第三十話 設計
工場の空気には、匂いがない。
油も、汗も、埃も、あるはずなのに。
それらが「管理」されすぎて、匂いにならない。
白い照明が床の継ぎ目を消し、天井のレールを走る無人搬送が、金属と樹脂の塊を淡々と運ぶ。
溶接アームが火花を散らし、散った火花は吸い込まれる。
音はする。だが「騒音」にならない。
この工場は、騒がない。
騒がないものは、怖い。
検査官は、その騒がない床の端で、腕を組んで眺めていた。
LC-07アーバレストが、組み上がっていく。
四脚フレームが固定台に載せられ、関節ユニットが嵌め込まれ、ケーブルが腹の奥へ収まる。
外装パネルが閉まり、ロックがひとつずつ鳴る。
背部ラックが降りてきて、鎮圧用装備が無言で固定される。
装甲はまだ塗装されていない。
灰色の、無機質な肌。
肌の下に、人を押し潰す力が眠っている。
検査官は、胸ポケットの端末を取り出した。
作業用ではない。個人端末だ。
画面の上に、やたら長いスレッド名が踊る。
――《グランド・コンコルディア》評議連絡/継続・象徴・秩序最適化分科会
長い。
長いのは、立派に見えるからだ。
立派に見えれば、正しい気がするからだ。
検査官は、軽いノリで打ち込んだ。
「次のヒーロー像について。
若く、露出の多い女性が望ましい。視線は秩序だ。
新開市の観測値(視聴継続率・模倣率)に合致する」
送信。
工場の無音に、ひとつだけ下卑た泡が浮かんだ。
すぐに返事が来る。
「提案受領。評議に付す」
「露出=視線=統治は理解できる」
「“象徴”の設計は必要。炎上は燃料」
そして、さらに続く。
「むしろ単純な声もある」
「新開市の視聴者のような無責任な意見だが――」
「『アリスを我々のヒーローにしろ』」
検査官は口角を上げた。
“我々のヒーロー”。語感がいい。
所有の匂いがする。
そこへ、短い投稿が割り込んだ。
文章が違う。
無駄がない。
飾りがない。
「冗談ではない」
「確保は可能」
「手段は整っている」
「同意取得フェーズの準備に入れ」
検査官の笑いが、ほんの少しだけ引っ込んだ。
チャット欄の名前は、やはり大仰だった。
――《グランド・コンコルディア》中央調停局・実行班/調停執行官
検査官は、工場の無音に背中を押されるように、返した。
「同意、ですか」
返事は一行で来た。
「同意は取得するものだ」
検査官は、視線を戻した。
アーバレストの脚が固定台から持ち上がり、検査ゲートへ運ばれていく。
ゲートが光る。
合格の音が鳴る。
騒がない音だった。
新開市の空気には、匂いがありすぎる。
粉塵。
焦げ。
人の汗。
そして画面の熱。
工場が騒がないのなら、街は騒ぎすぎる。
外延部の広場に、簡易ステージが立っていた。
いつの間に、誰が許可したのか分からない。
許可なんて要らないのだ。カメラがあれば。
ステージの上で、市民サムライ・ヒーローたちが、名乗りを上げている。
「我ら! 新開秩序守護隊――!」
名前が長い。
《グランド・コンコルディア》の真似だ。
真似は、早い。
観客席は端末の海。
コメントは流砂。
流砂の上で踊る者ほど、沈む。
義弘は、その端っこに立っていた。
白髪をオールバックに撫でつけ、顔には微塵も表情を出さない。
サムライ・スーツは…あの日ほどテカテカではない。
だが広告は消えない。消えないものがある。
トミーが肩から見下ろす。
「……あれ、オーディション会場か?」
「事故現場だ」
「事故現場がオーディション会場になったんだろ」
正論だ。
遅い正論ではない。
すぐ刺さる正論は、痛い。
アリスは義弘の少し後ろにいた。
フードの奥の瞳が、ステージの光を嫌って細くなる。
「……気持ち悪い」
「同感だ」
義弘が言うと、トミーが笑った。
「お前が同感とか言うと本当に終末感あるな」
ステージの袖から、また別の集団が出てきた。
彼らはクラウドファンディングの成果を見せびらかすように、機体を連れている。
スコルピウス風。
今度は前回よりも、さらに「似せて」いる。
装甲は、スポンサー名で光っていた。
『提供:○○グループ』
『支援者:△△△△様』
『都市の秩序は、あなたの支援で守られる』
守られる。
誰が?
何から?
コメントが踊る。
「きたぁぁぁ新型!」
「提供テカテカ草」
「次のゴースト枠だれ?」
「露出多め希望」
「秩序のために顔出ししろ」
「ヒーローは公共財」
「公共財ってなに?」
「知らんけど正しそう」
「義弘ならこうする」
「アリスちゃんなら罵倒する」
「罵倒して!」
「本物対決はよ」
アリスが、舌打ちした。
怒りの舌打ちではない。
疲労の舌打ちだ。
「公共財って……誰の言葉だよ」
義弘は、そこで一瞬だけ立ち止まった。
「……言葉が漏れている」
「漏れてる?」
トミーが首を傾げる。
義弘は言った。
「誰かが、空気に“言葉”を混ぜた」
「視聴者が勝手に言い出したにしては、筋が良すぎる」
アリスが眉を動かす。
「筋?」
「正しそうで、気持ちいい言葉だ」
「そういう言葉は、設計される」
“設計”。
その瞬間、義弘の頭に工場の無音が浮かんだ。
見たことはない。
だが、想像できる。
無音で組み上がる怪物。
無音で回る手続き。
その怪物の対極にあるのが、この街の騒音だ。
騒音はカモフラージュになる。
誰かがその中で、手続きを進める。
事故は、起きた。
いや、“起こされた”と言うべきだ。
広場から二ブロック先。
インフラ系の配電盤が集まる区画で、火花が上がった。
煙。
停電。
作業ドロイドが停止し、人が転ぶ。
事故の規模は大きくない。
だが、場所が悪い。
悪い場所を選ぶのが、うまい。
カメラが集まる。
解説者が集まる。
「偶然」には早すぎる。
市民ヒーロー隊が走る。
「我らが救う!」
走る足が、避難導線を踏む。
踏まれた導線で、誰かがつまずく。
つまずいた人の手から、火炎瓶が落ちかける。
火炎瓶?
誰が持っている?
混沌が、混沌を呼ぶ。
義弘は一歩踏み出した。
アリスも踏み出す。
双子が救助用の工具を展開し、シュヴァロフが背後で影を落とす。
だが――ここは戦場ではない。
戦場よりも、戦いにくい。
殴れば切り抜かれる。
止めれば煽られる。
助ければ再演される。
そして何より、義弘は感じた。
“試されている”。
事故が起きるタイミング。
カメラが集まる速度。
市民ヒーローの配置。
これは、値踏みだ。
アリスが低く言った。
「……これ、テスト」
義弘が頷く。
「助けに入るか」
「どこで線を引くか」
「どれだけ動かせるか」
トミーが吐き捨てた。
「うわ。最悪」
「視聴者より性格悪い」
コメントが洪水になる。
「事故きた!」
「神回の匂い!」
「義弘!義弘!」
「ゴーストちゃん助けて!」
「市民ヒーロー出番!」
「本物はどっちだ!」
「殴れます提供w」
「公共財なんだから働け」
「公共財って労働するの?」
「知らんけど働け」
「やめろ……」
「やめろって言うな盛り下がる」
盛り下がる。
人命より、盛り上がり。
義弘は、刀を抜かなかった。
代わりにアンカーを打ち、導線の上に即席の“壁”を作る。
人工蜘蛛糸で、人の流れを押し戻す。
「ここから先は救助」
声は低い。
命令だ。
市民ヒーローの一人が叫ぶ。
「お前らが独占するな!」
「ヒーローは公共財だろ!」
義弘は、目だけを向けた。
「公共財は守るものだ」
「振り回すものじゃない」
アリスが指を動かした。
スコルピウス風機体の関節が、一瞬だけ安全側に固定される。
倒れない。
だが、前に出られない。
操縦者が怒鳴る。
「おい! なんだこれ!」
「妨害だ! 検閲だ!」
アリスは冷たく言った。
「救助の邪魔」
「邪魔なら落とす」
「壊してない。優しいだろ」
その言葉の裏で、双子が救助対象へ滑り込み、シュヴァロフが応急処置のパックを並べる。
家庭的な手つきで、地味に命を拾う。
シュヴァロフの影は、静かだった。
静かだから、強い。
事故は封じ込められた。
派手な勝利はない。
拍手もない。
だが、画面の中では拍手が鳴っていた。
効果音として。
編集として。
義弘は、汗を拭わずに振り返った。
事故現場の外縁に、妙に整然とした人の列がある。
市民でも、ヒーローでもない。
服装はバラバラ。
だが立ち方が同じだ。
“並び方”が同じだ。
「……あれは」
アリスも見た。
「雑じゃない」
「整いすぎ」
トミーが鼻を鳴らす。
「並び方が仕事だな」
「お前の会社の会議室みたいだぞ」
義弘の顔が、さらに冷えた。
「仕事だ」
「個人の結託が、“仕事”になっている」
夜。
路地の暗がりで、茶の湯気が上がっている。
匂いがある。
匂いがある場所は、まだ人間の領域だ。
八重蔵が茶をすすっていた。
ボロい服。
新しい靴。
逃げ道の靴。
「おや。名誉会長サマじゃないか」
軽い笑い。
軽すぎて、重い。
「ヒーロー遊びは飽きたんじゃなかったのかい」
「飽きた」
義弘は金属片を出した。
今度は刻印だけじゃない。
小さなQRと、管理番号の並び。
“配備”の匂いがする。
八重蔵の笑いが、少しだけ消えた。
「……こいつぁ、厄介だね」
「買われた物じゃない」
「配られた物だ」
「配布の書式」
「書類の匂いがする」
義弘は短く言った。
「《グランド・コンコルディア》」
八重蔵は目を細めた。
「名前だけは立派だねえ」
「立派な名前のやつほど、怖いのが少し混じってる」
「大半はミーハーだ」
「だが――ごく少数、目が笑ってないのがいる」
義弘が聞く。
「そいつらは何を望む」
八重蔵は茶碗を置いた。
「所有だよ」
「守るとか、救うとかじゃない」
「“我々のヒーロー”」
「言葉がもう、鎖だ」
翌日。
市警庁舎の廊下。
「またあなたですか、津田さん」
振り向くと、真鍋佳澄が立っていた。
サイバー課の警部補。
義弘を“取り締まりたい”顔と、“助けられた”顔が同居している。
「あなたのスーツ、また都市システムに強引な問い合わせを投げましたね。ログが――」
「必要だった」
「必要かどうかを決めるのは、あなたじゃない」
正論だ。
だが今日は、真鍋の声に“遅れ”がない。
義弘は言った。
「遅い正論じゃ追いつかない」
「ログを見せろ」
「《グランド・コンコルディア》の中に、書式が違う投稿があるはずだ」
真鍋の目が細くなる。
「……あります」
渋々、端末を操作する。
画面に並ぶ匿名投稿。
大半は浮ついている。
だが、少数だけ“違う”。
箇条書き。
期限。
要件。
実施。
承認。
官庁文書の影。
真鍋が低く言う。
「これ、遊びじゃない」
「誰かが“実行”してます」
「そして――あなたが動けば動くほど、ログが増える」
義弘は頷く。
「残せ」
「残して、責任を背負う」
真鍋の顔から“取り締まりたい”が少し引っ込み、“助けられた”が前に出た。
ほんの一瞬。
それだけで十分だ。
「……津田さん」
「線は越えないでください」
義弘は答えた。
「越えない」
「越えさせない」
その夜。
義弘の端末に、通知が落ちた。
丁寧すぎる文面だった。
丁寧な文面は、刃になる。
拝啓
貴殿の継続的貢献に敬意を表する。
都市秩序維持のため、協議を要請する。
なお本要請は、貴殿の安全と継続を最大化する目的を含む。
署名:《グランド・コンコルディア》中央調停局
“最大化”。
“目的を含む”。
言葉が、囲いになる。
義弘は画面を閉じた。
閉じても、匂いが残った。
工場の無音の匂い。
手続きの匂い。
背後で、トミーが呟く。
「……丁寧な脅しだな」
アリスは、フードの奥で目を細めた。
「同意は取得するもの、か」
義弘は低く言った。
「俺は物じゃない」
「お前もだ」
アリスが小さく笑った。
笑いはすぐに消えた。
「じゃあ、奪われる前に――奪い返すしかない」
外では、また配信の通知音が鳴っている。
新開市は熱い。
熱狂は燃料だ。
燃料を投げ込む手が、冷たい。




