第292話 映えの前倒し
パレードは、表向きにはまだ成立していた。
アリスが歩く。
GLASS VEILが付き従う。
オールドユニオンの装飾されたセグメンタタが、祭りと警備の境界を曖昧にしたまま随伴し、ハルニッシュ部隊が外縁で秩序の顔を作る。
新開市民はその周囲を勝手に膨らませ、文句を言いたい者、見たい者、撮りたい者、便乗したい者、ただ騒ぎたい者が、同じ列の近くをそれぞれ別の理由で歩いていた。
アリスは相変わらず不機嫌だった。
白いフードの下、片目を隠す黒髪が少し揺れるたびに、見えている赤い目だけが露骨に冷たく光る。
だが彼女は、止まればちゃんと話を聞いた。
企業群に家族の仕事を壊された者。
オールドユニオンに祭りを“親善”と称して上書きされたと怒る者。
アリスへ勝手に期待し、勝手に失望し、それでも顔を見ると何か言いたくなる者。
そういう厄介な市民たちの声を、口は悪いまま、途中で切り捨てずに拾っていた。
「それ、私に言ってどうしたい」
ぶっきらぼうに言う。
「どうにかしてほしいんだよ!」
「雑」
「雑でもいいから!」
「よくない」
やり取りは投げやりだ。
だが投げやりな中に、ちゃんと相手の輪郭を見てしまう癖がある。
そのせいで、ただのイメージアップ・キャンペーンで終わらない空気が、また少しずつ場へ生まれ始めていた。
SABLEはその横で、少しだけ嬉しく、少しだけ困っていた。
久しぶりにアリスと並んで歩いている。
それはたしかに嬉しい。
だがアリスは全然楽しそうではないし、この列の周囲にまとわりついている新開市らしい雑音も、SABLEにはもう少し前よりよく見えるようになってしまっている。
「増えてる」
SABLEが小さく言った。
「何が」
「見てる人じゃなくて、待ってる人」
アリスは少しだけ目を細めた。
SABLEがそう言う時は、だいたい当たる。
列の外縁では、たしかに人の質が変わり始めていた。
アリスに文句を言いたい者とも、GLASS VEILを一目見たいだけの者とも違う。
もっと、“何かが起きる瞬間”を待っている顔。
特に導線屋たちの動きが、はっきりと変質していた。
*
導線屋の集団は、LC-07アーバレストがパレードに現れるかもしれない、という情報を掴んでいた。
誰が最初に流したのか、どこまでが本物でどこからが煽りなのか、その境目は彼らの中ではあまり重要ではない。
重要なのは、“来るかもしれない”という予感の方だ。
完全軍用寄りの大型重装機。
治安支援の顔をした戦闘機。
しかもいま、アリスとGLASS VEILが歩く公式パレードへ向かってくるかもしれない。
それだけで十分だった。
導線屋にとって、事故とは起きてから捌くものではない。
起きる前から、どこでどう見せるかを整えるものだ。
群衆がどこへ溜まれば“来た”が大きく見えるか。
どの角度から配信者へ流せば、危機の密度が高く見えるか。
どの滞留を作れば、ほんの少しの異常でも群衆が雪崩に見えるか。
彼らはさっそく仕事を始めた。
わざと見通しのいい交差点へ人を流す。
配信者に「あっちが画になる」と囁く。
列の本体へ不自然に平行する“見物列”を作り、群衆の向きを同じ方向へ揃え始める。
何も起きていないのに、もう“起きる場所”だけが先にできていく。
新開市では、それだけで空気が変わる。
危険そのものではなく、危険の気配。
それを待っている視線の集積。
それこそが、一番燃えやすい。
*
義弘は、その変化を、情報としてではなく現場の肌で読んだ。
最初に気づいたのは、怒っている市民の立ち位置が変わったことだ。
本来ならアリスへ文句を言いたい者たちは、もう少し本体へ寄る。
だがいまは違う。
彼らの一部が、文句を言うより先に“見晴らしのいい場所”へ流れている。
配信者も、発言を拾いたいのではなく、何かの侵入や衝突を抜ける角度へ先回りし始めている。
導線屋はさらに露骨で、本来滞留させる意味のない路地口や高架脇へ、ちょうどよく人を薄く溜めていた。
義弘は歩調を少し変えた。
トミーがその違和感にすぐ反応する。
「なんだ」
「導線が変わった」
「さっきから変だろ」
「さっきまでの変と違う」
義弘は短く言う。
白のサムライ・スーツは着ていない。
今日は最初から火消しのつもりだった。
だからこそ、今から起こるかもしれないものに対して、自分の手札が少ないことがすぐ頭へ浮かぶ。
「導線屋が“聞くための列”じゃなく、“起きるための列”を作ってる」
トミーが鼻を鳴らした。
「つまりロクでもねえことが来る」
「そういうことだ」
義弘は周囲を見回した。
アリスはまだ、市民の訴えを聞いている。
その横でSABLEが人の波を見ている。
オールドユニオンの随伴は、まだ外見上は秩序を保っている。
でも、その全部の外側で、見せ場の導線だけが育っている。
何が導線屋をそこまで駆り立てているのか。
義弘は調べる必要があると判断した。
「トミー」
「おう」
「真鍋の線へ一報入れろ。列の外縁がおかしい。導線屋が事故待ちの動きに変わってる」
「事故待ち、ね。新開市らしくて吐きそうだな」
悪態をつきながらも、トミーはすぐに動いた。
義弘はそのまま、列の本体から少しずつ外れていく。
*
アザドもまた、変化に気づいていた。
彼は元々、このパレードをまったくの“無風”にするつもりはなかった。
それでは絵として弱い。
少しばかりの揉め事。
些細な衝突。
そこへアリスとGLASS VEILが入り、秩序を取り戻す。
その程度の“制御されたトラブル”なら、むしろ広報としては好都合ですらある。
アザドが考える“映え”はその程度だった。
だが今、導線屋の動きは明らかにその線を越えている。
列の密度が不自然だ。
見晴らしのいい地点へ、意味もなく人が寄る。
配信者が、コメントを拾うより“来る瞬間”を待っている。
これは小さなトラブルではない。
もっと大きな何かを、誰かが先に知っている。
「変わったな」
アザドは低く言った。
随伴するハルニッシュ隊長が短く頷く。
「導線屋の流し方が、制御不能に寄っています」
「そうだ」
アザドは即座に判断した。
「セグメンタタはここへ残せ。アリスとGLASS VEILの護衛を優先。ハルニッシュは外縁を追え。導線屋を散らす」
「了解」
それで全部が解決するとは思っていない。
だが少なくとも、パレード本体へ直接火が入る前に、何かの準備線を噛み切る必要がある。
アザドの視線は一度だけアリスへ向いた。
彼女はまだ、市民の話を聞いている。
不機嫌そうに。
面倒そうに。
でも切らずに。
その姿は、オールドユニオンの用意した公式の列の中で、最も公式らしくない。
だからこそ、妙に効いてしまう。
「……面倒な時ほど、それらしい」
アザドは小さく呟いた。
感心ではない。
事実確認に近い。
*
義弘は導線屋たちの中に、“ゴースト・ヒーロー”の匂いを見出していた。
直接見えたわけではない。
だが、ただの見物の煽りではない。
現場の流れを読んで、どこに危機の予感を置けば群衆が最も燃えるかを知っている動き。
しかもその奥に、戦力の展開まで見込んだ手際がある。
「ゴースト・ヒーローか……」
義弘は歩きながら低く言った。
「今さら気づいたか?」
トミーが通信越しに返す。
「確信したのは今だ」
「で?」
「目的を知りたい」
義弘は少しだけ苛立っていた。
もし本当に大物が来るのなら、今日は白のサムライ・スーツで来るべきだった。
現場調整のつもりで来た自分の読みの甘さに、今さら腹が立つ。
「クソ」
小さく吐く。
「珍しいな、お前が自分に悪態つくの」
「珍しくない」
だが、後悔しても仕方ない。
義弘は今ある手札で追うしかない。
導線屋の流し方を逆算すると、一つの建物が浮かぶ。
列へ直接ではなく、“来そう”を見せるには最適な位置。
高架脇の半端に閉鎖されたビル。
未完成部分と補修足場が残り、低重心の大型機でも隠せるだけの空間がある。
同じ結論へ、ハルニッシュ部隊も到達していた。
*
義弘とハルニッシュ部隊は、アーバレストが隠されている建物でばったり出会った。
薄暗い搬入口。
半壊した壁面。
足場の影。
そこへ、別々の理屈で追ってきた両者がほぼ同時に入る。
最初に互いを認識した瞬間、双方ともほんの一拍だけ止まった。
敵ではない。
だが信用もしていない。
そういう間だ。
義弘が先に口を開く。
「治安機関に任せるべきだ」
ハルニッシュ部隊の隊長は一歩も引かなかった。
人の輪郭が残るぶんセグメンタタよりは表情があるが、それでも口調は硬い。
「ここはオールドユニオンの警備範囲だ」
「だから余計に引け。市政と治安機関の目がある今、勝手な実力行使は面倒が増えるだけだ」
「その面倒を防ぐために来ている」
「そう言って余計に増やすのがお前らだ」
義弘の声が少し低くなる。
トミーなら横で「仲良くしろ」とでも茶化しただろうが、今はそれどころではない。
ハルニッシュ側も譲らない。
「オールドユニオンの行事に対する脅威だ。こちらが処理する」
「いや、もう“行事”の範囲じゃないだろ」
義弘はそう言いながら、建物の奥の空気を感じ取っていた。
重い。
四脚で踏ん張るタイプの重量感。
しかもまだ完全に動かしていないのに、壁と床へ荷重が逃げている。
アーバレスト。
義弘は内心で舌打ちした。
サムライ・スーツがない状態で、これはかなりまずい。
*
レオン・ヴァルケンは、義弘とハルニッシュが予想より早く到達したことを知ると、即座に切り替えた。
導線屋たちの準備はまだ整っていない。
滞留の位置も、配信者のカメラも、煙幕を撒く班の呼吸も、もう一歩足りない。
本来ならあと数分、あと少しだけ“来るぞ感”を育てたかった。
だがそんなことはどうでもよくなる。
先に見つかって止められる方がつまらない。
「出せ」
レオンは笑って言った。
「今だ」
アーバレストは低く唸った。
四脚の重装機。
低重心。
都市の段差や瓦礫を踏み抜かず、むしろそれごと足場に変える圧。
背部の大型武器ラックはまだ本格兵装を載せていない。
それでも“何か載せられる”だけで十分怖い。
鎮圧用の顔をしているが、骨格と出力があまりにも軍用だ。
搬入口の影から、その巨体が動き出す。
義弘とハルニッシュ部隊が同時に身構えた。
「っ……!」
義弘が短く息を呑む。
この距離、この装備、この足場で来るのか、と一瞬だけ思う。
だが思った次の瞬間にはもう身体が動いている。
アーバレストは、四脚での安定性と二脚での圧力を両立した、嫌な機体だった。
今回のような早出しでも、その本質は変わらない。
四脚のまま一歩前へ出るだけで、床が“押される”感じになる。
白兵戦も可能なのではない。
白兵で押し潰せる出力がある。
それが一番厄介だ。
ハルニッシュ部隊が左右へ散って対応しようとする。
義弘は反射的に、建物の構造を見る。
未完成の梁。
落下の危険。
段差。
背部ラック。
どう切るか。
スーツがないならなおさら、正面火力ではなく“姿勢を崩す”しかない。
その時、別方向から黒い影が滑り込んだ。
WEREWOLF。
ドラウグル、リン、榊、舞原。
彼らにとっても、これは予定外だった。
本来なら、もっと“来そうな危機”を見せてから、影のヒーローとして鎮圧へ入るはずだった。
だがアーバレストが出てしまった以上、もう入るしかない。
レオンのマッチポンプに完全には納得していない。
それでも今ここで引けば、何者にもなれない。
その現実もまた、彼らには重かった。
三つ巴になる。
義弘。
ハルニッシュ。
WEREWOLF。
そして中央に、アーバレスト。
現場は一気に、予定されていた“映える事故”ではなく、準備不足のまま暴発した本物の現場へ変わった。
*
パレード側に残っていた導線屋たちは、その前倒しに動揺した。
「早い!」
「まだこっちできてない!」
「待て、煙幕の班どこだ!」
彼らは本来、もっと綺麗に“来る感”を育てたかった。
群衆をいい角度へ溜め、配信者へ指を差し、危機の密度を高めてから事故を見せるつもりだった。
だが義弘とハルニッシュが想定より早く辿り着き、アーバレストも前倒しで出た。
もう現場の脚本が崩れている。
混乱した導線屋たちは、半ば反射的に次の手を切った。
煙幕ドローン。
本来は群衆の視界を少しだけ乱し、滞留と恐怖を演出するためのものだ。
だが準備の整わないまま撒けば、演出ではなく実際の混乱になる。
それでも彼らは放った。
小型ドローンが群衆の頭上へ散り、次の瞬間、白っぽい煙が複数方向から一気に広がる。
匂いはきつくない。
毒でもない。
だが視界は壊れる。
列の見通しが消え、スマホのライトが余計に眩しく跳ね返る。
パレード本体にも、その混乱が届いた。
市民が悲鳴を上げる。
配信者が逆に興奮する。
GLASS VEILの周囲でセグメンタタが護衛線を狭める。
SABLEがアリスの方を見る。
アリスはすでに、話を聞く顔ではなく現場を見る顔に切り替わっていた。
「……来た」
小さく言う。
煙の向こうで、列はもう“声を聞く場”ではない。
何かが始まる前の気配ではなく、始まってしまった現場の匂いへ変わっている。
新開市の悪い祭りは、またしても前倒しで本番に入ろうとしていた。




