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第三十三話 再定義

 夜明け前の通知音は、いつも悪い知らせだ。


 《グランド・コンコルディア》の腕章を枕元に放り投げて眠っていた男は、端末の震えで目を覚ました。画面の上部に、白い帯が出ている。丁寧な件名。丁寧な語尾。丁寧すぎて、逆に冷える。


件名:外郭構成員の運用再分類


目的:安全確保/中立性維持

区分:同胞 → 周辺協力者(責任対象)

注記:危険区域指定の準備に伴い、余計な接触を禁ず

※本通知は公平に送付される


「……は?」


 男は声を漏らした。隣で寝返りを打った女が、半分寝たまま言う。


「なに……切られたの?」

「同胞って……同胞じゃないの?」


 別の端末が鳴る。別の部屋でも鳴る。通知音の合唱が、古い集合住宅の壁を薄く叩いた。


 “同胞”という言葉が、事務的に消された。


 残ったのは、“責任対象”。


 ――安全確保のため。


 男は笑いかけて、うまく笑えなかった。


「安全……って言ってるんだから、正しいんだろ」

「俺たちが悪いってことになるのか?」


 画面の文字は、答えない。


 倉庫街はまだ暗い。街灯は弱く、路面は薄い霜で白くなっている。


 鳴海 宗一は、KOMAINUのフレーム越しにその白さを見た。装甲の内側で、自分の吐く息だけが暖かい。


 補給網は命綱だ。命綱に“欠番”が出るとき、誰かが首を絞めている。


 鳴海は倉庫のシャッターを見上げた。上から下まで、ただの金属板。なのに、鍵の形式が妙に丁寧だ。誰かが“見せるため”に整えている。


 鍵を切る。切った瞬間の音が、静かな夜に妙に大きい。


 シャッターがわずかに上がる。冷たい空気が流れ出し、油と金属の匂いが混じった。


 中に並んでいるのは、箱だ。箱、箱、箱。


 鳴海は一つを引き寄せる。箱の角に貼られた封印が目に入る。


 外側の封印は、事務的だった。管理番号。コード。バー。機械のための文字。


 鳴海は指でなぞる。――これは、中央調停局の作法だ。規格。合理。痕跡の管理。


 そして、外側の封印を剥がした瞬間。


 もう一枚、内側に封緘があった。


 ロゴがない。責任者名がない。部署名もない。

 ただ、“剥がした痕”だけが残る、薄い膜。


 鳴海は舌打ちした。


「二重……」


 それだけで十分だった。

 “誰か”が、ここを開ける者を見ている。


 鳴海は内側の封緘の端を、爪でほんの少しだけ持ち上げる。剥がす。膜が裂ける感触が、妙に生々しい。


 箱の中は、金属と樹脂の塊。KOMAINU系列の補充パーツ。だが――ただの補充ではない。部材の選び方が、喧嘩を知っている。


 鳴海は一つ、膝関節の保護リングを取り出して見た。厚い。厚すぎる。転倒事故対策? 群衆圧対策? 言い訳はいくらでも立つ。


 だが、結果は一つだ。


 荒事に耐える。


 腕部の固定具も同じだ。握るための指ではない。締めるための形。搬送補助の名目で、拘束ができる。


 鳴海は、声に出さずに吐いた。


(軍用品じゃない)

(……だが、暴れる現場に向いた工業製品だ)


 箱の底に、紙が挟まっていた。票。ピッキングリスト。鳴海はそれを引き抜く。


 紙は丁寧だ。印刷も整っている。だが――語彙が違う。


 中央調停局の票なら、「工程」「中立」「保全」「安全確保」だ。

 鳴海はそれを何度も見ている。だから、違いが分かる。


 票の真ん中に、小さく、異物のように混じっていた。


 示範。

 許容範囲。

 秩序回復。


 鳴海は目を細めた。


「……中央調停局の票じゃない」


 紙の端を折る。折り目がつくだけで、痕跡が増える気がした。


 鳴海は票を内ポケットにしまい、倉庫の奥を見た。


 暗がりに、フレームが立っている。


 KOMAINU系列の骨格。だが、中央調停局仕様の顔をしている。塗装が落ち着いている。広告がない。装飾がない。

 その代わり、関節と腰の設計が、静かに強い。


 救助搬送の名目で、押し返せる。

 転倒事故対策の名目で、殴り合いに耐える。


 鳴海は喉の奥で笑いそうになって、笑えなかった。


 端末が震えた。


 画面の上部に、優先度の色が出る。いつもより一段濃い。

 差出人欄が――空欄。


当該区域:次工程の対象

現地の混乱は許容範囲

痕跡の最小化を優先


 鳴海は画面を閉じた。閉じても、言葉は残る。


 許容範囲。


 “安全確保”ではない。

 “混乱は許す”。


 鳴海は倉庫の暗がりを見た。誰もいないはずの暗がりを。


「……見物してるのがいる」


 声に出すと、それも痕跡になる。

 だから、言い捨てるだけにした。


 午前。空は晴れていた。晴れているのに、空気が重い。


 “中立監査センター(臨時)”の前に、人が集まる。集まりたがる。集まってしまう。


 危険区域指定が出る、と知っているのに。


 《グランド・コンコルディア》の一般構成員は、腕章をつけたまま、端末を握りしめている。


「退去勧告だって」

「でも……本物が来るかもしれないじゃん」

「津田さん」

「アリス」


 “だけでいい”。

 サインだけ。自撮りだけ。ひと目だけ。


 ひと目は、いつも“次”を呼ぶ。


 正午、ちょうど。

 都市の公共アナウンスが、均一な声で流れた。


「安全確保および中立性維持のため、本区域を危険区域に指定します」

「速やかに退去してください」

「退去しない場合、現場の安全確保措置の対象となります」


 “安全確保措置”。


 言葉は柔らかい。

 柔らかい言葉は、骨を折る。


 群衆がざわつく。退く者もいる。退かない者もいる。退けない者がいる。足が、心が、承認欲求が。


 配信者の声が響いた。


「危険区域www でも行くっしょ!」

「見せてよ! 本物!」

「アリスちゃん、顔出し! フード外して!」

「津田さん、刀!」


 コメントが流れる。文字が降る。


逃げろ!

近づくな!

いや撮れ!

これが歴史!

助けてー(近づく)

公式なら触っていいだろ?

公共財www


 その時、義弘が現れた。


 広告はない。テカりもない。静かなサムライ・スーツ。

 肩にはトミー。バイザーの奥の眼は、冷えている。


 アリスもいる。サムライ・スーツの最小塗装。フードの影。

 シュヴァロフと双子は、戦闘用ではなく救助用の装備を抱えている。


 その光景だけで、熱が二つに割れた。


「うおおお!」

「助けてくれ!」

「サインくれ!」

「一緒に撮らせて!」


 義弘は、まず刀を抜かなかった。

 抜かずに、声を出した。


「退け」

「今は、退け」


 命令ではない。お願いでもない。

 現場の指示だ。


 群衆は一瞬、止まる。止まって、次の瞬間にまた動く。

 止まっている間に、押される者が出る。転ぶ者が出る。転んだ者の上に、足が落ちる。


 アリスが顔をしかめた。


「……最悪」

「ほんと、最悪」


 双子が走った。トウィードルダムが固定具を広げる。トウィードルディーがワイヤを張る。

 シュヴァロフが毛布を広げ、担架を引き出す動作が妙に手慣れている。母親が布団を敷くみたいに、迷いがない。


 トミーが吠えた。


「近づくな! 助けてって言いながら近づくな!」

「近づくから助けられねえんだよ!」


 配信コメントが流れる。


ウサギ草

でも正論

近づくやつ馬鹿

いや撮りたい

助けて(近づく)


 義弘は、刀を抜いた。

 抜いて――人を切らない。


 刀は、障害物を切る。壊れた看板の支柱を断つ。倒れたバリケードを切り分ける。

 押し合いの流れを、左右に割るために。


 刀が描く線は、血ではなく、導線だった。


 アリスは“最小介入”で動く。

 派手なハックはしない。しないが、端末の裏で最低限の通信を繋ぐ。救助の声が届くように。

 都市の網に、爪を立てない程度に触れる。


 その瞬間、空気が変わった。


 低い振動。重い足音。

 地面の下から、鉄が歩いてくるみたいな音。


 群衆が振り向く。配信棒が一斉に向く。


 影が現れた。


 LC-08――スコルピウス。


 補修跡がある。装甲の継ぎ目が新旧で違う。だが、動きは滑らかだ。

 “影”ではない。実働だ。


 公共アナウンスが、相変わらず均一な声で言う。


「安全確保措置を実施します」

「対象:危険区域内の残留者」

「名目:非致死」


 非致死。

 その言葉が出た瞬間、義弘の背中が冷えた。


 スコルピウスは、撃たない。

 殴らない。

 ――折る。


 まず、視界の端で、何かが“外れた”。

 人間の腕ではない。装甲の肘関節。強化パーツの接合部。

 次に、膝。次に、肩。


 装甲関節破壊。

 圧壊寸前。


 非致死の名目で、人が死にかける。


 群衆が悲鳴を上げる。悲鳴が押し合いを加速させる。押し合いが転倒を増やす。転倒が圧を増やす。


 スコルピウスは、その流れの中で“例”を作る。

 逃げない者は、折れる。折れた者を見て、逃げる。


 示範。


 アリスの歯が鳴った。怒りではなく、恐怖でもなく、嫌悪で。


「……これが“安全確保”?」

「……ふざけんな」


 義弘は、刀をスコルピウスに向けなかった。

 向けたら、映像は「ヒーローが公的措置に反抗した」になる。


 義弘はスコルピウスの前に出る代わりに、群衆の中へ入った。

 人を担ぐ。引きずる。押し返す。押し返される。

 スーツの装甲が擦れ、音が鳴る。


 シュヴァロフが、倒れた子どもを毛布で包み、担架に乗せる。

 双子が固定具で通路を作る。

 アリスが小さな声で指示を飛ばす。


「こっち! こっちが空いてる!」

「転んだら終わりだ! 手を繋げ!」


 配信コメントが乱れる。


やばいやばいやばい

非致死www嘘だろ

折れてる折れてる

でも退去勧告出てたし…

いやそれでもやりすぎ

津田さん救助してる!

アリスも救助…?

え、これどっちが悪いの?


 “どっちが悪いの?”

 その一文が、最も恐ろしい。


 悪いか悪くないかで、人間の骨が折れる。


 そして――もう一つの影。


 LC-07――アーバレスト。


 四脚で現れ、二脚で立ち上がる。背部ラック。鎮圧用の装備。

 撃たない。撃たないのに、場が黙る。


 巨体は、それだけで「議論は終わりだ」と言っている。


 義弘は喉の奥で舌打ちした。

 撃たない札は、次に撃つ札だ。


 アリスが、声にならない息を吐いた。


「……まだ、出すだけか」

「出すだけで、黙らせる」


 黙る。

 黙ると、押し合いが一瞬止まる。止まって、また動く。

 止まった瞬間に、義弘は通路を作った。作り続けた。


 その時。

 入口の外側から、別の足音が近づいた。


 金属の足音。だが、スコルピウスのような獣の音ではない。

 整った歩幅。硬い規律。


 KOMAINUのフレーム。鳴海 宗一。


 鳴海は声を張らない。張らないのに、通る。


「監査中につき、運用停止」

「識別不整合、欠番、照合不能」

「不正装備は――保全対象」


 “保全”。


 中央調停局の言葉を、鳴海が奪って使う。


 空気が、もう一度割れた。


 誘導員が、初めて表情を崩しかけた。崩しかけて、戻す。

 戻すことが、怖い。


 公共アナウンスが一拍遅れて言った。


「混乱を避けてください」

「安全確保のため――」


 鳴海は遮らない。遮らないが、動く。

 KOMAINUの頑丈なフレームが、人の波を押し返す。

 救助搬送の名目で強化された腰と膝が、群衆圧に耐える。


 “救助”の顔をした“制圧”が、今は救助に使われる。


 義弘は鳴海を見た。鳴海は義弘を見ない。

 見ないことが、味方宣言ではない。


 鳴海はただ、鎖を握り直している。


 ――狛犬の鎖を、他人に握らせないために。


 夕方。

 現場は収まったように見えた。収まったように“処理された”。


 負傷者は運ばれた。倒れたものは片付けられた。折れたものは隠された。

 映像は切り取られ、文字は整えられる。


 そして、通知が落ちた。


 全員に。公平に。冷たく。


件名:外郭統制不能の確認


周辺協力者の規約違反を確認


無許可接近による混乱を確認


外郭の排除(資格停止/関係遮断)を評議


安全確保(保全)の再定義を改訂し、対象を拡大

備考:協議参加者一式を含む


 真鍋が画面を見て、顔を歪めた。


「……来た」

「対象を拡大……“協議参加者一式”」


 アリスが笑った。笑えない笑いだった。


「私たちも“物品”か」

「一式って……」


 義弘は静かに言った。


「工程だ」

「人間じゃない」


 トミーが、肩の上で鼻を鳴らした。


「な? 丁寧語のナイフだろ」


 鳴海は少し離れたところで端末を見ていた。

 彼の端末にも、別の通知が落ちていた。


 優先度が異様に高い。

 差出人欄が空欄。


次工程の準備完了

痕跡の最小化を優先

現地の混乱は許容範囲


 鳴海は画面を閉じた。閉じても、言葉は残る。


 許容範囲。


 鳴海は内ポケットの票を触った。折り目の感触。紙の温度。

 そこに書かれていた語彙が、頭の中で再生される。


 示範。

 許容範囲。

 秩序回復。


 鳴海は、誰もいない暗がりに向かって、声にならない声で呟いた。


「中央調停局だけじゃない」


 言えば痕跡になる。

 痕跡は危険だ。

 危険なのは命ではなく、痕跡だ。


 そして、どこかで“保全”の扉が、静かに閉まり始めた。

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