第五十二話 会見という処刑台
公式の告知は、刃に似ている。
紙に載る。画面に載る。予定表に刺さる。
刺さった瞬間、そこはもう“ただの場所”ではなくなる。
——津田義弘、市長選出馬に関する正式会見。
日時。場所。入場の案内。中継リンク。
義弘はその画面を見て、膝より先に胃が痛くなった。
「……俺の手を離れてるな」
肩の上でトミーが、ふん、と鼻を鳴らした。
「お前が“公式”とか口にした時点で、もうお前のもんじゃねえよ。公式は獣だ。餌をやったら増える」
端末のコメント欄は、すでに獣の息をしていた。
「公式きたあああ」
「市長×ヒーロー爆誕」
「アリス出る??」
「会見に“もう一人”来る説ある」
「高速機動隊も来るかな」
「会見会場どこ?聖地巡礼する」
最後の一行に、義弘の目が冷えた。
聖地。
またその言葉だ。
誰かの暮らしを、勝手に神棚にする言葉。
義弘は机に手をつき、短く息を吐いた。
「会見の会場、変えられないか」
「変えられるならとっくに変えてるだろ」
トミーが耳元で囁く。
「映える会場だ。スポンサーと応援団体が喜ぶ。お前の膝が悲鳴を上げるのは、彼らの興味外だ」
——応援団体。
義弘は、勝手に生えた団体の一覧を眺めたことがある。
名前がいちいち大仰で、やたら長い。
新開市らしい軽薄さと、政治の匂いが混ざっていた。
“市政ルート”も動いている。
電話が来る。メッセージが来る。面会希望が来る。
「津田さん、会見の壇上は——」
「津田さん、衣装は——」
「津田さん、スポンサーのロゴ配置は——」
義弘は一つひとつ切り捨てたい衝動を、喉の奥で噛み砕いた。
今は切る時ではない。
切れば燃える。
燃えれば刃が増える。
そのとき、インターフォンが鳴った。
義弘は嫌な予感のままドアを開ける。
立っていたのは八重蔵だった。
いつも通り、ボロい服。
だが靴だけは新しい。
逃げ道の靴だ。
「おや。候補者サマ。忙しそうだね」
「匂いか」
「匂いだよ。いやな匂い」
八重蔵は薄い封筒を差し出した。
封筒の紙は普通だ。普通すぎる。
普通の紙ほど、怖い。
「会見の日、導線が妙に“掃除”されてる。会場周辺の工事予定が、綺麗に整形されてる」
「整形?」
「本来、ぐちゃぐちゃなはずの現場が、ぐちゃぐちゃじゃない。——誰かが“事故が起きる前提”で配置してる」
義弘は封筒の中身を見る。
現場の配置図。
交通誘導。
救急導線。
防火シャッターの稼働予定。
美しい。
美しいほど不吉だ。
義弘は言った。
「会見は、戦場になる」
トミーが笑った。
「いや、“処刑台”だな。公式の処刑台」
——
会見当日。
会場は新開市の中心部寄り、半分完成、半分未完成の広場だった。
上はリング状の構造物が渡り、下には空間が抜けている。
映える。
危うい。
新開市そのもの。
義弘は壇上の袖で、無言のまま空間を測る。
人の密度。
光の数。
ドローンの飛行高度。
避難導線の角度。
そして何より——“目”。
目が多い。
多すぎる。
トミーは腕の中で丸まりながら、目だけ開けて言った。
「お前、今日の敵は火器じゃない。レンズだ」
「知っている」
司会者が、笑顔で義弘の名を呼んだ。
義弘は壇上に出る。
拍手。
歓声。
そしてコメント。
「本物きた!」
「ジジイなのに姿勢いい」
「スポンサーのロゴついてなくて草」
「アリスは?」
「もう一人の義弘は?」
「会見中に事件起きそう」
義弘はマイクを握る。
言葉を選ぶ。
選んだ瞬間——空気が変わった。
遠くで警報が鳴る。
単発ではない。
連鎖だ。
赤い回転灯が、会場の外縁で点り、増え、繋がる。
防火シャッターが降りる音。
サイネージが誤作動する音。
交通案内が叫ぶ音。
司会者が顔色を変え、耳元のインカムを押さえる。
「……会場外で、事故が——」
義弘は言った。
「会見は続ける。だが、避難誘導を優先する。司会、案内を」
「え、ええ……!」
義弘は壇上から見える範囲だけで、避難導線を再構築する。
人の流れは、規則に似ている。
規則は崩れる。
崩れる前に、別の規則を流し込む。
「この出口は閉鎖だ。こちらへ。走るな。走ると倒れる」
声は落ち着いていた。
落ち着いている声ほど、人は従う。
しかし——レンズは従わない。
配信者が前に出てくる。
ライトが眩しい。
「津田さん!今の指示、もう一回!こっち向いて!」
別の配信者が叫ぶ。
「避難の様子、見せて!視聴者が不安がってる!」
不安。
不安という言葉で、人は他人を使う。
トミーが肩の上で、低く唸った。
「来たぞ。正義の顔した邪魔」
義弘は配信者を見ない。
見ると編集される。
編集されると、戦う相手が増える。
——その瞬間、会場の外縁で何かが“黙る”のを感じた。
音が消えたわけではない。
騒音の中に、ひとつだけ無音の空洞が生まれた。
空洞は、恐怖の形をしている。
義弘は視線を外縁へ向ける。
そこにいた。
人間大。
だが人間ではない。
光を反射しない素材。
左右のパネルの継ぎ目が、微妙に噛み合っていない。
識別プレートが、削り落とされている。
そして妙に残っている——整備用のタグ。
“保全対象”の文字列だけが、剥がし忘れのように貼られていた。
それが、静かに動く。
いや、“動かす”。
ゲートが閉まる。
誘導灯が点滅する。
サイネージが嘘を吐く。
暴力ではない。
手順だ。
手順の悪意。
コメントが一斉に飛ぶ。
「なにあれ」
「ロボ?」
「ドロイド?」
「いや、あれVXじゃね?」
「VXってOCMのだろ」
「……番号がない。消してる」
「保全タグだけ残ってる、怖」
「やべ、テロ確定」
義弘は膝に力を込めた。
痛みが走る。
だが、今は痛みに構っている余裕はない。
外縁に、似た形が増える。
三つ、四つ、五つ。
揃っていない。
同じなのに違う。
寄せ集めの統一感。
——出所不明の統一感。
雑兵が作るのは脅威ではない。
“半端な脅威”だ。
梁を揺らす。
火花を散らす。
倒れそうで倒れない。
倒れそうに見せる。
人が集まる。
カメラが寄る。
野次馬が壁になる。
「危ない!退け!」
義弘が叫ぶ。
だが、叫ぶ声は増える声に飲まれる。
「撮れ!撮れ!」
「近い方が映える!」
「義弘!義弘!」
——その時だった。
会場の反対側で、空気が割れた。
誰かが、完璧なタイミングで現場に滑り込む。
完璧な速度。
完璧な角度。
完璧な姿勢。
サムライ・スーツ。
義弘の型。
義弘の動き。
だが——義弘ではない。
“サムライ・ヒーロー・義弘”だった。
影が動く。
目を奪う動きで、救助をする。
救助の動作が、まるで演武だ。
無駄がない。
無駄がないほど、無情だ。
群衆のカメラが、一斉に向きを変える。
義弘が指示している避難導線から、
影が制圧する“映え”へ。
コメントが踊る。
「うおおおおお」
「あっちが義弘じゃん」
「完璧すぎ」
「候補者は演説してて」
「現場はこっちでいい」
「二人で分業しろ」
「いや、完璧な方だけで良くね?」
義弘は歯を食いしばった。
怒りではない。
理解だ。
——これが儀式。
“義弘という役”を奪うための儀式。
義弘(本物)は、倒れかけた老人を支えた。
泣いている子どもを抱き上げた。
転んだ配信者の足元から人を引き剥がした。
地味だ。
だが、人間だ。
影(義弘)は、梁を蹴り、機体を押し返し、火花を散らし、画面を飾った。
完璧だ。
だが、手順だ。
義弘はその差を見た。
見てしまった。
——人を見て動くか。
手順を見て動くか。
影の義弘が、出所不明の機体をひとつ“完璧に”倒した。
倒し方が美しい。
美しい倒し方は、危険だ。
人は美しさを正義だと勘違いする。
——
そのころ、別の場所。
オスカー・ラインハルトの端末に、社内アラートが滑り込んだ。
文章は短い。短いほど怖い。
《海外部門:回収段取り進行》
《対象:NECRO関連資産》
《期日:前倒し》
オスカーは一瞬だけ、微笑を失った。
眉がわずかに歪む。
目の奥の光が、氷から刃へ変わる。
「……奪う気か」
その声は、誰にも聞かれない。
だが、その一瞬の憤怒は、兄弟姉妹のものだった。
——一度死んで、戻った者たちの。
オスカーはすぐに微笑を戻した。
戻すのが怖い。
怖いほど、慣れている。
「リッチ。レヴェナント。ドッペル」
名を呼ぶ。
呼んだ名は、命令になる。
——時間が落ちた。
義弘側に残された余裕が、目に見えて削れた。
——
会場は、ようやく落ち着き始めた。
落ち着いたのは、事件が終わったからではない。
事件が“編集可能な形”になったからだ。
影の義弘が、最後の一機を制圧する。
制圧の瞬間、カメラが寄る。
コメントが爆発する。
「完璧!」
「義弘すげえ!」
「もうこの人でいい」
「候補者の方は何してたの?」
「避難誘導してたっぽい」
「地味w」
「でも市民守ってたのは本物じゃね?」
「どっちが本物?」
「二人いるなら最強じゃん」
義弘は立ったまま、膝の痛みに息を吸った。
痛みが遅れてくる。
遅れてくる痛みほど、深い。
事件の終わりに、もう一つの恐怖が始まる。
会場の外縁、影の中で——
工具のような腕を持つ機体が動いていた。
それは戦っていない。
救助もしていない。
ただ、“回収”している。
倒された機体の破片。
剥がれたタグ。
転がった記録媒体らしき小さな塊。
掴む。
折る。
潰す。
持ち去る。
まるで現場に最初から組み込まれていた手順のように。
義弘は気づく。
——証拠が消える。
いや、証拠ではない。
“存在”が消える。
作業員の一人が、呆然とした顔で呟いた。
「……保全対象って呼ばれてた。あいつら、そう呼んでた」
その言葉は小さい。
小さいほど、真実に近い。
義弘はその作業員を見て、頷いた。
頷くしかない。
今、これ以上言えば編集される。
——
夜。
新開市の画面は、もう会見会場ではなかった。
まとめ動画。
切り抜き。
解説。
比較。
“義弘”という役の、切り刻み。
タイトルが、勝手に固定化されていく。
「“義弘”が新開市を救った」
「市長候補、演説中に事故」
「完璧すぎる義弘、もう一人説」
「本物は政治へ、現場は“義弘”へ」
義弘は画面を閉じた。
閉じても、街は閉じない。
トミーが肩の上で、眠たそうに言った。
「なあ。お前、気づいたか」
「何に」
「次の戦場だよ。現場じゃねえ。——“義弘”だ」
義弘は静かに頷いた。
そして、ひとり言のように呟いた。
「……なら、対峙するしかない」
誰も聞いていない。
だが、その言葉は次の話の始まりだった。
会見という処刑台は、終わった。
処刑台の上に残ったのは、死体ではない。
“役”だった。




