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第302話 火付け役と回収役

 レオン・ヴァルケンは、概ね満足していた。


 新開市では、いまもなおアリスをめぐって喧々諤々の押し問答が続いている。

 新開市民は、アライアンスにアリスを拘束されたことへ憤り、あるいは不安を抱き、あるいは勝手な神話の続きを語っている。

 オールドユニオンは、アリス協調派も強硬派もまとめて面子を潰され、次の出方を慎重に探らざるを得ない。

 義弘はアリスの件で手一杯だろう。

 真鍋も治安機関も、あの一件の後始末とアライアンスの動きの確認で忙殺されるはずだ。


 そして“ゴースト・ヒーロー”は――。


「自立した気になっている頃合いだろうな」


 レオンは、ひとりごちた。


 場所は新開市の外縁に近い、仮設の通信拠点。

 以前のような潜伏施設ではない。

 むしろもう、隠れる必要が薄い時の人間の顔をしていた。

 レオンにとって今回の騒乱は、成功か失敗かで言えば、かなり成功に近い。


 アリスは一時的に消えた。

 オールドユニオンの新開市への影響力は一度後退した。

 アライアンスは“中立”の名で前へ出てきた。

 新開市民の視線は、いまアリスとアライアンスへ強く向いている。

 つまり、厄介な義弘も、面倒な真鍋も、今はそちらの処理に追われる。


 その隙に、自分が何をやるべきか。


 レオンにとって、答えは最初から決まっていた。


「新開市は便利だったな」


 彼は笑った。

 都市としてではない。

 戦場としてでもない。

 まして神話の中心としてでもない。

 もっと実務的な意味で。


「これだけ燃えてくれれば、本社を食う口実としては十分だ」


 端末の向こうにいたのは、OCM海外部門の上層部だった。

 顔は出ない。

 声だけ。

 だがその声色には、以前のような露骨なレオン切りの冷たさだけではない、別の熱が混じっている。


『状況を報告しろ』


 低い声が言う。

 レオンは椅子へ深く腰掛けたまま、妙にくつろいだ口調で答えた。


「新開市での件は、結果的に我々にとって良い形で転びました」


『良い形?』


「ええ。アリスはアライアンスが拘束しました。オールドユニオンは新開市での顔をまたひとつ失った。市民の目はアリスとアライアンスへ向いている。義弘も、あの老獪な男でさえ今はそちらへ気を取られる」


 レオンは指先で机を軽く叩く。


「つまり、我々が新開市に大手を振って出入りしても、誰もそちらを本線として見ない」


 少しの沈黙。

 その向こうで、相手がこの男の論理を評価しているのか、それとも嫌悪しているのかは分からない。

 だがレオンは気にしない。

 評価されたいのではなく、使われたいのでもない。

 自分の見立てが正しいと相手に認識させられれば、それでいい。


「今こそ、OCM本社を海外部門のものにすべきです」


 レオンは言った。


 端末の向こうで、空気がわずかに変わる。

 そこが本題だと、相手も理解したのだろう。


「本社は鈍い。新開市を舞台として使い損ね、オールドユニオンにもアライアンスにも後手を踏み、企業群の面子も守れなかった。こちらは違う。少なくとも、局面を動かすことには成功した」


 彼はそこで少しだけ笑った。


「なら、もう支社のふりをしている必要はないでしょう」


 その提案は、提案であると同時にほとんど煽りだった。

 本社を食う。

 海外部門が主導権を握る。

 そのための“実績”として、新開市は十分燃えた。

 そう言っている。


 向こうの返答は短かった。


『動かす』


 レオンは満足そうに目を細めた。


 それで十分だった。

 エージェントも役員も、然るべき顔ぶれが送り込まれるだろう。

 O C M海外部門は、本社を手に入れるべく動き始める。

 その時点で、レオンにとって新開市での作戦はほぼ完了だ。


 ゴースト・ヒーロー?


 どうでもよかった。


 使える間だけ使った。

 十分に“煙の中の新しい神話”として育てた。

 オールドユニオンを揺らし、新開市の熱を煽り、アリスを舞台へ引っ張り出すためには役立った。

 だがもう、役目は終わりだ。


 企業群の支援線が繋がっている。

 彼らは自立した気でいるだろう。

 レオンがいなくても戦えると思っているかもしれない。

 それならそれで結構。

 使い古した道具に、いちいち別れを告げる必要はない。


「後は好きに燃えてくれ」


 誰に向けたでもなく、レオンはそう呟いた。


     *


 だが“ゴースト・ヒーロー”たちは、その“好きに”の中に自分たちが雑に放り込まれたことを、すぐに知った。


 最初に気づいたのは榊だった。

 導線屋と配信者の線をまだ細く持っている榊は、レオンが最近やけにこちらを見なくなったこと、企業群の支援線だけを残して後は切り始めていることを、すでに薄々感じていた。


「やっぱり」


 榊は低く言った。


「そういうことか」


 舞原は、榊ほど早くはなかった。

 だが彼女も、レオンの線が妙に新開市そのものから離れ始めていることに気づく。

 あの男はもう、アリスも群衆もオールドユニオンも、新開市の熱そのものも見ていない。

 その全部を使って、別の場所で別の勝負をしている。


 ドラウグルとリンにその話が届いた時、二人はしばらく何も言わなかった。


 レオンを切るつもりはあった。

 利用できるうちは利用する。

 いずれ切るべき危険人物だとも思っていた。

 だが、それとこれとは別だった。


 先に切るつもりでいたことと、実際に雑に捨てられることは、まったく違う。


 しかも新開市で命を張り、煙を浴び、ハルニッシュとぶつかり、アリスと真正面から向き合うところまでやった後で、最後に“もう必要ない”とされる。

 そこまで来ると、さすがに怒りになる。


「舐めてるな」


 ドラウグルが言った。

 声は低い。

 だが低いほど危ない時の声だった。


「最初からだろ」


 リンは吐き捨てるように言う。

 彼女の目には、嫌悪と屈辱がはっきり出ていた。


「でもここまで露骨だと、さすがに笑えない」


 榊が肩をすくめる。

 その笑い方にも冷たさがある。


 舞原は黙っていた。

 彼女にとって一番きつかったのは、レオンが最初から新開市そのものを見ていなかったことだ。

 あの男は、列も熱も神話も、全部“社内政治の踏み台”として扱っていた。

 自治も何もない。

 新開市の勝手さに付き合っているふりをして、最初から外の都合しか見ていない。


「報いを与えるべきです」


 やがて舞原が言った。

 声は静かだが、その分だけ固かった。


 リンが即座に頷く。


「当然」


 ドラウグルも異論はなかった。


「詰める」


 それだけ言う。

 武力としての筋を気にする彼にとっても、ここまで露骨に利用されて捨てられるのは、もう筋以前の問題だった。


 榊は少しだけためらったが、最後には息を吐いて立ち上がる。


「行くしかないか」


 “ゴースト・ヒーロー”たちは、レオンの元へ向かった。


 報いを与えるために。

 あるいは少なくとも、これ以上勝手に自分たちの名前を使わせないために。


     *


 レオンは、その来訪を最初から見越していた。


「来ると思ってたよ」


 彼は静かに笑った。


 場所は、以前よりはるかに整理された仮設拠点。

 レオン一人ではない。

 それどころか、“ゴースト・ヒーロー”たちが到着した時点で、空気の質がすでに違っていた。


 軍の空気だ。


 雑多な潜伏者の空気ではない。

 即席の神話の空気でもない。

 もっと硬く、静かで、無駄のない現場の空気。


 最初に姿を見せたのは女だった。


 長身。

 引き締まった機能的な体格。

 ブロンドとダークブロンドのあいだみたいな色の髪を、後ろで無駄なくまとめている。

 表情は薄い。

 目つきは鋭い。

 だがその鋭さは感情ではなく、対象を測る視線の鋭さだ。


 無彩色の外套の下に、WEREWOLF用の装備が見える。

 そして、その立ち方ひとつで分かる。

 こちらは“使っていた側”ではない。

 本職だ。


「初めまして」


 女は言った。

 声は丁寧で、簡潔で、無駄がない。


「OCM海外部門、特務運用群のヴェラ・クラウスです」


 その名に、ドラウグルの眉がわずかに動いた。

 リンもすぐに理解する。

 ただの増援ではない。

 新型機実証と高危険度対人制圧を担う、海外部門の現場切り札。

 WEREWOLFの専任実戦運用者。


 つまり、いま目の前にいるのは、“ゴースト・ヒーロー”がまとっていたWEREWOLFという名の、本家だった。


「ご安心ください」


 ヴェラは続ける。

 その言い回しは礼儀正しい。

 だが内容はまるで安心できない。


「今日は撃ち合いに来たのではありません」


 一拍置いて、少しだけ口元を動かす。


「もちろん、必要なら撃てます」


 その後ろに、新WEREWOLF部隊が整列していた。


 隊の完成度が違う。

 ドラウグルたちもWEREWOLFを着てきた。

 だがこちらは、最初から対人・対スーツ・対市街地制圧の実運用を想定して完成された部隊だ。

 呼吸、視線、重心の配り方、その全部が一段深い。


 レオンは、その横であくまで愉快そうに笑っている。


「君たちが怒るのは分かっていたよ」


 軽く言う。


「だからちゃんと、本物を呼んでおいた」


「本物?」


 リンが吐き捨てるように言う。


「じゃあ私たちは何だ。余興か」


「近い」


 レオンは悪びれもしない。

 その無神経さに、リンの肩がわずかに震える。


 ドラウグルが一歩前へ出た。

 だがヴェラはその時点で、すでに距離と角度を読み終えている。


「それ以上は勧めません」


 丁寧に言う。


「あなた方に不満があるのは理解しています。合理的です」


 その言い方がまた、神経を逆撫でする。

 理解している。

 だが止める。

 感情ではなく処理として。


「ただし」


 ヴェラは続ける。


「その不満をレオン・ヴァルケンへ届かせるには、まず私たちを越える必要があります」


 レオンはそこで楽しそうに口を挟んだ。


「ほら。分かりやすいだろ?」


 榊が本気で嫌そうな顔をした。

 舞原の目には、嫌悪と、少しの恐怖すら浮かぶ。

 この女はレオンよりさらに怖い。

 レオンのように派手ではない。

 だからこそ、本物の企業軍事としての完成度が見えてしまう。


「恐怖は正常です」


 ヴェラが静かに言った。

 誰へ向けたのか曖昧なようでいて、全員へ向けている。


「判断を早くしてくれます」


 ドラウグルは歯を食いしばった。

 自分たちがここで殴り込みに来たことは間違いではない。

 だが、相手はその一手先を最初から読んでいた。


 レオンはもうこちらを使う気がない。

 使うどころか、怒って詰め寄ってくることまで織り込んで、OCM海外部門の本物の刃を置いて待っていた。


 リンが低く言う。


「……最低だな」


「光栄だよ」


 レオンは笑った。

 その軽さに、リンは本気で飛びかかりたくなる。

 だが飛びかかれば、その瞬間にヴェラと新WEREWOLF部隊が動く。

 そこはもう、見誤れない。


 ヴェラはドラウグルとリンと榊と舞原を順に見た。

 評価している目だ。

 侮辱ではない。

 だが、その評価のされ方自体が不快だった。

 有能か。

 使えるか。

 危険か。

 どこで折れるか。

 そういう風に見られている。


「あなた方は興味深い」


 ヴェラが言った。


「未完成ですが、現場の圧へ対する適応がある。だからこそ、ここまで残った」


 そこで少しだけ目を細める。


「ですが、完成された部隊と正面からやり合う段階にはありません」


 冷たい事実の言い方だった。

 煽っていない。

 見下してもいない。

 ただ、痛いところへそのまま言葉を置いてくる。


 榊は苦笑すらしなかった。

 舞原は唇を強く結ぶ。

 リンは怒りで顔を硬くし、ドラウグルはその事実を認めながらも、なお一歩も引きたくない自分を持て余していた。


 レオンは、その全部を眺めながら満足そうだった。


 新開市を燃やす役目は終わった。

 ゴースト・ヒーローも使い切った。

 今度はOCM海外部門として本社を食う。

 その次の舞台へ移る。

 ここで“使い終えたもの”が恨みを持とうが、自分にはもう関係ない。

 そういう顔だった。


「諸君」


 レオンが言う。


「もう新開市は次の段階へ行く。君たちがそこで何者になるかは、好きに決めるといい」


 その言い方の軽さに、ついに榊が口を開いた。


「最初から、街のことなんか見てなかったんだな」


「見ていたさ」


 レオンはあっさり返す。


「使える舞台としてね」


 舞原の目から、何かが静かに冷えた。

 怒りとも違う。

 信仰が一段壊れた時の、静かな断絶に近い。


 ヴェラは、その空気の変化も理解していた。

 だが彼女にとって重要なのは、ここで誰をどう処理するかだけだ。

 戦場を舞台として見る女は、相手の感情すら演出要素として理解してしまう。


「どうしますか」


 ヴェラがレオンに問う。


「排除しますか。あるいは退去させますか」


 その丁寧な問いに、レオンは少しだけ考える素振りを見せた。

 実際には、ほとんど最初から答えは決まっているのだろう。


「今日は帰していい」


 レオンは言った。


「まだ使い道があるかもしれないし、ないかもしれない。どっちにしても、今ここで潰すほどの価値はない」


 その言葉は、さらに屈辱だった。

 敵ですらない。

 今はまだ、処分の優先順位が低い。

 それだけの扱い。


 ドラウグルは拳を握りしめた。

 リンはレオンを睨み、榊は諦めと嫌悪の混じった顔で目を伏せ、舞原は何も言わなかった。


 いずれ切る。

 そう思っていた相手に、先に利用し尽くされ、切り捨てられ、なお“まだ価値があるかもしれないから生かしてやる”みたいな顔をされる。

 その屈辱は、単なる怒りより深かった。


 ヴェラが一歩だけ位置を変える。

 それだけで、“ここから先へ来るな”という線が引かれる。

 静かで、綺麗で、どうしようもなく怖い線だった。


「本日はここまでにしてください」


 ヴェラが言う。

 口調は丁寧だ。

 だが完全に命令だ。


「次があるなら、もう少し整理して来ることを勧めます。未整理の怒りは、記録上は理解できますが、戦術上はあまり価値がありません」


 “記録上は”。

 その一言が、企業軍事の嫌らしさを妙に綺麗に仕上げていた。


 “ゴースト・ヒーロー”たちは、その場では退くしかなかった。


 退くしかない。

 だが退いたところで、終わったわけではない。

 むしろこの時、四人の中でレオンとOCM海外部門への敵意は、はっきりと一本の線になった。


 利用された怒り。

 捨てられた屈辱。

 そして、“本物”を見せつけられた悔しさ。


 新開市では今、アリスとアライアンスへ視線が集まっている。

 オールドユニオンも動き直すだろう。

 義弘もまた別の線で動いている。


 その陰で、レオンは本社を食うための次の盤面へ向かい、

 ヴェラ・クラウスという本物の刃が、その背後に立った。


 火付け役の次に来るのは、いつだって回収役だ。

 そして回収役の方が、たいていもっと冷たく、もっと手強い。

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