第259話 無表情のわがまま
オールドユニオンは、成功体験を忘れない。
忘れないどころか、運用に落とし込む。
運用に落とし込めるなら、それは一度きりの奇跡ではなく、再現可能な手順になる。
GLASS VEILの新開市での第一印象は、上々だった。
上々、という言葉では足りないほどだ。
配信の再生数。
切り抜きの拡散。
市民の反応。
企業ヒーローへの対抗軸。
そして何より、「オールドユニオンが供給する偶像」という構図の滑らかさ。
代替派は確信した。
――守護者の座は、量産できる。
アリツェ・ヴァーツラフコヴァーという特異点に依存しなくてもいい。
新開市は燃える。
燃えるなら、そのたびに“守る絵”を置けばいい。
偶像は一人でなくていい。
むしろ、複数いた方がよい。
会議の後、代替派は手を早めた。
GLASS VEILの出演回数を増やす。
市内巡回を組む。
市民参加の交流企画を挟む。
各人に随伴するLACEの運用範囲を広げる。
段階的に、しかし確実に、彼女たちを新開市の空気へ混ぜ込んでいく。
アリスは、その流れを病室の端末越しに眺めて、胸の奥で皮肉な安堵を覚えた。
(……ようやく、私に興味が薄れたか)
アリスへの執着が弱まれば、動きやすくなる。
企業群の計略も探れる。
M-22とHOUNDの残り香も追える。
オールドユニオンの“合法の顔”の綻びも探せる。
親善大使。
象徴。
傷ついた少女。
その役を少しでも下ろされるなら、むしろ好都合だった。
――少なくとも、アリスはそう思っていた。
想定外は、たいてい静かな顔で来る。
最年少の SABLE は、その日も感情のない完璧な顔で立っていた。
白と銀の衣装。
薄いヴェール。
揺れない視線。
その静けさの中から、ぽつりと落ちた言葉が、代替派を止めた。
「アリスと一緒じゃなきゃ嫌」
室内の空気が、ほんの少しだけ止まった。
代替派の要人たちは顔を見合わせる。
オールドユニオンの会議では珍しいことではない。
だが“想定外の個人感情”が、これほどあっさり手順に割り込んでくるのは、誰にとっても不快だった。
SABLEは構わない。
無表情のまま、続ける。
「アリスと一緒に活動したい」
言葉は子どもじみている。
だが言い方は幼くない。
わがままを、わがままとして通す顔をしている。
アリスは壁にもたれたまま、眉を寄せた。
「……は?」
素で出た。
親善大使でもゴーストでもない、ただの少女の“は?”だった。
代替派の一人が咳払いをする。
「SABLE。
貴女にはGLASS VEILとしての予定がある。
アリツェとは別動でも——」
SABLEは首を振らない。
首を振らないまま、ただ言う。
「嫌」
短い。
短いのに、通らないとは思っていない声だ。
アリスは頭が痛くなった。
肩の傷とは別の頭痛だ。
「なんで私なんだよ」
SABLEの視線がまっすぐ来る。
逃げない視線。
子どもの目のようで、まるでそうではない。
「あなた、本物だから」
その一言で、控室の空気がまた止まった。
アリスの喉が詰まる。
本物。
その言葉が、いちばん嫌だ。
作られた偶像の前で、本物と呼ばれる。
それは賞賛ではなく、消費の予告に聞こえる。
アリスは吐き捨てるように言う。
「勝手に決めるな」
SABLEは無表情のまま、しかし一歩も引かない。
「あなた、“ここ”に居たくない顔をしてる。
でも、逃げてない」
図星だった。
逃げたい。
ゴーストに戻りたい。
親善大使なんて、笑顔を要求される筋肉の配置なんて、捨てたい。
なのに逃げていない。
逃げていないのは、街が燃えるからだ。
そのことを、この少女は見抜いている。
アリスは目を逸らした。
逸らしながら、低く言う。
「……お前、性格悪いな」
SABLEは返さない。
返さない代わりに、“それが何か?”という空気を置いた。
GLASS VEILの他の三人は、完璧な礼儀のまま沈黙している。
口を挟まない。
だが止めもしない。
代替派が困る。
代替派にとって、これは最悪のノイズだ。
アリスから距離を取って量産したいのに、肝心の偶像の一人がアリスを欲しがる。
結局、苦肉の策として落ちてきたのが――
「新開市案内役」の要請だった。
要請。
オールドユニオンは、この言葉が好きになりつつあった。
命令ではない。
命令はオールドユニオン風すぎる。
だから“自発的”な要請にする。
アリスはそれを嫌というほど知っている。
案の定、文面は上品だった。
――先発した親善大使として。
――新開市を知る者として。
――GLASS VEILに市内を案内してほしい。
――あくまで自発的に。
「断る」
アリスは、文面を読み終える前に言った。
代替派の担当官が困った顔をする。
困った顔をしても引かない。
それがオールドユニオンだ。
「SABLEの希望でもある」
「知らない。
私は観光ガイドじゃない」
「親善大使だ」
「知ってる。
だから嫌なんだよ」
担当官は反論を組み直す。
反論を組み直せるのが手順の人間だ。
だがその前に、SABLEが割って入った。
「あなたがいい」
短い。
短くて、逃げ道がない。
アリスは苛立ってSABLEを見る。
「なんでだよ」
「あなた、この街の匂いを知ってるでしょう」
その言葉が、胸に刺さった。
匂い。
低周波。
熱の境目。
節。
列。
事故の前触れ。
新開市の“匂い”を知っている。
それはゴーストの領分だ。
SABLEはそれを観光案内の言葉に言い換えている。
わざとなのか、本気なのか、分からない。
アリスは口を開きかけ、閉じた。
断りたい。
だがこの無表情なわがままに、妙に真正面から断りきれない。
なぜか。
たぶんSABLEが、オールドユニオンの手順ではなく、自分の興味で言っているからだ。
それが腹立たしい。
腹立たしいのに、嫌いじゃない。
嫌いじゃないのが、さらに腹立たしい。
アリスは舌打ちの代わりに、深く息を吐いた。
「……一日だけだ」
担当官が何か言う前に、アリスは続ける。
「一日だけ。
それ以上はやらない」
SABLEは無表情のまま、ほんの少しだけ視線を柔らかくした。
柔らかくしただけで、笑わない。
笑わないのが余計にずるい。
「ありがとう」
その言い方は、たしかに少女だった。
一方その頃。
企業群は、その情報を知って青ざめていた。
GLASS VEILが新開市で活動を拡大する。
しかもアリスが同行する。
それは最悪だった。
“本物の象徴”と“新しい偶像”が接続される。
アリスの席を薄めるどころか、アリスの“正統性”をGLASS VEILに流し込むことになる。
そうなれば企業ヒーローの席は、ほとんど消える。
リンの会社も、アオイカゲの会社も、シラヌイの会社も、
表向きは冷静を装いながら、内側で焦っていた。
企業が逆転の“映え”を作るには、
アリスとGLASS VEILをその場に釘付けにしなければならない。
ただ並んで歩かせるだけでは弱い。
列が必要だ。
節が必要だ。
“自然発生したように見える熱狂”が必要だ。
そのための人材がいる。
かつて、新開市でそう呼ばれた男。
「列の作曲家」
「回付の魔術師」
「映え線引き職人」
折原 連。
企業群は、折原を呼んだ。
折原は、すぐには頷かなかった。
企業の会議室で、差し出された資料に目を通しながら、指先だけを静かに動かしている。
アリス。
GLASS VEIL。
従者ドローンLACE。
市内巡回ルート。
予想観客数。
導線図。
企業ヒーローの配置案。
紙の上では、全部“美しい”計画だった。
だが折原の表情は苦かった。
企業側の担当者が言う。
「お願いしたいのは、列と流れの設計です。
自然発生に見える導線で構いません」
自然発生に見える。
その言い方が気に入らない。
折原は資料から目を上げずに言った。
「見える、ね」
担当者が頷く。
「はい。
彼女たちを中心に熱狂を集めたい」
彼女たち。
GLASS VEILだけではない。
アリスも含んでいる。
折原の喉の奥が、嫌な熱を持つ。
アリスがHOUNDに傷つけられたあの映像。
あの肩口。
血。
倒れ伏す少女。
市民の手。
折原はあれを、自分の美学を傷つけられたように感じていた。
折原にとって“映え”は、ただ残酷であればいいわけではない。
列と節と偶然と熱狂が、ぎりぎりの均衡で立ち上がる時にだけ、美しい。
露骨な牙で少女を傷つける。
しかも罪悪感まで設計する。
あれは美しくない。
安い。
下品だ。
オールドユニオンの手順が、折原の美学を汚した。
だから折原は、企業の依頼を聞きながらも、単純に従う気になれない。
企業も嫌いだ。
企業はすぐに結果を欲しがる。
節の熟成を待てない。
オールドユニオンも嫌いだ。
手順で痛みを王冠に変えようとする。
折原は資料を閉じた。
「誰の映えにするかだな」
担当者が首を傾げる。
「……はい?」
折原は初めて顔を上げた。
「列は、人が作るんじゃない。欲が作る。
どの欲を立てるかで、街の顔が変わる」
担当者は半分しか理解していない顔だった。
だが、折原はそれでいい。
全部理解されたら、仕事にならない。
折原は資料を机に置き、静かに言う。
「やるかどうかは、現場を見て決める」
即答しない。
即答しない時の折原は、もう半分決めている。
企業の手先にはならない。
だが企業を無視もしない。
ノイズを作る。
誰のためのノイズかは、まだ決めない。
翌日の準備が始まる。
アリスは、GLASS VEILを案内する“要請”を受け入れた。
受け入れたくなかった。
だが受け入れた。
SABLEはそれを当然のように受け止めている。
礼を崩さず、しかし離れようとしない。
リンとアオイカゲは、その配置を聞いていい顔をしなかった。
シラヌイだけが、少しだけ安心したような目をする。
安心するな。
そう言いたいのに、アリスは言わない。
言わない代わりに、端末を握る。
企業群の裏導線。
搬入記録の空白。
低周波。
熱の境目。
ゴーストは、歓迎の笑顔の下で牙を研ぐ。
控室の鏡の前で、アリスは低く呟いた。
「……絶対、ろくでもないことになる」
SABLEが背後で聞いていた。
「そうね」
アリスが振り返る。
SABLEは無表情のままだった。
無表情のまま、しかしはっきりと言う。
「だから、あなたが必要」
アリスは顔をしかめた。
「そういうの、やめろ」
「やめない」
短い。
短いくせに、妙に重い。
アリスは肩の痛みを意識しながら、フードを被り直した。
明日、街に出る。
GLASS VEILと一緒に。
企業ヒーローも警戒配置につく。
その裏で、折原が現場を下見している。
列の作曲家。
回付の魔術師。
映え線引き職人。
また、街が燃える匂いがした。




