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第293話 煙の街、見えすぎる影

 計画していた者は多かった。


 オールドユニオンは秩序あるイメージアップを。

 アリスは一人ひとりの声を。

 導線屋は“映える事故”を。

 レオンは予告された危機と影のヒーロー劇を。

 “ゴースト・ヒーロー”たちは、自分たちなりの初期英雄譚を。

 義弘はそれら全部が事故へ落ちないよう、最低限の現場の線引きを。


 だが、新開市では、計画が多い時ほど何一つ計画通りにいかない。


 煙幕ドローンが撒いた煙は、導線屋たちの想定よりずっと濃く、ずっと広く、ずっと低かった。


 最初は列の外縁だけを軽く乱すはずだった。

 視界を切り、群衆の恐怖を少しだけ高め、危機の密度を“見せる”ための煙。

 それが風向きと建物の隙間と高架下の気流に乗って、一気に膨れた。

 路地へ溜まり、足場の下へ沈み、照明を白く反射して、あっという間に一帯を戦場じみた景色へ変えてしまう。


 見えない。

 前も、横も、誰がどこにいるのかも。

 スマホのライトだけが変に強く跳ね、かえって距離感を狂わせる。


 パレードは一瞬で、イメージアップ・キャンペーンではなくなった。


     *


 アリスは舌打ちした。


「多すぎる」


 煙の濃さが想定外だった。

 本来なら、視界が切れた時点で複数のドローンを一斉に呼び寄せ、空と地上の両方から場を縫い直すつもりだった。

 シュヴァロフ。

 ブージャム。

 グリンフォン。

 トウィードルダム、トウィードルディー、バンダースナッチ。

 だがこの煙では、通信と視界と群衆の位置情報が雑に潰れすぎている。


 呼べる。

 呼べるが、綺麗には呼べない。

 こんな状態で一気に重い駒を寄せれば、逆に民間人へ落ちる危険がある。


 歯噛みしながら、アリスは最初の一手だけを切った。


「グリンフォン」


 短い呼び出し。

 空を飛べる。

 煙の上を取れる。

 そして、最悪の時に義弘の方へ回せる。


 それだけでも今は十分だった。


 通信の向こうで、白い異形の可変ドローンが応じる。

 プライドの高い、気取り屋の騎士。

 グリンフォンは呼ばれたこと自体にどこか当然の誇りを感じているみたいに、短く鋭い応答を返してきた。


 上空待機へ回す。

 すぐ突っ込ませるのではない。

 今はまず、煙の上を取る目が必要だ。


 だがアリスの周囲では、それ以前に人間側の混乱が一気に増殖していた。


「アリスを取り戻せ!」


 どこかで誰かが叫んだ。


 その声は一人のものなのに、煙の中ではすぐに複数に聞こえる。

 同時に別方向から、今度は逆の声が飛ぶ。


「アリスを守れ!」


 その二つは、理屈としては同時に成立しうる。

 成立しうるが、煙の中ではただの衝突要因になる。


 群衆が押し合う。

 セグメンタタが護衛線を締める。

 迷惑配信者が視界を求めて前へ出る。

 アリス支持者と市民団体が、何を守るのかも曖昧なまま揉み合う。

 誰かが転ぶ。

 誰かが悲鳴を上げる。

 誰かがそれをまた撮る。


 アリスはその中心で、歯噛みした。


 こんな時、自分はもっとできるはずだった。

 線を切り、群衆を読み、ドローンを噛ませて局所を縫えるはずだった。

 だが今は煙が濃すぎる。

 視界も流れも乱れすぎている。

 この状態で“勝つ動き”を取れば、余計に弱いものが潰れる。


 だから彼女は、できることへ切り替えた。


「そっち、立てるか」


 転倒した女へ手を伸ばす。

 GLASS VEILのMIRAがその横へ入って、落ち着いた声で呼吸を整えさせる。

 IRISは無駄なく転倒者導線を作り、NOVAは群衆の注意を別方向へ逸らしながら押し合いを少しでも減らそうとしていた。

 SABLEはアリスのすぐ近くで、何が飛んでも反応できる位置を取る。


 アリスは救助を続ける。

 不本意だった。

 本当なら、この混乱そのものへ噛みつきたい。

 誰が煙を撒き、誰が叫びを混ぜ、誰が導線を狂わせたかを追いたい。

 それができないことに腹が立つ。

 でもいま、目の前で倒れている人間を跨いで行くのはもっと嫌だった。


「アリス!」


 誰かが泣きそうな声で名を呼ぶ。

 アリスは無愛想に振り向いた。


「死んでないなら自分で立て」


 口は悪い。

 だが手は伸びる。

 その矛盾が、また新開市の面倒な神話を補強してしまうのだと、本人だけが一番わかっていなかった。


     *


 一方その頃、アーバレストの前では、別の意味でどうしようもないことが起きていた。


 義弘は最初に、戦う前に説得を試みた。


 煙の薄い建物外縁。

 四脚重装機アーバレストが、低く沈んだまま圧力を放っている。

 背部の大型武器ラックは兵器を満載していないのに、それでも“そこへ本来何が載るか”を想像させる形をしていた。

 四脚での踏ん張り。

 二脚で立ち上がれる出力。

 白兵で押し潰せる重量。

 装備が足りない今の義弘にとっては、嫌な相手でしかない。


「まずあれだ」


 義弘はハルニッシュ部隊とWEREWOLFへ向けて言う。


「お前ら同士でやり合ってる場合じゃない。アーバレストを止めるのが先だ」


 理屈としては明快だった。


 ハルニッシュ部隊が欲しいのは“確保”。

 WEREWOLFが欲しいのは“主役性”。

 だがどちらにせよ、アーバレストを放置してパレードへ行かせれば全部終わる。

 そこまでは、たぶん全員わかっている。


 それでも、現場は理屈だけでは止まらない。


 ハルニッシュ隊長が短く命じた。


「確保!」


 その一言で、流れが決まった。


 WEREWOLF側も、止まらない。

 ドラウグルは最初から戦う気でいたし、リンも半歩遅れずに踏み出す。

 榊圭吾は最適な位置取りへ動き、舞原朱音は煙の中で誰の視線がどこへ集まるかまで見ている。


 義弘は心の中で舌打ちした。


「……そうなるよな」


 結局、ハルニッシュ部隊とWEREWOLFはぶつかった。


 ハルニッシュは組織の秩序の兵だ。

 姿勢が整っている。

 連携は規格化され、誰がどこを押さえるかも明快。

 対してWEREWOLFは、四人揃った時だけ異様な完成度を見せる。

 武力、見栄え、導線、群衆読み。

 それらが噛み合った瞬間だけ、彼らは“ちゃんとひとつの脅威”になる。


 激しくぶつかる。

 だが双方、早期には決着がつかない。


 ハルニッシュは正面から強く、

 WEREWOLFは崩しと流しで嫌らしい。

 煙の中ではなおさら、決定打へ届きにくい。


 その間にも、アーバレストは進む。


 義弘と、残った数機のハルニッシュだけでは止めきれない。

 義弘は正面からやり合わない。

 地形を見る。

 未完成の足場。

 落差。

 梁。

 背部ラック。

 アーバレストの本質は武装ではなく、姿勢制御と踏ん張りだ。

 なら、崩すべきはそこだ。


 彼は煙の中をわざと斜めに走り、アーバレストを狭い段差側へ誘う。

 四脚なら踏ん張れる。

 だが段差と仮設床が連続する位置なら、一瞬だけ荷重の置き直しが必要になる。

 その一瞬へ、ハルニッシュの火力と自分の体重を合わせてぶつける。


 時間は稼げた。

 だが決め切れない。


 アーバレストは低重心のまま、じりじりとパレード方向へ進軍する。

 止めているのではない。

 遅らせているだけだ。


「クソ……!」


 義弘は吐き捨てた。

 白のサムライ・スーツを着ていないことが、ここで効いてくる。

 火力も、踏み込みの深さも足りない。

 時間稼ぎはできても、沈黙へは持ち込めない。


     *


 その苦戦は、トミーの通信を通じてアリスへ届いた。


 トミーの声は、いつもより少しだけ荒い。


『義弘が抑えてるが、長くねえ! このままだとそっちへ来る!』


 アリスは歯を食いしばった。

 救助の最中でも、義弘の状況が頭へ刺さる。

 行きたい。

 自分で行って切り替えたい。

 だが今ここでアリス自身が動けば、群衆はもっと壊れる。


 だから彼女は、上へ出した。


「グリンフォン」


 即座に命じる。


「義弘の支援」


 グリンフォンは、それを待っていたと言わんばかりに上空から急降下した。


 白い機体。

 巨大な翼。

 四脚にも二脚にも変じる異形の騎士。

 煙幕の上を取っていた機体が、いま一気に戦場へ降りる。


 飛行形態のまま高架の陰を滑り、遠距離用センサーでアーバレストの位置を読む。

 そのまま低空で義弘の上を抜け、三本爪を振るってアーバレストの背部ラックへ鋭く入る。

 直接切り落とすまではいかない。

 だが衝撃で姿勢が揺れる。


「来たか」


 義弘は小さく言った。

 上空支援が入るだけで、取り方が変わる。

 アーバレストの視線と重心が、一瞬だけ割れる。


「お前ら!」


 義弘はその機会へ乗じて、ハルニッシュとWEREWOLFの両方へ怒鳴った。


「このままだとパレードに突っ込む! 今はそっちだろ!」


 その言葉は、ようやく届いた。


 ハルニッシュ部隊は組織の兵だ。

 任務優先の理屈が通れば、切り替えられる。

 WEREWOLF側もまた、パレードへアーバレストが入れば、自分たちが“影のヒーロー”として立つ以前に大量の無関係な被害が出ることはわかっている。


 不承不承、戦線がずれた。


 ハルニッシュが火力を散らし、

 グリンフォンが上から針のような支援を入れ、

 義弘が地形へ誘い、

 WEREWOLFが横から可動部を噛みに行く。


 ようやく、共同対処の形になる。


 アーバレストはそれでもタフだった。


 四脚で踏ん張る。

 押し込まれても倒れない。

 起き上がりのパワーが異常で、少しでも体勢を戻せばすぐ前へ出ようとする。

 ハルニッシュの攻撃で装甲は削れる。

 グリンフォンの突きでラックは歪む。

 WEREWOLFの攻めで関節への圧も増す。

 義弘の誘導で足場も悪くなる。


 だが、沈まない。


「硬い……!」


 リンが思わず吐き捨てる。


 ドラウグルも、これが“鎮圧の顔をした戦闘機”だとあらためて実感していた。

 見た目だけではない。

 本当に押し潰すための重装機だ。


 その時だった。


 アーバレストの内部で、別のギミックが起動した。


 煙幕投射機。


 レオンが最初から仕込んでいたものだ。


 機体側面と背部ラックの複数箇所から、一気に煙が噴き出す。

 ただでさえ視界が悪いのに、その場だけさらに濃く白が膨れる。

 周囲の輪郭が即座に消え、グリンフォンですら一瞬距離感を失う。


「っ!」


 義弘が目を細める。

 嫌なタイプの離脱だ、と直感でわかる。


 WEREWOLFも、その煙を見た瞬間に判断した。

 追えるか追えないかではない。

 いまは消える方が自分たちらしい。


 アーバレストとWEREWOLFは、その煙を利用して離脱した。


 完全に同時ではない。

 だが見ている側からすれば、重装機も狼たちも、白い煙へ呑まれてそのまま街の影へ溶けたように見える。


     *


 ハルニッシュ部隊は追おうとした。


 ここで逃がせば、また次がある。

 組織の兵としては当然の発想だ。


 だが義弘が止めた。


「追うな!」


 短く、はっきりと。


 ハルニッシュ隊長が振り向く。

 不満はある。

 だが義弘の目が、それ以上行くなと言っていた。


「真鍋の治安機関に任せろ」


 義弘は続ける。


「今はアリスの周囲の混乱を収める方が先だ。あっちが本体だ」


 その判断は正しかった。


 アーバレストもWEREWOLFも厄介だ。

 だが今この瞬間、煙に巻かれたパレード側では、まだ転倒者も負傷者も、誰が誰を守るのかも曖昧なまま揉み合っている。

 そこを放置して敵を追うのは、現場を捨てるのと同じだ。


 ハルニッシュ隊長は一拍だけ悔しそうに黙り、それから短く頷いた。


「……了解」


 グリンフォンは上空で旋回しながら、アリス側の方向へ視線を向けていた。

 まるで“主人を守る戦場へ戻るのが騎士の務め”とでも言いたげな、気取り屋らしい仕草だ。


 義弘はそのまま、ハルニッシュ部隊とグリンフォンを伴ってパレードの方へ引き返す。


 トミーの通信がまた入る。


『どうだ! 仕留めたか!』


「逃がした」


『クソ!』


「だが止めはした」


 義弘は短く返した。

 それで十分だ。

 今は。


     *


 戻りながら、義弘は頭が痛かった。


 “ゴースト・ヒーロー”は、新開市とあまりにも相性が良い。


 煙の中から現れる。

 誰が仕掛けたか曖昧な危機へ割って入る。

 完全な勝利でなくても、“止めたように見える”瞬間を残して消える。

 そのあとには、配信とコメントと噂が勝手に神話を育てる。


 新開市が大好きな要素ばかりだ。


 しかも厄介なのは、彼らが完全な嘘ではないことだった。

 仕込みに乗っている。

 レオンに煽られている。

 それでも、現場で実際に危機へ入ってもいる。

 だから単純な悪役にもできない。

 この街の観客は、そういう“少し本物を含んだ影”に弱い。


「……最悪だな」


 義弘が低く言う。


 トミーがすぐ返した。


『何が』


「全部だ」


 それが一番正確だった。


 アリスが本当にやりたかったことは、また煙と叫びと導線に食われた。

 オールドユニオンのイメージアップ・キャンペーンは、結局また新開市の祭り体質に飲み込まれた。

 レオンの脚本は綺麗にいかなかったくせに、それでも結果だけ見れば十分に危険な神話を残した。

 そして“ゴースト・ヒーロー”たちは、その神話に一番よく似合う。


 義弘はそれを思うと、ますます頭が痛くなった。


 煙の向こうでは、まだアリスが人を起こし、SABLEが走り、GLASS VEILが声と姿勢で群衆を落ち着かせようとしているはずだ。

 そこへ戻らなければならない。

 戻って、収めなければならない。


 ヒーローとしてではなく、またしても現場の火消しとして。


 新開市の神話は、たいてい誰かが後から片づける。

 その片づけ役が自分であることに、義弘はもう半分くらい諦めていた。

 諦めていたが、だからといって慣れるわけではない。


 グリンフォンが上で大仰に旋回し、ハルニッシュ部隊が無駄なく足を速める。

 義弘は煙の向こうの列を見た。


 “ゴースト・ヒーロー”と新開市。

 この相性の良さは、たぶん今後もっと面倒になる。


 それがわかるからこそ、今はまず、この目の前の混乱を収めるしかなかった。

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