第297話 握手会
“ゴースト・ヒーロー”を粉砕したあとで、オールドユニオンの態度は不気味なほど軟化した。
それは、いかにも分かりやすい敗北の取り繕い方ではなかった。
露骨な強弁でも、逆上でも、責任転嫁一辺倒でもない。
むしろその逆だ。
謝る。
釈明する。
協調を口にする。
そして、正規の顔を前へ出す。
新開市の画面に流れ始めた説明文や会見映像は、どれも角が丸かった。
M-22の件について、オールドユニオンはまず、自らの管理不手際を認めた。
管理対象であったM-22が盗難に遭い、そのまま新開市へ持ち込まれた。
重大な不備があった。
関係各位に深く謝罪する。
そういう文面だった。
もちろん、それで全部を飲み込めるほど新開市は素直ではない。
だが厄介なのは、その説明が完全な嘘でもないように見えることだった。
半分だけ本当で、半分だけ責任の輪郭を薄めている。
そういう説明は、一番扱いづらい。
その後の“アリス・スクワッド”との争いについても、オールドユニオンはトーンを落とした。
新開市への理解が十分でなかった。
現地住民との摩擦が、不必要な緊張を生んだ。
衝突寸前まで発展したことは遺憾であり、今後は現地との協調をより重視する。
そして、あの騒動の収束にあたっては、オールドユニオンに所属するアリスの尽力が大きかった――そう、暗に匂わせる。
匂わせる、というのがまた嫌だった。
アリスが街を守った。
その事実を、オールドユニオンの側へ少しずつ引き寄せる。
あからさまに奪い取るのではなく、自然な成果みたいに見せる。
そのやり方が、以前よりずっと洗練されている。
さらに、オールドユニオンは新開市のために、と続けた。
新開市市政との協調。
治安機関への協力。
GLASS VEILへの後援継続。
そして、そのための要人派遣。
顔のある政治。
手順のある浸透。
後援という名の足場作り。
それは、義弘やアリスがもっとも嫌がる種類の“次の一手”だった。
*
義弘は、その会見映像を見終わった時点で、もう嫌な顔をしていた。
会社の会議室の片隅。
端末の画面には、整った言葉で謝罪し、理解不足を悔い、今後の協調を誓うオールドユニオン関係者たちが並んでいる。
そのどれもが、新開市でやらかしていた外部勢力と同じものには見えない。
見えないからこそ、厄介だった。
「切り替えたな」
義弘が低く言う。
隣にいた真鍋が頷いた。
「武力による介入から、政治による介入へ」
「そうだ」
義弘は画面を止める。
そこに映っている要人候補たちの顔は、いかにも“ちゃんとした人たち”に見えた。
ちゃんとした服を着て、ちゃんとした言葉を使い、ちゃんとした手続きの枠の中で新開市へ来ようとしている。
ああいう顔をされた時、市政も議会も市民団体も、反射的には叩きにくい。
「ミコト市長には伝えてくれ」
「もう伝えるつもりでした」
真鍋は淡々としている。
だがその目は冷たい。
「市政の手続きに食い込んできます。治安機関への協力も、善意の顔をした情報取得と足場作りになるでしょう」
「GLASS VEILの後援継続も嫌だな」
「ええ」
真鍋は短く返した。
「文化支援、青少年支援、親善イベント、その全部の顔で入ってこられます」
義弘は椅子の背へ軽く寄りかかった。
新開市は、怪獣やドローンだけで壊れる街ではない。
むしろ、正しい顔をした制度と後援の方が深く残る。
そこがこの街の面倒なところだ。
「ミコトさんは分かってる」
義弘が言う。
「だが分かっていても、表向きに拒みづらい」
「だから面倒なんです」
真鍋は、まるで書類の不備を指摘するみたいな口調で言った。
それがかえって、この事態の本質をよく表していた。
*
アリスは、その少し後でアザドと向き合っていた。
場所はオールドユニオン側の一室。
高級でもないが、雑でもない。
必要なものだけが置かれ、余計な温度が削られた部屋だ。
いかにもアザドが好みそうな空間だった。
アリスは椅子へ座りながらも、少しだけ前へ体重を乗せている。
それはいつでも立ち上がれる姿勢でもあり、気に食わない話を聞きに来ている時の彼女の癖でもあった。
「新開市のことは私に任せろ」
開口一番、アリスは言った。
黒髪が片目へかかり、見えている赤い目だけが鋭く細い。
白いフード付きパーカーの小柄な身体は一見ただの学生みたいなのに、言葉だけはいつも真っ直ぐだ。
「そうしないなら、私はオールドユニオンを辞める」
かなり強い言い方だった。
半分は本気で、半分は試しでもある。
ここでアザドがどう返すかで、オールドユニオンの今後の出方が見える。
だがアザドは、それを一笑に付した。
本当に、少しだけ笑ったのだ。
声を立てるほどではない。
でも、言葉の価値をその場で切り分けた時の、あの短い笑い。
「ずいぶん大きく出たな」
アザドは言った。
「むかつく」
「知っている」
アリスは露骨に嫌そうな顔になった。
この男は本当に、人の苛立ちを処理済みの情報みたいに扱う。
「笑うところじゃない」
「そうか?」
「そうだ」
アザドは椅子へ深く座ったまま、指先だけを軽く組んだ。
「“ゴースト・ヒーロー”の件で、オールドユニオンは新開市でのやり方を学んだ」
その言葉に、アリスは少しだけ目を細める。
嫌な話の入り方だった。
「学んだ?」
「そうだ」
アザドは続ける。
「結局、あれはマッチポンプの存在だ。名前の通り“幽霊”でしかない。見えるようでいて、支援線に依存し、舞台装置に依存し、持続性がない」
アリスはすぐに反論しなかった。
反論しないのは、全面的に賛成だからではない。
半分は違うと思っている。
だが半分は、たしかにその通りだとも思ってしまうからだ。
“ゴースト・ヒーロー”は、まだ根を持たない。
新開市に受け入れられ始めてはいる。
だが地力があるわけではない。
補給も、後ろ盾も、継続する仕組みも薄い。
だからアザドの見立ては、嫌なくらい現実的だった。
「オールドユニオンは今度は、じっくりと正規の手順を踏む」
アザドが言う。
「規範通りに」
その一言に、アリスは内心で歯噛みした。
そこが一番嫌だった。
怪獣や兵器なら、噛みつける。
露骨な介入なら、叩ける。
だが“正規の手順”と“規範通り”という顔をされると、新開市でそれを正面から拒絶するのは難しい。
とくに今回は、謝罪も、協調も、後援もセットだ。
「クソ」
アリスが小さく言う。
「実際、そう見えるだろう」
「そう見えるからクソなんだよ」
アザドはそこで、少しだけ珍しく柔らかい調子を混ぜた。
「礼を言おう」
アリスが顔を上げる。
嫌な予感しかしない。
「君がオールドユニオンを新開市に“馴染ませて”くれた」
その言葉は、褒め言葉ではなかった。
少なくともアリスにとっては。
むしろ、今の状況がどれだけ最悪かを、別の角度から正確に言い当てたものだった。
アリスが前に出た。
アリスが街の声を聞いた。
アリスがオールドユニオンの中にいながら、新開市で成果を出した。
その積み重ねのせいで、オールドユニオンは“まったく馴染まない外の異物”ではなくなりつつある。
少なくとも、そう見せる足場を得た。
「ほんと最低」
アリスは吐き捨てた。
「知っている」
またそれだ。
だが今日は、その“知っている”の中に、少しだけ本音が混ざっているようにも聞こえた。
アザドはそこで、さらに嫌な助言を寄越した。
「もし君が、あくまでオールドユニオンを新開市の“一勢力”にしておきたいなら――」
アリスは何も言わない。
聞きたくない。
でも聞いてしまう。
「私が君の立場なら、辞めないがね」
予想通りだった。
そして予想通り、最悪だった。
「オールドユニオンの中にも、君と協力する方が利があると考える勢力がいる」
アザドは淡々と続ける。
「その勢力と組め。全部を敵にする必要はない。むしろ、中に味方を作った方が、新開市でオールドユニオン本体の動きを鈍らせやすい」
アリスは黙った。
黙ったまま、嫌なくらいにその理屈の正しさを理解してしまう。
辞めれば切れる。
だが切れたところで、オールドユニオン自体は新開市へ入ってくる。
その時、自分は外から噛みつくしかなくなる。
中に協力勢力がいれば、少なくとも速度と角度を変えられるかもしれない。
分かる。
分かるから、腹が立つ。
「競争になるだろうな」
アザドが言う。
「何の」
「君に協力するオールドユニオン一勢力と、オールドユニオン本体。どちらが新開市に受け入れられるかの」
アリスは、その瞬間に嫌な予感を覚えた。
これまでの新開市は、事故と祭りと怪獣と“映え”で動いていた。
だがここから先は、後援と協調と顔の良さと、どちらが“街に馴染んで見えるか”の競争になる。
それはたぶん、もっと静かで、もっと深くて、もっと厄介だ。
「お前」
アリスが低く言う。
「ほんとに、ろくでもないことばっか考えるな」
アザドは少しだけ肩をすくめた。
「それが仕事だ」
*
一方その頃、榊圭吾と舞原朱音は、すでに別の方向で動き始めていた。
レオンにも、オールドユニオンにも、いい加減うんざりしている。
それは確かだ。
だが、ただ嫌気が差したから離れたい、という程度ではない。
榊はまだ、“天然の物語の美しさ”を信じていた。
仕込みとマッチポンプと過剰な演出で塗りつぶされる前の、個人が輪郭を剥き出しにして立ち上がる瞬間。
あれを撮りたい。
あれを見たい。
レオンの舞台は派手だが、どこか最初から予定調和が混じりすぎる。
榊が欲しいのはもっと、偶然と切実さが混ざった“本物”だった。
舞原は舞原で、アリスを中心とした雑多な人々のパレード――あの一度だけ新開市に現れた、妙に街そのものらしい列の気配を忘れられずにいた。
企業でも、オールドユニオンでも、レオンでもない。
新開市の勝手さと熱と面倒くささが、そのまま形になったみたいな列。
あれを、もう一度つくれないか。
少なくとも、近いものへ触れないか。
だから舞原は“アリス・スクワッド”の残党と接触した。
完全には消えていない。
散ってなお、新開市の裏側に薄く残っている連中。
彼らは“ゴースト・ヒーロー”ともまた違う温度を持っている。
そこに、もう一度雑多な列を作る芽がないかを探る。
榊は、導線屋と配信者の方へ線を伸ばした。
“ゴースト・ヒーロー”や“アリス・スクワッド”に関わった連中の中には、レオンの仕込みに嫌気が差している者もいる。
彼らは派手な事故は好きだが、全部が舞台装置になりきるのは面白くないと感じ始めてもいた。
その動きの中で、二人は絶好の機会ともいえる情報を得る。
オールドユニオン・アリス協調派が企画しているイベント。
新開市へ向けた、親しみやすく、触れやすく、善意の顔をした新しい足場。
その名は――“アリス握手会”。
*
最初にその単語を聞いた時、榊は一瞬だけ意味が分からなかった。
分かったあとで、ゆっくりと嫌そうな顔をした。
「最悪だな」
それは本当に、そうだった。
相談窓口でもない。
ただの広報イベントでもない。
市民との距離を縮めるための親善企画。
アリスという街の象徴を、手続きの整ったイベントの中へ閉じ込め、触れられる偶像に変える。
そこへGLASS VEILや協調派の後援が乗れば、オールドユニオンは“新開市へ馴染もうとしている勢力”の顔を一気に強められる。
舞原は、もっと別の種類の寒気を覚えた。
「握手会……」
小さく復唱する。
「そういうふうに、街へ入ってくるんだ」
事故でも、怪獣でも、強圧でもない。
握手。
親しみ。
相談。
善意。
その顔で来る。
その方が、新開市の中へ長く根を張れるからだ。
榊はそこで、逆に何かの輪郭を感じ始めていた。
これは“天然の物語”が生まれる条件かもしれない。
あまりにも人工的で、あまりにも嫌な企画だからこそ、それに対して街の側がどう反応するかで、本物が立ち上がる可能性がある。
舞原も同じ方向を、別の言葉で感じていた。
雑多な人々のパレード。
アリスを一つの箱へ閉じ込めるような握手会。
それに対して、新開市がどういう列を作るのか。
そこにはまだ、レオンの脚本ともオールドユニオンの規範とも違う、新開市そのものの答えが出る余地がある。
二人は顔を見合わせた。
嫌だ。
だが、見逃せない。
新開市はまた、次の祭りの入口へ立っている。
今度は怪獣ではない。
握手会だ。
その響きの軽さと、政治的な重さの釣り合わなさが、かえってこの街には危険だった。
どこかで、アリスもまだその情報を知らない。
アザドはたぶん知っている。
義弘と真鍋は、いずれ察知する。
そして街の側は、また勝手に何かを増やすだろう。
新開市は、今日も神話を作る準備だけは早い。
怪獣も、煙も、ドローンもない。
それでも次の混乱は、もう静かに始まりかけていた。




