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第四十五話 凱旋

 街に出た瞬間、空気が変わった。


 白い廊下の外は灰色だ。灰色は汚い。汚いが、自由だ。

 ……本来は。


 義弘は白い箱を抱えるように押していた。

 箱は簡易搬送のフレームに固定され、車輪が微かに鳴く。

 車輪の鳴き声は、都市の雑音に消えるはずだった。


 だが、消えない。


 雑音が“寄ってくる”。


 遠くで、何かが鳴った。

 警報ではない。サイレンでもない。

 通知音だ。無数の携帯端末の通知音が一斉に鳴る、あの薄い音。


 トミーが肩の上で鼻を鳴らした。


「来たな。……群れが」


「群れは市民だ」


「市民が群れると群れになるんだよ。言葉遊びしてる場合じゃねえけど」


 義弘は箱の中を見ない。

 見れば、遅れる。

 遅れは刻印だ。刻印は死につながる。


 レヴェナントの声がイヤピースに滑り込む。


『拍、合わせて。津田さん。膝の遅れ、今は“二分の一拍”になってる。無理をすると一拍になる』


「分かっている」


『分かってるなら、分かってないふりをしないで。身体は嘘をつかない』


 リッチが笑い混じりに言う。


『監査線、まだ眠ってる。眠ってるうちに抜けるよ。抜け道、三つ用意した。どれも“正しい文面”を上塗りしてある』


 ドッペルが短く言った。


『影が増えた。上空』


 義弘は顔を上げなかった。

 上を見れば、見上げる時間がいる。

 時間は敵だ。


 だが、影は降りてくる。

 見なくても分かる。重力の気配で分かる。


 交差点の向こう――未完成の中枢リングの影から、巨大な輪郭が滑り出た。


 リノトーレークス。


 都市迷彩の装甲が街灯の光を吸い、立体機動の支点が蜘蛛の脚のように伸びる。

 全方位攻撃の砲口が、花弁みたいに開いていた。


 恐ろしいのは火力ではない。

 恐ろしいのは、その“存在感”だ。


 これは鎮圧の機体ではない。

 見せつけるための舞台装置だ。


 そして、舞台には観客が必要だ。


 観客は、もういる。


 交差点の周囲に人が集まり始めていた。

 最初は数人。

 次に十人。

 次に百人。


 増え方が自然すぎる。自然すぎて不自然だ。


 義弘の視界の端に、ARのコメント欄が勝手に浮かび上がる。

 都市のサービスだ。都市は“同期”する。


「うわ来た!あの機体!!」

「リノトーレークスってオールドユニオンのやつじゃん…」

「でけぇ…都市が小さく見える」

「これ絶対“見せ物”にしてる」


 その一行が、義弘の目の端で刺さった。

 刺さって、すぐに流された。


「は?陰謀論乙」

「ソース貼れ」

「その単語出すな、消えるぞ」

「名前出すのやめろ、普通に危険」

「てか今それどころじゃなくね?」


 そして、妙に整った言葉が増える。


「秩序が戻る。これが本物の平和」

「治安回復に感謝します」

「ヒーローごっこは終わり。プロの出番」


 義弘は、見なかったことにした。

 見れば、怒りになる。怒りは遅れる。

 遅れは膝に刻まれる。


 トミーが肩で低く言った。


「今の一行、見たか?」


「見ていない」


「見てないならいい。見たなら最悪だ。……最悪のほうが真実だからな」


 義弘は返さない。


 リノトーレークスが一歩、前へ出た。

 その足音は、地面を叩かない。

 都市の骨格を撫でるように、滑る。


 背後――路面の白さが、一瞬だけ濃くなる。


 “置き直し”。


 セグメンタタが、随伴している。


 短冊のような灰白の人間大。

 顔がない。感情がない。

 だが怒りはある。怒りは手順だ。


 リノトーレークスは舞台装置。

 セグメンタタは刻印装置。

 派手に見せて、静かに壊す。


 義弘は箱を押し、交差点を避けようとした。

 避ける――その選択を、街が許さない。


 人の波が、そこにできた。


 誰もがスマホを掲げる。

 誰もが“安全な場所”にいるつもりで、道を塞ぐ。


「ちょ、前の奴どけwww」

「押すな押すな!!」

「撮れた撮れた!義弘写った!」

「箱運んでる!白い箱!あれ何!?」

「GHOSTちゃん無事!?顔は!?顔は!?」


 義弘は息を吸い、吐いた。

 吐いた息が白くならないのに、冷たい。


「どけ」


 声は低い。低いが届かない。

 届かないのは音量の問題ではない。

 人は、自分が“観客”でいる限り、声を聞かない。


 さらに――誘導が入る。


 群衆の中に“親切な声”が混じった。


「危険です! 歩道橋の上が安全です!」

「安全のため、交差点の向こう側へ移動してください!」

「こちらへ! こちらへ!」


 同じ文言。

 同じタイミング。

 同じ調子。


 偶然とは、こういうときに最も疑わしい。


「安全のため、交差点の向こう側に移動してください(※同文が連投)」

「危険です!歩道橋の上が安全です!(※同文が連投)」


 群衆が動く。

 動くが、道が開く方向へではない。

 義弘の進路を塞ぐ方向へ、波が寄る。


 街が壁になる。


 壁が生き物になる。


 リノトーレークスが、その壁の向こうで“見せつける”ように腕を振り上げた。

 装甲の花弁が開き、全方位の砲口が光る。


 義弘は叫びそうになり、喉で止めた。

 叫べば、人が振り向く。

 振り向けば、逃げ道が完全に塞がる。


 義弘は、戦場を逆算する。


 撮影=戦場。

 群衆=障害物。

 障害物があるなら、派手な攻撃はできない。

 できないなら、止めるだけ。


 義弘は箱を押したまま、路地へ滑り込んだ。

 路地は狭い。狭いが、狭いからこそ人が詰まる。


 路地の奥に、未完成の足場が見える。

 梁。段差。隙間。

 都市の欠陥が、唯一の味方になる。


 レヴェナントがぶつぶつ言う。


『ルートB。正解。拍、合わせて。ここで一拍ずれると箱が落ちる』


「落とさない」


『落とさない、じゃない。落とせない。落としたら、彼女が“工程”に戻る』


 義弘は頷き、アンカーを撃った。

 人工蜘蛛の糸が梁に食い込む。


 箱を引く。

 箱の車輪が段差に当たり、音を立てる。


 その音が、群衆の歓声に変わった。

 歓声は背後から追ってくる。


「路地だ!追え!」

「そっち行った!」

「写せ写せ写せ!」

「義弘ルートBwww」

「箱落とすなよ!落とすなよ!(落とすなよ)」


 義弘は歯を食いしばる。


 背後の白さが濃くなる。

 セグメンタタが置き直された。


 路地の入り口に。

 そして、路地の出口に。


 挟む布陣。

 逃げ道を剥ぐ布陣。


 セグメンタタは群衆を見ない。

 見ないというより、優先順位に入れていない。


 人がいる。

 だから撃てない――ではない。


 人がいる。

 だから刺せる。


 セグメンタタの楔が箱の車輪に向かって伸びた。

 車輪が止まれば、箱が止まる。

 箱が止まれば、工程に戻る。

 工程に戻れば、再起不能が近づく。


 義弘は刀を抜き直した。

 抜き直すというより、構え直す。


 切るのは装甲ではない。

 切るのは“手順”。


 義弘は路地の壁を蹴り、斜めに跳んだ。

 膝が一拍遅れる。

 遅れを許容し、遅れを“角度”で潰す。


 セグメンタタの楔が入る瞬間――

 義弘は楔の根元、差し込みの起点を切った。


 短冊が一枚、空中でずれた。

 ずれた短冊は、路地の壁に当たり、音もなく落ちる。


「うわ白いの増えた」

「あの短冊みたいなの何?こわ」

「足元に“出た”…いま出たよな?」

「刺す角度やばい…関節狙い…」


 群衆の悲鳴が上がる。

 悲鳴の中で、誘導の声が混じる。


「危険です! こちらへ下がってください!」

「安全が確保されました! 解散してください!」


 安全?

 確保?

 解散?


 誰が、いつ、確保した。

 誰が、どの権限で、解散を命じた。


 義弘はそれを考えない。考えれば怒りになる。


 リノトーレークスが路地の上空を横切った。

 梁を踏み、未完成の足場を舞台に変える。


 その姿を、街が見上げる。

 スマホが一斉に傾く。

 空がレンズで埋まる。


 リノトーレークスは見せつける。

 義弘を叩き潰す姿を見せつける。


 義弘は、舞台に乗らない。

 乗らないために、舞台の支点を壊す。


 アンカーを撃つ。

 梁に蜘蛛の糸を絡め、梁と梁を引っ張り、支点を歪ませる。


 リノトーレークスが一歩踏み込んだ瞬間、足場が“鳴いた”。

 鳴いた足場は、耐える。

 耐えるが、旋回が遅れる。


 旋回が遅れるだけで、全方位攻撃は“自分の舞台”を壊す。


 リノトーレークスは撃てない。

 撃てない姿を見せたくない。

 見せたくないから、さらに踏み込む。


 義弘はそこを待っていた。


 都市戦用ブレードを振る。

 狙うのは武装ではない。

 狙うのは旋回の“要”――関節の可動を担う部位。


 刃が走り、金属が薄く悲鳴を上げる。

 リノトーレークスの脚が一瞬、固まった。


 固まる。

 “止まる”。


 止まった瞬間、群衆が歓声を上げる。


「止まった!!」

「義弘やっぱ怪物だろ…」

「今の切り方、地味なのに勝ち筋すぎる」

「段差と梁、全部計算してた…」


 だが、義弘は勝ったとは思わない。

 止めただけだ。止めるだけで十分だ。


 セグメンタタが再び置き直される。

 義弘の膝へ。

 箱の車輪へ。


 義弘は箱を押し、最後の抜け道へ滑る。


 リッチの声が笑いながら飛ぶ。


『はい、最後の扉、開くよ。“点検ルートの緊急避難”って文面、最高に嘘っぽいのに誰も疑わない』


 扉が開く。

 義弘は箱を滑り込ませた。

 箱が入る。義弘が入る。トミーが入る。


 背後で、群衆の波が扉にぶつかる。

 扉が閉まり、波は外で騒ぐ。


 外が遠くなる。

 遠くなると同時に、空気が薄くなる。


 オスカー・ラインハルトの拠点。

 サボテンの匂いはしない。

 だが“余計なことを言わない静けさ”がある。


 義弘は箱を机に置き、膝を一瞬だけ緩めた。

 緩めた瞬間、遅れが痛みになりかける。

 痛みになる前に、義弘は噛み殺す。


 オスカーが静かに言った。


「……間に合いましたね」


「間に合ったのは、逃げただけだ」


「逃げるのも技術です。あなたは“都市”を使うのが上手い」


 褒め言葉ではない。

 褒め言葉は刃だ。刃は刺さる。


 外の音が、遠くで収束する。

 リノトーレークスの足音が、遠ざかる。

 セグメンタタの白さが、消える。


 消えるのは撤退ではない。

 回収だ。回収は“痕跡を残さない”。


 ARのコメント欄が最後に一瞬だけ浮かぶ。


「え、引いた?」

「撤退が綺麗すぎて怖い」

「勝った感じで帰ってくの最悪」

「これ“イベント終了”みたいに空気戻ってんの、何?」

「証拠残さないやつだ、これ」

「ご協力ありがとうございました(※連投)」

「安全が確保されました(※連投)」

「解散してください(※連投)」


 義弘は画面を消した。

 消すという行為が、唯一の防御だ。


 箱の中で、アリスが薄く目を開いた。

 毒が戻る前の、ぎりぎりの声で言う。


「……最悪」


 義弘は短く返した。


「更新するな。今日はここまでだ」


「……黙れ、ジジイ」


 トミーが肩で鼻を鳴らした。


「お前ら会話が噛み合ってねえのに噛み合ってるの、ほんと気持ち悪いな」


 オスカーが端末に指を滑らせ、静かに言った。


「彼らは撤退したのではありません。都市に“型”を刻みました」


「型?」


「はい。次からはもっと簡単に、同じことができます。群衆も、導線も、言葉も」


 義弘は刀の柄に触れた。

 抜くのは線を断つ瞬間だ。

 線は、街の中に刻まれた。


 そして、端末に一行が落ちた。


 《適用:交通封鎖手順》

 《対象:象徴+被験体》

 《発令:本件担当》


 義弘は息を吐いた。

 吐いた息は白くならない。白くならないのに、冷たい。


「……なるほど」


 義弘は立ち上がった。

 膝が遅れる。遅れを無視する。無視はできない。

 それでも立つ。


「次は、型そのものを折る」


 オスカーが静かに言った。


「折ってください。折らなければ、あなた方は“物語”のままです」


 義弘は頷いた。

 頷きは約束ではない。

 ただの、次工程への移動だ。


 外では、まだ人々が騒いでいる。

 凱旋の余韻のように。

 だが、それは祭りではない。


 これは、警告のパレードだ。

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