第282話 四人の影
雑多な集団であっても、数が集まり、時間が経ち、火の回り方が一定の癖を持ち始めると、その中から核のようなものが生まれる。
新開市で膨れ上がった“アリス・スクワッド”も、もう単なる寄せ集めではなくなりつつあった。
動画配信者が騒ぎ、ハッカーが資料を抜き、元導線屋が裏線を通し、企業に切られた人間が企業を叩き、お調子者がそれを“映え”へ変える。最初のうちは、その雑さそのものが魅力だった。誰が中心でもない。だからこそ、誰もが自分の正義や怒りや退屈しのぎをそこへ持ち込めた。
だが、雑多であることは、永遠には続かない。
いずれ誰かが、集団の中に流れる衝動へ名前をつける。
あるいは、衝動の方がその誰かを選び取る。
いまアリス・スクワッドの内部で、静かに形を取り始めていたのは、そういう“選ばれた者たち”だった。
*
ドラウグルは、NECROテックの兄弟姉妹たちの中でも、あまり好かれるタイプではなかった。
アリスとも、オスカー・ラインハルトとも、根本の考え方が違う。
オスカーは冷たくても線を見ていたし、アリスは言葉が少なくても守るべきもののために自分を削る。どちらも、武力それ自体を信仰しているわけではない。
だがドラウグルは違った。
守るためには、最初から牙を持つべきだ。
相手が兵器なら、こちらも兵器でなければ話にならない。
隠れ、生き延び、必要最低限の線だけを残すやり方は、結局いつか大きな組織に踏みにじられる。そう考えている。
その思想は、NECROテックの“兄弟姉妹”の中では異端に近かった。
静かな生存や、裏導線の維持や、目立たない相互扶助では足りない。
奪われないためには、最初から奪うだけの力を持たなければならない。
それがドラウグルの信条だった。
彼は長身ではない。むしろ、遠目には痩せた男に見える。
だが近くで見ると、余計な肉も動きも削ぎ落とされすぎていて、かえって危うい。表情は薄く、感情の起伏も読み取りにくい。そのかわり目だけが妙に澄んでいて、だからこそ話している内容の過激さが余計に際立った。
「隠れ続けるのは、選択じゃなくて敗北だ」
ドラウグルは言う。
声は大きくない。
しかし言葉の芯だけが硬い。
「兄弟姉妹が生き延びるために必要なのは、もっと静かな配線じゃない。相手が踏み込む前に、踏み込んだら死ぬと思わせる武力だ」
その言葉に、正面から反論する者は少ない。
だが同意もされない。
だから彼はずっと、アリス・スクワッドのような雑多な集団の縁へ流れ着くしかなかった。
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シロサギ・リンは、企業群に切られてから、しばらく自分の顔を見るのが嫌になっていた。
鏡の中には、相変わらず整った顔があった。
対外的には穏やかで、笑顔を崩さず、言葉遣いも丁寧で、企業ヒーローの“新しい顔”として最初から用意されたような輪郭。
だがその顔が、いまはひどく空虚に見える。
企業群は、彼女に“綺麗に勝つ”ことを求めた。
市民の前で整ったヒーローとして立ち、安全と秩序と信頼を企業ブランドとして示す顔になれと。
リンも、それに応えようとしてきた。
アリスのような危うい本物とも、義弘のような泥臭い現場の強さとも違う、企業が欲しがる理想像として。
けれど結果はどうだったか。
アリスがいる限り、自分たちは霞む。
義弘がいる限り、自分たちは足りない。
GLASS VEILが来れば、今度は偶像性まで奪われる。
そして最後に企業群は、リンを切った。
主役にするはずだった顔を、真っ先に“失格”として処理した。
その事実が、彼女の中の何かを決定的に捻じ曲げた。
もう企業ヒーローではない。
サムライ・ヒーローの列へ入りたいわけでもない。
義弘の白のような、正面から見える象徴の側には行けない。
なら何になる。
リンは、その答えをアリス・スクワッドの中で見つけかけていた。
“アリス”になる。
もちろん本物のアリスそのものにはなれない。
彼女も、そこまではわかっている。
だが、“アリス・スクワッドの中でアリスになる”ことはできるかもしれない。
中心ではなくても、影の顔になる。
企業の理想像ではなく、街の暗い側で求められる顔になる。
その執念は、いまのリンを支えるほとんど唯一の熱だった。
彼女は鏡を見るたび、そこに映る“綺麗なだけの顔”へ静かに苛立った。
だからこそ、夜の街で仮面や簡易装備を身につけ、名前のないまま動く時の方が、ずっと呼吸が楽だった。
*
榊圭吾は、折原連とは別の方向へ壊れた導線屋だった。
折原が群衆と偶像を接続し、“巨大なアリス”のようなものを夢見たのに対し、榊はむしろ逆だった。
群衆は舞台だが、舞台そのものは主役ではない。
本当に映えるのは、個々人が危険と選択の中で、たった一度だけ自分の輪郭を剥き出しにした瞬間だ。
組織や企業や大きな偶像は、あくまで光を当てる装置でしかない。
“映え”はそこから自動的に生まれるものではない。
誰かが個人として立たなければ、本当の映えにはならない。
榊の美意識は、その一点に執着していた。
だから彼は企業も組織も嫌いだった。
組織が与える役は、映えを安全にする。
安全になった映えは、もう映えではない。
新開市が面白いのは、そこから外れた人間たちが、ときどき本当に綺麗に見えてしまうからだ。
彼はそう信じている。
細身で、髪は適当にまとめ、目つきだけが妙に鋭い。
導線を見ればすぐに、その先でどんな顔が一番“映る”か想像できる。
その想像力があるからこそ、彼は折原とはまた別の意味で危険だった。
「企業もオールドユニオンも勘違いしてる」
榊は乾いた口調で言う。
「映えは与えるもんじゃない。与えられた時点で、もう少し死んでる。人は、自分で踏み込んだ瞬間にしか本当には映えない」
それは新開市的には、ひどく理解しやすく、ひどく危険な思想でもあった。
*
舞原朱音は、元グランド・コンコルディアの扇動者だった。
彼女の話すことは、一見すると穏やかに聞こえる。
声は高すぎず、低すぎず、人の耳に入りやすい。
しかも言葉の選び方が巧い。
正義、自由、中立、自治、市民。
そういった言葉を、いかにも当たり前の前提みたいに並べる。
だがその奥には、かなり危険な信仰があった。
アリスは新開市のものだ。
義弘も新開市のものだ。
新開市はどの勢力にも属さない、真の中立であるべきだ。
企業群も、オールドユニオンも、アライアンスも、OCMも、その外側で利用しようとするな。
中立とは、ただ静かでいることではない。
新開市が自分で自分の中心を持つことだ。
その思想は、聞きようによってはもっともらしい。
だが行き着く先は、他勢力の線を全部“侵入”として扱う、過剰に攻撃的な自治信仰だった。
舞原はアリスや義弘を、個人として敬っているのではない。
彼らを、新開市という場が生んだ象徴として信仰している。
だからこそ、その二人が組織に属していることにも、どこか内心では納得していない。
属していても、真に属しているのは新開市だ。
彼女は本気でそう思っていた。
「組織は、いつも“管理”の言葉で街を奪う」
舞原は静かに言う。
「でもアリスも義弘も、本当は新開市のもの。あの人たちを見ればわかる。外から与えられた役ではなく、この街が必要として生んだものなんだから」
その言葉は危うい。
だが危ういからこそ、人によってはひどく甘く聞こえる。
*
この四人が初めてまともに顔を揃えたのは、アリス・スクワッドの雑多な倉庫群の、さらに奥だった。
表のアリス・スクワッドはまだ騒がしい。
動画配信者が騒ぎ、ハッカーが資料を抜き、お調子者が勝手なロゴを作って盛り上がる。
だがその奥に、別の静けさが生まれ始めていた。
それがこの四人だった。
ドラウグル。
リン。
榊圭吾。
舞原朱音。
四人とも、それぞれ違う理由で今の自分をどん底だと思っていた。
NECROテックの生き残りとして静かな延命だけを強いられること。
企業ヒーロー失格の烙印を押され、きれいな主役になれなかったこと。
個人の輝きより組織の演出ばかりが優先される街の空気。
新開市がどこにも属さないはずなのに、外の勢力が勝手に線を引きたがること。
そして何より、OCM海外部門がアリス・スクワッドを支援しながら、その目標そのものは結局アリスと義弘に向けていること。
それが彼らには我慢ならなかった。
「新開市民の俺たちを見ていない」
リンが言った。
声音は以前より低く、整えられた微笑の代わりに、静かな苛立ちがある。
「結局、あいつらが欲しいのはアリスと義弘だけ。私たちは駒よ」
ドラウグルが頷く。
「武装だけ渡して、意思は見ない。よくある」
「しかも悪趣味だ」
榊が壁にもたれたまま吐き捨てる。
「映えを煽ってるつもりで、結局は自分の舞台へ集めたいだけだ。あの男は個人を立たせる気がない。派手に燃えれば誰でもいいと思ってる」
舞原が静かに両手を組む。
「だから奪うべきです」
三人の視線が、彼女へ寄った。
「OCMの支援線を。アリス・スクワッドを“新開市のもの”にするには、外の組織の気まぐれな後援を切り離す必要がある」
「切り離す、で済めばな」
ドラウグルが低く言う。
「切って終わりじゃない。奪って使う」
リンの目に、ようやく熱が宿る。
それは企業ヒーロー時代の“綺麗に勝ちたい”熱とは違う。もっと暗くて、執着に近い。
「アリスや義弘に代わるつもりはない」
彼女は言った。
「そんなこと、できるとも思ってない。でも……」
その先を、榊が引き取る。
「違う種類のヒーローにはなれる」
舞原が静かに続ける。
「新開市の闇に属するヒーロー。ゴースト・ヒーローに」
その言葉は、誰かが夢見た英雄像の劣化コピーではなかった。
少なくとも彼ら自身はそう思っていた。
サムライ・ヒーローではない。
企業の顔でもない。
偶像でもない。
もっと暗く、もっと都市の裏側に近い、新開市のためのヒーロー。
四人そろえば、それは本物になるかもしれない。
一人ひとりではアリスにも義弘にも届かない。
だが武力、顔、美意識、扇動。その四つが揃えば、別の本物にはなれる。
そう信じるには十分なだけの、危険な整合性が彼らにはあった。
*
彼らはすぐにはレオンへ牙を剥かなかった。
それでは浅い。
OCM海外部門の支援線が切れるだけで、アリス・スクワッドはまた雑多な集団へ戻る。
欲しいのはそんな後退ではない。
もっと強い支援。もっと大きい武力。もっと深い線。
それを丸ごと奪って、自分たちのものにすることだった。
「まずはアリスを秘密裏に手助けする」
舞原が言った。
リンが眉を動かす。
「アリスを?」
「そう。いけ好かないレオンの目論見を潰す。その役をアリスにやらせる」
榊が口元を歪める。
「潰されれば、あいつは黙ってない。次はもっと強い支援を出す」
ドラウグルが短く言う。
「その時に奪う」
話は早かった。
四人の利害は、驚くほど綺麗に噛み合った。
アリスを利用する。
レオンを叩く。
OCMにより大きな武力を引き出させる。
その支援線ごと奪い、新開市の“ゴースト・ヒーロー”になる。
あまりにも危うく、あまりにも真面目な計画だった。
*
一方その頃、アリスはそのような目論見が水面下で進んでいることを、まったく知らなかった。
彼女は彼女で、アリス・スクワッドの支援線を辿り、レオン・ヴァルケンの拠点を見つけていた。
夜の輸送施設跡地。
表向きにはもう使われていない区画。
だが電力の流れと、補修搬入の偽装と、監視の死角の作り方が、あまりにも露骨に“まだ何かがいる”と告げている。
アリスはいつものように影のように動いた。
白いフードの下、黒髪が頬に触れ、片目を隠す前髪の奥で赤い瞳だけが静かに光る。
端末を見、足を止め、配管の反響と空調の癖まで読みながら、少しずつ奥へ近づいていく。
レオンは笑いながら騒ぐ男だ。
だが拠点の作り方は雑ではない。
むしろ雑に見せてあるだけで、裏ではきちんと生き物の巣みたいに守りが仕込まれている。
アリスは低い梁の陰へ身を寄せた。
輸送レールの残骸の向こう、地下層へ降りる搬送エレベータの一角に、通常とは違う重さがある。
電力負荷が大きすぎる。
大型機体。
ブージャムへぶつける気のある何かだ。
「……いた」
小さく呟く。
レオンの支援線の根。
ここを掴めば、アリス・スクワッドに流れている武装と煽りの出どころが見える。
彼女はさらに奥へ滑り込む。
足音はない。
空気と影の境目だけが、彼女を通してかすかにずれる。
だが、同じ夜の同じ施設の、別の角度から、別の四つの影もまた動いていた。
ドラウグル。
リン。
榊圭吾。
舞原朱音。
彼らもまた静かだった。
雑多なアリス・スクワッドの騒がしさとはまるで違う。
目立たず、煽らず、ただ目的のためだけに動く。
アリスに似ているわけではない。
だが“静かな意志”という点で、確かに同じ匂いを持っていた。
だからこそ、アリスはその存在を感知できなかった。
自分が影の中を歩き慣れているからこそ、同じように物音を殺し、目立つ熱を出さずに動く別の意志を、戦場の雑音の一部として見落とす。
それは初めての種類の盲点だった。
地下層のさらに奥で、重い機体の駆動確認音が一度だけ鳴った。
アリスが足を止める。
レオンの準備した獣がそこにいる。
その確信が、彼女の意識を前へ引いた。
その背後、ほんの一本の配管を隔てた別の暗がりに、四人はいた。
舞原が口を動かさずに合図する。
榊が導線を目で読む。
ドラウグルが武装の位置を測る。
リンが、白いフードの細い背中を見つめていた。
アリスはまだ気づかない。
自分がレオンの拠点を見つけたと思っている、その瞬間にも、別の“ゴースト”が同じ獲物を見ていることを。
夜の新開市は、いつもどこかで誰かが誰かの影になっている。
だが今夜、その影はひとつではなかった。
本物の“ゴースト”のすぐ後ろに、まだ名乗らぬ四人の影が、静かに並走を始めていた。




