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第284話 狼の配り方

 真鍋の捜査班がレオンの施設跡へ入った時には、火薬の匂いより先に、妙に乾いた静けさが残っていた。


 撤収のあとの静けさだ、と真鍋は思った。

 戦闘の余熱や機械の焦げた臭いはある。だが、そこにまだ誰かが籠もっている気配はない。抜くべきものを抜き、燃やすべきものを燃やし、捨てるべき残骸だけを捨てて去ったあとの静けさだ。

 手際がいい。

 腹立たしいほどに。


「外周、押さえました」


 班員の報告が飛ぶ。


「地下二層まで安全確認済み。重機搬送痕あり。大型機の整備区画だった可能性が高いです」


「記録を優先して」


 真鍋は短く返した。


「残留データ、焼損痕、搬出方向。あと、ここで“何が動いたか”の形跡を拾ってください」


 言いながら、自分でも半ばわかっていた。

 残骸や焦げ跡はあっても、肝心なものはかなり持っていかれている。レオン・ヴァルケンは、負け筋を引いた時の撤き方が速い。

 あの種の人間は、負けること自体を恐れない。

 つまらない負け方を嫌うだけだ。


 今回は、その“次に使える負け方”をして逃げたのだろう。

 そう考えると、余計に不愉快だった。


 真鍋の少し後ろを、SABLEが静かに歩いていた。


 彼女は今や、単なるGLASS VEILの最年少ではない。

 無表情の偶像として担がれた少女は、ここ数か月の出来事の中で、アリスのやり方を少しずつ読む側へ変わり始めている。

 白と淡い銀の衣装ではなく、今日はもっと現場向きの軽い装いだ。

 その横には、当然のようにシュヴァロフがいた。


 深い闇そのものみたいな黒。

 光を吸う装甲。

 四メートル級の細い怪物。

 背中の巨大な腕と、鳥じみた脚。

 知らなければ悪夢の類にしか見えないはずなのに、SABLEの半歩後ろへ付き、足場の危ういところでは先回りして細い上腕で配線をどかし、落ちかけたパネルをそっと支えてしまうものだから、どうにも“気難しい大きな猫”の気配が消えない。


 SABLEは言葉少なに現場を見ていた。


 壁に残る裂断痕。

 床に走る抉れた跡。

 大型機が低い姿勢で走った時にしかつかない重量の偏り。

 そして、ブージャムのものとわかる独特の噛み跡。


 彼女はしゃがみ込み、床へ触れた。


「……大型ドローンが出てる」


 誰にともなく言う。


 真鍋が視線だけ向ける。


「わかるの?」


「うん」


 SABLEは短く答えた。


「しかも、ただの大型機じゃない。追う方の動き。ブージャムと噛み合ってる」


 真鍋は何も言わない。

 だがその沈黙は、続きを話せ、という意味だった。


 SABLEは少しずつ、現場の流れを組み立てていく。


「アリスはここに来た。たぶん最初から施設侵入が目的。大型ドローンが出たから、ブージャムを呼んだ」


 少し歩いて、別の通路を見る。

 HOUNDの残骸が一機、壁際で不自然に止まっている。


「でも、ブージャムは勝ちに行ってない」


「どうしてそう思うの」


 真鍋が初めて口を挟んだ。


「傷のつき方が、通すための動きだから」


 SABLEは答える。


「回避が多い。正面から決めに行ってない。アリスが中へ入る時間を作ってる」


 それは、義弘がやる推理に似ていた。

 相手の行動ではなく、目的から逆算する考え方。

 SABLE自身、それに気づいてはいなかったが、彼女はもうかなり義弘とアリスの両方から影響を受け始めている。


「で、レオンはそれを読んだ」


 SABLEはさらに言った。


「だから警備を上げた。HOUNDを出した」


 真鍋は頷いた。

 そこまでは彼女も、現場の配置換えと残骸の偏りから同意できる。


 だがSABLEは、そこで終わらなかった。


「……それだけじゃない」


 少しだけ間が空く。


「アリス、助けられてる」


 真鍋の目がわずかに細くなった。


「誰に」


「わからない」


 SABLEは即答した。


「でもここ、HOUNDの減り方が変。アリスとブージャムだけじゃ、こうはならない。外でも中でも、別の誰かが手を入れてる」


 シュヴァロフが、その時だけわずかに頭部を動かした。

 何かに反応した、というより、その違和感を肯定したような動きだった。


 SABLEは壁の抉れを見た。

 それはブージャムでもTIGERでもない。

 別の足運び。

 別の介入。

 しかも目立たないようにやっている。


「アリス、待ち伏せ食らってる」


 SABLEは静かに言った。


「でも、それを壊したのはアリスだけじゃない」


 真鍋はその言葉を頭の中で転がした。

 現場の証拠と、SABLEの読解。

 全部をそのまま信じるわけにはいかない。

 だが、軽く流していい違和感でもない。


「その“誰か”が敵か味方かも不明、ということね」


「うん」


 SABLEは立ち上がる。


「でも、少なくともアリスは一人じゃなかった」


 その言い方の中には、ほんの少しだけ安堵があった。

 それに気づいたのは、たぶんシュヴァロフだけだっただろう。

 黒い怪物じみた機体は、何も言わずにSABLEの少し前へ出て、崩れかけた床板の端を押さえた。


     *


 少し離れた場所で、その様子を見ている者たちがいた。


 OCM海外部門の観測要員だ。

 施設が押さえられたあとも、周辺にはまだ細い目が残っている。

 その報告は、ほどなくしてレオン・ヴァルケンのもとへ届いた。


 レオンは、もう別の安全圏へ移っていた。

 仮設の作戦室。

 壁へ投げ出されたモニタの一つに、SABLEとシュヴァロフの映像が映る。


「へえ」


 レオンはその映像を見て、面白そうに目を細めた。


「読むじゃないか」


 部下が淡々と報告を続ける。


「SABLEは、現場痕跡から大型機の出撃とブージャムの戦闘、アリスの潜入優先を推測しました。加えて、別の支援者がいた可能性にも到達しています」


「いいねえ」


 レオンは笑った。


「ちゃんとアリスの近くにいる子って感じだ」


 そのまま数秒、黙って映像を見る。

 シュヴァロフの立ち位置。

 SABLEの目線。

 真鍋との距離感。

 全部を一度で拾うように。


「でも違うな」


 レオンが言った。


 部下が顔を上げる。


「何がですか」


「前回の支援者だよ。SABLEたちなら、こういう入り方にはならない」


 レオンは椅子へ深く座り直した。


「SABLEとその黒いお守りが現場にいたなら、もっと素直にアリスへ寄る。少なくとも、支援の癖が違う。あの夜、入ってたのは別の影だ」


 その言い方には確信があった。

 まだ名前は知らない。

 正体も掴んでいない。

 だが、盤面に“喜ばない少数”がいることを、レオンはもう匂いで理解している。


「なるほど」


 部下は短く頷いた。


「では、TIGERの件は」


「もちろんやる」


 レオンは即答した。


「せっかく持ってきたんだ。街に還元しないと失礼だろ?」


 その笑い方は、いつも通り軽い。

 だが、やっていることは悪質そのものだった。


     *


 “出血大サービス”は、その日の夕方には始まった。


 アリス・スクワッドの主要拠点の一つ。

 元は古い倉庫だった場所が、今では配信スタジオと武装集積所と煽動の演台を足して割ったような空間になっている。

 人が集まり、声が飛び、何かが常に編集されている。

 その真ん中へ、レオン・ヴァルケンは笑いながら現れた。


「諸君」


 彼は両手を広げる。


「景気はどうだい」


 歓声が返る。

 パワードスーツを着た者たちが肩を叩き合い、配信者たちはもうカメラを回している。

 レオンはそういう熱を浴びるのが上手い。

 上手いというより、熱そのものを増幅する才能がある。


「企業群もオールドユニオンも、ようやく君らを“本物の脅威”として見始めた」


 彼は気分よく言った。


「いいねえ。最高だ。真実ってのは、嫌がられた時に初めて価値が出る」


 笑いと歓声。

 何人かは本気で感動している顔をしていた。

 自分たちは市民の正義なのだと、そう信じるための言葉を、レオンはいつも一番“映える”形で与える。


「そこでだ」


 彼はわざと少し間を置いた。


「今日は、俺から君らへプレゼントがある」


 空気が膨らむ。

 期待が集まる。

 レオンはその期待の温度を十分に感じてから、倉庫奥の隔壁を開かせた。


 重い駆動音。


 姿を現したのは、VX-32 TIGERだった。


 獣のように低い姿勢。

 前肢の裂断クロー。

 大型ドローン特有の威圧感。

 だがそれは企業群やオールドユニオンが持つ“組織の兵器”ではなく、今この瞬間、アリス・スクワッドへ“譲渡”される獣だった。


 一瞬の静寂。

 次の瞬間には爆発したみたいに歓声が上がった。


「マジかよ!」


「やばっ!」


「これ、俺たちの!?」


「企業もオールドユニオンも踏み潰せるじゃん!」


 レオンはその反応を、実に満足そうに眺めていた。


「そう。出血大サービスだ」


 彼は笑う。


「せっかく新開市に持ってきたんだ。君らみたいな“真実の側”に渡した方が、よほど有意義だろ?」


 その言葉に、ますます場は熱を帯びる。

 TIGERの巨大さ、危険さ、希少さ。

 それら全部が今、正義の旗印みたいに扱われ始めている。

 市民ヒーロー集団が大型獣を持つ。

 それを拍手で迎える。

 新開市の空気は、もうかなり危ないところまで来ていた。


     *


 だが、その熱狂の中にも、温度差はある。


 ドラウグルは歓声を上げなかった。

 リンも、目だけを細めている。

 榊圭吾はTIGERの置かれ方と人の流れを見ていて、舞原朱音は歓声の広がり方を逆算していた。


「……何を考えてる」


 リンが小さく言う。


 企業に捨てられた彼女にとって、兵器を与えられるということ自体は甘い誘惑ではある。

 だが、だからこそわかる。

 こんなに都合よく“力”が落ちてくる時は、その力を使わせた先まで設計されている。


「せっかく新開市に持ち込んだ大型戦力だぞ」


 ドラウグルが低く言う。


「それをただ同然で放出するか、普通」


「普通じゃないからでしょ」


 榊は乾いた口調で返した。

 目はまだTIGERと群衆の間を測っている。


「レオン・ヴァルケンは、面白ければ自分の手駒でも切る。問題は、何を面白がってるかだ」


 舞原は静かに言う。


「試しているのよ。誰がこれを“贈り物”として受け取って、誰が“罠”として見るか」


 四人とも、そこには同意した。


 アリス・スクワッドの大半は歓喜している。

 大型の牙を得た。

 これで企業群にもオールドユニオンにも対抗できる。

 そう思っている。

 だがその中で、喜びきれない者たちがいる。

 それが誰かを、たぶんレオンも見ている。


     *


 見ていた。


 レオン・ヴァルケンは、大衆を煽る時よりも、その熱狂の中で温度の違う顔を見つける時の方が、むしろ静かだった。


 歓声。

 拍手。

 スマホのライト。

 配信のコメントが高速で流れ、誰もが“歴史的瞬間”を撮っているつもりでいる。

 その中心で、TIGERは獣のように低く沈み、まるで祭りの神輿でもあるみたいに見えていた。


 レオンはその周囲を眺める。

 喜んでいる連中。

 本気で酔っている連中。

 “正義”と“武装”が結びついたことに高揚している連中。


 そして、その中で一段だけ温度の低い者たち。


 疑問。

 警戒。

 不満。

 あるいは、もっと別の形の野心。


 レオンは薄く笑った。


「いいね」


 誰にも聞こえないくらいの声で呟く。


「やっぱりいた」


 部下が横で反応する。


「何がです」


「“本物”の種だよ」


 レオンは視線を動かさずに答える。


「群衆向けの玩具を配って、素直に喜ばないやつ。そういうのが一番面白い」


 彼にとって、TIGERは群衆へ撒く獣だった。

 だがそれだけでは足りない。

 群衆の中から、操られるだけでは終わらない核を引っ張り出す必要がある。

 喜ばない者。

 餌を前にしても、盤面を見る者。

 そいつこそが、今の新開市で“ゴースト・ヒーロー”になりかけている影だ。


 レオンはようやく、部下の方を見た。


「WEREWOLFを持ってこい」


 部下が一瞬だけ目を瞬いた。

 その名前の意味を知っているからだ。


 OCM海外部門製の新型軍用パワードスーツ。

 人間が着る前提の“狩り”特化装備。

 市街地での追跡・制圧・白兵。

 煙幕やジャミング環境でも獲物を読む感知補助。

 対ヒーロー、対エージェント向けの、嫌な近接性能。

 群衆用ではない。

 明らかに“選ばれた個人”へ渡す牙だ。


「誰に渡します」


 レオンは口角を上げる。


「一番喜んでいないやつにくれてやる」


 その言い方は軽かった。

 だが、その軽さの裏にある選別の鋭さは冷たい。


 群衆には虎を。

 本物になりたがる影には狼を。


 新開市の祭りは、また一段深いところまで降り始めていた。

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