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第268話 孤独な人

 アリスは、ついにM-22の痕跡へ辿り着いていた。


 それは派手な証拠ではない。

 港湾の監視記録に一瞬だけ映る車列。

 搬入申請の空白。

 企業群の説明からこぼれ落ちた、古い部材番号。

 そして、今までの調査を繋ぎ合わせた先にようやく浮かび上がる一本の搬入路。


 M-22のパーツを新開市へ持ち込んだ搬入路、その一つ。


 かなり本命に近い。

 少なくともアリスにはそう思えた。


 ここを押さえれば、M-22と企業群、あるいはその背後にいる何者かの手順に、もう一段深く食い込める。

 そう確信できる程度には、熱かった。


 だから本当は、単独で行きたかった。


 “ゴースト”として。

 誰にも見られず。

 誰にも追随されず。

 必要なら強襲し、必要なら離脱し、必要なら全部ひっくり返して逃げる。


 そういうやり方でしか拾えないものがある。


 だが――


「私も行く」


 SABLEが、当然のように言った。


 当然のように、というのが一番困る。


 アリスは端末から顔を上げずに答えた。


「危ない」


「知ってる」


「調査だけだ。

 ライブじゃない」


「知ってる」


「じゃあ来るな」


「嫌」


 短い。

 短いのに、まるで譲る気がない。


 アリスは端末を持つ手に、少しだけ力を込めた。

 怒っているわけではない。

 少なくとも表面上は。


 ただ、胸の奥がざらつく。


 危険だから、というのは本当だ。

 調査だけだから、というのも本当だ。

 SABLEを巻き込みたくないのも、本当だ。


 だがそれだけではない。


 実際には――

 一緒に行きたくない。


 SABLEに、自分の“ゴースト”の領域を見せたくない。

 危険の匂いを嗅ぐ瞬間も、裏導線に潜る瞬間も、証拠へ噛みつく瞬間も、見られたくない。


 もしそれさえも、SABLEに先回りされたらどうする。

 もしそれさえも、SABLEのほうが“上手く”やってしまったらどうする。


 アリスは、その想像をしたくなかった。


「現場近くまでだ」


 ようやく絞り出した言葉は、それだった。


「そこから先は私一人で行く」


 SABLEはアリスの顔を見た。

 無表情。

 だが、何かを読んでいる目。


「戻る?」


「戻る」


「本当に?」


「うるさい」


 アリスがそう言うと、SABLEはそれ以上は何も言わなかった。

 言わないまま、同行する顔をした。


 それが余計に腹立たしかった。


 現場近くの空気は、妙に軽かった。


 軽い、というより、滑りがいい。


 人が歩く。

 止まる。

 また流れる。

 普通なら詰まる場所で、なぜか詰まらない。

 逆に、空いていてもよさそうなところで、妙に人が滞る。


 折原だ。


 見なくても分かる。

 この街で列が“生き物みたいに”動く時は、だいたいあの男が噛んでいる。


 アリスはSABLEと手をつないでいた。


 最初からそうしたわけではない。

 だが途中で、そうするしかないと判断した。

 列の圧に飲まれて別れ別れになるのを防ぐためだ。


 SABLEは手をつながれても、何も言わなかった。

 驚かない。

 喜びもしない。

 ただ当然のように歩調を合わせる。


 その落ち着きが、アリスには少しだけ救いで、少しだけ嫌だった。


 フルーテッド二機が後方と側面につく。

 礼儀正しい鎖。

 アリスにとっては目立ちすぎる護衛。

 だが今日は、それも必要だと割り切った。


 群衆へは笑顔で手を振る。

 いかにも正式な市内案内ルートの途中です、という顔で。

 公的な導線を“演じる”ことで、折原の列に対抗する。


 前に一度やって、効いた。

 今回もたぶん効く。


 だが、効いたところで折原が一手で終わるとは思っていなかった。


 アリスは周囲の看板と屋台と群衆の目線をざっと走らせながら、低く言う。


「来るぞ」


 SABLEが横を向かずに聞く。


「何が?」


「折原の次の手」


 答えた、その時だった。


 地面が鳴った。


 最初は遠い。

 四脚の、速い接地音。

 地面を擦るような低い駆動音。

 そして、その後に続く変形機構の重い鳴り。


 企業群の新たな怪獣ドローン。


 四脚で地上を疾駆し、状況に応じて格闘戦用の二脚へ変形するタイプ。

 SKYLANCEとは別系統。

 空ではなく、地を支配するための怪獣。


 群衆がざわめき、

 次の瞬間にはそのざわめきが歓声と悲鳴へ割れる。


 「来た!」

 「何あれ!」

 「また怪獣!」

 「企業ヒーロー呼べ!」


 企業ヒーローたちの気配も来る。

 リン。

 アオイカゲ。

 シラヌイ。


 そして同時に、折原の列が起動した。


 アリスたちを巻き込むように。

 怪獣と群衆とヒーローの位置関係が、ほんの少しずつ、しかし確実に“絵”になる方向へ揃っていく。


 アリスは舌打ちした。


「やっぱりか」


 列の圧力は、目に見えない。

 だが身体には分かる。


 人が押してくるのではない。

 押したくなる。

 止まりたくなる。

 誰かの肩越しに見たくなる。


 その小さな欲の偏りが、結果として大きな波になる。


 アリスとSABLEは手をつないだまま、その波の中にいた。


 アリスは前へ出たい。

 M-22の搬入路へ行きたい。

 怪獣なんて後回しでいい。

 今は証拠だ。


 SABLEは分かっていない顔で、それでもアリスの手の温度だけはちゃんと感じているようだった。


「アリス」


「黙ってろ」


「怖い?」


「違う」


「嘘」


 言い返す暇もなく、人波が横から押し寄せる。

 腕が引かれる。

 足元がずれる。

 フルーテッドの誘導音声がどこかで鳴る。


 アリスはSABLEの手を握り直した。


 だが次の瞬間。


 列の圧力か。

 それとも気持ちの問題か。


 アリスは――手を、放してしまう。


 本当に物理的に弾かれたのか。

 それともアリスの心のどこかで、一瞬だけ緩んだのか。

 そのどちらだったのかは、アリス自身にも分からなかった。


 だが、離れた。


 離れてしまった。


 アリスの胸が凍る。

 凍ったのに、口が勝手に動いた。


「調査したらすぐ戻る!」


 言い訳みたいな叫びだった。

 自分でも分かるくらい、言い訳だった。


 SABLEの顔を見る暇もなく、アリスはそのまま人波の縁を裂くようにM-22の搬入路へ走った。


 逃げた。

 少なくとも、アリスにはそう感じられた。


 一方、列の中に取り残されたSABLEは、静かだった。


 最初は、何が起きたのか分からないように見えた。

 つないでいた手の感触が消えた。

 アリスの背中が遠ざかった。

 残ったのは、群衆の熱と、怪獣の駆動音。


 それだけだった。


 だが、その“それだけ”が、SABLEには十分だった。


 手を離された。


 その事実が、遅れて胸の奥へ落ちる。


 哀しい、とSABLEは思った。


 子どもみたいに単純に。

 取り残されたことが。

 置いていかれたことが。

 アリスが自分と一緒に居たくないのだと、はっきり形になってしまったことが。


 その哀しみは、涙にはならない。

 SABLEは泣かない。

 少なくとも人前では。


 代わりに、顔が上がった。


 キッと。


 その瞬間、列の空気が変わった。


 折原の操作が、止まったわけではない。

 だが効き方が変わる。


 群衆の視線が、一斉にSABLEの視線の先を追う。


 そこには、アリスとSABLEを離れ離れにさせた原因――怪獣ドローンがいた。


 四脚で疾駆し、二脚に変形し、企業ヒーローたちと応酬している怪獣。


 SABLEは、それを見た。


 そして、手を上げた。


 ただそれだけだった。


 号令もない。

 説明もない。

 無表情のまま、静かに手を上げる。


 その動きに、なぜか群衆のスマホが一斉に反応した。


 フラッシュ。


 一発ではない。

 二発でもない。

 群衆全体の、無数のスマホが怪獣ドローンへ向けて一斉に閃く。


 まるで光の弾幕だった。


 怪獣ドローンが混乱する。

 視覚センサーが白飛びする。

 足運びが一拍遅れる。


 そこへ、SABLEの視線の導く先に従うように、企業ヒーローとフルーテッドが突撃した。


 シラヌイが盾を前に出す。

 リンが側面へ切り込み、アオイカゲが変形の継ぎ目を狙う。

 フルーテッドが上空から同期を崩す。


 それは、もはや個々の連携ではなかった。


 群衆の呼吸が、SABLEの手の動きと同期している。

 フラッシュが波になる。

 歓声が合図になる。

 ヒーローたちがその波に押し出されるように怪獣へ届く。


 巨大なアリスが拳を振るった。


 そう見えた。


 怪獣ドローンが大きくのけぞる。

 二脚形態が崩れ、膝が沈む。

 四脚への再変形も間に合わない。


 群衆の海そのものが、SABLEを核に一つの生物になっていた。


 折原は、その光景を見ていた。


 歩道橋の陰。

 列の外縁。

 最も全体が見える場所。


 最初は、少しだけ違和感があった。

 自分の操作していた列の手触りが、途中で変わったのだ。


 誰かが奪ったのではない。

 もっと自然に、列そのものが別の中心を見つけた。


 SABLE。


 無表情のまま、悲しみを核にして群衆の呼吸を掴む。


 折原は、その瞬間に理解した。


 自分は、いま見ているのだ。


 列が、人を産む瞬間を。


 群衆が一つの人格へ昇華する瞬間を。


 巨大群衆“アリス”。


 いや、もうそんな呼び名すらどうでもよかった。

 名前ではない。

 確かにここに、ひとつの“生き物”が立ち上がっている。


 折原は、気づけば感涙していた。


 涙が出ることに、自分で少し驚いた。

 だが止まらない。


 列が人を産んだ。

 列が、一つの生物になった。

 折原はとうとう、自分の美学をそこまで押し上げたのだ。


 興奮と感動で、喉が熱い。

 胸が痛い。


「……やった」


 誰に言うでもなく、折原は掠れた声で呟いた。


 怪獣ドローンが、巨大アリスの猛攻の前に崩れていく。

 フラッシュ。

 歓声。

 ヒーローたちの追撃。

 フルーテッドの共鳴音。


 全部が、ひとつの拍子で鳴っている。


 美しかった。


 一方、列にはじき出された位置から、アリスもその光景を見ていた。


 M-22の搬入路へ向かう途中で、

 嫌でも見えてしまった。


 SABLEが中心に立っている。

 無表情のまま。

 哀しみを振り払うみたいに顔を上げて、

 怪獣ドローンへ群衆を向けている。


 そして何より――


 SABLEは、ハックも使っていない。


 NECROテックも。

 裏導線も。

 証拠取りも。

 “ゴースト”の技術のどれも使わずに。


 怪獣ドローンを圧倒していた。


 アリスの顔から血の気が引いた。


 青ざめる、という表現がぴったりだった。

 指先が冷える。

 膝が少しだけ笑う。


 嫌な予感は、ずっとしていた。


 SABLEは、ありとあらゆる面でアリスを上回るかもしれない。

 偶像性。

 群衆の支配。

 立ち位置。

 存在感。


 そして今――

 “ゴースト”まで。


 アリスは、わなわなと震えた。


 あれは違う。

 違うはずだ。

 SABLEはアリスではない。

 “ゴースト”でもない。


 だが群衆は、そうは見ない。

 群衆は、目の前で起きた“結果”だけを見る。


 SABLEが群衆を動かした。

 怪獣を止めた。

 ヒーローとフルーテッドを接続した。


 それは、ゴーストの上位互換に見えた。


 アリスの喉が詰まる。


 言葉にならない。

 怒鳴れない。

 否定できない。


 ただ、怖かった。


 自分の最後の拠り所が、手の届かない場所で別の形に変わっていくのを見るのが。


 巨大アリスの猛攻で、怪獣ドローンが崩れ折れた。


 群衆から歓声が上がる。


 「SABLE!」

 「やった!」

 「すげえ!」

 「本物!」

 「アリスみたいだ!」


 その最後の声が、アリスの胸を深く裂いた。


 似ているのではない。

 真似されたのでもない。

 奪われる。

 そう感じた。


 アリスは、ボロボロと泣いた。


 叫ばない。

 その場で崩れもしない。

 ただ涙が勝手に落ちる。


 自分でも気づかないうちに、頬を伝って、顎から落ちていく。


 そのまま、アリスは静かにその場を離れた。


 誰にも見つからないように。

 誰にも止められないように。


 背後では歓声が続いている。

 SABLEが中心にいる。

 折原はたぶん泣いている。

 企業ヒーローたちは喝采を浴びている。


 全部が、アリスのいない場所で回っている。


 アリスは歩く。

 涙を拭きもせず。

 鼻をすすりもせず。

 ただ、足だけを動かして。


 ――おお、孤独な人よ。


 奪われる前から、失うことを知っていた人よ。


 “ゴースト”しか持たないと信じたその胸で、

 いま、音もなく砕けていくものの名を、

 まだあなたは知らない。

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