第三十四話 巡礼の進撃
新開市の朝は、いつも同じ顔をしている。
昨日の悲鳴も、昨日の骨も、昨日の“非致死”も――朝になると、揚げ物の匂いとコーヒーの匂いに溶けていく。
屋台の湯気の向こうで、無音の配信が流れていた。飯屋の壁面に投影された画面の中では、スコルピウスが人の波を割り、アーバレストが四脚で進み、二脚で立ち上がる瞬間が、何度も何度もリピートされている。
音はない。
だが、画面の外の客たちは、画面の音を知っている顔をしている。
「ここ、“立ち上がり”ヤバくない?」
「非致死って言ってたやつ? 折れてるよな」
「折れてるけど、死んでないからセーフなんだろ。知らんけど」
テーブルの隅で、小学生くらいの子どもたちが、箸袋を刀にしていた。
「危険区域だぞ! 退け!」
「退くもんか! 俺は巡礼者だ!」
「示範タイム~!」
笑い声は、反省の代わりに響く。
めげない、しょげない、反省しない。
三本柱で、都市は今日も立っている。
端末の画面にタグが踊る。
#危険区域巡礼
#示範見学
#保全されたい
#本物に会いたい
#アリスちゃんフード外して
笑える。笑えない。どちらでもない。
ただ、止まらない。
《グランド・コンコルディア》の小さな会議室では、腕章がテーブルに山になっていた。昨日の“外郭再分類”で、腕章をつける意味が薄くなったはずなのに、誰も捨てない。
後悔の匂いがする若い男が、紙コップの水を握りしめて言った。
「今日は、止めないと……」
「また、昨日みたいになる」
向かいの女が、視線を落としたまま言う。
「止めたい。でも……」
「止めたら、私たち、何になるの」
別の男が、明るすぎる声で割り込んだ。
「え、でもさ。今日ってチャンスじゃん?」
「昨日より人が集まるってことは、昨日より本物が出るってことだろ?」
「本物のサムライ・ヒーローが、俺たちの前に――」
後悔の男が睨む。
「だから、それが危ないって――」
「危ないから面白いんだよ」
誰かが笑って言った。笑いは軽く、背中に重い。
空気が割れかけた瞬間、端末が一斉に震えた。
通知。
件名は丁寧。語尾は丁寧。丁寧すぎて、怒っている。
件名:危険区域指定の運用準備
目的:安全確保/中立性維持
注記:現地の混乱は許容範囲
付記:示範の効果を優先
※本通知は公平に送付される
後悔の男の顔色が、紙みたいに白くなった。
「……また、やる気だ」
「収めるためじゃない……見せるために」
ミーハーの男は、通知を見て目を輝かせた。
「え、示範ってことは……来るじゃん」
「スコルピウスとか、アーバレストとか」
善意と、興奮と、恐怖が、同じテーブルの上でぐちゃぐちゃに混ざった。
正午前。危険区域の周辺は、いつの間にか屋台が出ていた。
事故現場のそばで、揚げ物が売られている。
防護柵の前で、記念撮影が行われている。
“巡礼”は、イベントになる。
配信棒が林立する。
解説配信者が、声を張る。
「おおっと! みなさん! ここが例の危険区域――!」
「昨日、非致死で示範が行われた伝説の場所でーす!」
「でも安心してください! 今日は安全確保が――」
安全確保。
その言葉が出るたび、誰かの骨が鳴る気がした。
群衆の中に、子どもがいる。
老人がいる。
仕事帰りの制服がいる。
皆、端末を構えている。
“見る”ことが、“参加”になる街。
公共アナウンスが流れた。均一で、温度がない声。
「安全確保および中立性維持のため、本区域を危険区域に指定します」
「速やかに退去してください」
「退去しない場合、安全確保措置の対象となります」
笑いが漏れた。
退去しろと言われて、笑う。
「危険区域チャレンジだ!」
「退去? 無理無理w」
「津田さん来るまで帰れない」
「アリスちゃん、顔!」
コメントが空を降る。
退けー
いや撮れー
近づくな
近づけ
危険区域最高
示範はよ
本物見たい
反省?なにそれ
その時、義弘が来た。
サムライ・スーツは静かだった。広告も、テカりもない。
バイザーの奥の眼が、喧噪を冷やす。
肩にはトミー。苔のように緑がかったウサギが、群衆を見渡し、鼻を鳴らした。
「……うわ」
「この街、ほんと反省しねえな」
義弘は声を出した。短く、刃みたいに。
「退け」
「今は、退け」
命令ではない。お願いでもない。
現場の指示だ。
群衆は一瞬、止まる。止まった瞬間に、後ろから押される。前が詰まる。足が絡む。
転倒。
悲鳴。
義弘の肩で、トミーが吠えた。
「だから言ってんだろ! 止まるな、固まるな!」
「助けてって言いながら近づくな!」
「近づくから助けられねえんだよ!」
アリスも来ていた。
フードの影。小さな身体。
サムライ・スーツの最小塗装。
そして、その背後に――救助装備を抱えた影。
シュヴァロフが毛布を広げ、担架を引き出す動作は、妙に手慣れている。
母親が布団を敷くみたいに、迷いがない。
双子が固定具とワイヤを走らせる。トウィードルダムが道を作り、トウィードルディーが塞ぐ。
アリスが舌打ちした。
「……最悪」
「ほんと、最悪」
怒っている。
でも、手が止まらない。
低い振動が来た。
地面の下から、鉄が歩いてくるみたいな音。
群衆が振り向き、配信棒が一斉に向く。
遠方の道路を、影が進んでいた。
LC-08スコルピウス。
補修跡がある。装甲の継ぎ目が新旧で違う。
だが、動きは滑らかだ。
影が一歩進むたびに、人の声が一段上がる。
「来た! 来た!」
「示範! 示範!」
「うおおおお!」
この街では、恐怖が熱狂になる。
次に、もう一つの影が現れた。
LC-07アーバレスト。
四脚で進み、二脚で立ち上がる。
立ち上がるだけで、空気が詰まった。
撃たない。
まだ撃たない。
撃たないのに、喉が鳴る。
アリスが、息を吐いた。
「……出すだけで黙らせる」
「やっぱり、最悪だ」
公共アナウンスが、相変わらず均一な声で言う。
「安全確保措置を実施します」
「名目:非致死」
「現地の混乱は許容範囲」
「示範の効果を優先」
“許容範囲”。
誰が決めた。
義弘の背中が冷えた。
アリスの胃が捩れた。
スコルピウスは、撃たない。
撃たないが――折る準備をする。
関節。膝。肘。肩。
“非致死”の名目で、人を壊す。
義弘は刀を抜いた。
だが、刃先はスコルピウスに向かない。
刃は、倒れた柵を切る。
壊れた看板の支柱を断つ。
人の波を左右に割るために、障害物を切る。
刀が描く線は、血ではなく導線だった。
アリスは派手な介入を封じる。
だが、最小介入で通信を繋ぐ。救助の声が届くように。
「こっち! こっちが空いてる!」
「転んだら終わりだ! 手を繋げ!」
シュヴァロフが子どもを毛布で包む。
双子が固定具で通路を作る。
アリスが怒りながら、手を動かす。
コメントが乱れる。
やばいやばいやばい
非致死www
いや笑えねえ
退去しろって言われてたし…
でもそれでも…
津田さん救助してる!
アリスも救助…?
これどっちが悪いの?
“どっちが悪いの?”
その一文が、骨を折る。
同じ頃。別の入口。
金属の足音が近づく。スコルピウスの獣の音ではない。整った歩幅。硬い規律。
鳴海 宗一は、倉庫で見た封緘の感触を思い出していた。
二重。ロゴなし。責任者名なし。剥がした痕が残る薄い膜。
そして、票に混じっていた語彙。
示範。許容範囲。秩序回復。
鳴海の目の前に、KOMAINUのフレームが並んだ。
軍用品とは言わない。
だが、“救助名目”の頑丈さが露骨だ。
関節保護リングが厚い。転倒事故対策。群衆圧対策。
腰と膝のトルク余裕が大きい。瓦礫撤去補助。搬送補助。
腕は握るより固定する形。救助搬送の固定具。
善意の言葉で作られた、荒事の身体。
鳴海は声を張らない。張らないのに、通る。
「監査中につき、運用停止」
「識別不整合、欠番、照合不能」
「不正装備は保全対象」
KOMAINU部隊の先頭機が、一拍置いて返した。
声ではない。端末に出る文面。テンプレ。
安全確保措置の実施
危険区域の統制
監査権限は受領済み
受領済み。
鳴海の喉が鳴った。
「受領は、同意じゃない」
返事は来ない。
KOMAINUのフレームが、半歩進む。
鳴海も半歩出る。
狛犬が、狛犬と向き合う。
現場では、義弘とアリスが“対峙”していた。
アーバレストは、まだ撃たない。
スコルピウスは、まだ折らない。
“まだ”が、最も怖い。
義弘は、刀を構えたまま低く言った。
「……来るぞ」
アリスが吐き捨てた。
「“許容範囲”って、誰が決めた」
「……あんたたち、怒ってるだろ」
怒りは、姿を見せない。
怒りは、文面で動く。
怒りは、封印の中にいる。
端末が震えた。
優先度の色が、濃い。
差出人欄が――空欄。
次工程:開始
痕跡の最小化を優先
スコルピウスの関節が、わずかに沈む。
アーバレストの背部ラックが、展開しかける。
鳴海の前で、KOMAINU部隊が一斉に足を揃えた。
規律の音が、地面を叩く。
義弘は息を吸い、刃の角度をわずかに変えた。
アリスはフードの影で歯を食いしばった。
新開市の住人たちは――端末を構えたまま、叫んだ。
「うおおおおお!」
「始まった!」
「示範タイムだ!」
「撮れ! 撮れ!」
めげない。
しょげない。
反省しない。
その三本柱が、戦場を支えた。
支えてしまった。




