースト”を名乗る高度なハッカーにより、当該プロジェクトの一部システムが不正に操作された可能性が確認されています」
“可能性”。
断定しない。責任を固定しない。
固定するのは世論の方向だけだ。
「当社も被害者です」
そう言わないまま、そう言う。
高速機動隊は短く補足する。
「捜査継続。市民は冷静に」
冷静という言葉は、だいたい熱を隠すために使われる。
ネットはまた燃えた。
燃えるほど伸びる。
――「やっぱゴーストが悪い」
――「OCMが被害者?草」
――「スポンサー出たの説明しろ」
――「でも機動隊は正義だろ」
――「正義の顔割れてるぞ」
――「神回の続きまだ?」
“正しい空気”は、誰にも取り戻せない。
取り戻せないから、また次の正義が作られる。
夜。
義弘はベッドに横たわっていた。
スーツは外され、腕には冷却痕のような白い痣。
骨格の整形医療の成果も、今日はただの傷に見える。
トミーが枕元の椅子に乗り、前足を組む。
「死ぬかと思ったぞ、ジジイ」
義弘は目を開ける。
視界がまだ揺れる。
だが意識は戻った。
「……死んでない」
「死ぬなよ。おまえが死ぬと、面倒が減る。俺が困る」
トミーは悪態で心配を包む。
それが彼の友情だ。
義弘は返事をしようとして――視界の端に、小さなコールが点いた。
匿名。
短い。
信号だけが綺麗だった。
義弘が受ける。
音声は流れない。文字だけが浮いた。
「死ぬなよ、ジジイ」
それだけだった。
義弘は、ほんの僅かに笑った。
笑うと胸が痛む。
痛むほどに、生きている。
「……消えたか」
トミーが鼻を鳴らす。
「消えたね。闇が似合うガキだ」
義弘は天井を見た。
都市中枢リングの骨組みが、頭の中に浮かぶ。
未完成の未来。固定される前線。割れた正義の顔。
そして、その隙間から消えた小さな影。
義弘は静かに言った。
「……調整する」
それは宣言ではない。
手順だ。
闇は消えた。
だが闇は、まだ終わっていない。




