第四話 大きすぎる正義
炎上は、火ではなく光で起きる。
新開市の朝、義弘の視界には、いつもより多い通知が浮かんでいた。バイザーの隅。アイ・プローブの残像。街頭広告のAR。掲示板。個人チャンネル。誰かの“検証”配信。
同じ映像が、同じ角度で、同じ長さで、何度も何度も再生されている。
白髪の老人が刀を構える、わずか〇・七秒。
そこだけが切り取られ、ループする。
――刀が抜かれる直前の息。
――刃が光を受ける一瞬。
――相手が見えない、空を斬ろうとするような構え。
そして見出しだけが増殖する。
「名誉会長ヒーロー、外縁で市民を脅す」
「外縁狩り」
「アライアンスの犬」
「ゴースト団声明:津田義弘を裁け」
“声明”は、もう声明ではない。燃料だ。燃えるための形。
義弘は歩いていた。中心部の明るい通り。整った路面。整った視線。整ったはずの街が、今日は少しだけ歪んで見える。
すれ違う市民のVGの縁に、勝手にタグが立つ。
――《例の人》
――《炎上中》
――《危険》
誰かが勝手に、現実にラベルを貼っている。これが新開市の悪癖だった。現実より先に、現実が“分類”される。
若い男がスマホを掲げ、義弘を撮った。口元が笑っている。
「うわ、マジでいる。あの人だ。動画の」
女が腕を引く。
「やめて、近づかないで。巻き込まれる」
巻き込まれる。
義弘はその言葉を、何度も聞いたことがある。自分の会社が叩かれたときも、アライアンスに下ったと噂されたときも、同じ言葉が飛んできた。
“巻き込まれる”。
それは、誰もが悪者にしたい相手に対して使える、便利な呪いだった。
通りの端で、子供が目を輝かせた。
「サムライだ!」
声は無邪気だ。しかし、次の瞬間に親が子供の肩を掴み、強く引いた。
「見ちゃだめ。ああいうのは……怖いんだよ」
怖い。
義弘は、足を止めなかった。
怖いのは、刀ではない。人ではない。
怖いのは“物語”が完成していく速さだ。
肩の上のトミーが、鼻で笑った。
「守っても嫌われる。守らなきゃ死ぬ。ほら、地獄だ」
「地獄は慣れている」
「慣れんなよ。鈍る」
義弘は返事をしない。返事をしても、いまの街には届かない。
通りの壁面広告が、すっと差し替わった。
先ほどまで香水のCMだった場所が、灰色の装甲の群像に変わる。整列する人型シルエット。無機質なフォント。
「正しい治安は、正しい装備から」
「インフラ防衛は専門部隊へ」
高速機動隊の広報広告だ。
タイミングが良すぎる。偶然にしては、出来すぎている。
トミーが、ひゅっと息を吸った。
「……犬の宣伝だ。狼の宣伝か」
「どちらも同じだ」
「違う。犬はまだ懐く可能性がある。狼はない」
義弘は、視線を広告から外した。
外したからといって、消えるわけではない。広告は現実に貼り付いている。正当化は、いつだって貼り付きやすい。
義弘の耳の端末が、短く震えた。
真鍋佳澄からの通信。市警の、個人ルート。
義弘は人影の少ない横道へ入る。壁際に立つ。通話を開く。
真鍋の声は、疲れていた。疲れの種類が“寝不足”ではない。“諦めかけ”だ。
「津田さん。……いま動いたら、撃たれます」
「市警が撃つのか」
「市警は撃てません。……高速機動隊が撃ちます。しかも世論が拍手する」
義弘は黙った。
真鍋が続ける。
「あなたの映像、また回っています。助けたところは切られてる。撤収も切られてる。……あなたが“刃を向けた”ところだけ残ってる」
「そうだろうな」
「証拠があるなら、渡してください。公式に……」
真鍋の言葉が、途中で詰まった。自分の言葉を自分で疑っている。
義弘は静かに言った。
「渡す。だが、保険を残す」
「……握り潰されるって思ってますか」
「可能性はある」
真鍋は一瞬、息を呑んだ。それから小さく笑った。笑いは乾いている。
「私も、そう思います」
同意が、痛い。
真鍋が早口になる。
「今夜、動きがあるって噂が出てます。外縁の工場区画……封鎖されたはずなのに、重い搬入があったって。市警は入れません。津田さんも入れません。なのに――」
「入る」
義弘が言うと、真鍋が声を荒げた。
「やめてください! あなたが動くと、相手の“絵”になる! ゴースト側も、高速機動隊側も、あなたが居れば“映える”んです!」
義弘は淡々と返した。
「映えるなら、逆に利用できる」
「……利用?」
「俺が囮になる。現場が見えるなら、証拠が取れる」
真鍋は言い返せなかった。義弘の声の温度が低すぎて、感情で止められない。
「……津田さん。あなた、今度こそ撃たれます」
義弘は、短く言った。
「撃たれる前に、終わらせる」
通話が切れた。
トミーが肩の上で舌打ちする。
「賢いこと言ってるフリすんな。囮ってのは、死ぬ役だ」
「死なないように調整する」
「それを調整って呼ぶなら、世の中の死体は全部“調整ミス”だな」
義弘は答えなかった。
答えは、今夜の現場でしか出ない。
夕方。
外縁へ向かう路地の空気は、昼より重い。人の視線が減った分、監視の視線が増える。VGの光が少なくなった分、無人機のセンサー光が増える。
八重蔵の情報は短かった。
「人型サイズの重装コンテナが動いた。表の物流に紛れて“上”へ行った。行き先は……インフラの線だ」
義弘は、外縁の点検路へ入った。
都市の骨。未完成の闇。ここには広告が少ない。正当化の文字が貼り付きにくい。だからこそ、権力が直接貼り付けてくる。
トミーが小さく言った。
「臭い。狼の匂いが濃い」
「……来るなら早い方がいい」
「早いと死ぬ」
「遅いともっと死ぬ」
会話は噛み合わない。噛み合わないまま、前に進むしかない。
一方、中心部のOCM施設。
アリスは立っていた。座らない。今日も備品は備品だ。
オスカー・ラインハルトが、いつもの微笑で言う。
「今夜は荒れる。外縁を封鎖したのに荒れる。……市場が荒れる」
「市場市場うるさい」
「市場は君の体の部品も買う」
オスカーの言葉は、冗談のように言われるから余計に悪い。
アリスの胸の内側で、生体ブリッジが熱を持つ。怒りが出力を上げる。怒りは危険だ。怒りは便利だ。怒りは利用される。
アリスは目を閉じ、翼を広げた。ログが羽のように舞う。搬入ライン。封鎖ログ。中継点。通信痕跡。
そして、見えた。
“GHOST”署名の混入。わざと残された雑な癖。
偽ゴーストは、いま夜の現場に向けて“署名”を撒いている。
アリスは歯を噛む。
「……銃と兵器を増やすために、私の名を使うな」
その瞬間、足元にコトンと薄いケースが置かれた。
粉塵フィルタ。糖分パック。スカーフ留め具の予備。
双子の“好き”だ。
トウィードルダムとトウィードルディーは言わない。言わない代わりに、先にやってしまう。主人の快適と安全を“手順”にしてしまう。
アリスは舌打ちして、ケースをポケットに押し込んだ。
「余計なことすんな」
言いながら、受け取る。
シュヴァロフが、背後からすっと近づいた。
黒い影。光を吸う機体。
アリスがフードを被ると、髪束が縁に引っかかりかけた。その瞬間、シュヴァロフが爪を畳んだまま、丁寧に髪束を直す。フードの縁を整え、スカーフの位置を直す。戦闘機がやる仕事ではない。母親がやる仕事だ。
アリスが眉を寄せる。
「……やめろ。うざい」
シュヴァロフは止めない。終えると、少し距離を取った。呼吸の余白を作る距離。アリスが過負荷に沈まない距離。
アリスは、言い返すのをやめた。
「行く」
双子のアイコンが点灯する。
出動。
現場は、バイオ・オイル輸送線の分岐近くだった。
外縁の暗い運搬路。コンテナの積み替え場。エネルギーの線が通る場所。ここで事故が起きれば、都市の中心部まで波及する。
すでに人が集まっていた。
避難ではない。見物だ。
見物という形をした、恐怖の共有。
恐怖は一人で抱えるより、他人と共有した方が楽になる。だから人は集まる。
そして、そこに“絵”が現れた。
人型。
巨大で、鈍く、しかし“治安”の形をしている。
大型戦闘ドロイド。
盾を持つ。拘束具を備える。制圧火器を肩に乗せる。顔は人間の顔ではない。だが胸部に“識別灯”があり、パトライトのように点滅する。まるで部隊の一員みたいな振る舞い。
それが、群衆の中へ歩いていく。
破壊するためではない。散らすため。囲うため。追い立てるため。
盾が前へ出て、群衆の退路を“封鎖”する。拘束具が、逃げ遅れた者の足元へ撃ち込まれる。ネットが絡み、地面へ転がる。誰かが悲鳴を上げる。悲鳴はすぐ配信に乗る。
盾が押し出す。人が倒れる。倒れた人の上に人が倒れる。
将棋倒し。
その瞬間、義弘が現場へ滑り込んだ。
スーツは最低限。だが必要な瞬間には、必要な機能だけが立ち上がる。脚部の電磁反発が路面を掴み、義弘は壁面をスケートのように走って、倒れそうな群衆の横へ入った。
アンカー。
人工蜘蛛の糸が地面と壁を結び、義弘が引く。糸は人を吊らない。糸は“壁”を作る。倒れ込む波を受け止める支えになる。
義弘は刀を抜き切らない。刃を振り回せば、恐怖が増える。恐怖が増えれば、配信が増える。配信が増えれば、物語が完成する。
義弘は、刀で斬る代わりに“切る”。
大型ドロイドの拘束具――射出機構のケーブルを、最短で断線する。
盾の関節――動力ケーブルを、最短で切る。
制圧火器――給弾ラインを、最短で落とす。
倒すのではない。機能を落とす。危険を減らす。調整する。
大型ドロイドが、盾を振り回そうとして、振り回せない。拘束具が出ない。火器が鳴らない。
しかしそれでも、巨体は巨体だ。盾押しの重量だけで、人は死ぬ。
義弘のバイザーが警告する。
熱負荷:上限へ接近
I2H換装の熱。衝撃の熱。調整の熱。
義弘は、熱限界を踏まない速度で動いた。踏めば終わりだ。踏めば、今夜の撤収が不可能になる。
肩の上でトミーが叫ぶ。
「ほらな! 映えるぞ! 老人が巨大ロボと斬り合ってる! もう配信が湧いてる!」
義弘は歯を食いしばる。
配信のレンズは、救助を映さない。撤収の判断を映さない。
刀が光った瞬間だけを映す。
――また、〇・七秒が作られる。
上空で、黒い影が跳ねた。
シュヴァロフ。
光学迷彩が風景に溶け、巨大な腕が肩へ移動する。爪が伸びる。だが狙うのは大型ドロイドの“装甲”ではない。装甲は硬い。装甲を壊すと映える。映えると物語が増える。
シュヴァロフは、追跡の目を潰す。
現場上空を旋回する小型カメラドローン。中継機。照準のセンサー。通信のノード。
それらを一撃離脱で叩き落とし、別方向へ誘導する。
倒すのではない。追わせない。見せない。母親が子供を連れて逃げるときの戦い方。
アリスは、群衆の端で翼を広げていた。現場の通信を嗅ぎ、偽ゴーストの“署名”を探し、回収線を読む。
その瞬間、双子がアリスの周囲に“厚く”動いた。
トウィードルダムが足元の段差を硬化材で埋める。アリスが転ばないように。
トウィードルディーが微風で砂埃を払う。アリスの視界が濁らないように。
誰もアリスを抱えない。抱えれば子供扱いになる。
代わりに環境を整える。アリスが“自分で立てる”ように。
アリスは舌打ちする。
「……過保護」
双子は返事をしない。返事の代わりに、アリスの周囲半径だけ、微細ドローンの密度が上がる。守りが厚い。好きが厚い。
大型ドロイドが、方向を変えた。
義弘に向かうのではない。
群衆へ向かう。
盾を押し出す。押し出すだけで死ぬ。
義弘が間に入る。アンカーを地面に打ち、糸を張り、盾の進路を“ずらす”。刃ではなく糸で方向を変える。調整だ。
アリスの翼が、怒りで揺れた。
――偽ゴーストは、勝ちたいんじゃない。
――この“絵”を見せたいんだ。
群衆の恐怖。治安の崩壊。強権の正当化。市場の更新。
全部を繋げるために、この大型戦闘ドロイドは投入された。
アリスは、歯を噛んだ。
「……許さない」
作業人格が提案する。
――大型ドロイドのコア識別子を抜け。
――回収線を追え。
――署名偽装の癖を取れ。
主人格は叫びたい。
――私の名を使うな。
その瞬間、シュヴァロフがアリスの前に影を落とした。
外部センサー情報が整理され、翼に要点だけが流れ込む。双子への指示も中継される。アリスの認知負担が軽くなる。母親が状況を噛み砕くみたいに。
アリスは口を尖らせる。
「勝手に仕切るな!」
言いながら、助かっているのを体が知っている。
シュヴァロフは返事をしない。丁寧に続ける。
そのとき。
大型戦闘ドロイドの背後で、別の動きがあった。
短時間の通信遮断。視界の死角。搬送路の開口。
回収だ。
偽ゴーストは、破壊ではなく運用をしている。供給して、暴れさせて、回収する。証拠を抜いて、撤収する。組織運用だ。
アリスの翼が、回収線の符号を捉えた。
義弘も、地面に落ちた機構片の刻印を見た。
表の調達ではない。だが外縁の箱だけでもない。中継を挟んでいる。
義弘とアリスの視線が、一瞬だけ交差した。
近くで顔を合わせる余裕はない。だが互いに理解する。
――今、証拠を取らないと次が来る。
――次はもっと大きい。
義弘が、撤収の瞬間を作るために動いた。
アンカーが空を走り、回収路の開口部に糸が絡む。強引ではない。壊さない。だが“遅らせる”。数秒。数秒あれば、証拠が取れる。
アリスが翼の端で、コア識別子の断片を抜き取った。
偽ゴーストの署名偽装の癖とセットで保存する。
双子が動く。
ディーが救助対象を運ぶルートを、アリスから遠い側に取る。
ダムが地面を固め、避難路の形を整える。
救助は目立たない。目立たないほど物語にされにくい。好きが現場を生かす。
大型ドロイドが、回収路へ引かれていく。
最後に、胸部の識別灯が点滅した。
まるで“撤収完了”の合図みたいに。
そして通信痕跡に、わざとらしく混じる。
――GHOST.
見せびらかし。
アリスの喉の奥で、怒りが焼ける。
現場の上空に、別の規律が降りてきた。
無人機の羽音が揃う。ライトが白くなる。命令が短くなる。
高速機動隊。
彼らは現場を“戦場”とは呼ばない。
“インフラ防衛”と呼ぶ。
拡声器の合成音。
「当区域を封鎖。退避。抵抗は危険行為とみなす」
その言葉は、配信のコメント欄と同じ匂いがした。
正当化の匂い。
義弘は、刃を収めた。ここで戦えば終わる。熱限界ではない。物語の限界だ。ここで戦えば“犬が狼に噛まれる絵”になる。どちらに転んでも、義弘は悪役にされる。
トミーが肩の上で唸る。
「来たぞ。狼。……どうする?」
「撤収する」
アリスも、撤収を理解した。ここで正面衝突は意味がない。偽ゴーストは逃げている。証拠は取った。救助もした。今残るのは、生きて帰ること。
シュヴァロフが、戦闘姿勢を解除しながらアリスの前に立つ。最後まで盾になる。最後まで母親だ。
双子が、アリスの足元を整える。転ばせない。躓かせない。好きが雑にならない。
撤収の路地で、義弘とアリスがほんの少しだけ近づいた。
時間がない。言葉も少ない。
義弘が、懐から小さな機構片を取り出し、アリスに見せる。刻印。物理的な断片。
「これが出た。中継がある」
アリスが翼の端に、ログ断片を浮かべて見せる。コア識別子の欠片。符号。
「これ。回収線の符号。……偽物は組織」
それだけで十分だった。
重複排除。最低限共有。片方が死んでも残るように。
トミーが鼻で笑った。
「ほらな。仲良くすんな。……でも仲良くしろ」
アリスが睨む。
「うるさいウサギ」
義弘は、淡々と答えた。
「……次が来る」
アリスは短く頷いた。
「来る。もっと大きいのが」
その言葉を言った瞬間、アリスの翼の端に、巨大な逆三角形のシルエットが一瞬だけ浮かび上がった。
コロボチェニィク。
重装甲。格闘用腕。正面から力任せにぶつかる脳筋。味方の盾となって進んで犠牲になる気合の塊。
アリスは、そのシルエットをすぐ消した。
まだ見せない。まだ出さない。
“備え”は、相手に見せた瞬間に備えではなくなる。
シュヴァロフが、その一瞬を見て、わずかに動きを止めた。
母親が、子供が本気で戦争に踏み込む覚悟をした瞬間を見たときの沈黙。
アリスは、撤収しながら双子に短く命令した。
「コロボチェニィクを運び込め」
双子のアイコンが、すっと点灯した。返事はない。だが“理解”の光だ。
「次は“正面”を受け止める。……隠す。まだ見せるな」
好きが、手順として動き始める。搬入ルートの下準備。床の強度。隠匿。固定具。すべてが黙って進む。
アリスは悪態をつきながら、ポケットの糖分パックを握りしめた。
「……余計なこと、役に立ちすぎ」
夜が更けるころ。
切り取り動画は、また更新された。
大型戦闘ドロイドと斬り合う老人。
白いスポットライトの下で揺れる刃。
悲鳴。コメント。拍手。罵倒。検証。煽動。
救助は映っていない。
撤収の判断は映っていない。
調整は映っていない。
代わりに、見出しだけが残る。
「ゴーストが大型テロを起こした」
「やはり治安強化が必要」
「外縁全域の強制封鎖を」
そして、その要求に応えるように。
高速機動隊が宣言した。
「外縁全域、強制封鎖。検問強化。インフラ防衛のため」
新開市は半分だけ完成している。
残り半分で、物語が先に完成してしまう。
義弘は、外縁の暗い路地で、静かに息を吐いた。
アリスは、灰色のフードの奥で、怒りを噛み殺した。
次は正面から来る。
だからこちらも、正面を受け止める手を用意する。




