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第五十七話 トップ当選、手順に圧死

 開票速報のテロップは、祝祭の色をしていた。


『新開市長選 津田義弘 トップ当選』


 画面の端で、無数のコメントが泡のように弾ける。


「神回確定」

「市長になってもサムライやるって言ったよな?」

「市政=戦場」

「義弘が“手順”と戦う回、見たい」

「アライアンス沈黙してて草」

「新開市、ほんと飽きない」


 祝われる本人は、祝われる場所にいなかった。


 ——市役所の、仮の市長室。


 机の上に積まれているのは、花束ではない。

 紙の束だ。ファイルだ。クリップだ。付箋だ。

 厚みが“責任”の形をしている。


 義弘は、椅子に深く座っていない。

 膝が痛む。痛いからこそ、姿勢を崩さない。


 扉がノックもなく開く。


「市長、至急です。決裁が——」


 決裁。決裁。決裁。

 “切る”という言葉に似ていて、しかし切れない。


 義弘は目を上げずに言った。


「置いていけ」


 書類は置かれ、次の書類が置かれる。

 そして“置く”こと自体が、すでに手順だ。


 扉の横で、トミーが足を投げ出していた。

 うさぎのくせに、妙に人間じみた座り方をする。


「おめでとう、市長サマ」


 毒舌が軽い。軽いときほど刺さる。


「これは祝うやつじゃない」


「知ってる。祝うなら紙じゃなくて酒が来る」


 義弘は紙を一枚めくった。

 見出しが目に刺さる。


《外郭違法増築区域 安全基準改定案》

《インフラ税率整理 関係各社調整資料》

《高速機動隊との協定更新 議会説明用想定問答》

《健康管理・点検制度 運用再設計》


 最後の一行で、指が止まった。


 健康管理。点検制度。


 ——札の言葉だ。


 扉がまた開く。


「市長、会議です。第一会議室へ」


 会議室へ。

 戦場へ、ではない。

 会議室へ。


 義弘は立ち上がる。膝が小さく鳴る。

 その音は誰にも聞かれない。聞かれないように歩くのが大人だ。


 第一会議室の空気は、冷たいビジネスの匂いがした。

 正論の匂い。数字の匂い。責任転嫁の匂い。


 卓の端から端まで、名札が並ぶ。

 肩書きが並ぶ。

 人は、肩書きの影に隠れる。


「市長。就任おめでとうございます」


 誰かが笑顔で言う。

 笑顔は正しい。正しすぎる。


「本題に入ります。外郭の安全基準改定ですが——」


 説明が続く。

 誰も嘘はついていない。

 嘘がないのに、息が詰まる。


 義弘は気づく。

 ここは“言葉の切り取り”をされない場所だ。

 代わりに、“手順”が切り取っていく。


「……市長」


 誰かが言う。


「ご就任直後の混乱を避けるため、点検・健康管理の運用を一本化します。

 “未登録居住区画”も、例外なく」


 未登録居住区画。

 その語彙が、アリスの隠れ家の輪郭に重なる。


 義弘は、口の中で小さく呟いた。


「紙は、切っても増える」


 隣でトミーが、かすかに耳を立てた。


 ——


 一方、そのころ。


 白い部屋に、誕生日の色はなかった。

 あるのは、消毒の匂いと、整いすぎた備品と、静かな監視の気配。


 “健康管理スペース”。


 アリスは椅子に座っていた。

 セーラー服に灰色のパーカー。口元のスカーフ。

 翼のような情報は、いまは控えめだ。

 出しっぱなしにすると、修理したばかりのNECROが軋む。


 それでも、目は鋭い。

 その鋭さは、怖さの裏返しだ。


 部屋の隅に、少年少女が数人集まっている。

 年齢も国籍も曖昧で、名前も名乗らない。

 でも、共通点だけははっきりしている。


 ——治療を受けている。

 ——“一度死んで、生まれ直した”側にいる。


 リッチが、軽く手を振った。


「……おめでとう」


 言い慣れていない声。

 軽いのに、真面目だ。


 レヴェナントが続く。

 祈りみたいに短い。


「生きたな」


 ドッペルは、少し間を置いてから口を開いた。


「年齢の区切りは社会的役割の——いや。……おめでとう」


 言いかけて、自分で切った。

 切るべきものは、ここでは数字じゃないと分かっている。


 アリスは、顔をしかめる。

 照れを怒りに変えてやり過ごす癖がある。


「……うるさい。祝うな。気持ち悪い」


 言い終えてから、声が小さくなる。


「でも……まあ。ありがと」


 少年少女の一人が、目を輝かせる。


「誕生日って、いいな」


 アリスは、すぐに噛みつけなかった。

 噛みついたら、何かが壊れる気がした。


 代わりに、視線を逸らす。


 部屋の隅。

 そこに、シュヴァロフの“残り”がある。


 完全修理ではない。

 頭と腕と体だけ。脚は沈黙。

 それでも、センサーの光が淡く点いている。

 「いる」と示すためだけの光。


 アリスは、光を見て、ほんの一瞬だけ笑いそうになる。

 なりそうになって、唇を噛む。


 笑うのは、恥ずかしい。


「……余興を」


 淡々とした声が割り込んだ。


 モルテだ。

 丁寧で、簡潔で、感情が薄い。

 それが座っているだけで、部屋の温度が下がる。


 リッチが嫌そうに言う。


「余興って、お前」


 モルテは首を傾ける。


「誕生日です。境目は重要です」


 アリスが目を細める。


「境目とか、やめろ」


「では、話をします」


 モルテは、空気を整えるように言った。


「これは怪談ではありません。観測される現象です」


 少年少女が、わくわくするのを抑えられない顔になる。

 アリスは不快そうに眉を寄せる。

 “観測”という単語が嫌いだ。観測される側は、だいたいろくな目に遭わない。


「——《点検札の部屋》」


 モルテは、あくまで事務連絡の声で語る。


「新開市には、住人が知らないうちに貼られる札があります。

 《安全点検予定》《健康管理》《定期確認》」


 アリスの指が、机の端を掴んだ。

 隠れ家の玄関に増えていた札が脳裏に浮かぶ。


「最初は一枚です。

 剥がすと増えます。安心すると消えます」


 少年少女が「えー」と声を漏らす。

 ドッペルが眉をひそめる。

 レヴェナントは黙る。黙って聞くのが、怖いものを知っている顔だ。


「札の数が増えた部屋ほど、住人は安心します。

 “ちゃんと管理されている”と」


 モルテは一息もつかない。


「そして、ある日。住人はいなくなります。

 札は残ります。部屋は空室になります。

 札だけが、次の部屋へ移ります」


 アリスが吐き捨てる。


「……ふざけんな。誕生日だぞ」


 モルテは淡々と返した。


「誕生日だから話します。境目は越えられるからです」


 空気が、ひとつ冷えた。


 少年少女の一人が、勇気を出して聞く。


「それって、誰が貼るの?」


 モルテは、少しだけ首を傾ける。


「“誰”という問いは、手順に向きません。

 貼られる、という事実が先です」


 アリスが目を細める。


「……お前、そういう言い方が一番嫌いだ」


「了解しました」


 了解。

 謝らないのに、手順だけ踏む言葉。


 モルテは、唐突に「おまけ」と言った。


「短い話をもう一つ。未完成リングの足音」


 少年少女がざわつく。

 学校で聞いたことがある、という顔がいくつもある。


「工事が止まったリングの内側で、夜に足音がします。

 ログには残りません。センサーにも映りません。

 しかし現場の作業員は揃って言います。“聞こえる”と」


 モルテの声は平板なのに、言葉が妙に具体的だ。

 だから怖い。


「足音は近づきません。遠ざかりません。

 ただ、“同じ距離”で歩き続けます。

 こちらが止まると止まります。歩くと歩きます」


 アリスの背筋が、わずかに硬くなる。


「足音を聞いた人は、翌日から“手順”に従う傾向が強まります。

 押印、検温、点検、行列、ルール。

 それが正しいと、急に思えるようになる」


 少年少女が息を呑む。

 リッチが小声で言った。


「それ、怪談じゃん」


 モルテは否定しない。


「対処法はあります」


 アリスが皮肉る。


「へえ。耳を塞げ、とか?」


「はい。耳を塞いでください」


 アリスが笑いかけて、笑えずに固まる。


 モルテが続けた。


「耳を塞いだことも、記録されますが」


 ——そこで、部屋の隅の非常灯が、ほんの一瞬だけ瞬いた。


 アリスの視界が反射で揺れる。

 翼のUIは反応しない。ログも出ない。センサーも静か。


 なのに。


 廊下の端に、女の子が立っていた。


 制服でも病衣でもない。

 古い布みたいな服。

 顔はよく見えないのに、口だけがはっきり動く。


 音はしない。足音もない。

 影も薄い。


 それでも、そこに“いる”。


 アリスは、息を止めた。

 NECROを回す。

 最大出力で観測する。

 ——何も出ない。


 女の子が、口を動かす。


「……てんけん」


 声は聞こえない。

 唇の形だけで、言葉が脳に刺さる。


 アリスの喉が鳴った。


「……は?」


 女の子は、もう一度、口を動かす。


「……ならんで」


 アリスは椅子から半歩立ち上がりかけ、止まった。

 少年少女も、リッチたちも、モルテも。

 誰も反応していない。


 ——見えていない。


 見えているのは、アリスだけだ。


 女の子の口が、最後にひとつだけ形を作る。


「……はがさないで」


 アリスの胸が、ひゅっと冷える。

 官僚語彙。

 札の言葉。

 怪談の言葉。


 オカルトなのに、手順の言葉。


 読者の足元が、揺れる種類のやつだ。


 次の瞬間、非常灯の明滅が終わり、廊下は元に戻る。

 女の子はいない。

 何もなかったみたいに、空気だけが残る。


 アリスは、思わずモルテを睨む。


「いま……そこに——」


 モルテは、淡々と言った。


「記録はありません」


 アリスが歯を剥く。


「記録がないからって、いないって言うな」


 モルテは首を傾ける。


「記録がないものを扱う手順は、存在しません」


 存在しない。

 だから対処できない。

 だから放置される。

 だから増える。


 アリスは、舌打ちを飲み込んだ。

 飲み込んだのは毒ではなく、恐怖だ。


 少年少女の一人が、空気を壊すつもりで明るく言う。


「ねえ、アリス。市長さんにも言ったの?誕生日」


 アリスは勢いよく噛みつく。


「言うわけないだろ!」


 声が大きすぎて、自分で恥ずかしくなる。

 すぐに顔を背ける。


「……別に。用がない」


 シュヴァロフのセンサー光が、ほんの少しだけ強くなった気がした。

 嘘を見抜いたみたいに。


 ——


 市長室に戻ると、義弘は机の前で息を吐いた。


 トミーが鼻で笑う。


「誕生日か? お前」


 義弘は眉ひとつ動かさない。


「違う。……ただの当選だ」


「誰かの誕生日も祝えない市長だな」


 義弘は一瞬だけ黙った。

 祝うべき誰かの顔が、思い浮かびかけて、浮かばない。

 彼は知らない。アリスが今日、十七になったことを。


 知らないのは、アリスが言わないからだ。

 言わないのは、気恥ずかしいからだ。

 気恥ずかしさは、世界を守るには役に立たない。

 でも家族には、たぶん必要だ。


 義弘の端末が震えた。


 画面に、通知が出る。


《運用再設計:健康管理・設備点検 一次実施計画》

《対象:未登録居住区画》

《実施:当該区画は市政の安全基準に照らし——》


 文章は丁寧だ。

 冷たいほど丁寧だ。


 署名欄がない。

 担当部署名も、薄くぼかされている。

 ただ、手順だけがある。


 義弘は画面を見たまま、低く言った。


「……これが、“合法の顔”か」


 トミーが耳を伏せる。


「匂いがするな。あの札と同じだ」


 義弘は立ち上がる。膝が痛む。

 痛みより先に、怒りが来た。

 怒りより先に、焦りが来た。


 “未登録居住区画”。


 その語彙は、誰かを名指ししない。

 だから誰にでも刺さる。

 だから最悪だ。


 義弘は端末を握り潰しそうになって、やめた。

 手順と戦うなら、壊してはいけない。

 壊せば、手順は「破損」として再発行される。


 ——切っても増える。


 トミーが小さく言う。


「なあ市長サマ。どうすんだ」


 義弘は答えた。


「追う」


「どこを」


「署名のない手順を」


 トミーが鼻で笑う。


「“いない相手”を追うのか」


 義弘は、机の端に指を置いた。

 そこにあるのは紙だ。

 紙の角は鋭い。刃に似ている。


「……手順は、いない顔をする」


 義弘は呟いた。


「だから、いる場所を探す」


 そのとき、市長室の扉の外で、何かが貼られる音がした。

 紙が壁に押し当てられる音。

 テープが剥離紙から離れる音。


 義弘が扉を開けると、そこには新品の札が増えていた。


《安全点検予定》

《健康管理》

《定期確認》


 印字は丁寧だ。貼り方は規定通りだ。

 誰が貼ったか、分からない。


 でも確かに、増えている。


 義弘は札を剥がさない。

 剥がしたら増えることを、もう知っている。


 札を見つめたまま、義弘は小さく言った。


「……間に合ってよかった」


 言った直後に、自分で分かる。

 それは慰めの言葉だ。

 現実には、慰めにならない。


 義弘は続けた。


「だが、間に合ってない」


 ——同じ頃。


 白い部屋の外。廊下の壁にも、丁寧な紙が増えていく。

 少年少女はそれを見て、当たり前みたいに並びかける。

 アリスは、その動きを見て背筋を凍らせる。


 モルテの怪談は、余興ではなかった。

 “開始通知”だった。


 アリスは、翼のUIを立ち上げる。

 観測に出ない女の子の影を思い出しながら。


 官僚ホラーなのか、オカルトホラーなのか。

 その境目が、もう分からない。


 分からないまま、足元だけが確かに揺れている。

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