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第267話 巨大なアリス

 折原 連は、SABLEを“素材”として見るのに、さほど時間を要しなかった。


 素材、という言い方は雑だ。

 本人が聞けば怒るかもしれない。

 だが折原にとって、人も列も、最初はまず素材だった。


 どう動くか。

 どこで止まるか。

 何を見て、何を欲しがり、何を怖がるか。


 それが分からなければ、線は引けない。


 だから折原は、SABLEを観察した。


 新開市の雑踏の中。

 アリスの隣。

 配信のカメラの前。

 突然できた記念撮影列の先頭。

 群衆の熱が一段上がる瞬間。


 SABLEは確かに優れている。


 視線を吸う。

 空気を整える。

 間を殺さない。

 群衆に「見ていたい」と思わせる。

 立っているだけで、場の温度が半度ずつ変わっていく。


 あれは訓練だけではない。

 訓練された身体の上に、才能が乗っている。


 世界的アイドルグループGLASS VEILの肩書は、伊達ではなかった。


 だが――


 折原の見立てでは、SABLEにアリスと同じ意味での“ゴースト”の才能はない。


 それは冷静に、はっきりと、なかった。


 危険の芯を嗅ぐ。

 裏導線に迷わず入る。

 火種の一番熱い場所へ踏み込む。

 誰も見ない情報を繋ぎ、表に出る前の事故の形を読む。


 そういう意味で新開市を“ひとりで”揺らせるのは、アリスだけだ。


 SABLE単独で、アリスと同じ方法で、新開市を動かすことは不可能だった。


 折原はそこを、妙に嬉しく思った。


 嬉しい、という感情は少し違う。

 安心でもない。

 ただ、アリスの席が、簡単な複製で済まされないことに、少しだけ満足したのだ。


 “ゴースト”は安くない。


 だが、それで話が終わるほど、折原はつまらない人間ではない。


 アリスと同じことができない。

 なら、別の形でアリスを超えればいい。


 折原はそこで、SABLEにアリスより優れた“別の才能”があることに気づいていた。


 大衆を操作する才能。


 操作、と言うと聞こえが悪い。

 けれど実際、それに近い。


 群衆に「見上げる角度」を与える。

 視線を集める。

 ざわめきの波頭を揃える。

 誰かの呼吸を、近くの誰かへ、そこからさらに後ろへと連鎖させる。


 列の起点になれる。


 折原は、それを見ていた。


 アリスには出来ないことだ。

 アリスは中心にはなれる。

 だが、群衆を“滑らかに接続”するのはうまくない。

 アリスはむしろ、事故と熱狂と危険の一点集中で中心になる。


 SABLEは違う。


 SABLEは、熱狂を均して広げられる。


 だったら――


 第二の“ゴースト”にする必要などない。


 その発想に至った瞬間、折原は思わず足を止めた。


 人の流れが横を抜ける。

 屋台の湯気が上がる。

 遠くで配信者のライトが瞬く。


 その全部の上に、折原の思考が一枚、透明な膜みたいに乗った。


 SABLEに列を接続する。

 SABLEに列と群衆を操作させる。

 群衆そのものを手足にする。


 つまり。


 一つの巨大な“アリス”を作る。


 SABLE一人でアリスに及ばないなら、群衆ならどうだ。


 アリス一人ではなく、アリスという役割を群衆へ分散する。

 SABLEを核にして、列を接続し、群衆の呼吸を揃え、動線そのものを人格に変える。


 巨大群衆“アリス”。


 折原は、その語感の悪さに笑いそうになった。

 悪趣味だ。

 だが悪趣味なものほど、美しく立ち上がることがある。


 アリスの名を借りる必要すら、本当はないのかもしれない。

 だが折原にとって、その名前を使うことには意味があった。


 新開市で最も“映え”ている存在。

 最も熱と視線と期待と反感を吸っている存在。

 それがアリスだ。


 なら、その機能を、群衆規模で再現したらどうなる?


 折原は、そこで完全に熱中した。


 計画に没頭する時、折原は周囲の人間がうるさくなる。


 企業群は、今回も例外ではなかった。


「折原さん、まずはSKYLANCEの修理方針を——」

「次の怪獣投入のタイミングを先に——」

「企業ヒーローの見せ場を確保する導線が——」

「代替派との接触は控えてください」

「余計なことをしないでください」


 余計なこと。


 折原はそれを聞くたびに、少しだけ笑ってしまう。

 “余計なこと”こそが本体なのに、企業群はいつもそこを理解しない。


 SKYLANCEの修理は進んでいる。

 企業ヒーローは焦っている。

 治安機関はまだ牙を立てきれていない。

 アリスはM-22を追っている。


 全部、折原にとっては素材だった。


 今はもっと大きいものを見ている。

 列。

 群衆。

 偶像。

 そして“人間”。


 しばらくは、企業群の焦りが邪魔だった。

 会議に呼び出される。

 説明を求められる。

 どこまで計画が進んでいるか聞かれる。


 だが不思議なことに、ある時からぱたりと邪魔が減った。


 折原はその理由を、すぐに察した。


 代替派が口を利いたのだ。


 オールドユニオン代替派にとって、折原はいま“使える人間”になっている。

 企業の逆転映えを作れるだけではない。

 SABLEを、新たな偶像ではなく、新たな“役割”へ接続できるかもしれない。


 その可能性に賭けたのだろう。


 企業群が折原に口を出そうとすると、どこからか別の手順が入る。

 会議の順番が変わる。

 決裁が保留になる。

 担当者が入れ替わる。


 露骨ではない。

 だが十分に分かる。


 折原は、代替派が思った以上に本気だと理解した。


 そして、ますます興味を持った。


 折原は、アリスが必ずM-22の件に噛みつくことを知っていた。


 M-22の件は、企業群の隠ぺいが完全ではない。

 SKYLANCEを“パフォーマンス”と言い換えても、あの軍用機までは綺麗に処理しきれていない。


 アリスはそこを嗅ぐ。


 嗅いで、辿って、噛みつく。


 それがアリスだ。


 だから折原は、ある意味で安心していた。

 アリスは表の偶像遊びに完全には染まらない。

 必ずどこかで裏へ潜る。

 裏へ潜る限り、“ゴースト”であり続ける。


 その一方で、表ではSABLEが群衆を集める。


 だったらやるべきことは、単純だ。


 企業群の怪獣を登場させる。

 それはSKYLANCEでもいいし、別の可変型でもいい。

 大事なのは名前ではない。

 群衆にとって“怪獣”として見えることだ。


 そしてSABLEを核に、列を接続する。


 列を接続し、群衆全体をひとつの巨大な“アリス”として振る舞わせる。


 もしその巨大群衆“アリス”が、怪獣と向き合い、

 群衆の熱と導線と偶像性を持ったまま勝利の形を作れたなら。


 折原は、ひとつの証明に辿り着く。


 列によって“人間”を生み出せる。


 それはもはや演出ではない。

 群衆操作でもない。

 “人間の生成”に近い。


 折原は、そこにぞくりとするほど惹かれた。


 列はただ並ぶものではない。

 列は、欲と視線と熱を接続する回路だ。

 その回路を十分に整えれば、

 人は一人のように動き、一つの感情のように揺れ、一個の人格のように振る舞う。


 そんなことが、本当に出来るのか。


 折原は、試したかった。


 いや、試すという言葉では足りない。

 証明したかった。


 その瞬間、彼はふいに興奮を覚えた。


 喉が熱い。

 舌先が乾く。

 上唇がざらつく。


 折原は思わず、上唇を舌で舐めた。


 その仕草に、自分で少し笑う。

 みっともない。

 だが、こんなに“作品”に近づいた感覚は、久しぶりだった。


 企業ヒーローを活躍させる。

 アリスと同じくらい映えさせる。

 SABLEを新たな偶像にする。


 そんなものは、もう一段下の話になりつつある。


 折原が見ているのは、その先だ。


 巨大なアリス。

 群衆を接続した人格。

 列から立ち上がる、ひとりの“人間”。


 それがもし成功すれば、折原は新開市に対して一つの答えを出せる。


 この街は、偶然に燃えているのではない。

 導線次第で、群衆はひとつの生き物になれるのだと。


 遠くで、歓声が上がった。


 アリスとSABLEのユニットが、またどこかで群衆を集めているのだろう。

 SABLEが視線を集め、

 アリスがその隣で不機嫌そうな顔をしている。

 その絵だけで人は寄ってくる。


 折原は、その想像に薄く笑った。


 アリスはまだ、自分の名前と役割が群衆規模で利用されようとしていることを知らない。

 SABLEもまた、自分が“巨大なアリス”の核にされようとしていることを知らない。


 企業群は怪獣を準備している。

 アザドは火種を整えている。

 代替派は偶像を量産する気でいる。


 誰も彼も、欲張りだ。


 それでいい。

 欲が多いほど、列は鳴る。

 鳴るほど、作品は美しくなる。


 折原は歩き出した。


 現場を見に行くためではない。

 現場を“聴きに”行くためだ。


 どこで人が止まり、

 どこで首を上げ、

 どこで心拍が揃うのか。


 その全部を拾って、巨大な一体へ編み上げる。


 彼の目にはもう、ただの群衆は映っていなかった。


 そこにあるのは、未完成の輪郭だ。

 まだ名前も顔もない、一体の“人間”の骨組みだ。


 折原は、人波の中で低く呟いた。


「さて……作るか」


 その声は、誰にも届かない。


 だが新開市の空気は、すでにその言葉を聞いているように熱を持ち始めていた。

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