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第五十話 受諾の刃

 新開市は、“義弘”に慣れていった。


 最初は歓声だった。

 「本物だ!」

 「現場に来た!」

 それがいつしか、笑いと利便に変わり、最後には——比較になった。


 サムライ・ヒーロー・義弘。

 自分にそっくりなスーツ。

 自分にそっくりな動き。

 まとめ動画で切り取られた“型”を、寸分違わず踏む影。


 そして、その影は危なげなく解決する。


 事故が起きれば、先にいる。

 暴走ドローンが出れば、最短で止める。

 落下しかけた構造物があれば、最短で支える。


 市民は言い始めた。


「義弘、二人いて助かる」

「どっちでもいい、解決してくれるなら」

「完璧な方でいい」

「候補者は政治へ、現場は“義弘”へ」


 役割分担。

 善意の顔をした、上書き。


 義弘はそれを見て、怒りより先に寒気を覚えた。

 自分の居場所が、静かに剥がれていく。


 刃で切られるなら、まだ分かる。

 これは違う。

 これは“貼り替え”だ。


 ——


 隠れ家の部屋は、今日も家庭的に荒れていた。


 洗い物。

 ピザ箱。

 途中で止まった掃除機。

 金属粉の薄い川。

 シュヴァロフがいないだけで、生活は簡単に崩れる。


 その中心で、アリスは黙々と装甲片を磨いていた。

 磨く音は小さい。

 小さいのに、ひどく強い。


 義弘はその背中を見て、ようやく決めた。


 逃げ回るのは、終わりだ。


 相手が圧倒的に有利な舞台だろうと、戦う。

 戦うと言っても、殴り合いではない。

 ——盤面だ。


 トミーが机の上で耳を伏せ、義弘を見た。


「顔、決まったな。やっとか」


「……椅子に座る」


「降伏じゃねえよな?」


「道具になるためじゃない。道具を折るために握る」


 トミーが鼻で笑った。


「いいね。椅子ごと相手の指を挟め」


 義弘は端末を開き、二つの名前を呼び出した。


 津田 恒一郎。

 オスカー・ラインハルト。


 ——


 先に繋がったのは、息子だった。


 画面に映る顔は、義弘によく似ている。

 似ているのに、目の温度が違う。

 現実に耐える目だ。


「……何だ」


 低い声。

 機嫌が悪いのではない。

 距離を守る声だ。


 義弘は前置きをしなかった。

 前置きは逃げになる。


「出馬する」


 沈黙。

 沈黙は短い。

 短いのに重い。


「……また、世間の道具になる気か」


「道具になるんじゃない。道具を折るために握る」


 恒一郎の眉が僅かに動いた。

 否定でも肯定でもない。計算だ。


「理由は」


「影が“義弘”を用意した。現場を上書きするために」


「陰謀論みたいな言い方だな」


「違う。肌で分かる」


 恒一郎は一度だけ目を閉じた。

 閉じた目の裏に、何があるのか義弘には分からない。

 分からないことが、親子の距離だ。


「……出るなら条件がある」


「言え」


「家族をこれ以上燃やすな」


 義弘は一瞬、口の中が乾いた。

 燃える、という言葉は痛い。

 なぜなら火をつけたのは、本人ではなく“周り”だからだ。


「……努力する」


「努力じゃ足りない」


 恒一郎の声が少しだけ硬くなる。


「孫を巻き込むな。あいつは今、妙なものに憧れてる。

 “義弘”に」


 義弘は目を伏せた。

 憧れは刃より鋭い。

 家族を切る。


「分かっている。だから出る。盤面を奪う」


 恒一郎は息を吐き、言った。


「……支える。だが、許すとは言わない」


「それでいい」


 完全な和解ではない。

 だが、支えは得た。


 画面が切れる直前、恒一郎が小さく言った。


「……死ぬな」


 義弘は返事をする前に通話が切れた。

 息子らしい。


 ——


 次に繋がったのは、オスカーだった。


 整った顔。

 滑らかな微笑。

 そして、微笑の下にある計算。


「津田さん。どうしました」


「出馬する」


 オスカーは眉一つ動かさずに頷いた。


「合理的です。街は既にそう扱っています。

 追認すれば、あなたは“公式”を得る」


 公式。

 それは檻にも剣にもなる。


「乗るわけじゃない。利用する」


「承知しました。

 では、必要な防御を整えます。法務、広報、申請、導線——」


 冷たいビジネスの言葉が、整然と並ぶ。

 その整然さが、義弘には今必要だった。

 乱雑な歓迎の中で、唯一の秩序。


 義弘は言った。


「“サムライ・ヒーロー・義弘”を止めたい」


 オスカーの微笑が、ほんの僅かに薄くなる。

 それは怒りではない。

 嫌悪に近い。


「……“役”の上書きは、インフラにも波及します」


 義弘は聞き逃さなかった。

 “インフラ”という言葉で隠している。

 だが本当に言いたいのは、別だ。


「アリスの件もだ」


 オスカーの目が一瞬だけ鋭くなる。

 ほんの一瞬。

 その一瞬が、人間の温度だ。


「NECROの回収は——許容できません」


 言った直後、彼はすぐに元の微笑に戻る。

 戻り方が早すぎる。

 早い戻りは、怒りの深さを示す。


「必要な情報を集めます。映像、ログ、機体の挙動。

 あなたの“型”を使うなら、逆に“型”が縛りになる」


 義弘は頷いた。


「縛って止める」


「はい。

 そして、あなたが出馬する以上、会見が必要です」


 会見。

 現場ではなく、制度の舞台。

 相手が有利な舞台で、相手の首を締める舞台。


「……準備しろ」


「既に半分は整っています。

 街の“書式”は、あなたを先に立候補させていますから」


 オスカーの言葉は冷たい。

 冷たいのに、救いがある。

 救いとは、握れる硬さだ。


 ——


 通話が終わると、部屋に磨く音だけが残った。


 アリスは相変わらず、シュヴァロフの装甲片を磨いている。

 磨いて、磨いて、磨いている。


 義弘は言った。


「市長選に出る」


 アリスの手が止まらない。

 止まらないまま、声だけが返ってくる。


「ふーん」


「興味ないか」


「興味ある。嫌いなだけ」


 アリスの毒が、今日は軽い。

 軽い毒は、信頼に近い。


「……動かないんだろ」


「動かない。今は。

 動いたら、また全部“商品”になる」


 義弘は、端末の通知を思い出す。

 アクリルスタンド。

 副市長扱い。

 教室での視線。


「守る」


 義弘がそう言うと、アリスの磨く音が一瞬だけ乱れた。

 乱れたが、戻る。

 戻れる強さが、彼女の強さだ。


「守るなら、まず外の連中を黙らせて」


「……黙らせる」


 トミーが肩の上で囁いた。


「黙らせるって言うな。市長候補らしくねえ。

 “整える”って言え」


「……整える」


「そうだ。椅子は言葉も椅子だ」


 ——


 義弘は作戦を頭の中で組み上げ始めた。


 “サムライ・ヒーロー・義弘”を止める。


 倒すのではない。

 壊すのでもない。

 止める。


 そのために必要なのは、戦闘ではなく“上書き解除”だ。


 第一の柱。

 偽物と同じ型を踏まない。

 完璧な型ほど、学習されやすい。

 なら、型を崩す。

 崩しても市民を守れるように、崩し方を選ぶ。


 第二の柱。

 偽物が“手順遂行”である証拠を掴む。

 声掛けの欠如。

 救助の優先順位。

 市民を見ることの欠落。

 人間らしさの欠落が、完璧の裏にある。


 第三の柱。

 舞台を奪う。

 会見。演説。公的導線。

 そこで“現場の義弘”を公然と呼び出す。

 相手が逃げにくい盤面を作る。


 トミーが小さく言った。


「完璧ってのは、いつだって“人間がいねえ”んだよ」


 義弘は頷いた。


「……人間を見せる」


 ——


 その頃、別の場所で、“影”も動いていた。


 影は手を汚さない。

 影は声を荒げない。

 影はただ、誘導する。


 地図が“偶然”流出する。

 画像が“偶然”拡散する。

 見出しが“偶然”踊る。


 《市長候補の相棒、潜伏先判明か》

 《ゴーストの“聖地”巡礼》

 《津田義弘の真実:隠れ家》

 《アリスちゃんに会える場所?》


 無責任な文字が、無責任な足を呼ぶ。

 足が集まる。

 集まった足は、刃になる。


 刃は握る手が見えないほど怖い。


 夜。

 隠れ家の外で、遠くに光が揺れた。


 配信の光。

 ドローンの小さな羽音。

 人のざわめきが、細い糸のように近づいてくる。


 義弘は窓の影に立ち、外を見る。

 見えるのは、まだ遠い。

 だが“来る”と分かる密度だ。


 アリスは背中を向けたまま、磨く音を止めなかった。

 止めれば負けると知っている。


 義弘は呟いた。


「……衆目は刃だ」


 そして、言葉を続ける。


「刃を握る手は、見えない」


 遠くの光が、もう一つ増えた。

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