第287話 語る行進
レオン・ヴァルケンは、人が一番よく燃える形を知っている。
怒りだけでは足りない。
正義感だけでも鈍い。
恐怖だけでは散ってしまう。
だから彼は、それらを一つの絵にまとめる。
誰もが見てしまい、しかも見たことを自分の物語にしたくなるような構図へ整える。そういう意味で言えば、彼は煽動者というより演出家に近かった。趣味が悪く、残酷で、しかも腕のいい演出家だ。
アリスが両手を上げ、群衆と武装の前で「私がオールドユニオンの真実を話す」と言い切った瞬間、レオンはその場の空気が変わるのをはっきり感じた。
止まった。
誰もが一瞬、次の一歩を選べなくなった。
セグメンタタも、アリス・スクワッドも、WEREWOLFの四人も、野次馬のスマホを掲げた腕ですら、ほんのわずかに時間の流れから外れた。
それは危険な変化だった。
変化は、放っておけばアリスに主導権を渡す。
群衆の視線が、レオンの仕込みから離れて、アリス自身の言葉へ集まり直してしまう。
それはつまらない。
いや、正確には、レオンの思い通りのつまらなさではない。
だから彼は、すぐに次の形を与えた。
「いいねえ!」
レオンは拍手でもしそうな声で言った。
場に直接立っているわけではない。
それでも、彼の言葉は中継機材と指示線を通して、奇妙なくらいよく届いた。
「だったら決まりだ! 本物のアリスが、自分の口で真実を話してくれるって言うんだ。ここで殴り合って終わるなんて失礼だろ? 連れて行こう。ちゃんと聞こうじゃないか。君らが求めてた“本物の真実”を!」
アリス・スクワッドの中に、どよめきが走る。
動揺と興奮が同時に広がる。
彼らはアリスを包囲していたが、どう扱えばいいのかをまだ決めきれていなかった。
敵として叩くのか。
象徴として掲げるのか。
奪うのか。
守るのか。
その全部が混ざっている。
そこへレオンは、“守る”を差し出した。
「連れて撤退しろ」
その声は軽いのに、異様に通る。
「本物のアリスを、君らが守って引くんだよ。いいじゃないか。真実の側が、本物を連れて歩く。こんなに新開市向きの絵はない」
雑多なアリス・スクワッドは、その言葉へすぐに飛びつけなかった。
だが飛びつけないこと自体が、むしろ従いやすさを生む。
考え切れない時、人は一番“映る”選択へ流れる。
「……囲め!」
誰かが言った。
最初に声を上げたのが誰かは、後になってもよくわからなくなるだろう。
そういう時の群衆は、誰か一人の命令ではなく、空気が口を持つ。
「アリスを下げろ!」
「真実を聞くんだろ!」
「この場じゃ危ない!」
「行くぞ!」
アリスは、その熱の立ち上がりを見ていた。
従うべきではない。
そう考える自分もいる。
でも、いまここで突っぱねて押し合いに戻せば、結局はさっきまでより悪い形で火が回る。
セグメンタタがいる。
WEREWOLFの四人がいる。
TIGERがいる。
野次馬もいる。
このまま戦場へ戻せば、もう誰も“真実”どころではなくなる。
だからアリスは、歯噛みしながらも従った。
従う、というより、次の手を考えるために乗った。
「勝手に触るな」
口調は悪い。
だが完全には拒絶しない。
その態度がまた、アリス・スクワッドの熱を妙に煽った。
本物だ、と誰もが思いたがる。
言葉がきつくても、あの無愛想さも、本物の輪郭の一部として消費されていく。
セグメンタタは、その動きの中で見落とされた。
いや、正確には、誰もそこへ意識を向ける余裕がなかった。
アリス・スクワッドの大半は、“アリスを囲んで運ぶ”という異様な状況に酔い始めている。
WEREWOLFの四人は四人で、目の前のアリスの変化を読んでいる。
野次馬はスマホ越しにしか見ていない。
TIGERは後方で低く沈み、その獣じみた圧だけを保っている。
結果として、アリスの後方にぴたりとつくセグメンタタまで含めて、すべてが一つの巨大で奇妙な行進列になった。
アリスを中心に、アリス・スクワッド。
そのやや外側を、WEREWOLFの四人。
さらに後ろから、セグメンタタの小部隊。
重い影としてついてくるVX-32 TIGER。
沿道には勝手についてくる野次馬と配信者と、何かの“歴史的瞬間”を目撃しているつもりの新開市民。
戦闘陣形のはずなのに、形だけ見れば巨大なパレードだった。
しかも、ひどく新開市らしい種類の。
危険なのに、誰も止められない。
むしろ見たい。
ついて行きたい。
自分も一部になりたい。
そういう街の悪い癖が、全部出ていた。
*
行進が始まると、熱は少しずつ別のものへ変わっていった。
最初はただの興奮だった。
本物のアリスを囲んで歩いている。
それだけで、アリス・スクワッドの多くは妙な使命感と高揚を感じていた。
だが、少し距離を進むうちに、その高揚は“話したい”へ変わる。
相手が神話の中心にいる本物なら、聞いてほしい。
自分たちの怒りも、不満も、正しさも、ちゃんと聞いてほしい。
群衆はそういう生き物だ。
「企業群、あいつら最初から隠してたんだ」
若い男がアリスの少し横で、夢中になったように言い始める。
簡易スーツを着ているが、まだ目の奥には市民としての青さが残っている。
「うちの親父、工場で働いてたんだけど、切られてさ。事故の責任も押しつけられて――」
「知ってる」
アリスがぶっきらぼうに返す。
「そういうの、だいたい知ってる」
男は一瞬だけ戸惑い、それから妙に嬉しそうな顔をした。
知っている。
それだけで、自分たちの怒りが“拾われた”ような気になるのだ。
別の女が口を挟む。
「オールドユニオンだって同じだよ。秩序とか安全とか言って、結局は自分たちの席を作りたいだけでしょ」
「そう」
アリスは即座に言う。
「そこは合ってる」
声に愛想はない。
慰めるような言い方もしない。
だが、嘘もつかない。
それがかえって彼らには効いた。
「でもさ!」
今度はもっと若い声だ。
配信機材を肩へかけたままの少年が、息を弾ませて言う。
「俺たちだって、ただ騒ぎたいわけじゃないんだよ。ちゃんと暴かなきゃって思ってる。誰もやらないから!」
「騒ぎたいのも混ざってる」
アリスは容赦なく言った。
「全部が全部、正義じゃない」
少年はぐっと詰まる。
だが反論もできない。
自分たちの中に、承認欲求も、映えたい気持ちも、鬱屈も混ざっていることはわかっている。
「でも……」
「でも、誰も拾わなかった怒りがあるのもわかる」
アリスはそう付け足した。
口は悪い。
優しい言葉は選ばない。
それでも一人ひとりの訴えを、ちゃんと切り捨てない。
その在り方が、かえって場を静かに変えていく。
沿道の野次馬の中には、すでに「なんだこれ」「パレードかよ」と半笑いで撮っていた者もいた。
だが行進の中心でアリスが一人ずつ話を聞き始めると、その笑いも妙に引っ込む。
面白半分で見ていた絵が、別のものへ変わりかけていたからだ。
榊圭吾は、それを見て、思わず漏らした。
「……宗教画だな」
隣にいた舞原朱音が目だけで問う。
榊は視線を外さずに言った。
「一人一人の悩みを聞いてる。口は悪いし、綺麗な言葉も使わないのに、構図だけは最悪に映える。こういうの、組織じゃ絶対に作れない」
榊にとって“映え”は、企業や組織が与える舞台装置ではない。
個人が、自分の輪郭を剥き出しにした瞬間にしか本当には生まれない。
いまアリスはまさに、それをやっていた。
舞原朱音は、もっと危険な熱でその光景を見ていた。
アリスは新開市の真の自治の象徴になり得る。
企業でもオールドユニオンでもない。
群衆の中心に置かれてなお、その場の声を聞き、必要なら組織をクソだと言い切る。
それは舞原の信仰を、ほとんど完成に近い形で刺激した。
「ほら」
舞原は囁く。
「やっぱり、あの人は新開市のもの」
リンは、その言葉を聞きながら胸の奥が痛んだ。
自分も正面に立ちたかった。
企業ヒーローとして、綺麗に勝ちたかった。
新しい顔として、企業群の主役級になれるはずだった。
でも、どうやっても届かない。
アリスは、愛想がない。
口も悪い。
整ってもいない。
それなのに、一人ずつ話を聞くだけで、どうしようもなく中心になってしまう。
届かない。
その事実が苦しい。
苦しいのに、だからこそ挑みたいという熱も湧く。
リンは自分の中のその矛盾に、半ば酔ってすらいた。
ドラウグルは別の意味で悔しがっていた。
アリスは聞く。
理解もする。
でも、あくまで人の声から入る。
武力を先に置かない。
彼にとってはそこがもどかしい。
「そこまで見るなら」
ドラウグルは低く呟く。
「もっと最初から牙を認めろよ……」
自分たち兄弟姉妹が、ただ隠れて耐えるだけでは足りないことを。
武力が必要な時があることを。
アリスがもう少しそこを肯定してくれれば、世界は別の形になったかもしれない。
そんな悔しさが、彼の中にはずっと残っていた。
アリスは、その四人の視線の違いに全部は気づかない。
だが、行進の空気が最初の熱狂から少し変わったことは感じていた。
聞けば、答えたくなる。
答えれば、また別の訴えが来る。
新開市は面倒だ。
うるさい。
勝手で、すぐ調子に乗る。
でも嫌いかと言われると、そこは曖昧になる。
「お前ら、ほんと面倒」
アリスが吐き捨てるように言うと、周囲の何人かが少しだけ笑った。
罵倒なのに、それすら妙に親密な響きへ変わってしまう。
新開市はそういう街だった。
*
終着点は、レオンが最初から用意していた。
広い。
古い配送センター跡を半ば強引に開いたような空間で、仮設照明と足場が組まれ、ケーブルが幾重にも走り、撮影用のクレーンカメラまで持ち込まれている。
配信用、記録用、編集用、拡散用。
全部がある。
ここで起きることを、ただ見せるのではなく、何度でも切り売りできる形へするための設備だ。
アリスはそれを見て、すぐにレオンの意図を理解した。
最初から、これが狙いだった。
アリスを騒乱の中心へ据え、群衆と武装と告発を全部ひとつの舞台にまとめる。
そしてその主役を、自分の演出で世界へ流す。
最低だ、と思った。
でも同時に、ここまで来たら逆用できる、とも思った。
レオン・ヴァルケンは、照明の下で機嫌よく腕を広げていた。
「ようこそ」
彼は笑う。
「いやあ、綺麗な絵になったな。本物のアリスが、自分の口で真実を語る。しかもこんなにたくさんの証人つきだ。最高じゃないか」
アリスは足を止める。
WEREWOLFの四人も、アリス・スクワッドも、セグメンタタも、TIGERも、みんな半端な距離で輪を作る。
引き返せない。
押し返せない。
だからこそ、この一歩の意味が重い。
レオンはなおも楽しそうだった。
「さあ、話してくれよ。オールドユニオンの真実を。君がそこにいる限り、誰だって聞きたがる」
アリスはレオンを見た。
そして、群衆を見る。
アリス・スクワッドを見る。
セグメンタタを見る。
沿道からついてきた野次馬の顔も、少しだけ見た。
ここで言うべきことは、もう決まっている。
道中で、一人ずつ話を聞いた時に決まった。
ただオールドユニオンを叩くだけでは足りない。
オールドユニオンがクソなのは、もうみんな知っている。
本当に言うべきなのは、そのさらに奥だ。
アリスは息を吸った。
白いフードの影の下、赤い目だけが真っ直ぐレオンへ向く。
「オールドユニオンはクソだ」
その一言で、空気が変わる。
セグメンタタの何機かがわずかに揺れた。
アリス・スクワッド側は、意外でもあり、期待通りでもあるという顔でざわめく。
アリスは止まらない。
「だけど、まっとうに規範を遵守する、真面目で不愛想なクソだ」
レオンの口元の笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
アリスはオールドユニオンを庇っていない。
だが、そこに“線”を引いた。
「だけど、お前たちは———」
その続きは、最初の二句よりずっと重かった。
「お前たちOCM海外部門は、子供を人質に使おうとするクソ以下の存在だ」
言い切った瞬間、場のどこかで誰かが息を呑んだ。
子供。
人質。
その言葉は、抽象的な権力批判よりもずっと生々しい。
群衆の熱へ、そのまま直接突き刺さる種類の事実だった。
レオンの笑みが、今度ははっきり薄くなる。
彼はすぐに表情を戻そうとしたが、一拍だけ遅れた。
その一拍が、アリスには十分だった。
アリス・スクワッドの中にも動揺が走る。
企業群やオールドユニオンへの怒りと違い、それは少し種類が違った。
子供を人質に使う。
その一線の悪さは、新開市の雑な正義感ですら、簡単には飲み込みにくい。
舞原朱音の目が見開かれる。
榊は言葉を失い、リンは一瞬だけ、アリスに主役を奪われる苦しさすら忘れた。
ドラウグルは、武力の話ではなく、もっと単純な最低限の線を踏み越えた者への嫌悪を、静かに噛みしめる。
その直後だった。
白い閃きが、照明の縁を切って落ちてきた。
誰かが叫ぶより速く、
白のサムライ・スーツをまとったサムライ・ヒーローが、アリスの位置へ飛び込む。
義弘だった。
彼はニュース越しにこの場を見て、止めろと呻き、だが止めに行くしかなかった。
白い装甲は照明を受けて異様に鮮烈で、いまこの場へ飛び込んできたそれは、まるでレオンの舞台を真横から断ち切る刃そのものみたいだった。
アリスのすぐ側へ着地する。
床が鳴り、白い輪郭が立つ。
レオンがようやく、はっきりと顔をしかめた。
「……来ると思ったよ」
彼は笑おうとしたが、その声の芯には少しだけ苛立ちが混ざる。
アリスを主役に据えた舞台へ、義弘がこの瞬間に入る。
それは絵としてはあまりに強すぎて、もはやレオン一人の演出では制御しきれない。
義弘はレオンを見なかった。
先にアリスを見る。
アリスは、その視線を一度だけ受けた。
何も言わない。
だが、それで足りた。
来たのだ、とわかる。
義弘はいつも、こういう最悪な時に、ぎりぎりで来る。
それから義弘は前を向いた。
白のサムライ・スーツ。
群衆の中心の黒いゴースト。
その二つが、初めて完全に同じ画面の中心へ立つ。
新開市の野次馬たちは、もうほとんど息を忘れていた。
スマホを持つ手だけが震えている。
誰もがわかっている。
これはさっきまでの“奇妙なパレード”とは違う。
もっと決定的な瞬間へ変わった。
アリスは、群衆に担がれた神話ではない。
いまや自分の言葉で敵を断罪した告発者だ。
そして義弘は、その告発に応じて飛び込んできた白い実働の刃だった。
レオンの舞台は、ここで別の物語へひっくり返り始めている。
アリスは小さく息を吐いた。
疲れていた。
でも、まだ終わっていない。
義弘も、白い装甲の内側で短く呼吸を整える。
ここから先は、止めるために来た者として動かなければならない。
アリスが言葉で切り開いた一線を、今度は現実の側で繋がなければならない。
その中心で、レオン・ヴァルケンだけが、ほんのわずかに首を傾げた。
「いいね」
小さく、ほとんど独り言みたいに言う。
「やっぱり最高だな、新開市」
それは敗北の呟きではなかった。
むしろ、さらに面白くなったと本気で思っている声だった。
そこが、この男の最悪なところだと、アリスは改めて思う。
照明は強く、
群衆は息を詰め、
白と黒が並び立ち、
狼たちはまだ動かず、
虎は低く唸り、
セグメンタタは判断を揺らしている。
新開市の夜は、いままた一段、戻れないところまで来ていた。




