第四十九話 影の義弘
新開市は、今日も“いつも通り”だった。
つまり、トラブルが起きる。
しかも起き方が、妙に手際がいい。
事故が連鎖する導線が、配信の導線と一致している——そんな嫌な一致が、ここ数日で当たり前になりつつあった。
高架の下で、搬送ドロイドが制御を失って荷をぶちまける。
次の区画で、補修用ドローンが電線に絡みついて火花を散らす。
さらにその先で、未完成構造物の落下防止柵が外れて、危険区域がひらく。
どれも“事故”に見える。
だが、見せ方が整いすぎていた。
義弘は膝の鈍い痛みを無視して立ち上がった。
隠れ家の床に散る金属粉が、足裏に小さく鳴る。
キッチンは相変わらず家庭的に荒れている。
洗い物。
ピザ箱。
途中で止まった掃除機。
シュヴァロフの不在は、生活を汚すだけではない。
心まで散らかす。
アリスは作業机に向かい、シュヴァロフの装甲片を磨いていた。
磨く音だけが静かに部屋を支配している。
“動かない”という抵抗。
“直す”という意志。
トミーが義弘の肩に飛び乗り、耳元で囁いた。
「また行くのか、候補者サマ」
「候補者じゃない」
「街はそう思ってねえ。
現場行く前に、撮影許可取られそうだな」
義弘は端末の通知を消した。消しても消えない。
消えないものに対抗するのは、刃ではなく足だ。
「見過ごせん」
アリスは振り向かずに言った。
「……死ぬなよ、ジジイ」
義弘は一瞬だけ口角を上げた。
笑える状況ではない。
だがその言葉は、歓迎よりずっと楽だった。
——
外へ出た瞬間、空気が変わった。
街が、レンズでできている。
路地の入口に配信者。
交差点に野次馬。
危険区域の柵の外に応援団体のスタッフらしき腕章。
腕章が“安全確保”の名目で導線を作り、同時に導線を塞ぐ。
「津田さんだ!」
「市長候補きた!」
「本物だ! 本物のサムライ・ヒーロー!」
本物。
その言葉が最悪だった。
本物は、比較される。
比較は、上書きされるための準備だ。
義弘はスーツを起動した。
装甲のロック音が乾いた。
バイザーが下り、視界にデータが浮かぶ。
同時に、コメント欄も浮かぶ。
勝手に。
「うおおお義弘きた!」
「市長でも現場出るの熱い」
「膝大丈夫?w」
「これが“秩序”だよ」
「アリスちゃんは? 今日は出ないの?」
義弘は目を細め、コメントの透明度を下げた。
完全には消せない。
新開市の“情報”は、都市の湿気みたいにまとわりつく。
危険区域へ向かう。
向かうたび、人が増える。
増えるたび、息が詰まる。
応援団体が叫ぶ。
「皆さん、危険です! こちらへ! こちらが安全です!」
“安全”の導線が、義弘の導線を削る。
義弘は肩で人の流れを押し、膝で踏ん張る。
踏ん張りながら思う。
この街では、戦闘より群衆が厄介だ。
そのとき、誰かが叫んだ。
「現場! 現場もう解決してる!」
義弘は足を止めかけ、止めなかった。
解決してるならなおさらだ。
解決の仕方を見なければならない。
——
現場のライブ配信が、空中に大写しになった。
義弘の視界の上半分を占領する、他人のカメラ。
他人の編集の入口。
そこに映っていたのは——
自分だった。
いや、似ている。
似すぎている。
サムライ・スーツ。
装甲の輪郭。
肩の張り。
バイザーの形。
刀の握り方。
義弘が何度も配信で見せた“型”が、そのまま歩いている。
コメントが跳ねる。
「え、義弘もういるじゃん」
「分身?w」
「市長候補が二人w」
「どっちが本物?」
「動き、まとめ動画のやつだ……」
映像の中の“義弘”が、事故現場に立つ。
搬送ドロイドが荷を撒き散らし、補修用ドローンが電線を引きちぎりかけ、柵が揺れている。
その“義弘”は、ためらわない。
間合いを取る。
立ち位置をずらす。
アンカーを撃つ。
人工蜘蛛の糸が伸び、落下しそうな柵を支える。
同時に、腕を振る。
衝撃増幅——一発。
搬送ドロイドの関節が正確に外され、動きが止まる。
次の瞬間、刀が抜かれる。
刀は“斬らない”。
切るのはケーブルだ。絡み。危険。
火花の出る場所を避け、最短で断つ。
最後に、散らばった荷を、人が踏まないように整える。
ドローンを遠ざける。
柵の支えを追加する。
——危なげがない。
今までの模倣犯と違う。
危うさがない。
手順が完璧だ。
義弘の“まとめ動画”が教材なら、これは満点の解答だ。
義弘の胸に、怒りが湧く前に寒気が走った。
違う。
自分は、こんなに綺麗にやらない。
自分は、必ず誰かを見る。
誰かの目を拾う。
誰かの呼吸を確認する。
それが遅れになっても、拾う。
映像の“義弘”は、市民を見ない。
市民は背景だ。
手順の外だ。
守っているのではない。
遂行している。
義弘は皮膚で圧力を感じた。
アライアンスの圧は、沈黙だった。
測量だった。
高みから見て、価値を計る冷たさだった。
これは違う。
これは——押し込みだ。
上書きだ。
影が、役を用意している。
“義弘”という役を。
——お前は椅子に座れ。
現場は、こちらが担う。
誰も言っていないのに、義弘はそれを聞いた。
トミーが耳元で、いつになく低く言った。
「……ジジイ。これ、やべえぞ」
「分かっている」
「分かってねえ。
こいつ、危なげなく“正しい”から、止めにくい」
正しい。
それが最悪だ。
義弘は現場へ急いだ。
群衆を押し、導線を裂き、腕章の“安全確保”を無視する。
「危険です! こちらへ——」
「黙れ!」
義弘の声が鋼のように響く。
声は刃になる。刃は嫌いだ。
だが今日は、刃が必要だった。
——現場に着く。
遠くからでも分かる。
柵は支えられ、搬送ドロイドは止まり、補修ドローンは静かだ。
事故は“解決”している。
群衆が拍手している。
拍手は責任を消す音だ。
そしてその中心に、いる。
サムライ・ヒーロー・義弘。
近づけない。
人の波が厚い。
応援団体のスタッフが“勝手に”壁になる。
「皆さん、近づかないで! 危険です! 撮影はここから!」
撮影はここから。
それは安全のためではない。
編集のためだ。
義弘は苛立ちを飲み込み、肩越しに“自分”を見た。
そっくりのスーツが、ゆっくり振り向いた。
バイザー越しの視線が刺さる。
顔は見えない。
見えないのに、目だけが見えるような錯覚。
音声はない。
名乗りもない。
ただ、胸部のどこかに小さなランプが一瞬だけ灯る。
緑とも白ともつかない、薄い光。
“適合”という言葉が頭をよぎり、義弘は胃の底が冷えた。
そっくりのスーツは、群衆に向けて一礼した。
一礼が正しい。
正しすぎる。
そして、去る。
人が道を開ける。
まるで神輿だ。
偶像の通る道だ。
義弘は一歩踏み出し、止まった。
踏み出した瞬間、誰かが義弘の腕を掴む。
「津田さん! こっち! 撮れます! 今の感想を!」
義弘は腕を振りほどく。
だが掴む手が増える。
歓迎の手。
握手の手。
応援の手。
守りに来たのに、本物は現場で役割を奪われた。
群衆が勝手に結論を出す。
「ほら、義弘なら大丈夫」
「市長になる男は違う」
「これが秩序」
「本物が二人いるなら最強じゃん」
「アリスちゃんも連れてきてー!」
最強。
その言葉は、誰も救わない。
義弘は息が詰まった。
膝が痛い。
だが今痛いのは膝ではない。
自分の居場所だ。
——
隠れ家に戻る途中、端末が震えた。
知らない発信元。
だが文面が丁寧で、書式が整っている。
“型”の匂いがする。
義弘は、画面を開いた。
《本日の対応、確認しました》
《市の秩序維持に資する動きでした》
《今後も“適切に”行動ください》
署名はない。
主語もない。
だが義弘は分かった。
これは祝福ではない。
警告だ。
影は、笑いながら首を絞める。
義弘は端末を握りしめ、指の関節が白くなるまで力を入れた。
その力が、どこにも向けられないのが一番怖い。
隠れ家のドアの前で、義弘は一度だけ息を吐いた。
吐けた。
ここにはまだ“直す音”がある。
中から聞こえる、金属を磨く音。
シュヴァロフを諦めない音。
アリスが動かないことで戦う音。
義弘はドアノブに手を置き、呟いた。
「……影が動いた」
影はもう、現場にいる。
義弘の姿で。




