第280話 レオン・ヴァルケン
新開市は、気に入った名前をすぐ増やす。
増やして、削って、勝手な意味を貼りつける。本人の都合や事情など知ったことではない、という顔で、名前だけを先に街へ放つ。火種は少しでいい。映えと怒りと正義感と野次馬根性が混ざれば、あとは勝手に育つ。
“アリス・スクワッド”は、そうやって育った名だった。
最初は、企業群の不正を暴く市民有志の雑な寄り合いにすぎなかった。動画配信者が面白おかしく騒ぎ、ハッカーが内部資料を抜き、元導線屋が警備の目をずらし、企業から不当に首を切られた人間が現場の恨みを乗せ、お調子者が全部へ派手な字幕をつける。正義だけではない。承認欲求も、腹いせも、退屈しのぎも、ちゃんと混ざっている。
だからこそ新開市では強かった。
雑であること。
祭りになれること。
“正しいことをしている感じ”が、動画映えすること。
その三つが揃えば、この街では十分に力になる。
ただし、力というものは伸び始めると、必ずどこかから別の手が伸びてくる。
*
OCM海外部門の中でも、レオン・ヴァルケンは扱いに困る男として有名だった。
優秀であることに疑いはない。むしろ疑いようがない。作戦立案、現場判断、浸透工作、煽動、即興対応、そのどれもが高い水準にある。問題は、その能力が組織の常識や節度とまるで噛み合わないことだった。
大胆。
常識外れ。
しかも愉快なことが好きで、手段を選ばない。
派手で、目立って、誰かの神経を逆撫でする結果ほど喜ぶ。
OCM海外部門の中にも彼を嫌う人間は多かった。鼻つまみ者と言っていい。だが切れない。切れば惜しいどころでは済まない。だから組織は、一定の距離を置きながら、結果だけは利用するという最悪の折衷で彼を飼っていた。
そのレオンが新開市に強い興味を持ったのは、GLASS VEILとアリスの噂を聞いたからだった。
「いいじゃないか」
彼は報告書を読み終えたあと、椅子の背にもたれたまま笑った。
「燃えてる、騒いでる、しかもみんな自分が主役になりたがってる。最高だ。こういう街には、ちゃんと続きを見せてやらないと失礼だろ?」
向かいにいたOCM海外部門の担当者は、露骨に嫌そうな顔をした。
「これはあなた向きの案件ではありません」
「向いてるさ。むしろ、俺しか向いてない」
レオンは端末を指先で弾いた。
画面には、新開市で拡散されている断片的な映像が並んでいる。ブージャムの残像。白のサムライ・スーツを着た義弘。バーディングの墜落寸前のシルエット。白いフードの影。GLASS VEILの静かな顔。
レオンの目は、その全部を“脅威”ではなく“素材”として見ていた。
「君ら、真面目すぎるんだよ」
彼は楽しそうに言った。
「オールドユニオンを削るなら、正面から殴るより、街そのものに笑わせた方が早い。祭り好きの街に火種を投げるなら、湿った薪じゃなくて花火を投げろ」
「作戦の目的は、情勢の攪乱と再侵入の足場作りです。見世物を増やすことでは」
「違う違う」
レオンは手をひらひら振った。
「退屈な作戦を救ってやってるんだよ。君らのやり方じゃ、せいぜい倉庫が一つ燃えて終わりだ。それじゃ新開市は踊らない」
担当者は眉間を押さえた。
この男はいつもこうだ。
結果を欲しがるくせに、結果そのものより“どう盛り上がったか”に執着する。
だが、最悪なのは、それで本当に成果を出してしまうことだった。
レオンは端末の一枚を拡大した。
そこには“アリス・スクワッド”の雑なロゴが映っている。市民有志を名乗る寄せ集め。企業群の不正を暴き、オールドユニオンにも噛みつき始めた、新開市らしい騒音。
「いいねえ、その雑さ」
レオンは独り言みたいに言った。
「正義感と承認欲求と腹いせが、ちゃんと一つの塊になってる。そういうの、大好きだ」
それから、笑みを深くした。
「アリスを消す? 馬鹿言うなよ。あれは消すもんじゃない。手に入れるんだ。ああいうのは、舞台の真ん中に置いた時がいちばん綺麗なんだから」
その一言で、周囲の何人かはもう諦めた。
レオンは来る。
そして作戦をかき回す。
だが止めきれない。
彼はそのまま新開市関連作戦へ、半ば乗っ取りみたいな形で割り込んできた。
*
レオンが最初に変えたのは、支援の方向性だった。
アリス・スクワッドは、元々ただの市民集団だった。手持ちの技術と恨みと派手好きだけで企業群をひっかき回す、雑多な反骨の塊。
だがレオンは、その雑多さの中に“伸び代”を見た。
「君ら、今日からただの野次馬じゃない」
レオンは初めて彼らの前に立った時、笑ってそう言った。
古い倉庫の中だった。配信機材、盗んだか借りたかわからない整備机、勝手に持ち込まれた椅子、エナジードリンクの空き缶、企業群の内部資料の切れ端。空気は軽薄なのに、妙な高揚だけはある。
レオンはそういう場所によく馴染んだ。悪い意味で。
「企業を暴く? 結構。オールドユニオンも噛む? もっといい。どうせなら“新開市が自分で自分を守ってる”って絵にしようじゃないか」
彼は倉庫の真ん中で両手を広げた。
「ほら、もっと派手にやろう。真実ってのは、少し照明を当てた方がよく売れる」
若い配信者が笑った。
元導線屋崩れの男が面白そうに目を細めた。
企業に切られた現場員は、まだ警戒を残しながらも耳を傾けている。
レオンはそこへ、さらに餌を投げた。
「スーツもやる。ドローンもやる」
倉庫の奥で、カバーをかけられた機材がいくつも開かれる。
簡易量産型のパワードスーツ。
義弘の白のサムライ・スーツを模倣したわけではないが、“ヒーロー然と見える”だけの形は借りている。装甲のラインは派手で、可動は荒い。実戦よりもカメラ映えを意識しているのが露骨だった。
加えて、小型支援ドローン群。
アリスの群制御を粗く模したような設計だ。偵察、撮影、照明投射、簡易的な妨害。それぞれの質は高くない。だが数と演出で押し切れる。
レオンは笑った。
「その代わり、地味に勝つなよ。勝つなら誰かが真似したくなる勝ち方をしろ。新開市ってのは、そういう街なんだろ?」
妙に馬が合った。
それが最悪だった。
彼は外部の工作員で、連中は新開市民の寄せ集めだ。普通なら反発が起きる。だがレオンは、彼らの雑さと愉快犯的な熱を理解し、むしろ煽るのが上手かった。
誰かが“企業を暴くのは正義だ”と言えば、“もちろんだ、その正義はよく映る”と返す。
誰かが“オールドユニオンも気に入らない”と言えば、“じゃあ両方噛めばいい、祭りは大きい方が面白い”と返す。
彼は彼らの正義感を否定しない。だが、必ずそこへ“見せ場”と“快感”を足す。
だからアリス・スクワッドは、新開市的により大胆になり、より“映え”るよう先鋭化していった。
やがて街は、それを“危険な遊び”ではなく、別のものとして認識し始める。
企業群や外部勢力の不正を暴く。
正義のために真実を求める。
危ないが、必要なことをしている。
そういう物語がつき始めたのだ。
新開市では、誰かをヒーローと呼ぶのに正式任命など要らない。
動画と噂と数回の成功だけで十分だった。
*
SABLEが違和感をはっきり形として掴んだのは、アリス・スクワッドの動きが“不自然に揃い始めた”からだった。
最初の頃は雑だった。
雑だからこそ新開市らしかった。
攻撃対象の選び方も行き当たりばったりで、企業群への私怨が強かった。
それが今は違う。
企業群を叩く。
オールドユニオンにも圧をかける。
GLASS VEILまで巻き込む。
しかも、その全部が市民受けのいい形で編集されている。
雑音の塊ではなく、“アリスっぽい何か”を量産しようとしているみたいだった。
「……気持ち悪い」
SABLEは小さく呟いた。
夜の再開発区画外縁。仮設資材置き場の高所から、彼女は下の流れを見ていた。
アリス・スクワッドの一団が、企業群系の旧補修拠点を“告発”し、その様子を複数角度で同時配信している。パワードスーツを着た者が前へ出て、支援ドローンが照明と撮影と威嚇を兼ねる。見せ方だけなら、どこか義弘とアリスを粗悪に混ぜたみたいだ。
「量産してるみたい」
誰を、とは言わなかった。
言わなくても、シュヴァロフにはわかったらしい。
光を吸う黒い機体が、すぐそばの影から静かに姿勢を変える。
直立すれば四メートル近い巨体だが、いまは背を屈め、手足を収納し、周囲の闇へ溶け込んでいる。光学迷彩まで使われれば、視線を外した瞬間に気配だけが残る。
にもかかわらず、SABLEが少しでも前へ出すぎると、当然のように半歩前へ滑ってくる。心配しすぎだ、と言いたくなるほど露骨だ。
「わかってる」
SABLEが小声で言う。
「無茶はしない」
シュヴァロフは答えない。
答えない代わりに、足元の緩んだ金属パネルを肩位置の細い上腕でそっと押さえた。SABLEが踏み外さないように、先回りしている。
猫かわいがりがひどい。
SABLEは息を整え、さらに観察を続けた。
動きの背後に、煽っている存在がいる。
自然発生の市民集団だけでは、ここまで“アリスの構図”を模した先鋭化はしない。
彼女はそう確信し始めていた。
もう少し近くで見たい。
そう判断した瞬間、気配が動いた。
「いたぞ」
下の通路から声が上がる。
アリス・スクワッドの一部だ。三人。全員が簡易パワードスーツを装備し、支援ドローンを二、三機ずつ伴っている。量産型らしく軽量だが、そのぶん配信映えするよう表面が派手だ。動きは荒い。だが勢いだけはある。
SABLEが顔を出したことは、どうやらすでに認識されていたらしい。
「やっぱりだ!」
先頭の男が言った。
「GLASS VEILのSABLE!」
「真実を追ってる俺たちを嗅ぎ回ってたのかよ」
「オールドユニオンのための隠蔽工作か?」
SABLEは眉を寄せた。
「違う」
「違わないだろ!」
別の男が、興奮した声で被せる。
「企業群とオールドユニオンの不正を暴いてるのに、お前はそれを邪魔しに来た。だったら敵だ!」
理屈としては、彼らの中では通っているのだろう。
そこが厄介だった。
ただの暴漢ならまだ楽だ。
だが彼らは、自分たちが“正義”だと信じている。
支援ドローンが一斉に前へ出る。照明、撮影、妨害。
簡易スーツの脚部補助が唸り、三人が同時に距離を詰めた。
SABLEは後ろへ下がらない。
だが前へも出ない。
彼女は戦い方を知っている。
自分一人ではないことも。
「シュヴァロフ」
呼ぶまでもなかった。
黒い影が、ほとんど何の前触れもなく前へ出た。
それはまるで、夜そのものが形を取ったみたいだった。
光を反射しない深い黒。
細いのに巨大な輪郭。
背中に背負った巨大な腕。
鳥じみた脚。
気づいた時にはすでに、SABLEの前へ静かに立っている。
最初の一人がその姿を見て、足を止めた。
「……は?」
支援ドローンのカメラが自動で焦点を合わせる。
その輪郭を拾った瞬間、三人の顔色が変わった。
「おい、待て」
「これ……」
「アリスの……ドローン?」
その言葉が出た途端、空気が変わった。
今まで彼らは、“アリス”を自分たちの側の名前だと思っていた。少なくとも使っていい看板だと思っていた。
だが目の前にいるのは、本物の痕跡だった。
配信映えのための模造ではない。
アリスが実際に設計し、実際に守りに置いた、本物の戦闘用ドローン。
シュヴァロフは何も喋らない。
だが、その沈黙の圧だけで十分だった。
肩位置の上腕が静かに動き、背中の巨大な腕がわずかに持ち上がる。
戦闘形態へ移る前の、ほんの準備段階にすぎない。
それでも三人にはわかった。
質が違う。
これと戦うのは、祭りの延長では済まない。
「撤退!」
先頭の男が裏返った声で叫んだ。
支援ドローンが慌てて高度を上げる。
パワードスーツの補助脚が逆方向へ噴き、三人は一瞬で距離を取った。
勢いのまま攻めてきた時より、逃げる時の方が明らかに速かった。
SABLEはその後ろ姿を黙って見た。
追わせはしない。
シュヴァロフも追撃しない。
ただ静かに、黒い怪物みたいな輪郭のままそこに立ち、SABLEの前へ一線を引いただけだった。
撤退の気配が完全に消えてから、シュヴァロフはわずかに背を屈めた。戦闘形態への移行を解き、また気配を薄くする。
いつもの気遣いの細かい護衛に戻ったのだと、SABLEにはわかった。
「……ありがとう」
小さく言うと、シュヴァロフはまた頭部をほんの少し傾けた。
黒い怪物みたいな見た目のくせに、やっぱりその仕草だけは穏やかすぎる。
SABLEは下の街を見た。
明るい。
賑やかだ。
映像と噂と怒りと正義が、今日もどこかで混ざり合っている。
その中で、無数の“アリス”が蠢いている。
名前を借り、構図を借り、正義を借り、映えを借りて、誰かが誰かを暴こうとしている。
しかもその背後には、もっと悪い手がある。
SABLEははっきり理解した。
新開市は今、自分にとっても危険な街になっていた。
オールドユニオンの側にいたSABLEにとって、街じゅうに増殖する模造アリスたちは、どこから牙を向けてくるかわからない。
けれど同時に、その危険を放っておけないとも思う。
アリスはたぶん、こういう時にも一人で線を引こうとする。
だからこそ、自分は見ておかなければならない。
どこまでが雑音で、どこからが悪意なのかを。
夜の風が吹いた。
仮設資材の影が揺れる。
その向こうで新開市は、何事もないみたいに次の騒ぎを待っている。
SABLEは息を吐き、シュヴァロフと共にその場を離れた。
危険なのは、敵が強いからだけではない。
“アリス”という名前だけで、人が勝手に武装し始めたからだ。
その事実が、彼女には何より不気味だった。




