第263話 火種の扱い
折原 連は、現場を歩く時、上を見ない。
上を見れば、空の広さに判断が引っ張られる。
下を見れば、列の細さが見える。
列は足元で生まれる。
欲は目線の高さで燃える。
その二つのずれを、どう噛み合わせるか。
それが折原の仕事だった。
だから折原は、フェス会場の裏通りを歩きながら、ひたすら地面と人の流れを見ていた。
看板の角度。
屋台の位置。
柵の間隔。
足を止めたくなる日陰。
声が反響して、つい振り返りたくなる壁。
立ち止まる理由、回り込みたくなる理由、前に出たくなる理由。
全部が導線になる。
折原は、ゆっくりと考えていた。
企業群はSKYLANCEを仕上げた。
変形の派手さも、飛行形態から地上形態への映えも、前回よりずっとよく出来ている。
企業ヒーローに噛み合う戦い方も、距離の取り方も、フルーテッドやLACEへの対処も、前回の失敗を踏まえてかなり練られていた。
必死さが、いい設計を生んだ。
そこは認める。
だが、認めることと勝たせることは別だ。
折原の見立てでは、SKYLANCEをアリスから隠し通すことは不可能だった。
アリスは、もうそこまで来ている。
低周波。
搬入の空白。
熱の境目。
人の流れの違和感。
以前なら見逃したかもしれないものを、今のアリスは拾う。
拾って、繋いで、辿る。
“ゴースト”としての調査能力だけで言えば、もう新開市で最上位にいる。
放っておけば、必ずSKYLANCEは発見される。
では、先手を打ってSKYLANCEを出撃させるか。
それでは前回の二の舞だ。
着地した瞬間に舞台を奪われる。
企業ヒーローの活躍は、最後にアリスの一刺しへ流れていく。
あれはあれで美しかったが、企業群が欲しいのはああいう美しさではない。
企業は、勝ちたいのだ。
正確に言えば、“勝つ絵”が欲しいのだ。
だったら必要なのは、隠すことでも、先に出すことでもない。
見つけさせることだ。
折原は足を止め、会場を横切る主導線を見た。
昼過ぎ、いちばん人が流れやすい時間。
GLASS VEILが市内案内で通る予定のルート。
アリスが必ず一度は立ち止まる場所。
企業ヒーローが“偶然”駆けつけても不自然でない距離。
頭の中で、列が鳴り始める。
まず、わざとアリスにSKYLANCEを見つけさせる。
見つけさせて、追わせる。
追わせながら、列で逃げ道を削る。
SKYLANCEの追撃は、あくまで強すぎない程度に。
危険はある。
だが怪我人は出さない。
そのぎりぎりを攻める。
そして、危機が最大化したところで企業ヒーローを登場させる。
アリスを救助する。
それでいい。
アリスを倒す必要はない。
アリスから主役を奪う必要もない。
“アリスと同じくらい”活躍させればいい。
それなら企業ヒーローの席は戻る。
アリスの席も残る。
街の熱狂も保てる。
折原は、そこで小さく笑った。
この計画なら、気に入っていた。
アリスを傷つけるためではない。
あんな安い傷のつけ方ではない。
折原は、あのHOUNDの件を思い出すたびに、胸の奥が苦くなる。
透明の獣。
肩口の血。
地面に倒れる少女。
群衆の手。
あれは、自分の美学を傷つけられたような気分だった。
折原にとって“映え”は、あくまで導線と節と偶然の熱狂が立ち上がることだ。
露骨な牙で少女を噛む。
しかも罪悪感まで設計する。
そんなものは、美しくない。
下品だ。
オールドユニオンのやり方は、あまりに下品だった。
だから今回、折原は別の“見せ方”を作るつもりでいた。
救助の映え。
追い立てられるアリス。
間一髪で割り込む企業ヒーロー。
それならまだ、美しい。
その時だった。
「折原 連さん」
背後から、滑らかな声がした。
折原は振り返らない。
振り返る前に、逃げ込める列を確認した。
左手に細い屋台列。
右手に抜けの速い通路。
正面奥に視線を吸いやすい大型スクリーン。
逃げるなら、左。
流すなら、右。
確認してから、ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは、見慣れない顔の男だった。
スーツは地味で、立ち方は控えめ。
だが、控えめすぎる。
目立たないように振る舞う人間ほど、目立つことがある。
折原はすぐに察した。
ただ者ではない。
「誰だい」
男は礼儀正しく一礼し、端末を差し出した。
「オールドユニオンの者です。
お話をつなぎます」
端末の画面が立ち上がる。
映った顔を見て、折原は目を細めた。
アザド・バラニ。
監査記録官。
手順のプロ。
あの下品な王冠の設計者。
折原は、わずかに顎を上げた。
「へえ」
アザドの声は落ち着いていた。
「やはり、貴方だったか」
やはり。
その一言で、アザドがこちらの動きをかなり読んでいるのが分かる。
折原は肩をすくめるでもなく、静かに言う。
「お褒めにあずかって光栄だね」
アザドは表情を崩さない。
だが声の底に、わずかな評価がある。
「列の扱いが見事だ。
新開市の群衆を、あれほど生きたまま運用できる者は少ない」
評価。
手順の人間に評価されても、折原は嬉しくない。
嬉しくないが、相手が本物だと分かる。
雑な人間は、ここまで具体的に褒めない。
アザドは続けた。
「協力関係になってほしい」
直球だった。
だからこそ、折原は笑った。
「断る」
即答。
断るのは当然だ。
企業の手先になる気もないが、オールドユニオンの手順の中に入る気はもっとない。
アザドは、その返答を予期していた顔で頷いた。
「そうだろうと思っていた」
折原は眉をわずかに上げる。
「じゃあ何の用だ」
「依頼だ」
アザドは、断られることなどとっくに計算に入れていたのだろう。
協力関係という言葉は、ただの入口に過ぎなかった。
アザドは淡々と本題へ入る。
「アリスと企業を戦わせるのは構わない」
折原の目が細くなる。
“戦わせる”という言い方が気に入らない。
だが黙って先を促す。
「だが、絶対にけが人を出すな」
短い言葉だった。
短いくせに、重い。
折原は返す。
「企業ヒーローも?
市民も?
アリスも?」
「全員だ」
アザドは即答した。
「けが人が出れば、火種の燃え方が変わる」
火種。
その言葉に、折原の口元がわずかに動く。
やはりそうか。
オールドユニオンは、新開市の火種を“大切に扱う”段階へ入っている。
以前のように、ただ傷をつけて王冠に変えるのではない。
燃やし尽くすのではなく、長く燃える舞台として囲うつもりだ。
それは面白い。
面白いが、気味が悪い。
アザドは、さらに条件を重ねる。
「そして、治安機関が企業群を追及し始めたなら、
これまでのドローンたちは企業のパフォーマンス、アピールだった――そう主張するよう、貴方から提案してほしい」
折原は端末越しの顔を見つめた。
なるほど。
事故ではなく、演出。
犯罪ではなく、広告。
責任を薄める言い換え。
しかも、その提案を企業側の外部協力者である折原から出させることで、“自然発生的な現場判断”に見せるつもりだ。
折原は思わず小さく笑った。
「火を散らしたいわけだ」
アザドは否定しない。
「火を整えたいだけだ」
整える。
その言い方が、実にオールドユニオンらしい。
折原は理解した。
オールドユニオンは、新開市を単発の騒乱ではなく、持続的な舞台として扱い始めた。
火種を雑に焚べるのではなく、囲い、風を見て、長く保たせる方向へ切り替えている。
そのやり方は、折原の美学に少しだけ近い。
少しだけだが。
少しだけ近いことが、少しだけ腹立たしい。
折原は顎を引いた。
「報酬は?」
そこで初めて、アザドの目の奥にわずかな光が走った。
期待ではない。確認だ。
「オールドユニオンのバックアップ」
それだけでは弱い。
折原は黙る。
黙ると相手は続きを出す。
アザドは、案の定、続けた。
「貴方が望むなら、軍隊でも」
その一言に、折原は少しだけ、本当に少しだけ、心が動いた。
軍隊。
力そのものが欲しいわけではない。
欲しいのは後ろ盾だ。
列の美しさを追求するために、導線を保ち、節を支え、必要な空間を確保できるだけの基盤。
企業は金を出す。
だが美学までは支えない。
オールドユニオンのバックアップは違う。
もし本当に使えるなら、列の美しさの追及に役立つ。
それは、認めざるを得なかった。
折原はしばらく黙り、周囲の人の流れをもう一度見た。
左の列。
右の抜け道。
向こうのスクリーン。
自分がこの街で何を見たいのか。
アリスに“映え”を見せること。
企業の焦りを絵にすること。
オールドユニオンの手順を利用すること。
悪くない。
折原は端末に向かって、静かに言った。
「承諾する」
アザドは頷いた。
勝ち誇らない。
そういうところが気に食わない。
「よろしい。
では、頼む」
通話は短く終わった。
エージェントが端末を下げる。
それ以上何も言わない。
言わないのが手順だ。
折原は彼を見送り、独りになると、ふっと息を吐いた。
火は、雑に焚べるより、丁寧に囲った方が長く燃える。
オールドユニオンは、それを覚えた。
企業はまだ覚えていない。
だったら、使える方を使うだけだ。
折原は企業群の会議室へ戻る足取りを、わずかに軽くした。
戻った折原を、企業群はまだ疑っていた。
当然だ。
疑われるのはむしろ気分がいい。
疑われるうちは、まだこちらに期待が残っている。
折原は資料を机に広げ、SKYLANCEの修理予定と次の出撃ルートを確認する。
次は、見つけさせる。
追わせる。
追い立てる。
救わせる。
怪我人は出さない。
それが追加条件だ。
条件が増えた分だけ、導線は美しくなる。
制約は、良い設計を生む。
折原は心の中で、もう次の列を組み始めていた。
アリスはまだ、この裏取引を知らない。
SABLEとの共有条件に、不気味さを覚えている頃だろう。
企業はSKYLANCEを研ぎ直している。
アザドは火種を囲っている。
複数の手が、同じ火を撫でていた。
新開市の火種は、今や一人のものではない。
だからこそ、面白い。
折原は窓の外を見た。
列が、遠くでまた生まれようとしている。
人の欲が、導線を探し始めている。
彼は小さく笑った。
「さて」
次は、誰を主役にするか。
いや、違う。
主役はもう決まっている。
その主役に、どんな“映え”を見せるか。
それだけが、折原の興味だった。




