表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/157

第四十八話 既成事実

 義弘は、自分がいつ立候補したのか知らなかった。


 朝、隠れ家の薄いカーテン越しに光が差し込む。

 シュヴァロフがいれば――きっときちんと整えられた光だった。

 だが今は、生活の雑さが光の角度にまで出る。


 床の金属粉が薄くきらめく。

 キッチンのシンクには洗い物。

 掃除機は途中で息絶えたまま。

 ピザ箱と栄養ゼリーの空が、母性の不在を主張している。


 トミーが机の上で伸びをした。


「おはよう、候補者サマ」


「……やめろ」


「やめろって言っても、もう“確定事項”だぞ」


 トミーは義弘の端末を前脚で叩いた。

 通知が、数え切れない。


 義弘は画面を見た。


 《新開市市長選:津田義弘 出馬へ》

 《推薦団体:登録完了》

 《応援ページ:公式(仮)公開》

 《政策提言:募集開始》

 《街頭演説:日時候補》


 出馬へ。

 へ、ではない。

 もう出ている顔をしている。


 義弘は息を吐きかけ、途中で止めた。

 吐くと、現実になる気がした。


「……推薦団体?」


「乱立してる。見ろよ」


 画面をスクロールすると、団体名が続く。

 続きすぎる。

 新開市はインフラが止まりかけても動く街だが、書類も止まらない街だった。


 《新開市市政改革有志の会》

 《サムライ市長を推す会》

 《刀で切り開く未来連盟》

 《津田義弘と歩むインフラ再興フォーラム》

 《ヨシヒロ様を讃える会(非公式)》

 《ゴーストと共に!市政応援団(非公式)》


 義弘は指を止めた。


「……最後の何だ」


「知らん。てか“非公式”って書いてあるのが一番非公式じゃねえ」


 トミーが笑った。軽い笑い。重い現実。


 義弘はさらにスクロールし、背筋が冷えた。

 団体の活動内容欄が、どれも妙に整っている。


 同じ言い回し。

 同じ段落構成。

 同じ“丁寧な善意”。


 型が配られている。


 義弘は目を細めた。


「誰かが……書式を流してる」


「だろうな。自発的に見せかけた“既成事実”ってやつだ。お前、椅子に座る前に座らされる」


 椅子。

 戦場の椅子。


 義弘が返事をする前に、外が騒がしくなった。

 隠れ家の位置は、まだ“完全”には割れていない。

 だが新開市の嗅覚は、無駄に鋭い。


 窓の外――路地の入口に、いかにも配信者の群れが見える。

 カメラ。マイク。光るサインボード。

 善意と無礼が混ざった顔。


 義弘は目を逸らした。

 逸らした先に、シュヴァロフの装甲片がある。

 丁寧に並べられ、丁寧に壊れている。


 義弘は唇を噛んだ。


 歓迎は刃より厄介だ。

 刃なら切られる。

 歓迎は“持ち上げる”という形で折ってくる。


 ——


 新開市のネットは、朝から祭りだった。


 公式を名乗る配信が乱立する。

 まとめ動画が湧く。

 解説動画が増殖する。

 切り抜きが、切り抜きの切り抜きを生む。


 義弘の活躍をまとめた“伝説”が、半日で三十本できた。


「【30分でわかる】津田義弘という男」

「義弘の刀の角度、全部解説」

「膝のダメージから読み解く次の戦略」

「市長になったら何が変わる?インフラ政策予測」

「アリスちゃん副市長説、真面目に検証」


 義弘はその一覧を見て、端末を伏せた。

 伏せても、通知が震える。

 震えは止まらない。止められない。


 そして、物販が始まった。


 義弘のサムライ・スーツ風ジャケット。

 刀型ペンライト。

 「シドー」プリントのステッカー。

 そして、なぜか――アリスのアクリルスタンド。


 制服ver。

 灰色フードver。

 作業着ver。


 さらに“限定”と書かれた、シュヴァロフのミニチュア。


 義弘は眩暈がした。


「……俺の市長選に、あいつを混ぜるな」


 トミーが即答する。


「混ぜるなって言っても、もう“セット売り”だぞ。お前らコンテンツとしては夫婦枠だ」


「殺すぞ」


「できねえだろ。市長候補は暴力振るうと失点だ」


 トミーの毒舌は、笑えるはずなのに笑えない。

 笑えないのが、選挙だ。


 ——


 学校でも、空気が変わり始めていた。


 廊下のざわめきが、アリスを追いかける。

 追いかけるのは視線だ。視線は檻だ。


「ねえ、あれ……」


「アリスちゃんじゃない?」


「市長の相棒でしょ」


「副市長になるの?」


 制服の襟元を直しながら、アリスは歩く。

 歩幅は小さい。小さいが、速い。

 逃げる速さではない。押し切る速さだ。


 教室の自分の机に着くと、すでに置かれていた。


 透明な袋。

 中に、小さなアクリルの“自分”。


 アリスは、口の端を引きつらせた。


「……ふざけんな」


 隣の席の生徒が、悪気なく言う。


「え、可愛いじゃん。サインしてよ」


「死ね」


「えっ」


 悪気のない驚きが、一番腹立つ。

 アリスは袋を机の端に滑らせ、視線で切る。


「私の顔を“商品”にすんな」


 教室が一瞬だけ静かになる。

 静かになった後、ざわめきが増す。


「こわ……」

「でも本物だ」

「やっぱゴーストって感じ」

「副市長っぽい」


 副市長。

 誰が決めた。

 誰が決めたのか、決めた顔で決まっていくのが一番嫌いだ。


 保健室の先生が、廊下で待っていた。

 優しい声が檻になる。


「アリツェさん、今日は少し……休んだ方が」


「休まない」


「健康管理だから」


「その言葉、嫌い」


 先生は一瞬だけ言葉を詰まらせ、笑顔を作る。

 笑顔は制度の皮だ。


 アリスは保健室に入らなかった。

 入ったら囲われる。

 囲われる時間は、シュヴァロフを奪う。


 放課後。

 アリスは寄り道をしない。

 寄り道は、誰かの期待と接触する。

 接触は、檻が厚くなる。


 帰る。

 直す。


 ——


 隠れ家に戻ると、部屋は相変わらず“家庭的に汚い”。


 玄関の靴は揃っていない。

 床の砂と金属粉が、細い川のように流れている。

 シュヴァロフがいた頃は、こんな“線”はなかった。


 洗い物は増えている。

 ピザ箱も増えている。

 栄養ゼリーの空も増えている。


 母性の不在は、増殖する。


 その中心に、義弘が座っていた。

 膝を庇うように、動かず。

 まるで負傷兵みたいに。


 アリスは眉をひそめた。


「……何してんの、ジジイ」


「窒息しに来た」


「最悪」


 アリスは靴を脱ぎ捨て、キッチンを睨む。

 睨む相手は洗い物ではない。自分の生活だ。


「……掃除役が壊れてるから」


 義弘の視線が、シュヴァロフの装甲片に落ちる。

 落ちたまま動かない。


 アリスは作業机に向かい、手袋をはめる。

 工具を並べる。

 並べ方が丁寧だ。生活は雑でも、ここは丁寧だ。


 シュヴァロフの装甲片に指を触れる。

 触れ方が、家族に触れる手だ。


「直す」


 義弘が頷いた。

 頷きは約束ではない。

 今は同意で充分だ。


 そのとき、義弘の端末が震えた。

 震えは選挙の亡霊だ。


 義弘は画面を見て、顔をしかめる。


「……“公式ショップ”ができた」


「は?」


「義弘関連グッズ。……アリス関連もある」


「殺す」


「候補者が殺すな」


 トミーが笑った。


「でもな、アリス。お前のアクスタ、売れてるぞ。しかも作業着が一番」


「死ね」


「買ったのはお前の同級生かもしれねえ」


「死ね」


 アリスは工具を握り、握りしめたまま息を吐いた。

 吐く息が熱い。熱は怒りだ。


「……私、動かない。しばらく」


 義弘が目を上げる。


「分かってる。……直すんだろ」


「直す。シュヴァロフ。絶対」


 “絶対”は強い。

 強い言葉は、泣きそうな喉から出る。


 ——


 街のどこかで、“応援団体”のひとつが会合を開いていた。


 会議室。安いレンタル。立派な名称。

 壁にはスローガン。


 《市長・津田義弘》

 《秩序・サムライ精神》

 《新開市は我々の手で》


 そこに、一人だけ温度の違う男がいた。

 年齢は若くない。だが目が若い。若すぎる。

 目が燃えている。燃えているのに冷たい。


 男は言った。


「津田義弘は市長になる。なら、戦場の津田義弘は誰がやる」


 周囲が笑う。軽い笑い。

 笑いはすぐに止まる。男の目が笑っていないからだ。


「……俺がやる」


 男は続けた。


「市長・義弘。制度の義弘。

 なら、現場の義弘が必要だ。

 俺が“義弘”になる。俺がサムライ・ヒーロー“義弘”になる」


 言葉が危うい。

 危ういのに、周囲は拍手してしまう。

 拍手は責任を消す。


 その会合の終わり。

 男は一通のメッセージを受け取った。


 差出人は、企業でも行政でもない。

 それなのに文面は丁寧で、書式が整っていた。


 《現地調整窓口》

 《あなたの理想に共鳴する》

《市の秩序を守る志は尊い》

 《支援物資を提供する》


 男の指が震えた。

 震えは恐怖ではない。歓喜だ。


 待ち合わせ場所は、街の外れ。

 インフラ施設の影。監視の死角。

 そこで、男は“贈与”を受け取った。


 ケース。長い。重い。

 開くと、中にスーツが眠っていた。


 義弘のサムライ・スーツに酷似したパワードスーツ。

 装甲の輪郭。バイザーの形。肩の張り。

 しかし細部が違う。違いが不気味だ。


 関節部が妙に“締まって”いる。

 拘束と破壊のための締まり方。


 “非致死”という名目で、骨を折れる締まり方。


 男は息を呑んだ。


「……これで、俺は“義弘”になれる」


 丁寧な声が、影から言う。


「市長候補を守る護衛用です。あなたの志にふさわしい」


「ありがとうございます……」


 男はスーツに手を触れ、震えながら笑った。

 笑いが、泣き顔に近い。


 影の声が、最後に一言だけ添えた。


「——適合試験を行いましょう」


 スーツの胸部が、微かに光る。

 駆動音。低い。

 ロックが噛み合う音。


 男の眼が、さらに燃えた。


 ——


 その夜、アリスはシュヴァロフの装甲片を磨いていた。

 磨く。磨く。磨く。

 磨く行為は祈りに近い。


 義弘はその背中を見ていた。

 背中は小さい。小さい背中が、街より強い。


 義弘の端末が、また震えた。

 “立候補届出”の締切通知。

 淡々とした文字。


 義弘は呟いた。


「椅子に座る前に、椅子が俺を座らせる気か」


 アリスは振り向かずに、言った。


「座るなら、私のこと商品にすんなって言って」


「……言う」


 約束に近い言葉。

 義弘は自分が息を吸えたことに気づく。


 外の街はまだ祭りだ。

 祭りは、誰かの首を絞める。


 そしてその祭りの影で、別のスーツが目を覚まし始めている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ