第257話 要請という命令
市政の机は、燃えていた。
燃えていると言っても火は出ない。
書類が燃える。端末が燃える。通話が燃える。
そして手順が燃える。
刀禰ミコトの前には、提出された資料の束が積み上がっている。
新開市・中立フェス実行委員会。
企業群の協賛ルート。
ゲリラ的に発生したイベントの許認可。
資材搬入履歴。
ドローン・ドロイドの登録差分。
正義の仕事だ。
正義の仕事は遅い。
遅いから正しい。
正しいから燃える街では間に合わない。
真鍋は、ミコトの隣で淡々と報告を続けた。
「捜査の手は実行委員会の中枢へ届いています。
任意提出はほぼ揃った。
……企業群が及び腰になっています」
「及び腰?」
ミコトが眉を寄せる。
真鍋が頷く。
「このままフェスを続ければ、連座の可能性がある。
世論も『やらせ』だ『節作り』だと騒いでいる。
企業は損を嗅ぐと早い。
引き始めました」
引き始める。
それはつまり、フェスが止まりかけるということだ。
ミコトは一瞬、安堵しそうになった。
しかしすぐに顔を引き締める。
新開市で燃料が切れると、どうなるか。
燃料が切れた瞬間、別の燃料が投げ込まれる。
それがこの街の癖だ。
真鍋も同じことを思っている顔だった。
「止まりかけると……次が来ます」
ミコトが低く言う。
「……ええ。来るわね」
その直後だった。
端末が震える。
議会からの連絡。
短い文面。
「オールドユニオンがフェス継続に名乗り」
ミコトは眉を上げた。
「……は?」
真鍋が目を細める。
「来たな」
来た。
燃料が切れかけた瞬間に、別の燃料が投げ込まれた。
しかも、最悪に合法的な燃料が。
オールドユニオンの声明は、上品だった。
暴力的ではない。
脅迫的でもない。
ただ、静かに“正しい顔”をしている。
――中立フェスを継続する。
――主催を引き受ける。
――新開市の有志市民の参加を歓迎する。
――自由な出店、自由な企画、自由な交流を尊重する。
――安全とインフラの保全に最大限配慮する。
言葉は柔らかい。
柔らかいほど硬い。
ミコトは議会の反応を聞いて、思わず天を仰ぎたくなった。
「議会が通したの?」
真鍋が苦い顔で言う。
「止める理由がない。
……合法だ。
しかも“緩い”と言っている」
緩い。
緩いと言いながら、手順で縛る。
それがオールドユニオンの得意技だ。
ミコトが机を指で叩く。
「指揮系統は?
安全は誰が?」
真鍋が肩をすくめる。
「表向きは“協力”。
実態はオールドユニオンが導線と記録を握る」
握る。
握るのに、笑顔で手を差し出す。
真鍋たち治安機関が苦い顔をするのをいざ知らず――
いや、知っていてなお、新開市民は喜ぶ。
オールドユニオンのバックアップ。
海外の巨大組織の後ろ盾。
それを盾にして、新開市民はやりたい放題になる。
新開市民はめげない、しょげない、反省しない。
「フェス継続!?最高!」
「オールドユニオン主催!?まじか!」
「じゃあ俺たちも勝手にやっていいってことだよな!」
「出店しよ出店!」
「列作ろ列!」(※言葉を軽く使う)
列。
節。
映え。
言葉が雑に飛び交い、街の空気がまた熱を帯びていく。
ミコトは頭痛を押さえた。
「……止めるのが仕事なのに、止められない」
真鍋が低く言う。
「止めるな。
――泳がせる。
泳がせて、折らない。
折ったら燃える」
泳がせる。
義弘がやってきた戦い方だ。
オールドユニオンは、それを学んでいる。
学んでいることが、腹立たしいほど怖い。
オールドユニオンがフェスを継続した理由は、表向きは“協調”だ。
だが裏は簡単だ。
日数稼ぎ。
時間が必要だった。
海外から“新たな偶像”を招集する時間が。
会議の結論が出た以上、動きは早い。
オールドユニオンは遅れない。
手順が揃えば一気に運用する。
海外から有名バンド。
海外から有名アイドル。
そして彼ら一人一人に付く従者ドローン。
フルーテッド系。
護衛と撮影と広報と誘導が一体化した従者。
“アリス方式”の量産。
新開市民が燃える舞台を維持しながら、
その舞台に新しい主役を投入する。
それが代替派の計画。
それを可能にするのが、フェス継続という“合法の盾”。
真鍋が最も嫌うやり方だ。
ミコトも嫌う。
だが嫌っても止められない。
合法だからだ。
一方その頃。
白い天井の下で、アリスは肩の痛みを噛み殺しながら端末を見ていた。
病室の白は、相変わらず無関心だ。
だが端末の画面は無関心ではない。
情報が流れる。
オールドユニオン主催、フェス継続。
新開市民の熱狂。
議会の承認。
治安機関の苦い顔。
アリスは目を細める。
「……やっぱりやるか」
シュヴァロフが枕の位置を直す。
アリスの手に水を置く。
家庭の手順で、焦りを落ち着かせようとする。
アリスはそれに感謝しつつも、頭を止めない。
自分が“代替派”とアザドの動きを調査していたのは、
ここに繋がる匂いを嗅いでいたからだ。
アザドが代替派の動きに反発して、強硬策に出るのではないか。
そう警戒していた。
だが杞憂だった。
アザドは動かなかった。
理由は単純だ。
アザドは自分の手順を完璧に動かすために、
アリスの傷が完治するまで動く気がない。
手順のプロは焦らない。
焦らないから怖い。
焦らないほど、準備が整っている。
アリスは痛む肩を押さえ、吐き捨てる。
「……寝かせてるんだろ。王冠を」
罪悪感という王冠。
あれはまだ終わっていない。
終わらせないために寝かされている。
その理解が、背筋を冷やす。
日数が経過した。
包帯が薄くなる。
点滴が減る。
肩の痛みが鈍いものに変わる。
歩き回れるほどになった頃、
新開市は“鳴り物入り”の到着を迎えた。
オールドユニオンの「新たな偶像」。
到着の演出が、絢爛で、壮麗で、派手で、豪華だった。
そんな言葉では言い尽くせない。
空から降る紙吹雪。
整然と並ぶ従者ドローン。
規格化された導線。
規範で固められた“祝祭”。
新開市民は大いに熱狂した。
「うおおお!」
「海外アイドル来た!」
「バンドやば!」
「従者ドローンかっこいい!」
「フェス続いてよかった!」
燃料が再点火する。
街がまた明るくなる。
明るいほど怖い。
企業群は焦った。
自社のヒーローが霞む。
自社のブースが霞む。
自社の広告が霞む。
焦った企業は、必ず裏で動く。
裏で動くことで、節を作る。
節は事故になる。
事故は燃料になる。
また始まる。
アリスはその匂いを嗅いだ。
そのタイミングで、代替派から“要請”が来た。
親善大使として、先発した者として、
「新たな偶像」たちを出迎えろ。
出迎えろ。
つまり、舞台に立て。
笑顔を作れ。
彼らと並べ。
“馴染んでいる”絵を作れ。
アリスは控室で端末を握りしめ、唇を噛んだ。
痛む肩が、ずきりと鳴る。
シュヴァロフが近づく。
だがアリスは首を振る。
今は世話ではなく、怒りが必要だった。
アリスは、アザドに直通を繋いだ。
画面の向こうに、アザドの顔が映る。
相変わらず静かで、上品で、余裕がある。
アリスは吐き捨てるように言った。
「“要請”って……“命令”じゃないのかよ」
アザドは眉一つ動かさず答える。
「君が自発的に彼らを出迎えるのだ。あくまでな」
自発的。
その言葉遊びが、腹立たしいほどオールドユニオンらしい。
アリスは目を細める。
「言い換えただけだろ」
アザドは、軽く肩をすくめるような気配を見せた。
「命令は、あまりにもオールドユニオン風すぎる。
新開市に合わせた言い回しにした」
にやりと笑う。
「新開市らしいだろう?
我々も“馴染んでいる”のだよ」
その笑みが、アリスには笑えなかった。
馴染む。
馴染むとは、溶け込むことではない。
踏みつぶさないことだ。
燃やさないことだ。
手順を盾にしないことだ。
馴染むという言葉を、手順の盾にするな。
アリスは低く言った。
「……その馴染み方、嫌いだ」
アザドの笑みが薄くなる。
薄くなるだけで消えない。
「嫌うのは自由だ。
だが、君は“なんだってやってやる”と言った」
責。
責がまた刺さる。
アリスは息を吐き、端末を閉じた。
出迎える。
“自発的”に。
そういう絵を作らされる。
だがアリスは、絵の中で絵を壊す。
“馴染むまで”なんだってやってやる。
その言葉は、オールドユニオンのためではない。
新開市のためだ。
アリスは立ち上がり、肩の痛みを噛み殺した。
舞台に出る。
そして舞台の上で、次の火種の匂いを嗅ぐ。
新開市はまた燃える。
燃えるなら、先に折る。
その決意だけが、アリスを歩かせた。




