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第五十四話 勝利の後始末

 勝利には、後始末がある。

 勝利の映像には、後始末が映らない。


 昨夜の街は“決着”で沸いていた。

 今朝の街は“結論”で固まっていた。


 端末を開くたび、義弘の名前が二重に印刷される。


「【決着】義弘vs義弘――完璧義弘が制圧」

「市長候補、現場から退場(※安全誘導はしていた模様)」

「正義はどっち?コメント欄で討論」

「“義弘”の継承者、爆誕」


 義弘は通知を閉じた。

 閉じても、閉じたことが通知される気がした。


 肩の上でトミーが欠伸をして言う。


「おめでとう。お前、負けて静かになったぞ」


「おめでたくない」


「いや、めでたい。人気の檻から半歩出た。次はルールの檻だ」


 義弘は膝の痛みを確かめるように、ゆっくり足を動かした。

 痛みが軋む。軋みは、まだ壊れていない証拠でもある。


「……癖は入った」


 義弘は独り言のように呟く。


 トミーが耳を動かした。


「“勝ち方”じゃなくて“壊し方”の話だな」


「証拠じゃない。再現性を奪った」


「最悪の善行」


 義弘は苦笑しなかった。

 善行という言葉は、この街ではすぐ編集される。


 ——


 八重蔵の封筒は、いつも普通の紙だ。

 普通すぎて、触ると指先が冷える。


 義弘が受け取ると、八重蔵はいつもの軽い笑い声で言った。


「勝者は忙しい。勝者の裏方はもっと忙しい」


「匂いか」


「匂い。勝利の後の匂い。……焦げてる」


 封筒の中には、粉が入っていた。

 黒い金属粉。微細な、砂のような粒。


「現場の足場の上。梁の継ぎ目。……靴裏に付いたやつを回してもらった」


 八重蔵は、靴を指で軽く叩く。新しい靴が、軽く鳴った。


「左右で粒の形が違う。偏摩耗ってやつだ」


 義弘は粉を見つめた。

 粉は何も語らない。

 だが粉の形は、癖を語る。


「整備担当が泣くな」


「泣く? 泣かないよ。笑う。笑って言う」


 八重蔵は声色を変え、妙に丁寧な口調を真似た。


「『仕様です』」


 トミーが吹き出した。


「出た。最強の呪文。“仕様です”」


 八重蔵は頷く。


「もう一つ。回収が早くなってる。昨日より、今日。今日より、明日。早すぎて目撃が増える」


「……焦ってる」


「そう。焦ってる。勝ったのに焦ってる」


 勝利が罰として効き始めている。

 義弘は、心の中で短く数えた。


 ——一段目。


 義弘は封筒を閉じ、八重蔵に言った。


「“保全対象”は?」


 八重蔵の笑いが消えた。


「呼び方が定着してきた。作業員も警備も、あの言葉で噂し始めた。

 ……証拠は残らない。だが“言葉”は残る」


 義弘は頷く。

 証拠より、言葉の方がしぶとい。


 ——


 同じ頃。

 街のどこか、窓のない建物の地下。


 白い照明。無機質な床。

 空気が乾いていて、呼吸が薄い。


 そこに“勝者”が戻ってきていた。


 装甲服。

 義弘の型。

 義弘の色。

 ただし識別は剥がされ、名前は書かれていない。


 返却台に置かれた瞬間、整備担当の視線が一度だけ止まった。


 整備担当は、若くも老いてもいない顔をしている。

 顔つきが“手順”でできている人間だ。


 彼はスーツを触らない。

 まず、端末を触る。


 ログ。

 稼働時間。

 衝撃履歴。

 熱変換履歴。

 関節負荷。


 数字は、綺麗だった。


 綺麗すぎる。


 整備担当は、喉の奥で小さく言った。


「……正常」


 隣の監督役が、肩越しに覗き込み、即座に返す。


「正常です。勝利しました」


 整備担当は端末を見たまま言う。


「勝利と正常は別です」


 監督役は一拍置き、丁寧に言葉を選んだ。


「手順上、勝利は正常の範囲内です」


 整備担当は、端末を閉じて、ようやくスーツに手を伸ばした。


 触れた瞬間、指先が“違和感”を拾った。

 拾う。拾ってしまう。拾ったら戻れない。


 右足首。

 わずかに、当たりが硬い。


 左膝。

 わずかに、滑りが重い。


 整備担当は、そこを見ないふりをしながら、見た。


「左右で……当たりが違う」


 監督役が、即座に返す。


「左右差は許容範囲です」


「許容範囲です、は便利ですね」


「便利ではありません。規定です」


 整備担当は息を吐く。

 吐いた息が薄い。


 彼は工具を取り、関節カバーを開けた。

 中は美しい。

 美しいからこそ、恐ろしい。


 “美しいのに壊れている”が、一番厄介だ。


 整備担当は言葉を選ぶように呟く。


「……粉が出ている」


 監督役が、声をさらに丁寧にする。


「粉は出ます。稼働すれば出ます」


「出方が違う」


「出方の違いは現場由来です」


 ——出た。


 官僚ホラーの呪文。


 整備担当は、目を細める。


「原因は現場です、ですか」


「原因は現場です」


 監督役は繰り返す。繰り返すほど、言葉は壁になる。


 整備担当は、粉を指に取った。

 黒い粉。微細で、湿り気がない。


「現場が違えば粉が違う。

 でも、ログが綺麗すぎる。

 綺麗すぎるログは、誰かが掃除したログだ」


 監督役の目が動く。

 ほんの僅かに、動く。

 目が動くとき、人は嘘の境界に立っている。


 監督役は言う。


「ログの掃除は手順です」


「手順が正しいなら、故障は存在しません、ですか」


 監督役は一拍置き、冷たい丁寧さで答えた。


「手順が正しいなら、故障は存在しません」


 整備担当は、笑わなかった。

 笑えば、彼の敗北になる。

 敗北は報告書になる。


 彼は関節の微小な歪みを測り、測定結果を端末に入れた。

 端末は、赤を出さない。


 赤を出さない程度の異常。

 つまり、最も厄介な異常。


 整備担当は言った。


「……癖が残ってます」


 監督役は即答する。


「癖という語は不適切です」


「では何と呼びます?」


「“個体差”です」


「個体差なら交換しますか」


「交換はコストです」


「コストは、勝利の一部です」


 監督役は微笑んだ。

 微笑みは“勝利”の顔をしていた。


「勝利は達成されました」


 整備担当は、内側で歯を食いしばる。

 達成された勝利が、整備室の寿命を削っている。


 彼は、端末に“所見”を書こうとして止めた。


 ——書けば残る。

 残れば責任になる。

 責任は、現場に落ちる。

 現場は、彼だ。


 整備担当は、結局こう書いた。


《経過観察》


 経過観察は、先送りの形をした爆弾だ。

 爆弾は、保全対象のように静かだ。


 ——


 同じ建物の別室。

 無機質な会議室。


 テーブルは長い。

 誰も名乗らない。

 ただ、役割だけが座っている。


 “運用”

 “回収”

 “整備”

 “広報”

 “監督”


 議題は短い。


「勝利の総括」


 “広報”が淡々と言う。


「街の反応は良好。“完璧”が定着しつつある。

 候補者は相対的に地味。役割分離が進む」


 “運用”が頷く。


「次段階へ移行可能」


 “回収”が言う。


「ただし露出が増えている。回収速度を上げた結果、目撃も増えた」


 “監督”が即座に返す。


「目撃は問題ではない。証拠は残らない」


 “整備”——さっきの整備担当が、抑えた声で言う。


「証拠が残らなくても、機体が残ります。癖が——」


 “監督”が言葉を切る。


「癖という語は不適切です」


 “運用”が淡々と追加する。


「個体差が増えれば、予測性が落ちる。予測性が落ちれば“完璧”が揺らぐ」


 “広報”が小さく呟く。


「揺らぐと、編集で補えない」


 “回収”が言う。


「次の現場は……救助現場が適切。候補者が逃げられない」


 “監督”が頷く。


「次で決める」


 整備担当の胃が冷える。

 次で決める、は

 次で壊す、の丁寧語だ。


 会議は結論を出さずに終わる。

 結論が出ないほど、責任が曖昧になる。

 曖昧は最も強い武器だ。


 ——建物が、どこかで軋んだ気がした。


 軋んだのは建物ではない。

 手順の方だ。


 ——


 義弘は、静かな時間を手に入れていた。


 勝者に視線が集まるほど、敗者は見えなくなる。

 見えない者は、根回しができる。


 義弘は市政ルートの書類を、丁寧に積み上げ始めた。


 未完成構造物への立入制限。

 外郭の安全基準の強化。

 避難導線の明文化。

 イベント申請の条件追加。


 誰も反対しない。

 反対する理由がない。

 反対すると“市民の安全”に反対することになる。


 トミーが、書類の山を見て顔をしかめた。


「お前、勝って人気取るんじゃなくて、負けてルール取るのか」


「舞台を奪う」


「相手の映えを殺す?」


「殺すのは映えじゃない。事故だ」


 義弘は淡々と書類に判を押す。

 判は血の代わりに押される。


 八重蔵から短いメッセージが入る。


《回収が過剰。焦ってる。》


 義弘は既読だけ付けた。

 既読は動く合図だ。


 義弘は鳴海に、短い文だけ送る。


《補給の線、伸びるか》


 返事はすぐではない。

 だが夜になって、短く返ってきた。


《閉じていない。組織一個では説明できない》


 義弘は、指を止めた。


 線が閉じていない。

 つまり、背後は“単体の悪”ではない。

 複数の手順が絡み合っている。


 この街で最も厄介な敵だ。


 ——


 その頃、学校。


 アリスは机に座っていた。

 座っているだけで、息が詰まる。


 彼女のNECROは修理を終えたばかりで、まだ“馴染み”が浅い。

 身体が自分に戻り切らない。

 だから余計に、周りの視線が刺さる。


 廊下から聞こえてくる。


「アリスちゃんってさ——」

「義弘さんの……だよね」

「市長選の……」


 彼女は無視して、ノートを開き、ペンを動かす。

 ノートの端には、シュヴァロフの部品図が小さく描かれている。


 修理は、祈りに似ている。

 修理は、諦めない形だ。


 放課後、彼女は隠れ家へ戻り、工具箱を開けた。

 シュヴァロフの欠けた装甲に触れる。

 触れると痛い。痛いほど、まだ愛せる。


 そのとき、玄関の外に貼られた札が目に入った。


 見覚えのない札。


《安全点検予定》


 字は丁寧。

 丁寧な字ほど、侵入者の顔をしている。


 アリスは札を剥がさなかった。

 剥がすと、存在を認めることになる。

 認めた瞬間、手順が始まる。


 彼女はただ、小さく呟いた。


「……手順が、来てる」


 ——


 夜。


 義弘は窓の外の未完成のリングを見ていた。

 街の光が、冷たく反射している。


 トミーが、珍しく真面目な声で言う。


「なあ。勝った方が壊れ始めてるんだろ」


「壊れ始めた。だが、壊れる前に次を打つ」


「止まらないのか」


「止まらない。止まれば面子が潰れる」


 義弘は息を吐いた。

 息が白い。

 白い息は、冷えた現実の色だ。


 八重蔵から、最後の匂いが届く。


《次は会見じゃない。“救助現場”を狙う》


 義弘は端末を閉じ、都市戦用ブレードの柄を握った。


 勝利を罰にした。

 それで終わるほど、相手は優しくない。


 次は——

 勝利が、相手自身を裂くほどの罰でなければならない。


 義弘は、独り言のように言った。


「……割に合わない勝利を、完成させる」


 遠くで、街のどこかが軋んだ。

 建物ではない。

 手順が、限界に近づいて軋んでいる。

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