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第281話 燎原の火

 新開市の火は、いったん燃え方を覚えると、もう誰か一人の都合では止まらない。


 アリス・スクワッドは、そういう火になりつつあった。


 最初は企業群の不正暴露だった。

 それだけなら、街は拍手しやすい。企業群はちょうどよく嫌われているし、実際に隠しているものもある。裏搬入、違法運用、責任の押しつけ。そういうものを引きずり出して笑いものにするなら、新開市の祭り好きな気質とも相性がよかった。

 だが火は、いったん燃え広がり始めると、燃やしていいものと悪いものの区別まで一緒に焼き払う。


 レオン・ヴァルケンの後援を受けたアリス・スクワッドは、明らかに変質していた。


 支援用に供与された簡易パワードスーツ。

 撮影、照明、偵察、簡易妨害までこなす小型ドローン群。

 企業群とオールドユニオン双方の脆い線を突くための工作知識。

 そして何より、もっと派手に、もっと“映え”るよう煽り続けるレオンの存在。


 企業群の不正だけではもう足りない。

 オールドユニオンの裏事情も剥がす。

 それだけでも足りず、次は関係者の私生活、過去の失敗、関係者の弱い線、守りに入れば入るほど都合が悪そうに見える場所まで掘り返し始める。


 真実を求めているのだと、彼らは言う。

 だがその真実は、すでに“暴くべきもの”というより、“暴けば盛り上がるもの”へと重心を移しつつあった。


 新開市の一部市民は、それでも彼らを支持した。


 企業群もオールドユニオンも、どうせ何か隠している。

 偉そうな組織は、叩けば埃が出る。

 だったら、誰かがそれを剥がしてくれるなら痛快だ。

 多少危なくても、多少雑でも、正義は正義じゃないか。


 そういう空気が、動画のコメント欄と現場の野次馬と裏配信の同時視聴数の中で膨れ上がっていく。

 そしてその空気こそが、何より危険だった。


     *


 企業群が最初に限界へ達した。


 限界といっても反省ではない。

 もうこれ以上、好き勝手に暴かれたくないという意味での限界だ。


 旧物流区画の外れにある仮設封鎖線の前で、企業ヒーローたちはすでに展開していた。表向きの名目は“危険な違法侵入から市民を守るための安全措置”。だが実態は、アリス・スクワッドが掘り返し始めた裏補修ログと一時倉庫の中身を、これ以上晒させないための火消しだった。


 対するアリス・スクワッド側は、もう露骨にそれを面白がっていた。


「見ろよ、やっぱり来た!」


 簡易パワードスーツを着た若い配信者が、肩のカメラをこちらへ向けながら叫ぶ。


「真実を隠す側が、ついに本性を現したぞ!」


 彼の背後では支援ドローンがわざとらしく低空旋回し、封鎖線の照明へ逆光を当てている。顔を映し、輪郭を強調し、如何にも“権力側が市民を押さえつけている”ように見える角度を、レオンの仕込んだドローン群はよく知っていた。


 企業ヒーローたちは、そこに手を出しきれない。

 出せば暴力的に映る。

 出さなければ、じわじわ削られる。


 それは企業群にとって最悪の押し合いだった。


 正面衝突にはまだ至らない。

 ヒーローたちは市民相手に刃を抜けない。

 アリス・スクワッド側も、まだ完全な武装蜂起をするつもりはない。

 だが、その一歩手前の押し合いが、かえって映像としては一番“美味しい”。


「企業ヒーローまで出してきたぞ!」


「ほら、隠してる証拠だ!」


「押し返せ、押し返せ!」


 歓声と野次が混ざる。

 その中に、本気で正義を信じている声と、ただ面白がっている声が、もう分けられない形で混ざっていた。


 オールドユニオンも遅れて動いた。


 こちらは企業群ほど表に顔を出せないぶん、やり方が湿っている。セグメンタタが低い姿勢で展開し、倉庫線や搬出補助路の出入口をじわじわ押さえる。違法侵入と情報窃取への対処、という建前はある。だが実際には、自分たちの線をこれ以上晒させたくないだけだ。


 アリス・スクワッドは、それすら歓迎した。


「オールドユニオンも来た!」


「ほら見ろ、やっぱり繋がってるんじゃないか!」


「全部あるぞ、この街!」


 押し合いは、完全な衝突ではない。

 企業ヒーローが一歩出る。

 スクワッド側が一歩退く。

 セグメンタタが通路を塞ぐ。

 配信者が別角度へ回り込む。

 支援ドローンが低空から照明を焚き、映像に“弾圧”の色を足す。

 その繰り返しだ。


 だがその温度だけは、確実に上がっていた。

 燎原の火のように、遠くまで広がる予感だけを伴って。


     *


 やがてその火は、企業群とオールドユニオンだけでは飽き足らなくなった。


 他の組織も何か隠しているに違いない。

 企業群だけが腐っているわけじゃない。

 オールドユニオンだけが後ろ暗いわけでもない。

 なら次は誰だ。

 誰の顔を剥がせば、もっと大きく燃える。


 そんな空気が新開市のあちこちで勝手に膨らんでいく。


 OCMも怪しい。

 アライアンスだって冷たすぎる。

 義弘の会社にだって何かあるんじゃないか。

 療養施設? あそこだって、表に出ていない事情があるに違いない。


 雑な推測と、半端な正義感と、動画の再生回数への欲望が一つになって、火は標的を増やしていく。

 この段階になると、もうアリス・スクワッドは一つの団体ではなく、やり方そのものだった。

 “隠し事を暴き、映える形で晒し、街の主役になる”という方法が、新開市の中で感染し始めている。


 OCM海外部門の一角では、その拡大を前に普通なら火消しが議論されるはずだった。


 だがレオン・ヴァルケンは、あえてそれを止めなかった。


「放っとけ」


 彼は端末の向こうで軽く言った。


「こっちが噛まれても?」


 苛立った声が返る。


「噛ませろよ。面白くなってきたんだから」


 レオンは片手でグラスをいじりながら、愉快そうに目を細めた。


「企業群もオールドユニオンも噛んで、その先にOCMまで行く。いい流れじゃないか。真実を求める正義の連中ってやつは、止めれば止めるほど奥へ行く。そういう時にどこへ当たるか、見ものだろ」


「療養施設へ繋がる線が見つかるかもしれない、ということですか」


「見つかるさ」


 レオンは即答した。


「この街の火は、熱い方へ、弱い方へ、隠れてる方へ流れる。アリスの守る場所なんて、燃料としては上等すぎる」


 彼の目には、組織防衛の発想が最初から薄かった。

 自分の陣営が噛まれることすら、次の舞台へ繋がるなら構わない。

 それどころか、アリスがそこを放置できず動くだろうと見ている。


「アライアンスは?」


 部下が問う。


 レオンは肩をすくめた。


「相変わらず冷たい沈黙だな。ああいうの、嫌いじゃない。沈黙ってのは、たいてい一番面白いものを隠してる」


 彼は端末を閉じ、笑った。


「いいねえ。火が勝手に育ってくれる。俺はそういう街、大好きだ」


     *


 義弘は、その火をただ見ているわけにはいかなかった。


 会議室の窓の外では、今日も新開市が何事もなかったみたいに明るい。だが、その明るさの下でアリス・スクワッドの現象はもう、放置できる段階を越えつつある。

 義弘にはそれがわかっていた。


 放っておけば危険だ。

 だが正面から止めに入れば、それこそ“隠蔽する側”に見える。

 しかも厄介なことに、彼らの暴露の一部は本当に正しい。企業群もオールドユニオンも、叩かれて当然のものを持っている。だから全部を否定することもできない。


 義弘は難しい顔で腕を組んだ。

 白のサムライ・スーツを着ているわけではない今でも、彼が“前に出る側”の人間だという空気は変わらない。


「正面から潰すのは駄目だな」


 低く言う。


 真鍋が向かいで端末を見ながら答える。


「ええ。企業群もオールドユニオンもそれで逆に燃料を投げています。弾圧に見える」


「ただ見ているのもまずい」


「それもそうです」


 シラヌイは少しだけ苛立ったように椅子へ体を預けた。


「現場の弱い線まで掘り始めてる。あれはもう不正暴きじゃない」


 企業群を出た彼女だからこそ、その危うさはよく見える。

 正しい暴露と、祭り化した私刑の境目が崩れ始めている。


 義弘は頷いた。


「勢いを止めるんじゃない」


「じゃあ?」


 シラヌイが問う。


「散らす」


 義弘は短く答えた。


「全部を一つの祭りにしているから危ない。正しい暴露と、ただの娯楽化した暴露と、危険な私刑を切り分ける必要がある」


 真鍋が目だけで続きを促す。


「企業群やオールドユニオンの隠していることのうち、本当に公的に処理すべきものはこっちが拾う。あとは市民の側へ、“何でも暴けば正義になるわけじゃない”という線を作る。熱を冷ますんじゃなく、流路を変える」


 それがどれだけ難しいか、義弘自身が一番わかっていた。

 熱狂している群衆へ、もっと丁寧な線引きを求める。

 しかも隠蔽と見なされずに。

 ほとんど綱渡りだ。


 だが綱渡りでもやるしかない。

 療養施設や非公式生存線に火が届く前に。


     *


 SABLEは、義弘とは別の苦しさを抱えていた。


 彼女はアリス・スクワッドの中に、“本気で正しいと思っている人たち”を見てしまっていた。

 企業群に家族の生活を壊された者。

 外部勢力の火遊びで現場を失った者。

 誰も拾わなかった不正の断片を、初めて言葉にできた者。

 彼らが全部レオンに操られているだけだとは、どうしても思えなかった。


 だから単純に敵視できない。


 新開市の高架下、古い資材置き場の陰で、SABLEは配信映像の断片を見返していた。

 その横にはシュヴァロフがいる。

 全身は光を吸う黒。背中に巨大な腕を背負い、直立すれば四メートル近いが、いまは背を屈め、気配を薄くしている。

 それでもSABLEが少し身を乗り出すたび、肩位置の細い上腕が先に配線や足場の緩みを片づけてしまう。気に入りすぎだろう、と言いたくなるほど世話焼きだ。


「敵じゃない人もいる」


 SABLEが言う。


 シュヴァロフは答えない。

 答えない代わりに、彼女の足元へ落ちかけていた端末を静かに支える。

 会話ができなくても、聞いていることだけは伝わるのが不思議だった。


「でも、このまま行くと駄目」


 SABLEは続けた。


「真実を探してるって、本気で思ってる人たちがいる。でも、その中に変なのが混ざってる。たぶんもう、かなり奥まで」


 彼女には、違和感がはっきりしていた。

 善意だけではこうはならない。

 暴露の手際が良すぎる。

 標的の選び方が、街の感情を煽るように整いすぎている。

 自然発生の火に、誰かが風を送り込んでいる。


 その誰かを見つけなければならない。

 だが見つけたところで、それをどう伝える。

 “真実を暴く市民”を止めたい側の理屈に見えない形で。


 SABLEは少しだけ唇を噛んだ。

 新開市は、本当にややこしい。

 そしてアリスは、こういう街の歪みの中で、たぶんずっと一人で線を引いてきたのだ。


     *


 アリスは、もっと冷えた形で危険を読んでいた。


 怒りもあった。

 自分の名前が勝手に増殖し、祭りになり、群衆がそれを振り回すことへの苛立ちは消えない。

 だがいま必要なのは、苛立つことではない。

 近い、という判断だった。


 アリス・スクワッドの暴露対象は、すでに弱い線へ向かい始めている。

 末端。

 私生活。

 支援者。

 補給線。

 そういうものを掘れば、いずれ療養施設へ繋がる。

 企業群やオールドユニオンの“関係ない事情”を暴いているつもりでも、その根のどこかで必ず非公式生存線に触れる。


 それだけは許せない。


 アリスは端末へいくつもの断片を並べた。

 アリス・スクワッドが使っている配信機材。

 供与されたパワードスーツの電力癖。

 ドローン群の制御規格。

 暴露対象が急に広がり始めたタイミング。

 その全部を辿ると、自然発生の市民運動だけでは説明しきれない支援線が浮かぶ。


「そこか」


 小さく呟く。


 根本を断つには、先頭を叩くより後ろを切るべきだ。

 前で騒いでいる者たちは雑音だ。

 本当に危ないのは、その雑音がどこから武装され、どこへ向けて煽られているか。


 アリスは支援線を探り始めた。

 深く、静かに。

 自分の名前を取り返すためというより、守るべき場所へ火が届く前に、その根を切るために。


     *


 レオン・ヴァルケンは、それを待っていた。


 新開市の外れ、今は使われていない輸送施設の地下層。

 そこでは重い搬送音が鈍く響き、分解状態の大型機が並んでいる。

 海外では盗難被害届が出されたことになっている機体。

 表向きにはOCMの手元にないはずの獣。

 だが実際には、海外部門が裏で確保し、レオンが新開市用に調整を進めている。


 VX-32 TIGER。


 低い姿勢の猛獣。

 追跡と強襲のための大型ドローン。

 檻であるDRAKEとも、祭具であるバーディングとも違う。

 こいつは狩りの兵器だ。追い、詰め、食らいつき、逃がさず噛み砕くための機体。


 レオンは整備中のその頭部装甲を見上げ、満足そうに笑った。


「いいね」


 彼は言った。


「DRAKEは退屈なんだよ。檻だろ、あれは。バーディングはもっと退屈だ。祭壇だ。でも虎は違う」


 そばにいた技術員が黙っていると、レオンは肩をすくめた。


「追うために生まれてる」


 彼は指先で、剥がされた登録番号の痕跡をなぞる。

 海外では盗難機。

 ここでは拾い物の獣。

 万一壊れても“うちの装備ではない”と言い張れる。

 汚れ方としては上等だった。


「アリスは必ず来る」


 レオンは愉快そうに断言した。


「自分の名前を使って療養施設や生存線に近づく連中、放っておけるわけがない。支援線を辿れば、ちゃんと俺のところまで来る」


「確実ですか」


 部下が問う。


「確実だよ」


 レオンは笑った。


「本人は全然、祭り向きの顔してないくせに、出てくるだけで全部が祭りになる。最高だ。ああいうのは、自分の名前を勝手に使われた時に一番よく燃える」


 それから彼は、TIGERの前肢にあたる裂断クローへ視線を滑らせた。


「アリスには檻も祭具も似合わない」


 低く、楽しそうに言う。


「あれにぶつけるなら、ちゃんと牙のあるやつじゃないと失礼だろ?」


 地下層の灯りは冷たかった。

 その冷たさの下で、獣の輪郭だけが重く沈んでいる。

 レオンはその前で、まるで次の祭りの開幕を待つ観客みたいに、静かに笑っていた。


 新開市の火は、もう十分に広がった。

 次は、その火をどこで一番綺麗に噛み合わせるかだけだ。


 そして本物の“ゴースト”は、たぶん今、こちらへ向かうための線を静かに辿り始めている。

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