第289話 戻る場所
新開市は、懲りない。
懲りないし、忘れないし、忘れたふりもする。
外部勢力がまた好き勝手をやった、という呆れと、目の前で起きた騒乱の鮮烈さと、その最後に白と黒が並んで立った光景への熱狂を、矛盾したまま全部抱え込んで次の話題へ変えてしまう。
そういう街だった。
今回も、例外ではなかった。
アリス・スクワッドの背後にいたのがOCM海外部門だった。
アリス自身の口からそう告発されたことに、新開市民の多くはまず呆れた。
また外か。
また外部勢力か。
企業群でもオールドユニオンでも飽き足らず、今度はOCM海外部門まで入り込んで、この街の熱と鬱屈と正義感を勝手に煽っていたのか。
その手口の汚さに、さすがにうんざりした者も多い。
だが、そのあとの戦闘と混乱が、その“うんざり”を綺麗に冷ますわけでもなかった。
白いサムライ・スーツをまとった義弘が飛び込み、
アリスを“家族”だと言い切り、
黒いシュヴァロフがVX-32 TIGERへぶつかり、
最後にはブージャムと挟撃して獣を沈める。
その全部が、いかにも新開市民の好きそうな種類の“本物”だった。
最近では、義弘もアリスも前みたいに表へ露出して活動することは減っていた。
義弘は会社と現場と治安の間を走り回り、アリスはますます影へ潜る。
その間にGLASS VEILが来て、SABLEが注目を集め、企業ヒーローや海外偶像や、いろいろな“新しい顔”が新開市の画面へ入り込んできた。
義弘とアリスの人気が消えたわけではない。
ただ、日常の話題の表面からは、少し遠ざかっていた。
今回の件で、新開市民はそれを改めて思い出した。
やっぱり、あの二人だ。
義弘とアリスが並ぶと違う。
結局あそこが本物だ。
そんな雑で勝手な言い方が、動画のコメント欄にも、現場の立ち話にも、配信者の切り抜きにも、もう溢れ始めている。
呆れているのに、熱狂もする。
外部勢力にはうんざりなのに、その外部勢力とのぶつかり合いの中でいちばん強く光ったものを、また神話にしたがる。
新開市はやはり、新開市だった。
*
オールドユニオンの内部でも、今回の件に対する評価は割れていた。
推進派と協力派は、総じて満足していた。
満足、という言葉が正しいかは微妙だったが、少なくとも“成果”として見る目がある。
アリスは現場で中心へ立ち、
オールドユニオンのセグメンタタはその背後で“支援”した形になり、
結果としてアリス・スクワッドの熱は一度崩れ、
OCM海外部門の汚さは公衆の前で言葉にされた。
形として見れば、オールドユニオンがアリスを通じて新開市の秩序回復へ関わった、という解釈もできる。
少なくとも推進派と協力派は、そういう線でこの件を読みたがっていた。
だが撤退派と強硬派は、まったく違う顔をしていた。
撤退派は、相変わらずコストと統制の話をする。
アリスは今回、群衆の前でオールドユニオンをクソだと言った。
たとえその後にOCM海外部門をさらに下に置いたとしても、組織の人間が公然と自組織をそう表現した事実は重い。
しかも新開市での活動はなお不安定で、現地世論も一枚岩ではない。
これ以上ここへ拘る意味があるのか、と彼らはまた言い始めている。
強硬派はもっと露骨だった。
彼らにとって問題は、アリスの発言の“内容”よりも“型”だった。
ああいう場で、個人の裁量で、ああいう形の言葉を選ぶ。
組織として見れば、あまりに不確実で、あまりに例外的だ。
オールドユニオンの規範を、本当に必要な形で押し出すなら、あれはやはり危うすぎる。
アザドは、そういう反応が来ることを最初からわかっていた。
だから驚きはしない。
だが面倒ではある。
新開市はいつも、ひとつ火を消すと別の場所で制度と感情の帳尻を取りに来る。
*
その日のアリスは、義弘とSABLEに半ば引きずられるようにして療養施設へ連れて行かれた。
本当に“引きずられる”わけではない。
アリスは歩けるし、歩く。
ただ、帰る先を自分で選ぶ前に、義弘とSABLEがほとんど当然みたいな顔で療養施設の方へ連れていっただけだ。
そしてアリスも、そこを強く拒まなかった。
施設へ入ると、空気が変わる。
外の新開市のような、何かがすぐ“映え”や話題へ変わる軽さがない。
ここにはもっと、静かで具体的な生がある。
補助器具の小さな駆動音。
配線の匂い。
薬剤と消毒液。
それでも、人の気配はちゃんとあたたかい。
アリスが入ってくるのを見た瞬間、何人かの子供たちがほとんど反射で駆け寄ってきた。
「アリス!」
「おかえり!」
「どこ行ってたの!」
抱きつかれて、アリスはあからさまに顔をしかめる。
困るのだ。
でも振り払わない。
白いフードの裾を引かれ、細い腕へしがみつかれ、片目を隠す前髪の奥で赤い目が露骨にうるさそうな色になる。
「やめろ」
ぶっきらぼうに言う。
「暑い」
「暑くてもいい!」
「よくない」
言い返しながら、立ったまま逃げきれずにいる。
その様子を、少し離れた場所からSABLEが見ていた。
SABLEにとっては、こういうアリスももう珍しくはない。
戦うゴーストではなく、療養施設で子供に抱きつかれて困る、口の悪い年上の誰かみたいなアリス。
それでも、こうして無事にそこへ戻ってきたことには、胸の奥が少しほどけるような安堵があった。
シュヴァロフはというと、施設へ戻ってきた瞬間から働きすぎていた。
まずアリスの服の端についた煤や細かい埃を、肩位置の上腕で無言のうちに払う。
それから子供たちがぶつけた椅子の位置を直し、通路へ出たままになっていた補助カートを丁寧に寄せ、ついでみたいにアリスの足元に転がっていた細い工具まで拾ってしまう。
黒い怪物の見た目でやることが世話焼きすぎる。
「……なんでお前まで怒ってるみたいな顔してる」
アリスがシュヴァロフを見上げてぼそっと言うと、シュヴァロフは無言のまま、今度はアリスの袖口の裂けを点検し始めた。
返事にはならない。
だが、“また無茶をした”と言いたいのだろうことだけは伝わってくる。
その少し後で、アザドからの回線が入った。
*
アザドの声は、いつも通り事務的だった。
療養施設の空気には少しだけ似合わないくらい、整いすぎた声だ。
「撤退派と強硬派がうるさい」
開口一番、それだった。
アリスは椅子の背へ浅く寄りかかり、子供たちが少し離れたのを確認してから端末へ向き直る。
「そりゃそうだろ」
「他人事みたいに言うな」
「実際、クソだろ」
アリスは迷いなく言った。
「オールドユニオン」
義弘が少しだけ眉を動かす。
SABLEは言葉を挟まない。
真鍋ならここで、“回線に残ります”と冷たく指摘したかもしれないが、いまここにはいない。
端末の向こうで、アザドは短く息を吐いた。
「そのクソみたいな規範に、君も所属している」
その返しに、アリスは唇を少しだけ歪めた。
言い返せないのが腹立たしい。
オールドユニオンをクソだと思っている。
だが、そのクソみたいな規範の中へ自分から残ることを選んだのも事実だ。
「それで」
アリスは話を戻す。
「何が言いたい」
アザドは余計な前置きをしなかった。
「アリス・スクワッドのオールドユニオンへの攻撃は減っている」
「いいことじゃないか」
「違う」
即座に返る。
「減ったんじゃない。質が変わった。以前みたいに勢いで噛んでくるんじゃなく、慎重に、証拠を集める方向へ動き始めている」
アリスの目が、わずかに細くなる。
それは嫌な兆候だった。
雑な熱狂は危険だが、読みやすくもある。
問題なのは、そこから少数が学習し始めた時だ。
以前より静かに、以前より深く、以前より多くの断片を掴もうとしてくる。
それはもう、ただの“暴れている市民集団”ではない。
「危険な方向だ」
アザドが言う。
「少なくとも、前よりは」
アリスは端末を膝へ置いたまま少し考えた。
残党を探る。
それがいま一番手っ取り早い。
四散したアリス・スクワッドの線を追って、残っている核へ近づく。
早めにそうしたかった。
「探る」
彼女が短く言うと、すぐに三方向から止めが入った。
「駄目だ」
義弘が即座に言う。
「やめて」
SABLEもかぶせる。
端末の向こうではアザドが、もっと冷静な調子で続けた。
「やめろ」
アリスは露骨に不満そうな顔になる。
「なんで」
「手の内を見せすぎた」
義弘が言う。
「お前はもう、向こうに十分見られてる。次はああはいかない。完璧に対策される」
「それに」
SABLEが続ける。
「いまアリスが動いたら、相手は絶対そこを待ってる。前よりもっと、ちゃんと」
その言い方は、SABLE自身が最近そこまで考えられるようになったことを示していた。
少し前の彼女なら、自分が行く、と言ったかもしれない。
だが今は、止める側へ立っている。
アリスが前へ出る危険さを、以前よりはっきり知ってしまったからだ。
アリスはSABLEを見た。
少しだけ面白くない。
でも、まったく筋違いとも言えない。
アザドはもっと別の角度から止める。
「治安機関の捜査に協力しろ」
「は?」
「真鍋の線へオールドユニオンが協力する形にすれば、“アリスは守護者として新開市の秩序回復へ動いている”という絵が作れる」
義弘が小さくため息をついた。
そういうところだ、と言いたげな気配がある。
アザドは構わず続ける。
「実利の話だ。いま君が単独で潜っても、成果が出る保証はない。それより公的な捜査線へ情報を流し、守る側の立場を固めた方がいい」
アリスは明らかに不服だった。
「お前の目論見が叶うの、最悪」
「知っている」
アザドは淡々と返す。
「だが合理的だ」
義弘がそこへ、静かに重ねる。
「今回は大人しくしてろ」
「……命令?」
「頼んでる」
「違いある?」
「ある」
義弘は言った。
「お前が無事でいる方を優先してる」
その言葉に、アリスはすぐ返せなかった。
SABLEも何も言わず、ただ小さく頷いている。
シュヴァロフに至っては、同意のつもりなのか、いつの間にかアリスの端末をさりげなく少し遠ざけていた。
露骨すぎる。
アリスは嫌そうに顔をしかめた。
「……わかった」
投げやりみたいに言う。
「とりあえず、真鍋とオールドユニオンに任せる」
アザドはそれで十分だと判断したらしい。
「賢明だ」
「うるさい」
義弘はようやく少しだけ肩の力を抜いた。
SABLEも、安心したような困ったような顔でアリスを見る。
アリスはその視線がまた鬱陶しくて、フードを少し深くかぶり直した。
自分で動けないのは不満だ。
アザドの狙い通りになるのも嫌だ。
でも、いまはたしかに、一歩引かされている。
それが昔より少しだけ自然にできてしまうことにも、また少しだけ腹が立つ。
*
一方その頃、レオン・ヴァルケンは、散ってなお火種を残しているアリス・スクワッドの残党を前に、ずいぶんつまらなそうな顔をしていた。
「ヒーローってのはさ」
彼は言った。
古い倉庫を適当に使ったような仮拠点。
まだ散りきれていない残党たち。
WEREWOLFを装着した四人。
それらを前に、レオンはまるで講義でも始めるみたいに気軽だった。
「最初からヒーローってわけじゃない。地道に正義の活動をして、少しずつ信用を積んで、そうやってヒーローになっていくわけだ」
残党の中には、その言葉に本気で耳を傾ける者もいた。
ドラウグルは眉ひとつ動かさない。
リンはわずかに不機嫌そうで、榊は何か嫌な予感がしている顔、舞原は静かに観察している。
レオンはそこで、つまらなさそうに手を振った。
「そんなわけない」
あっさりと、自分で壊す。
「やっぱり派手な活躍が必要だ。強大な敵を倒すとか、誰もが“うわ、あいつら本物だ”って思う絵がないと駄目だろ」
その口調は、最初の数秒だけまともなことを言った反動もあって、余計に軽薄に聞こえた。
だがレオンは、本気でそう思っている。
地道な正義活動など、彼にとっては退屈の別名だ。
ヒーローを作るなら、やはり最初に必要なのは“強敵”と“鮮烈な勝ち方”だと信じている。
残党たちの目が、少しずつ上を向く。
WEREWOLFの四人も、話の行き先を読み始める。
レオンはにやりと笑った。
「その点、オールドユニオンはどうだ?」
そこでわざと少し間を置く。
聞き手の頭の中で、勝手に連想が育つ時間を与えるためだ。
「“ゴースト・ヒーロー”の最初の敵には、ふさわしくないか?」
その言葉は、場の全員へ別々の形で刺さった。
残党たちには、新しい旗印として。
企業群でもなく、曖昧な権力でもなく、いま目の前の“規範の側”として敵を与えられる響き。
ドラウグルには、武力の正当な行使先として。
リンには、今度こそ主役の席へ挑む舞台として。
榊には、個人の輪郭が危険に映える十分な敵として。
舞原には、新開市の真の自治を奪う外部規範への対抗として。
そしてレオン自身にとっては、もちろん次の舞台装置として。
彼は決して、ただオールドユニオンを嫌っているわけではない。
必要なら利用するし、壊すべきなら壊す。
今回はたまたま、“ゴースト・ヒーロー”という物語に最初の敵が必要で、その役にオールドユニオンがちょうどいいだけだ。
「考えてみろよ」
レオンは軽く笑う。
「ただ残党でいるより、“最初の敵”を持った方がずっとヒーローっぽい。しかも相手は規範を名乗る外の組織だ。わかりやすくて、気持ちいい」
その気持ちよさが、危険だった。
あまりにもわかりやすい。
あまりにも乗りやすい。
だからこそ、そこに乗った瞬間からもう誰かの脚本の中へ入る。
だが、それでも。
ドラウグルは思う。
武力を持つなら、向ける相手がいる。
リンは思う。
自分が“アリスではない何か”として立つなら、最初の敵は大きい方がいい。
榊は思う。
ここまで整えられた舞台を、逆用できないか。
舞原は思う。
新開市の自治を語るなら、外から規範を押しつける存在を敵にするのは理にかなっている。
レオンは、そういう揺れを全部見ていた。
彼は相手を説得しない。
欲しい物語の形を差し出して、勝手にそこへ自分をはめ込ませる。
そのやり方が、本当にうまかった。
新開市の表側では、アリスがとりあえず止められ、療養施設へ戻り、義弘とSABLEがほっとして、真鍋とアザドがそれぞれの思惑で次を整理している。
少しだけ収まったようにも見える。
だが、その裏ではもう次の敵が選ばれ始めている。
オールドユニオン。
ゴースト・ヒーロー。
最初の敵。
レオンの言葉は軽かった。
軽いくせに、そこからまた新しい火がつくのだと、誰もがどこかでわかってしまう。
だから新開市は、きっとまだ終わらない。
終わらないまま、今夜もまた次の騒ぎの形を、どこかの暗がりで勝手に育てている。




