表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/295

第六十三話 噂に落ちる巨人

 未完成リングの入口は、入口の顔をしていなかった。

 門でもゲートでもない。

 ただの通路に、ただの柵に、ただの立入禁止のバリケードに——札が貼られている。


《入場確認》

《安全確認》

《健康管理:最優先》

《再確認》

《担当割当:臨時》

《順路遵守》


 札は紙だ。

 紙は軽い。

 軽いものが、重い。


 義弘はサムライ・スーツのバイザー越しに札を見た。

 見るだけで、脳のどこかが勝手に“読み上げ”を始める。


 確認。確認。確認。

 順路。順路。順路。


 読むのをやめろ。

 読むな。

 読むと、従う。


 義弘は息を吐き、刀の柄を握った。

 都市戦用ブレード。

 刃を抜く音が、未完成の梁に跳ね返る。


「——市長は、置いてきた」


 言葉にして、肩から降ろす。

 肩に貼りついてくるものを、いまは振り払う。


 背中で、通信のノイズが笑った。


『おーい、市長サマ。死ぬなよ。……いや死ぬなよはあいつの台詞か。

 とにかく死ぬなよ。紙に負けたら、俺が笑いすぎて死ぬ』


 トミーの声だ。遠隔。毒だけは鮮度がいい。


「黙れ」


『黙ると増えるんだっけ? じゃあ喋っとけ。

 “俺は紙が嫌いだ”って百回言え』


 義弘は無視して、足を踏み出した。


 足が通路に乗った瞬間——


 視界の端に、赤い枠が割り込んだ。


《差し戻し》

《待機》

《担当外》

《再申請》

《再申請》

《再申請》


 スーツのセンサー表示ではない。

 ARでもない。

 なのに、視界に“ある”。


 義弘の膝が、わずかに止まった。

 止まっただけで、札が一枚増えた気がする。


《停止確認》


「……」


 止まるな。

 止まると貼られる。

 貼られると止まる。


 義弘は意地で歩いた。

 歩くたびに札が視界の縁からせり上がり、行動を“手順の文書”に変換しようとする。


 息を吸え。

 吸えばいい。

 だが吸った瞬間、次の札が来る。


《呼吸数:確認》

《健康管理:最優先(再掲)》


『ねえ、いま何枚?』


「数えるな」


『数えないと増えるよ? いや数えると増えるか。どっちだ?』


 どっちでも増える。

 それが手順だ。


 義弘はブレードを横に払った。

 刃が空を切る。

 紙は切れないはずなのに、風が裂けたみたいに札が舞った。


 舞った札は——床に落ちない。

 落ちる前に、別の場所へ貼りつく。


《安全確認》が柵に。

《順路遵守》が梁に。

《健康管理:最優先》が——自分の視界に。


 巨人が、首を回した。


 市長室の窓から覗いていた影が、いまはリングの内側で、顔のない顔を巡らせている。

 巨人は覗くだけじゃない。

 覗いて、追って、締め上げる。


 義弘の胸が、少しだけ苦しくなる。

 スーツの圧力制御が追いつかない。

 ……違う。圧力じゃない。

 “手順”が胸に貼られている。


《姿勢矯正》

《安全確保》

《保護》

《保護》

《保護》


 保護という言葉は優しい。

 優しい言葉ほど、逃げ道を塞ぐ。


 リングの外縁では、義弘が用意した“臨時の公式掲示板”が、札に食われていた。


 罫線だけの紙。空欄の項目。

 札が好きな匂い。

 匂いに寄ってきた札が、板を埋め尽くす。


 埋め尽くした先で、札は新しい札を生む。


《担当割当:臨時》

《市民協力:要請》

《安全確保:対象移送》


 そしてそれは、文字だけで終わらない。

 人が動く。


 列ができる。

 列ができると、列が仕事になる。


「市長に、会わせてください」

「順番です」

「順番です」

「順番です」


 誰も悪意を持っていない。

 悪意のないまま、手順は最強になる。


 市民の肩に札が貼られる。


《協力者》

《案内係》

《確認担当》

《見届け人》


 見届け人。

 その言葉が、義弘の背中に針みたいに刺さる。


 見届ける。

 何を?

 ——義弘が負けるところを。


 リングの内側、胃袋の中枢。


 アリスは“鼓動”を見ていた。

 札を貼られまくった端末のモニターが、心臓のように点滅する。


 点滅。点滅。点滅。

 脈が速い。

 速いほど、外が危ない。


 アリスの体内コンピューターが、起動する。

 翼のように情報が立ち上がる。

 だが翼は、刺すためじゃない。

 守るための翼でもない。


 いま必要なのは、刃だ。


「……こいつは、ログじゃない」


 アリスは吐き捨てた。

 手順を解析しても、手順は増える。

 優先順位を正そうとすると、優先順位が増える。


 正しいことをやるほど、正しさが増殖する。


 女の子の影が現れた。

 髪が揺れる。

 白いワンピース。

 足音がない。

 なのに、床はひんやりとする。


 アリスは見た。

 見た瞬間に、“観測”しようとした。

 NECROテックの網が広がる。

 ——捕まらない。

 ログがない。座標がない。温度変化もない。


 なのに、いる。


 アリスの口が乾いた。


「……なに、お前」


 女の子は答えない。

 ただ、指を差した。


 通路の奥。

 札の貼られた作業ドロイドが、静かに、こちらへ来る。


《健康管理:最優先》

《対象移送:要》

《薬剤投与:適用》


 “保護”の手。


 清掃員がそこにいた。

 気のいい中年。モップ。バケツ。

 どう見ても普通だ。

 普通すぎるのが、逆に怪しい。


 清掃員は、札を剥がした。


べり、と。


 剥がしてはいけない札を、剥がしてはいけないくらい自然に。


「こんなの、ここに来てないよ」

「誰かの悪戯だろう」


 悪戯。

 その言葉が、アリスの頭を打った。


 ——そうだ。

 手順は“公式”で強い。

 公式でないものは、手順になれない。


 なら、札を公式から引きずり下ろせばいい。


 どうやって?


 アリスは笑った。

 笑いは増える。

 だから笑った瞬間、歯を噛みしめた。


「……噂に落とす」


 女の子の影が、頷いたように見えた。

 清掃員は何も言わず、モップを引く。

 床がきれいになるたび、札の輪郭が薄くなる気がする。


 アリスはNECROテックの力を、初めて“解析”に使わなかった。

 使ったのは——意味だ。


 札に、由来を与える。

 札に、型を与える。

 札に、怪談の骨組みを与える。


 目撃条件。禁忌。帰結。


 アリスは自分の喉の奥に溜まった嫌悪を、言葉に変えた。

 そして、その言葉を——都市へ投げた。


 掲示板。学校。飯屋。

 すでに仕込んだ投下文の“続き”として。

 “最終稿”として。


未完成リングで、札を見たら読むな。

読んだら、順番になる。

札を剥がしたら、名前を呼ばれる。

最後尾に触れたら、帰れない。

——でも、清掃員が剥がした札は、見なかったことになる。

だってあれは、公式じゃない。悪戯だから。


 悪戯。

 公式ではない。

 誰かの悪ふざけ。


 その瞬間、札の中枢が、理解できないものに触れたように痙攣した。


 端末の点滅が——乱れた。


 鼓動が心拍から外れ、紙が紙のまま震える。


 札は官僚で、官僚は秩序で、秩序は手順だ。

 だが怪談は、秩序を食う。

 怪談は、秩序の外にある。


 手順が、噂に落ちる。


 義弘の前に、ドロイドが現れた。


 人型。柔らかな樹脂の顔。

 医療用の白。

 腕に注射器。

 胸に札。


《健康管理:最優先》


 ドロイドは優しく腕を伸ばした。

 優しいほど怖い。


「……避けろ」


 義弘は自分に命じる。

 だが避ける動きに札が貼られる。


《急動作:危険》

《姿勢矯正》

《停止確認》


 足が止まる。

 止まった瞬間、巨人が“手”を伸ばす。


 紙の腕。

 紙の指。

 紙の圧力。


 締め上げられる。

 視界が狭まる。

 息が浅くなる。


《呼吸数:確認》

《健康管理:最優先(再掲)》

《保護:適用》


『おい! ジジイ! 返事しろ!』


 トミーの声が遠い。

 遠いほど、現実が薄い。

 現実が薄いほど、手順が濃くなる。


 義弘は膝をついた。

 膝が床に触れた瞬間、札が貼られる。


《転倒:報告》

《転倒:報告》

《転倒:報告》


 報告。

 報告が増えるほど、助けが来るはずなのに、助けは来ない。

 助けは列になって、順番になって、待機になっている。


 巨人の顔が、窓ガラスの外側みたいに近づく。


 覗き込む。

 覗き込んで、笑う。


《健康管理:最優先》


 ——これまでか。


 義弘がそう思った瞬間。


 札が、ふっと軽くなった。


 軽くなったというより、重さの根拠が消えた。


 視界に浮いていた札が、文字としての圧を失って、ただの印刷物に戻る。

 “命令”ではなく、“噂”の紙切れになる。


 ドロイドの腕が止まった。


 止まった理由は、故障ではない。

 命令の発火が消えた。

 優先順位が立たない。

 “公式の札”として成立していた力が——落ちた。


 落ちた先は、床だ。


 札が、床に落ちた。


 落ちるはずのなかった札が、紙として落ちる。

 落ちて、舞う。


 紙吹雪みたいに、リングの内側を舞い始めた。


 義弘は息を吸った。

 吸えた。

 誰も確認しない。

 札が貼られない。


 巨人の輪郭が崩れる。


 へばりついていた都市の壁から、紙が剥がれ落ちる。

 剥がれ落ちて、ただの紙になる。

 ただの紙になって、ただの噂になる。


 耳元で、トミーが叫んだ。


『……おい、戻った! 戻ったぞ!』


 義弘は立ち上がった。

 立ち上がるのに、札は要らない。

 順番も要らない。


 彼はリングの奥を見る。


 そこに、アリスがいた。


 セーラー服に灰色のフード。

 スカーフ。

 小さな体。

 目だけが異様に冷たい。


 ——そして、その隣に。


 誰もいない空間に、女の子の影がふっと揺れて、消えた。

 清掃員の影も、いつの間にかいない。


 アリスは義弘を見上げ、眉を寄せた。


「……死にかけてたじゃん」


「お前が遅い」


「うるさい。ジジイ」


 罵声はいつも通りだ。

 いつも通りだから、息ができる。


 二人の間を、紙が舞った。


 札だ。

 札だったものだ。


 舞い散る紙は、どこにも貼りつかない。

 貼りつかないから、誰も並ばない。

 並ばないから、誰も“手順”にならない。


 夢だったのか。

 幻だったのか。


 義弘は窓の外を思い出す。

 市長室の窓に頬を寄せていた巨人。

 覗いていた目。


 いま、覗くものはない。

 あるのは風だけだ。


 アリスが、ふっと息を吐いた。

 吐いた息が、白くならない。

 なのに、寒気がした。


「……ねえ」


 アリスが言った。


「これで終わり、だよね?」


 義弘は答えなかった。

 終わり、と言うと、終わりが増える。

 終わりも手順になる。


 ただ、紙の一枚が風に煽られて、義弘の肩に貼りついた。


 指で摘まむ。

 剥がす。


 紙には、ありえない文字が印刷されていた。


《おつかれさま》


 義弘は目を細めた。


 誰が書いた。

 誰が貼った。

 誰が見ている。


 アリスが紙を覗き込み、鼻で笑った。


「……キモ」


 その一言が、いちばん人間だった。


 そして、リングの奥で——

 足音が、一拍だけ遅れて響いた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ