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第275話 罠に踏み込む

 新開市の朝は、いつもより少しだけ金属の匂いが強かった。


 海からの湿った風に、再開発区画のコンクリート粉塵と、仮設資材の油と、夜のうちに動いた大型搬送車両の排気が混じっている。街そのものが巨大な現場であり続けるこの都市では珍しいことではない。だが、真鍋はその匂いの中に、平常の工事とは違う焦りの薄い膜を感じ取っていた。


 焦って隠したものは、匂いが変わる。


 そういう種類の経験を、彼女は積んできた。


「こっちです」


 シラヌイが先導する。


 企業群の標準的な搬入路ではない。観光客や市民に見せるための表の物流線から一本外れた、事故対応資材と修理部品と緊急封鎖設備が混載される脇のラインだ。フェス関連の仮設構造物がまだ半分残っているせいで、道はあちこちで不自然に太くなったり細くなったりしている。大型機材を一時的に流し込むには都合がいい。逆に言えば、そういうことをする気がなければ使う理由が薄い導線でもあった。


 即席の捜索班は四人だった。


 真鍋。

 SABLE。

 シラヌイ。

 そして義弘。


 義弘は、白のサムライ・スーツをまとっていた。


 アライアンスから受領した白の装甲は、朝の鈍い光の下でも妙に目立った。清潔というより、濁りを拒絶する色だ。新開市の裏導線や企業群の隠蔽やオールドユニオンの計算の中を歩くには、あまりにも場違いに見えるほどの白。その不釣り合いさが、逆に義弘という男の輪郭を際立たせている。政治の人間でありながら、必要とあれば前に出る。表の交渉を担いながら、現場でも刃を抜ける。白のサムライ・スーツはその矛盾を隠すのではなく、そのまま形にしたようだった。


 SABLEは、その白を一度だけ横目で見た。


 義弘の考えは、昨夜の尋問室でだいたい読んだつもりだった。折原の気持ち悪い理論を聞きながら、義弘はすでにその先を見ていた。ブージャムを止めるための大型ドローンが必ず動く、と。アリスはその搬入口を噛みにいく、と。

 あれは推理というより、アリスの癖を知っている人間の確信だった。


 SABLEは自分でも気づかぬうちに、その確信へ乗っていた。


 乗るしかないと思った。

 いま街で一番アリスに近い推測をできるのが義弘であることを、認めざるを得なかったからだ。


「企業群が大型搬入を隠すなら、どこを使う?」


 真鍋が歩きながら問う。


 シラヌイは迷いなく答えた。


「正規の大型搬入口は逆に使いません。目立つから。事故対応名目の中継倉庫を噛ませます。修理部材、封鎖資材、仮設補強材、そのへんに分散して入れる。最後に再組立て前提で動かす方が企業群の癖です」


「書類も分散?」


「はい。ひとつの大型兵器としては残さない。複数の合法書類に薄く散らす」


 真鍋は短く頷いた。


 シラヌイの説明は具体的だった。企業群の人間が考えそうな逃げ方を、彼女はよく知っている。知っているからこそ、あちら側へ戻れなくなったのだろうと、SABLEはふと思った。


 路地を一つ曲がったところで、義弘が足を止めた。


「静かすぎる」


 白い装甲の首元がわずかに動く。

 シラヌイもすぐに察した。


「この時間、このルートなら作業員がいるはずです」


 だが人影がない。

 搬送用の簡易柵が半開きになったまま、妙にきれいに片付いている。緊急対応便の荷札が貼られたコンテナが二つ。片方は空、片方はまだ封が切られていない。しかし周囲にいるべき人間がいない。

 いない、ということそのものが待ち伏せの匂いだった。


「来る」


 シラヌイが低く言ったのと、ほぼ同時だった。


 奥のシャッター脇から、低い駆動音が滑り出してくる。

 VX-07 HOUND。


 企業群の地上制圧用ドローンは、狭い搬入区画では妙に生々しく見えた。金属とセンサーの塊でしかないはずなのに、獣じみた低い姿勢と、床を舐めるような動きのせいで、こちらの呼吸へ直接噛みついてくるような圧がある。しかも一機ではなかった。視界の端、積み上げられた資材の影、高架の支柱の向こう。複数。


「時間稼ぎか」


 真鍋が顔をしかめる。


 それはつまり、奥に消したいものがあるということだ。


 HOUNDが吠えるような駆動音を鳴らし、前へ出た。


 義弘は一歩進む。

 白のサムライ・スーツが、薄暗い搬入路の中でわずかに光を返した。


「真鍋、証拠を押さえろ」


「言われなくても」


「SABLE、下がるな。だが前へ出すぎるな」


「わかってる」


「シラヌイ」


 義弘が呼ぶと、彼女はすでに動いていた。


「左を取ります」


 短い返答の直後、最初のHOUNDが跳んだ。


 速い。

 だが義弘は引かなかった。白のサムライ・スーツの腕部装甲で正面の衝撃を受け流し、そのまま半身にずれてHOUNDの首にあたるセンサー束へ打ち込む。鈍い衝撃音。HOUNDは軌道をずらされ、床へ火花を散らした。

 そこへ横から回り込んだシラヌイが、企業ヒーローとして培った機動で二機目の足を払う。正面からではない。関節の逃げ道を潰す角度だ。彼女は企業群の兵器をよく知っている。知っているから、どこへ触れば“壊す”より先に“止められる”かもわかっていた。


 HOUNDは狭い導線で強い。

 だが、導線が読めている相手には逆に首輪になる。


 義弘が一機目をさらに押し込み、白い装甲の膝を落とす。HOUNDの駆動が一瞬乱れる。そこへシラヌイが滑り込み、補助アンカーの射出口を塞ぐように装甲板をねじ込んだ。


「今!」


 真鍋がその隙に奥へ走る。

 SABLEもついていこうとしたが、横から三機目が出た。


 彼女は息を止める。

 戦い方が違う。義弘やシラヌイのように正面からは止められない。

 なら、流れを使う。


 SABLEは足を止めず、手前に積まれた軽量資材の列へ視線を送った。そこで働いていたはずの作業員が、どこかへ退避させられていた痕跡がある。運搬台車が中途半端な角度で残り、梱包材が不自然に寄せられている。HOUNDはその隙間を直線で抜けたい。

 SABLEは一歩踏み換え、荷崩れしかけた梱包材へ体重を預けた。

 梱包材が傾き、運搬台車がわずかに滑る。

 ただそれだけで、HOUNDの最短線が鈍った。


 義弘がその鈍りを逃さず、白いサムライ・スーツの肩越しに低く言う。


「うまい」


 褒められた気はしなかった。

 だが息は整う。


 結局、HOUNDは三機とも制圧された。


 完全破壊ではない。だが駆動は止まり、追跡にも時間稼ぎにも使えない状態になっている。

 企業群の意図は明白だった。ここで自分たちを止め、その間に奥の痕跡を薄める。

 だが遅かった。


 真鍋が奥のコンテナ列から戻ってくる。顔色は変わらないが、声は速い。


「取れました。搬送固定具の規格が大型機用です。しかも複数の中継倉庫のログと一致しない。書類上は事故対応資材、実物は重装甲ユニット。DRAKEの搬入とみて間違いありません」


 シラヌイがすぐに補足した。


「この固定具、企業群の軍用転用案件でしか使いません。OF-44級の胴体フレーム用です」


 SABLEは奥を見た。

 証拠はある。

 でも、そこに期待していたものはない。


「……アリスはいない」


 誰にともなく言う。


 義弘は頷いた。


「当然だろうな」


「当然?」


「彼女がここへ来るなら、もう来ている。来ていないなら、別の線だ」


 真鍋が短く言う。


「次はオールドユニオン側です。時間をかける余裕はない」


 義弘の目が、一瞬だけ細くなった。

 白のサムライ・スーツに付着したHOUNDの擦過痕が、朝の薄光で鈍く光る。


「行くぞ」


     *


 その頃、別の場所では、ひどく醜い合意が成立していた。


 企業群とオールドユニオン代替派。

 元々、互いを好いてなどいない。むしろ嫌悪と軽蔑と便宜だけで繋がっていた両者だ。ブージャム出現以後、その亀裂は決定的になった。

 だが、アリス対策に限っては話が別だった。


 ブージャムは放置できない。

 アリスは放置できない。

 なら、一時的にでも手を組み、あれを釣るしかない。


 そのために彼らが選んだ方法は、ひどく彼ららしく、ひどく愚かだった。


 ブージャム初出現の状況を、もう一度作る。


 つまり、GLASS VEILのコンサート。

 怪獣役。

 守護役。

 都市の熱狂。

 その舞台を再現し、本物の守護獣をおびき寄せる。


 会場準備は急ごしらえだったが、外見だけは整っていた。

 照明、仮設ステージ、観客導線、緊急アナウンス回線、上空監視ドローン。全部ある。

 だが、一つだけ決定的に欠けているものがあった。


 SABLEだ。


 GLASS VEILの控え室には、張り詰めた不満が満ちていた。


「ちょっと待って、ほんとにやるの?」


 年長のメンバーの一人が、衣装の袖を乱暴に引きながら言った。


「SABLEいないのに、どういうつもり?」


「上は問題ないって言ってる」


 別のスタッフが言う。

 だが、その声にはまるで確信がない。


「問題ないわけないじゃん。前回だって、あの子がいたから……」


 言いかけて、メンバーは口をつぐんだ。

 何かを口にすれば、それが不満ではなく反抗として記録されるとわかっている顔だった。


 代替派の監督役は、感情のない声で告げる。


「公演は予定通りです。守護演出の再現性を示す必要があります」


「守護演出って何」


 別のメンバーが吐き捨てる。


「私たち、舞台装置じゃない」


 だが返ってくるのは、慰めではない。


「都市機能の一部です」


 それが代替派の答えだった。


 ステージの外では、企業群側の人員がOF-44 DRAKEの最終調整を行っている。

 DRAKEは、企業群の思想そのもののような機体だった。

 低重心、重装甲、制圧第一。

 見せるための怪獣ではなく、押さえ込み、拘束し、回収するための檻。

 だが今日だけは、それに“怪獣役”を演じさせる。

 役割そのものが倒錯していた。


 一方、オールドユニオン側では、バーディングが待機していた。


 怪鳥じみた細長い機体。

 巨大な翼。

 儀礼のために設計されたような、青白く冷える金属の輪郭。

 守護役として出れば、たしかに画面は映えるだろう。

 だがSABLE不在のままでは、その守護は中心のない儀式にしかならない。

 見た目だけが完璧な、空洞の祭具だ。


 それでも彼らは強行した。


     *


 義弘たちが企業群側の証拠を押さえ、次の搬入路へ向かおうとした時、SABLEはふと立ち止まった。


「どうした」


 義弘が問う。


 彼女はすぐには答えない。

 地図を見ているわけではない。

 けれど、何かが引っかかっている顔だった。


「……嫌な感じがする」


 真鍋は歩みを止めないまま言う。


「具体的に」


「具体的じゃない。でも、あいつら、待てない」


 義弘はその一言で理解した。


 企業群も、代替派も、ブージャムを制圧する大型機を持ち込んでいる。その証拠が片方で出た。もう片方も動いている可能性が高い。

 だが、彼らはただ運び込むだけでは済まない。

 自分たちが大型戦力を用意したなら、それを使いたくなる。

 使って、主導権を取り戻したくなる。


「コンサートか」


 義弘が低く言う。


 SABLEの目が揺れた。

 彼女も同じところへ行き着いた。


 ブージャム初出現。

 GLASS VEIL。

 怪獣役。

 守護役。

 その再現舞台を、あいつらは本気で作るかもしれない。


「最悪」


 シラヌイが吐き捨てる。


「SABLEがいないのに、やるつもりか」


「やる」


 SABLEは言った。


「私がいないから、たぶん余計にやる」


 その言葉には苦さがあった。

 自分が必要だからではない。

 自分がいなくても構造は回せると証明したいからだ。

 それが代替派の冷たさだと、もうわかっている。


 真鍋が即断する。


「搬入路の洗い出しと並行して、公演会場の監視もかける。義弘、SABLE、シラヌイ、先行してください。こちらで証拠班を回します」


「了解」


 義弘は白のサムライ・スーツの顎当てに触れ、通信系を再起動した。

 白い装甲の線が、動くたびに光を切る。


 だが、その時点で、もう一歩遅れていた。


     *


 会場の照明が落ちる。


 歓声は前回より不安定だった。

 SABLEがいないことを知っている者も、知らないまま違和感だけを覚えている者もいる。

 GLASS VEILのメンバーたちは、それでもプロとして舞台へ出た。

 だが彼女たちの立つ位置には、目に見えない空白がある。

 SABLEが担わされていた役割の空白。

 代替派が“中心など構造で代替できる”と信じているその部分に、実際には埋めがたい穴が空いていた。


 それでも演出は進む。


 警告音。

 スクリーンの緊急表示。

 観客のざわめき。

 上空監視ドローンの旋回。


 そして、OF-44 DRAKEが現れる。


 企業群の大型ドローンは、舞台の上では異様に現実的だった。

 怪獣役をやらせるには、実務の匂いが強すぎる。

 重い。低い。押し潰すための形をしている。

 それでも企業群は、それを脅威として演じさせた。

 巨大な檻を、巨大な怪獣の仮面で包み、ブージャムを釣るための餌にする。


 少し遅れて、バーディングが上空へ出る。


 翼を開いた瞬間、その怪鳥はたしかに美しかった。

 青白い輪郭が照明を受け、まるで神話の守護鳥のように会場を見下ろす。

 観客は思わず声を上げる。

 だが、その美しさは空虚だった。

 中心がない。

 守護の意味を担うべきSABLEがいない。

 だからそれは、ただ見栄えのいい儀礼装置にしか見えない。


 そして、影が動いた。


 会場の外縁、照明の届かない仮設資材の向こう。

 監視ドローンの視線が一瞬だけ流れた、その死角。

 そこから、煙のように輪郭が浮かび上がる。


 ブージャム。


 巨大な身体は光の中へ躍り出る前に、まず闇の中で呼吸したように見えた。

 OF-44 DRAKEのような檻でもなく、バーディングのような祭具でもない。

 生き物の夢のような滑らかさを持った、アリスの怪獣。


 その背後、あるいはその影とほとんど区別のつかない場所に、白いフードの小さな輪郭があった。


 アリス。


 彼女は会場の全体を一度だけ見た。

 怪獣役。

 守護役。

 中心のないステージ。

 自分を釣るために整えられた、苦いほど出来の悪い再現舞台。


 それでも、彼女は引かなかった。


 義弘たちは必ず搬入口で証拠を掴む。

 企業群の檻も、代替派の祭具も、そこへ運び込まれたという痕跡は残る。

 真鍋はそれを押さえる。

 シラヌイは見抜く。

 SABLEはおそらく、この空虚な舞台の異常へ辿り着く。

 義弘は白のサムライとして、こちらへ来るだろう。


 だから自分は、こっちを引き受ける。


 アリスはそのことを、ほとんど疑っていなかった。

 信じるというより、もうわかっているに近い。

 自分がひとりで全部を抱える必要はないと、ようやく体が知り始めている。

 だからこそ彼女は、もっとも苦しい戦場になるとわかっている場所へ、自分の足で踏み込めた。


 企業群と代替派の罠の中へ。


 ブージャムが一歩、前へ出る。


 DRAKEの重い輪郭がそれに反応し、拘束用のアームをわずかに開く。

 バーディングは上空で翼を傾け、会場全体を“舞台”へ固定しようとする。

 照明が揺れ、観客のざわめきが恐怖へ変わりかける。


 その最初の一線を越えた瞬間、アリスは低く息を吸った。


 逃げるためではない。

 壊すためでもない。

 この舞台そのものを、もう一度、本物の危険と本物の守りがある場所へ引き戻すために。


 新開市のどこか別の場所では、白のサムライ・スーツをまとった義弘たちが、まだこちらへ向かっているはずだった。

 アリスはそれを、振り返らずに信じた。


 そして自分は、自分の戦場へ入る。


 煙のように静かなまま、しかし誰よりもはっきりと。

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