第六十九話 会見/戦場
粉塵の中で、金属が殴り合っていた。
殴るたびに、都市の骨が軋む。
新開市の倉庫区画――未完成のインフラと、完成しすぎた手順が同居する場所。
梁に貼られた札は剝がれかけ、床の白テープは列を描き、列の先には《安全》《健康》《確認》がぶら下がる。
その中心で、アリスは歯を食いしばった。
「……っ、やめろよ、“事故”の顔をすんな……!」
目の前には、四つの力がぶつかり合う地獄がある。
OCMの切り札――LC-07アーバレスト。
格闘特化――LC-08スコルピウス。
“親善”の護衛――リノトーレークスとセグメンタタ。
そして、回収と管理の名を掲げるVX系列と、その先頭の男――モルテ。
誰が敵で、誰が味方か。
札が決める。
札は、いま増殖している。
《緊急確認:最優先》
《健康管理:最優先》
《対象:アリツェ・ヴァーツラフコヴァー》
アリスの視界に、翼の残像がちらついた。
鎮静の薄れた白い部屋の記憶が、怒りと一緒に戻ってくる。
――やめろ。
――お前の手順で、私を囲うな。
だが現場は、囲うために動いている。
アーバレストが四脚で踏ん張り、二脚で起き上がる。
拳がリノトーレークスの装甲を叩き、鈍い音が空気を裂く。
リノトーレークスは“鎮圧”の名目で躊躇なく回り込み、全方位の圧力で周囲を踏み荒らす。
スコルピウスはさらに速い。
速すぎて、誰が“敵”かより先に、殴れるものを殴る。
その一瞬のすきに――セグメンタタが、列の縫い目から滑り出る。
狙いは関節。端末。つなぎ目。
装甲を「ほどく」ための動きだ。
「来る、来る、来る……!」
アリスが叫び、指先で空を裂くように命令を投げる。
「双子! 列を“逃げ道”に変えろ! バンダースナッチ、壁厚く! コロボチェニィク、入口固定! グリンフォン、上の配信全部散らせ!」
トウィードルダムとトウィードルディーが、嬉しそうにコーンを蹴り、矢印を貼り替える。
バンダースナッチの群体が、継ぎ接ぎの壁になって通路を塞ぐ。
コロボチェニィクが一歩踏み出すだけで床が呻き、現場が固定される。
梁の上のグリンフォンが、気取った旋回で配信ドローンを叩き落とした。
「映える角度」より「視界」を優先したのが分かるほど、荒い動き。
そして――シュヴァロフ。
黒い影がアリスの前に立つ。
完全修理ではない。動きは鈍い。
それでも、立ち方だけは昔のままだ。
母親みたいに。
アリスは、それが一番腹立たしくて、一番安心した。
「……ッ、掃除係がいないと、家が汚れるってこういうことかよ……」
泣きそうになるのを、毒で誤魔化す。
同じ時刻。
白い会見場では、音が整いすぎていた。
白い壁。白い机。白い照明。
壇上の背面スクリーンには短い見出しが並ぶ。
《お詫び》
《運用異常(事故)について》
《OCM株式会社》
“戦闘”の文字はない。
“暴走”の文字もない。
あるのは、手順だけ。
列のように並ぶマイク。
瞬きもしないカメラ。
そして、余計なことを言わない男――オスカー・ラインハルト。
彼は深く頭を下げ、滑らかな声で言う。
「本日、新開市において当社運用下の無人機および関連システムの一部に、運用異常が発生しました。
市民の皆さま、関係各所に多大なるご迷惑とご不安を与えたことを、心よりお詫び申し上げます」
頭を上げる。
微笑が、ほんの少しだけ残る。
安心の形をした毒だ。
「結論から申し上げます。
本件は――事故です」
ざわめきが生まれる。
そのざわめきの“形”を、彼は最初から用意している。
スクリーンにタイムラインが映る。
《15:42 運用異常検知》
《15:43 安全停止手順:実行》
《15:44 周辺退避誘導:開始》
《15:46 事象収束(見込み)》
映像は出ない。
見せるのは“記録”ではなく“手順”。
記者が質問する。
「現場では大型の戦闘用機体が確認されています。型番は――」
オスカーは遮らない。
遮らないのに、空気が遮られる。
「当該区域の安全確保と、関係機関との調整のため、現時点では詳細を申し上げられません」
「情報隠蔽では?」
「いいえ。安全管理です」
札みたいに貼られる一言。
剥がせない。
別の記者。
「外部侵入、ハッキングの可能性は?」
オスカーは一拍、間を置いた。
間の間に、視聴者は勝手に答えを作る。
「可能性を含め、原因究明を進めています。推測で語るのは無責任です。
……新開市は、無責任が可視化されやすい都市ですから」
針が刺さる。
誰に刺さったか分からない。
だから全員が痛む。
そして、彼は“本題”を置く。
「ただ、安心していただきたいことがあります。
本件については、市長である津田義弘氏の指揮のもと、現場に配置されたNECROテック・エージェントが収束に当たっています」
会見場がざわめく。
そのざわめきは、OCM社内でも同時に起きた。
――聞いてない。
――“NECRO”を前に出すのか。
――しかも市長の指揮?
――そして、次の単語が最悪だ。
「具体的には、協力者としてアリス氏。
加えて、当社の安全管理担当――モルテが現場におります。
彼らが市長の力となり、必ず事態を収束させます。私は、そう断言します」
寝耳に水。
弾劾の火が、油を得る音がする。
“越権”“暴走”“政治取引”“情報漏洩”――新しい札が社内に貼られ始める。
オスカーはそれを知っている。
知っていて、言った。
社会に見せるために。
“成果”として見せるために。
その会見中継が、現場にも割り込む。
倉庫区画の端。野次馬の端末。配信者のサブモニター。
そして、いくつかの機体のHUD。
「オスカーの顔」が映った瞬間、現場の空気が一段、ねじれた。
「今会見してる!?」
「え、現場まだ戦場だぞ」
「NECROって言った!?」
「モルテって誰!?公式!?」
「市長が指揮って、マジで?」
「収束するなら今見届けるしかないだろ」
見届けたい。
その言葉が、列を生む。
列が生まれると、札が増える。
札が増えると、手順が強くなる。
親善大使が、笑顔のまま声を張った。
「安全確保のため、統制権限の委譲を要請します」
義弘の端末に、ボタンが現れる。
《統制権限委譲:手順》
《理由:安全確保》
《期限:即時》
義弘は押さない。
押さない代わりに、走る。
市長の身体は、膝が痛む。
痛むのに、動く。
義弘の刃が、光を切って鈍く鳴る。
「アリス! 列を壊すな、列を“誘導”に使え! 人を外へ流せ!」
「言われなくても分かってる!」
アリスが吠え、指先で手順をねじる。
NECROテックが軋む。
軋みは、限界の音だ。
そのとき――モルテが動いた。
彼の端末に、OCM本社からの命令が届いたのだ。
会見の一言で現場が変わったのではない。
会見の一言が、命令を発生させた。
モルテは、感情を外に出さない。
出さないから余計に怖い。
「……命令を受領しました」
彼は義弘に向けて言う。
言い方は丁寧。内容は刃。
「市長。現場収束のため、協力します」
アリスが睨む。
「……寝返り、って言うなよ。お前、ただの手順だろ」
モルテは否定しない。
否定しないまま、札を貼り替える。
《健康管理:最優先》
→《安全停止:最優先》
→《対象:LC-08》
スコルピウスの内部で、眠っていた「止めるための手順」が起き上がる。
アリスの指は、そこへ刃を入れる。
刃を入れて、奪う。
「……やっぱ嫌いだ。お前のやり方」
「同意します」
「同意すんな!」
毒舌の応酬は短い。
短いのに、連携は嫌なほど噛み合う。
相性ではない。
手順同士が噛み合っている。
だから強い。
だから気持ち悪い。
義弘は“二つの象徴”を同時に沈める決断をする。
まず、アーバレスト。
アーバレストはリノトーレークスと殴り合っている。
殴り合いは派手だ。
派手だから、隙が生まれる。
義弘は未完成構造物の段差へ誘導する。
踏み外させるのではない。
“踏み外したくなる角度”へ追い込む。
アーバレストの四脚が段差を踏む。
瞬間、重心が揺れる。
義弘の刃が、背面ラックの付け根――“繋ぎ目”へ滑り込む。
切るのではない。
噛み合わせを外す。
たった一ミリの角度の狂い。
その一ミリが、装甲服を沈黙させる。
アーバレストの背面ラックが――軋んだまま止まる。
胸の奥で“本当の武器”が息を吸う前に、喉元を押さえられた。
沈黙。
「止めた……?」
「市長、今の何」
「刀で止まるのバグだろ」
「やっぱ人間だわ」
義弘はそのまま、リノトーレークスの前に立ち塞がる。
立ち塞がるというのは、挑発ではない。
名目を折る行為だ。
“安全確保”が正義なら、ここに正義が立っている。
あなたの正義は、これ以上進めない。
リノトーレークスの攻撃が止まるわけではない。
だが一瞬だけ、揺らぐ。
その揺らぎは、オールドユニオンの“象徴”にとって致命傷になりうる。
親善大使の微笑が、ほんの少し薄くなる。
薄くなったのは怒りではない。
計算の更新。
同時に、スコルピウスが沈黙へ向かう。
モルテが“安全停止”の札を内側から引きずり出し、アリスが奪う。
奪って、優先順位を上書きする。
「……止まれ」
アリスの声は低い。
低いのに、札より強い。
スコルピウスの動きが、ほんの僅か鈍る。
鈍った瞬間、シュヴァロフが前に出た。
完全修理ではない。
でも出る。
母親みたいに。
シュヴァロフは、スコルピウスの脚へ“家事の手順”みたいに丁寧に入った。
関節を、壊すのではなく“動けない形”にする。
止まった。
沈黙。
アリスは、息を吐いた。
吐いた瞬間、視界の翼が一瞬揺れて、消える。
「……ッ、危な……」
NECROテックが軋む。
軋む音は、彼女の身体の内側からする。
モルテが、淡々と言った。
「健康管理:最優先」
「今それ言うな!」
言い合っている場合じゃないのに、言い合えるのが新開市の戦場だった。
主要機体が沈黙し、現場は“沈静化”する。
だが――沈静化は終わりではない。
沈静化は燃料だ。
刀禰ミコトが、待っていましたとばかりに乗る。
彼女の言葉は刀ではなく、広告の刃だ。
「皆さん見ましたか!
市長と、NECROテック・エージェントが並び立つ瞬間を!
サムライ・ヒーローを支える“新しい公式”!
これが新開市です!」
歓声が上がる。
歓声は列になる。
列は手順になる。
「NECROすげえ!」
「アリスちゃん公式だ!」
「モルテって誰だよw」
「市長かっこよすぎ」
「親善って何しに来たん?」
「新開市、観光地どころか神話だろ」
めげない。しょげない。反省しない。
新開市民の三本柱が、誇らしげに立ち上がる。
義弘は膝に手を当てた。
痛みが遅れて来る。
遅れて来る痛みはいつも、正論より正確だ。
アリスは、シュヴァロフの肩装甲に触れた。
触れた瞬間、胸の奥が痛む。
「……ごめん」
シュヴァロフは何も言わない。
何も言わない代わりに、ほんの小さく肩をすくめる。
掃除の邪魔、みたいな仕草。
アリスは笑ってしまいそうになって、また舌打ちした。
会見場では、オスカーが頭を下げ終えていた。
拍手はない。
あるのは、整った質問と整った回答。
そして社内で増殖する札。
《弾劾:準備》
《越権:証拠》
《政治取引:疑義》
《NECROの露出:不適切》
オスカーの端末に、社内アラートが重なる。
彼の表情が――ほんの一瞬だけ凍る。
微笑の下に、怒りが立つ。
兄弟姉妹を“道具”に戻そうとする手順への怒り。
だが彼は、微笑を戻す。
戻して、最後に一言だけ残す。
「本件は、必ず収束します。
責任は、我々が引き受けます」
“引き受ける”という言葉が、鍵を握る音だった。
現場の片隅。
沈黙した機体の影で、誰かがしゃがみ込んでいた。
回収班の制服でもない。親善の腕章でもない。
ただ、手順に慣れた手つき。
端末に札を貼る。
《証拠保全:対象外》
《健康管理:最優先》
《定期確認:済》
そして――沈黙した機体から、“回収すべき情報”だけを抜き取る。
金属片ひとつ残さない。
痕跡ひとつ残さない。
義弘はそれに気づかない。
気づく余裕がない。
アリスは、気配だけ感じた。
でも追えない。
NECROテックが軋んでいる。
軋みは、限界の合図だ。
誰かが、勝った顔をして去る。
誰かが、負けた顔のまま微笑む。
そして新開市は、今日も――次の手順へ進む。




