第279話 アリス・スクワッド
新開市は、何か一つの事件を終わらせるたびに、その終わり方をまともに悼むより先に、次の話題へ飛びつく街だった。
それは薄情さでもあり、しぶとさでもある。
ひとつの騒乱が過ぎれば、人はそこに名前をつける。名前がつけば映像になる。映像になれば切り抜かれ、切り抜かれれば笑いにも神話にも変えられる。
街はそうやって、自分に起きた出来事を自分の都合のいい速度で咀嚼していく。
決戦のあと、新開市で最初に増殖したのは、例によって断片だった。
ブージャムを伴った“ゴースト”アリス。
OF-44 DRAKEを白刃で斬り崩した義弘。
バーディングへ泥臭く食らいついたシラヌイ。
そしてGLASS VEIL。
動画投稿者たちは、事件の切れ端を好き勝手に編集した。
配信者は、白いフードの影と黒い怪獣の残像を重ねて、そこへ安っぽい神話の字幕を入れた。
自称考察勢は、義弘の白のサムライ・スーツを“市政と暴力の美しい接続”だなどと勝手に持ち上げた。
企業群に恨みを持つ人間たちは、シラヌイの離脱を“現場良心の反乱”として熱っぽく語り、GLASS VEILの冷たい美しさはそれはそれで、新開市の燃える祭りとは真逆の異物として受け入れられた。
外様であることは、ここでは不利にも有利にも働く。
よそ者だからこそ目立ち、目立つからこそ面白がられ、面白がられるからこそ新しい“映え”になる。
新開市はいつだって、異物を嫌う以上に、それを祭りへ変える才能があった。
そして今、その雑多な熱狂の中から、ひどく新開市らしい集団が生まれつつあった。
最初に名前を言い出したのが誰なのかは、もう誰にもわからない。
動画配信者。
ハッカー。
元導線屋。
企業群から不当に首を切られた現場要員。
祭りと騒ぎの区別がついているのか怪しいお調子者。
彼らは最初、別々に動いていた。企業群の不正搬入を暴露する者がいて、別の者が裏導線の監視の甘さを指摘し、誰かが事故対応を装った資材搬送の記録を晒し、それをまた別の誰かが“企業群ざまあ案件”として祭り化する。
統一された思想があるわけではない。
正義感だけでもない。
恨みも承認欲求も遊び半分も、全部が混ざっていた。
ただ共通していたのは、企業群を叩くと映える、ということだった。
企業群はすでに真鍋の追及で揺れていた。責任者という生贄を探して右往左往し、表では取り繕いながら裏では証拠の線を少しでも薄めようとしている。その滑稽さは、新開市の燃料としては十分すぎた。
そして誰かが、そういう連中をまとめてこう呼んだ。
アリス・スクワッド。
その名前は、あまりにも雑で、あまりにも街の趣味に合っていた。
本人がいるのかもわからない。
関わっている保証もない。
それでも“アリス”の名を冠しただけで、人はそこへ意味を見出したがる。
ゴーストの残した熱、企業群への反感、代替派への嫌悪、そして新しい祭りへの期待。その全部が、その名前の中へ勝手に流れ込んでいく。
新開市では、本人不在でも名前だけが先に育つことは珍しくなかった。
だが、今回はその名前が、アリス自身のものであるという一点が、妙に苦かった。
*
SABLEは、その名を最初に聞いたとき、少しだけ息を止めた。
場所は義弘の会社の会議室だった。
企業群の不正追及、新開市側の再編、GLASS VEILの今後の活動整理。そういった実務の話をする場で、義弘が端末の画面を横へ滑らせた瞬間、“アリス・スクワッド”の文字が何本もの動画タイトルと共に並んだ。
「……これ」
SABLEが言う。
「もしかして、本人が」
義弘は首を横に振った。
否定というより、性急にそこへ飛びつくな、という顔だった。
「ここではよくある」
「よくある?」
「本人がいなくても、名前だけ勝手に増殖する」
義弘は端末を閉じ、椅子へ浅く座り直した。
「新開市では、誰かが強い印象を残すと、その名前はしばらく街の共有財産みたいになる。模倣も便乗も、敵意すらその名前を借りる。本人が関わっているとは限らない」
SABLEは少し眉を寄せた。
「でも、“アリス”ってつけてる」
「だからだ」
義弘の返答は短い。
「企業群を叩くなら、その名前が一番効くと思っている」
SABLEは黙った。
義弘の言うことは理屈としては正しい。
新開市がそういう街だということも、もうわかり始めている。
それでも引っかかるものは残った。
アリスは自分の名前を前へ出したがる人間ではない。
けれど間接的な仕掛けはする。
直接手を汚しているようには見せず、結果だけを街へ残すやり方を、彼女は確かに知っている。
「少なくとも最初から全部が本人ってことはない」
義弘が続けた。
「だが、誰かがその名前を使って得をしようとしているのは確かだ。名前を追うな。線を追え」
その言葉を、SABLEは覚えた。
名前ではなく、線。
誰が、何を、どう得するのか。
義弘はいつもそこを見る。
会議室の隅では、長い耳をぴくぴく動かしながらトミーが端末の画面を覗き込んでいた。ウサギの彼は、人間たちが深刻ぶる横で妙に軽い顔をしているくせに、ふとした瞬間だけ本質を拾う。
「雑だねえ」
トミーが言った。
「でもこういうの、最初は雑な方が広がるだよな。変にちゃんとしてると、逆に祭りにならねえし」
「祭りにされる前提で話すな」
真鍋が冷たく返す。
だがトミーは悪びれない。
「だってもう祭りじゃん。アリス・スクワッドって名前が」
その言い方に、SABLEは少しだけ嫌なものを感じた。
祭り。
確かにそうなのだろう。
でも本人が苦労している間に、本人の名前だけが勝手に増殖して、街の遊びになる。
それが妙に、胸に引っかかった。
*
アリス・スクワッドは、最初のうちは本当に雑多な集まりだった。
企業群の内規の抜け穴を知る元現場員が、違法搬入の疑いがあるルートを洗う。
そこへハッカーが入り、監視網の死角や偽装書類の整合性の崩れを晒す。
動画配信者が現場へ乗り込み、“企業の嘘を暴く新開市市民有志”として大げさに実況する。
元導線屋崩れが、警備の流れを微妙にずらして企業群の動きを晒しやすくする。
お調子者は、その全部へ祭りの看板をつける。
正しさは、たしかに少しあった。
企業群の不正を暴くことそのものは、間違ってはいない。
だが、正しさだけでは長続きしない。
彼らを動かしていたのは、半分くらいは愉快犯じみた熱だった。
そして新開市は、そういう熱を嫌わない。
むしろ歓迎する。
誰かが偉そうなものを引きずり下ろし、しかもそれが面白く映るならなおさらだ。
問題は、その攻撃対象が企業群だけに留まらなかったことだった。
企業群を叩いているうちは、多くの者が面白がれた。
だがやがて、アリス・スクワッドの標的の中へ、オールドユニオン関連の線が混ざり始める。
新開市での未申告戦力運用。
代替派の撤退に伴う不自然な搬出。
外部勢力によるフェス介入の痕跡。
その流れの中で、GLASS VEILも巻き込まれた。
それはグループそのものを敵視するというより、“外から来た偶像もまた新開市を利用した側だろう”という雑で危うい認識だった。
動画のコメント欄では、GLASS VEILは代替派の道具だったのだから叩かれて当然だ、と言う者もいれば、いやSABLEは違う、と擁護する者もいて、すでに線がぐしゃぐしゃになっている。
IRISはそれを冷静に見ていた。
感情を見せないプロらしく、画面を閉じる手つきにすら無駄がない。
「予想はできた」
彼女は言った。
「私たちは外から来て、しかも守護像として運用された。反発の対象にもなり得る」
NOVAはソファへ脚を投げ出したまま、端末をくるくる回す。
「でも雑すぎるよ。企業群叩きとオールドユニオン叩きと、ついでにこっちへの牽制がごちゃ混ぜ。街がまた新しい遊びを見つけた感じ」
MIRAは小さくため息をつく。
「遊びで済むならいいけど、済まない気がするわね」
SABLEはそこでようやく顔を上げた。
「調べる」
三人の視線が集まる。
「アリス・スクワッド」
IRISは少しだけ目を細めた。
止めるかと思われたが、そうはしなかった。
「理由は」
「名前が嫌」
SABLEは短く言った。
「あと、やり方も」
NOVAが口元だけで笑う。
「わかる。あの名前、雑で効くから最悪だよね」
「それに」
SABLEは少しだけ言葉を選んだ。
「本人じゃないなら、なおさら放っておきたくない」
MIRAが静かに頷いた。
IRISはそれで十分だと判断したらしい。
「行きなさい」
センター格らしい、短い許可だった。
SABLEが立ち上がると、いつの間にか部屋の隅にいたシュヴァロフも同時に頭部を上げた。
黒い。
深い闇みたいに光を吸う全身。
直立すれば四メートル近いのに、背中を少し屈めれば影と見分けがつきにくい。
鳥めいた脚と、背中に背負った巨大な腕。
戦場では最強級の戦闘用ドローン。
そして今は、SABLEが動くと当然のようについてくる気満々の、気難しい世話焼きだった。
「……やっぱり来るんだ」
SABLEがぼそっと言うと、シュヴァロフは答えない。
答えない代わりに、肩位置の細い上腕で彼女の落としかけた端末を先に拾い上げて手渡した。
露骨だった。
心配で付いてくる気しかない。
NOVAが吹き出す。
「ほんとに猫じゃん」
MIRAも少しだけ笑った。
IRISだけは無表情のまま言う。
「気をつけて。街は今、名前に酔いやすい」
SABLEは頷いた。
その意味はよくわかっていた。
*
一方その頃、OCM海外部門は新開市の空気の変化を正確に嗅ぎ取っていた。
オールドユニオンの動きが鈍い。
代替派は引いた。
内部では撤退論と残留論が揺れている。
企業群も真鍋の追及と市長の怒りで身動きが悪い。
義弘は白のサムライとして名を上げたが、そのぶん守るべき線も増えた。
そして街には、“アリス”の名を勝手に掲げて暴れ回る集団まで現れた。
これは好機だった。
OCM海外部門にとって重要なのは、正面から新開市へ戻ることではない。
戻れる余地を作ることだ。
そのためには、まずオールドユニオンの影響力を削る必要がある。
さらに言えば、義弘とアリスのアキレス腱――療養施設と、その非公式な生存線――へ手を伸ばせる状況を作れれば理想的だった。
だから彼らは、街の祭りを利用することにした。
アリス・スクワッドへ、一部のエージェントと装備を偽装して紛れ込ませる。
最初から運動そのものを作ったわけではない。
新開市民の自発的な雑音として自然に生まれたものへ、後から毒を混ぜる。
それがいちばん見抜かれにくい。
彼らは偽装が上手かった。
企業群の不正を暴く手際が、やけに正確になる。
標的の選び方が、単なる恨みや“映え”ではなく、妙に戦略的になる。
企業群だけでなく、オールドユニオン関連施設への圧も同時に高まる。
さらに、療養施設近辺の裏導線へ探りを入れる者まで現れ始める。
それでも最初は、誰もはっきりとは気づかない。
新開市では、雑多で手際の良すぎる集団など、祭りの熱が乗ればいくらでも生まれたように見えるからだ。
だが、手際が良すぎることには、いずれ匂いが出る。
匂いは、まずSABLEのような人間に引っかかる。
*
オールドユニオンの会合は、表面上は静かだった。
怒号もない。
机を叩く者もいない。
だが、それは穏やかという意味ではない。
静かであるほど、互いの立場の違いが冷たく研がれていく類の会合だった。
議題は二つ。
アリスが帰還したこと。
そして、“アリス・スクワッド”という新開市民有志の団体が、オールドユニオンを攻撃対象へ入れ始めたこと。
撤退派の理屈は明快だった。
「アリスを活用するにはリスクが大きすぎる」
一人が言う。
「帰還したこと自体は事実だとしても、彼女は制御しにくい。代替派の件で我々は十分な打撃を受けた。新開市民の反発も、“アリス・スクワッド”という形で可視化され始めている。これ以上、街へ執着する理由が薄い」
別の者も頷く。
「彼女の影響力が大きいことは認める。だからこそ危険だ。組織の看板として扱うには、自発性が強すぎる。こちらの思惑と街の熱が噛み合わなければ、また今回のような破綻を招く」
アザドはそれを黙って聞いていた。
彼の顔にはいつも通り大きな感情が出ない。
だが内側では、すでに別の計算が進んでいる。
「だからこそ」
アザドが口を開く。
「アリスを活用すべきだ」
会議室の空気が、わずかに変わる。
「新開市民にはアリスが必要だ」
その言い方は、感情を煽るためのものではない。
事実を述べているだけだ、という顔だった。
「“アリス・スクワッド”がそれを示している。本人不在でも、名前だけで人が動く。企業群を叩くにも、オールドユニオンへ噛みつくにも、あの街は“アリス”という記号を使いたがる。それは反発であると同時に、依存でもある」
「依存、か」
撤退派の一人が鼻で笑う。
「それを組織の利得へ変換できると?」
「可能性はある」
アザドは答える。
「GLASS VEILも残る。完全な撤退は、こちらの影響線を自分から捨てるに等しい」
「その肝心のアリスが、今どこまで組織に従う」
別の声が入る。
「そこが問題だ。行方不明だった女を、今度は正式に活用する? どうやって保証する」
アザドはそこで沈黙した。
沈黙したのは答えがないからではない。
答えをここで全部出す気がないからだ。
アリスは帰還している。
そして新開市に残る条件まで持ち込んできた。
だがそのことを、この場でどう切るかは別問題だった。
先に情報を出しすぎれば、撤退派も活用派も、また別の形で余計な火遊びを始める。
撤退派は、その沈黙をどう受け取ったか。
少なくとも簡単には折れなかった。
「結局、保証がない」
「アリスの影響力は認める。だが影響力があることと、我々のために使えることは別だ」
「新開市民の反発もすでに見えている」
静かな激論は続く。
大きな声はない。
だが、決して穏やかでもない。
アザドはそれを聞きながら、アリスの選んだ立場の矛盾を、自分でも改めて思った。
彼女は残った。
新開市を守るために。
だが彼女がオールドユニオンのために動けば動くほど、逆に組織の中では“それほど危険なら撤退すべきではないか”という議論が強まる。
アリスが守るために残ったことそのものが、撤退論の材料になる。
ひどく捻れた話だった。
*
アリスは、その矛盾に歯噛みしていた。
アザドと条件付きで線を結び直した時、彼女は覚悟していた。
オールドユニオンに好き勝手をさせない。
しかし完全撤退もさせない。
療養施設とNECROテック患者、非公式な生存線を守るために、自分がその危うい均衡の上へ残る。
嫌だった。
でも必要だった。
なのに、いざ残ってみれば、組織の中ではこうだ。
アリスを使うならリスクが高い。
アリスが動けば動くほど、市民の反発も増す。
“アリス・スクワッド”みたいな雑音まで生まれる。
残れと言う。
けれど動くなとも言う。
動かなければ残る意味は薄れる。
動けば危険だと言う。
なら最初から何をさせたいのか。
その矛盾が、アリスにはどうしようもなく腹立たしかった。
彼女は表へ出ない場所で、端末の光だけを見つめていた。
“アリス・スクワッド”の切り抜き動画、雑な暴露配信、企業群への攻撃、オールドユニオン関連線へのちょっかい、GLASS VEILの名前が混ざった扇情的な字幕。
自分の名前が、自分の知らないところで、勝手に祭りになっている。
気持ちが悪い。
でも、新開市ではよくあることだとも知っている。
義弘なら、名前じゃなく線を見ろと言うだろう。
そこまで思って、アリスは端末を閉じた。
線を見る。
なら、まずSABLEが動くだろう。
あの子は放っておかない。
シュヴァロフも勝手についていくだろう。
義弘も、たぶん同じことを考える。
その想像が、少しだけ彼女を落ち着かせた。
全部が自分一人の仕事ではない。
そう思えるようになったこと自体が、たぶん少しだけ変化なのだろう。
だが苛立ちは消えない。
新開市を守るために残ったのに、その新開市では“アリス”がまた勝手に増殖している。
組織の中では、そのアリスをどう使うかで揉めている。
本人だけが一番自由じゃない。
「……最悪」
アリスは低く呟いた。
夜の向こうで、街の灯りは相変わらず祭りみたいに明るい。
その灯りの下で、“アリス・スクワッド”はたぶん今も誰かの何かを暴き、誰かを煽り、誰かにいいねをもらっている。
そしてその中には、きっともう、本物の悪意が混ざり始めている。
アリスは立ち上がった。
苛立ちのままでは終われない。
名前が勝手に歩くなら、その足跡がどこへ向かっているのかを見にいくしかない。
その頃、新開市の別の場所では、SABLEがシュヴァロフを伴ってアリス・スクワッドの調査へ向かい始めていた。
街はまた、新しい祭りの入口へ立っている。
ただし今度の祭りは、企業群を笑って終わるだけでは済まないかもしれない。
オールドユニオンも、GLASS VEILも、療養施設も、その全部を巻き込んで、もっと悪い方へ転がる匂いがあった。
アリスはその匂いを、はっきり知っていた。
だからこそ、歯噛みしながらでも線を引きに行くしかない。
新開市では、名前はいつも本人より先に走る。
なら本物は、その後ろからでも、走り出した影の行き先を変えなければならなかった。




