表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/144

第四十六話 沈黙

 翌朝の新開市は、何事もなかった顔をしていた。


 ニュースの見出しは三つ。

 「交通障害」「違法配信」「一部地域の混雑」。

 昨日、街が壁になり、白い短冊が置き直され、巨大な機体が“見せつけ”をしたことは――ない。


 ない、ということにされる。


 義弘の膝だけが、昨日を忘れなかった。

 椅子から立つとき、遅れる。

 遅れの分だけ、世界が先に進む。

 世界が先に進む分だけ、義弘は置いていかれる。


 トミーは机の上で前脚を組んでいた。組めるほど器用なのが腹立たしい。


「なあジジイ。街が平気な顔してるってことはさ」


「……分かってる」


「分かってねえから言うんだよ。あいつら、“満足した”んだ」


 義弘は窓の外を見る。

 通勤の波。学生の波。配送ドロイドの列。

 都市は動く。都市は働く。都市は忘れる。


 忘れるように設計されている。


 義弘は口の中で言った。


「刻んだ型が回り始めた。だから沈黙する」


「沈黙ってのが一番うるせえんだよな」


 うるさいのは街の雑音ではない。

 “言ってはいけないこと”の静けさだ。


 端末が震えた。

 オスカー・ラインハルトからのコール。


『津田さん。状況は落ち着きました。……正確には、落ち着かせられました』


「そっちの動きは」


『本社で処理します』


 処理。

 その言葉が、戦車より怖いときがある。


 ——


 OCM本社の会議室は、音がしない。


 防音のせいではない。誰も余計な音を立てない。

 紙一枚、椅子の脚一本で、出世が死ぬ世界だ。


 オスカーはいつものように整っていた。眉目秀麗。仕事ができる顔。

 その整った顔の端が、ほんの一瞬だけ硬くなる。


 通知が落ちたからだ。


 《海外部門:外部協力線/発覚》

 《都市契約:信用毀損リスク》

 《回収工程:外部介入痕》


 硬くなったのは、怒りではない――と、彼は言うだろう。

 怒りだ。

 NECROを狙われる怒り。兄弟姉妹を“部品”扱いされる怒り。


 ただし、怒りは表に出さない。

 代わりに、数字を出す。


 オスカーは淡々と話した。


「海外部門は、都市契約の枠外で外部勢力と接触し、結果として――」


 モニターに損失予測が並ぶ。

 インフラ停止リスク。監査コスト。ブランド毀損。再発防止の設備投資。

 人の命は項目にない。項目にないものは、議題にできない。


「――当社が積み上げてきた“都市の信用”を損なう可能性を作りました」


 会議室の誰かが口を開きかけて、閉じる。

 反論するなら、数字を持ってこい。

 数字がないなら、息もするな。


 オスカーは続ける。


「本社統制の観点から、当該ラインは切断し、責任線を明確化します。

 海外部門の独自行動は“個別案件”として整理し、都市契約の瑕疵は本社で補修します」


 補修。

 その言葉もまた、刀より冷たい。


 視線が集まる。

 集まるのは同意ではない。測量だ。

 こいつに権限を渡しても会社は沈まないか、という測量。


 オスカーは微笑んだ。

 微笑は刃だ。刃は切れる。


「結論として。アリスの回収工程は一時凍結。健康管理名目で保護を強化します。

 ——社内の“余計な線”は、こちらで折ります」


 折る。

 折るという単語が、ここでは合法だ。


 ——


 義弘の部屋に戻ると、現実が先に待っていた。


 インターフォンが鳴る。

 鳴った瞬間、義弘の膝が先に遅れた。

 身体が嫌がっている。嫌がるのに、義弘は立つ。


 扉を開けると、二人の男と一人の少年がいた。


 津田 恒一郎。義弘の息子。四十五。

 顔つきは父に似ているのに、目の疲れ方が違う。

 疲れているのは体ではない。世間だ。


 そして、その横――孫。

 “襲来”としか言いようのない勢いで、目が光っている。


「じいちゃん! これ見て!」


 孫は腕を上げた。

 腕に巻いているのは、安物のパワード補助バンド。

 おそらくクラファンで買った。支援者の名前がテッカテカに刻印されている。


 トミーが机の上で即座に毒を吐いた。


「うわ。スポンサーの名前でテカってる。最悪の方向に正統進化してやがる」


「トミー! 口!」


 孫が言う。孫はトミーの存在を“物語のキャラ”として理解している。

 現実の毒舌が一番刺さる年頃だ。


 恒一郎が頭を下げた。下げ方が、会社のそれだ。


「父さん……すまない。止めた。止めたんだが、こいつが勝手に」


「勝手にするのは津田家の伝統か」


 義弘が言うと、恒一郎の眉がわずかに動いた。

 怒りではない。痛みだ。


「父さん、冗談を言ってる場合じゃない。……市民が、あなたを見てる。

 あなたは“象徴”だ。象徴が膝を壊して倒れたら——」


「倒れない」


「倒れる。人間だからだ」


 恒一郎が言い切ったのが、珍しかった。

 普段は言い切らない。言い切ると責任が発生するからだ。

 責任が発生したのだ。


 孫が割り込む。


「でもさ! じいちゃんは来るじゃん! 来たじゃん! だから俺も——」


「来るな」


 義弘は短く言った。


 孫が口を開けたまま止まる。

 止まるのは、命令が効いたからではない。

 「来る」ことが正しいと信じていたからだ。


 トミーが横から刺す。


「お前は“来る”んじゃなくて、“邪魔になる”ってやつだ。まず自覚しろ」


「トミー!」


「うるせえ。自覚させなきゃ死ぬぞ。ジジイの膝だけじゃねえ。お前の首もだ」


 恒一郎が息を吐いた。

 吐いた息が白くならないのに、重い。


「父さん。……あなたはもう、戦場で戦うだけじゃない。

 制度も、世間も、あなたを使おうとしてる。

 だから——」


「だから何だ」


「……家族は、あなたを止めたい」


 止めたい。

 守りたい、ではなく。止めたい。

 守るより簡単だからだ。止めるほうが。


 義弘は答えなかった。

 答えたら、約束になる。

 約束は足を取る。今は足が足りない。


 ——


 アリスは、別の形の白に戻っていた。


 学校の保健室の白。

 清潔で、正しくて、そして――何でも隠せる白。


 ベッドの上で、アリスは天井を見ていた。

 NECROテックは停止中。

 “翼”は出ない。

 複数の作業人格は眠っている。

 世界の情報は、急に薄くなる。


 薄くなる分だけ、雑音が太くなる。


 保健室の先生が小声で言う。

 優しい声。優しい声は檻になる。


「アリツェさん、無理しないでね。健康管理だから」


「健康管理って言葉、嫌い」


「……でも、必要でしょう?」


「必要なのは、工具」


 先生は言い返さない。言い返せない。

 この子の“必要”は、制度の“必要”と違う。


 アリスは端末を膝に置き、静かにログを読む。

 シュヴァロフの損傷ログ。

 破断した関節。焼けた配線。崩れた装甲。

 母性の機体が、母性のまま壊れている記録。


 アリスは口元を歪めた。泣かない。泣くのは回線が戻ってからだ。


「……ごめんね」


 言葉は小さく、毒もない。

 毒がないときのアリスは、年相応に見える。

 それが一番危うい。


 端末に部品表を打つ。

 必要な材質。必要な加工。必要な時間。

 時間。時間が一番足りない。


 それでも、打つ。


 “諦める”という選択肢が、メニューにない。


 アリスは小さく呟いた。


「直す。……直すだけ」


 先生は聞こえないふりをした。

 聞こえないふりが、この街の技術だ。


 ——


 夕方、義弘は路地にいた。


 八重蔵は相変わらず、路地の暗がりで茶をすすっている。

 服はボロいのに靴が新しい。情報屋の靴は逃げ道だ。


「おや。象徴サマ。膝はどうだい」


「黙れ」


「黙ると儲からない。喋ると危ない。……いい商売だろ?」


 八重蔵は笑った。笑い声が軽すぎて、逆に重い。


「で、今日は何の匂いを嗅ぎに来た」


「匂いを嗅ぐのはお前だ」


「違いない」


 八重蔵は茶碗を置き、指先で空を叩いた。

 空に浮かぶのは、誰かの“噂”。


「市長選だ」


 義弘の目がわずかに細くなる。

 細くなるのは驚きではない。嫌悪だ。

 制度の匂いは、いつも遅れて鼻に刺さる。


「出馬しろって話が回ってる」


「誰が言ってる」


「誰だろうね。企業も市政も、みんな“誰か”の顔をしてない。

 でも共通点はある」


「何だ」


 八重蔵は笑いを消さずに言った。


「象徴を椅子に縛りたい連中がいる。

 刀の代わりに印鑑を握れ、ってさ」


 義弘は一瞬、膝の遅れを忘れた。

 忘れた瞬間、遅れが戻ってくる。

 身体は嘘をつかない。


「椅子は……戦場になるか」


 八重蔵は茶をすすり、肩をすくめた。


「なるだろ。もうなってる。

 戦場ってのは、弾が飛ぶ場所じゃない。人が動く場所だ」


 背後で、トミーが鼻を鳴らした。


「ほらな。ジジイ。椅子は刀より痛いぞ」


 義弘は路地の出口を見る。

 夕暮れの新開市。

 平常運転の顔。

 昨日の“型”が、もう回っている顔。


 義弘は刀の柄に触れた。

 抜かない。抜けない。

 今の敵は金属ではない。


「……分かった」


 八重蔵が目を細める。


「出るのかい」


「まだ決めない」


「決めないってのは、決めるより怖いね」


 義弘は答えず、歩き出した。

 膝が遅れる。遅れを引きずってでも歩く。

 歩くしかない。


 沈黙は満足の証だ。

 満足は次工程への合図だ。


 そして次の工程は、たぶん――椅子の上にある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ