第256話 量産
病室の天井は、相変わらず白かった。
白さは清潔で、清潔さは無関心だ。
痛みも罪悪感も、白い天井には映らない。
アリスはベッドの上で身じろぎした。
肩口がずきりと疼く。
包帯の下で、噛まれた場所がまだ熱を持っている。
シュヴァロフが枕の位置を直し、点滴のチューブを確かめる。
家庭の手順が、静かにアリスを支えている。
その正面に、モニターがあった。
オールドユニオンの定例会議。
アリスは病室から、端末越しに出席している。
画面の片隅に、別の映像が流れていた。
報道カメラの前で、市民が気炎を上げている。
「俺たち新開市民が守る!」
「もう他所の手は要らねえ!」
「アリスを使うな!」
「中立ってのは、俺たちが決める!」
怒鳴り声。
拳。
旗。
そして、スマホ。
あの“スマホを捨てた手”が、またスマホを握っている。
それが新開市だ。
めげない、しょげない、反省しない。
アリスは息を吐いた。
守ってくれる手がある。
だが同時に、燃やす手もある。
守護者の椅子は、まだ揺れている。
オールドユニオンの会議室は、病室の白よりも冷たい。
参加者の声は静かだ。
声量が静かなだけで、言葉は鋭い。
喧々諤々。
しかしオールドユニオンらしく、沈着に。
アリスは画面の向こうの要人たちを眺めながら、内心で分類した。
意見は割れている。
四つに。
第一派――守護者継続派。
これまで通り、アザドの手順に従って“守護者の座”を得る。
アリスを傷つける絵。罪悪感の王冠。
そして守護者として座る。
第二派――実務分離派。
アリスは象徴に固定。
現場はオールドユニオン実働に置換する。
親善大使は笑って手を振るだけで良い。
“安全”は実働が作る。
第三派――不要論。
アリスは制御不能。
コストが高い。
新開市に対する費用対効果が悪い。
撤退も視野に入れるべき。
第四派――代替派。
アリスとは別に、新開市民の支持を得られる人物をオールドユニオンから派遣する。
アリスを中心に据えない。
別の柱を立てる。
アリスは、そこまでなら想像できた。
だが――
思ったよりも第四派が強い。
強い、というより“本気”だ。
アリスはほくそ笑みかけて、笑みを引っ込めた。
(……私の仕込みが効いた?)
会議が始まる前に、アリスは密かに動いていた。
定例会議に出席する要人たちの端末に、
それとなく――本当にそれとなく、過去の動画を流しておいたのだ。
OCMドローン・サムライ・ヒーロー。
OCMアイドルの護衛。
メイド・執事カフェ。
笑顔の広告。
イロモノ。
アリスから見て、全部「やらされた」仕事。
全部「利用された」絵。
(“象徴を運用する”ってのは、こういうことだぞ)
そういう皮肉のつもりだった。
代替派がそれに着想を得たなら、
確かにアリスの勝ちだ。
アリスは一瞬だけ胸の奥で、悪い笑いが鳴った。
だがその笑いはすぐ消えた。
代替派の本気が、想像を超えていたからだ。
会議の中心で、代替派の要人が静かに言った。
「アリツェ・ヴァーツラフコヴァーの影響力は認める。
しかし、制御の難度が高い。
一点依存は危うい」
一点依存。
その言葉が冷たい。
続ける。
「ならば依存を薄めるべきだ。
アリツェ方式を……量産する」
量産。
その瞬間、アリスの背筋が冷えた。
冗談ではない。
オールドユニオンが冗談を言う時は、世界が燃える前だ。
代替派は淡々と提案を広げる。
海外から有名バンドを招く。
海外から有名アイドルを招く。
そして――
「彼ら一人一人に、従者ドローンを一機ずつ付与する。
護衛、撮影、誘導、広報を一体化した従者だ」
従者ドローン。
フルーテッドの親戚みたいなものだろう。
アリスは思わず、病室の隅へ視線を向けた。
フルーテッドはそこにいない。
だが“気配”だけがある。
病室の外に、礼儀正しい鎖が待っている気配。
代替派は続ける。
「オールドユニオン全面バックアップのもと、
新開市で活動させる。
ライブ、配信、イベント。
中立フェスと連動させる」
つまり、こういうことだ。
彼らが活動するたび、節が生まれる。
節が生まれるたび、トラブルが起きる。
トラブルが起きるたび、従者ドローンとオールドユニオンが“安全に排除”する。
守護者の座を“量産”する。
守護者の座を“分散”する。
そして――アリスの座を薄める。
アリスは息を止めた。
(……私の動画が、これの正当化材料になった?)
アザドの顔が画面の端に映る。
無言だ。
無言のまま、目だけが動く。
アリスは分かる。
アザドも驚いている。
驚いているが、表情を崩さない。
崩さないのがアザドだ。
守護者継続派が静かに反論する。
「新開市民の感情は、単純な偶像で御せるものではない。
むしろ燃やすだけ燃やす危険がある」
実務分離派も言う。
「親善大使を複数立てるなら、外交リスクが増える。
中立の線引きが難しくなる」
不要論が冷たく言う。
「そもそも新開市自体がコストだ。
撤退という選択肢を忘れるな」
会議は静かに燃える。
だが代替派は引かない。
引かないどころか、数字を出す。
費用対効果。
リスク分散。
政治的な火消し。
世論誘導の効率。
そして最後に、決定打の一言を置く。
「アリツェ・ヴァーツラフコヴァーは“御し難い”。
ならば御し難さは一人に集中させず、分散すべきだ」
御し難い。
その言葉を、オールドユニオンが使う。
それは“資産評価”でもあり、“危険評価”でもある。
アリスの喉が乾いた。
――分散された偶像が新開市を燃やす。
それはアザドが望む炎ではない。
だがオールドユニオンの別の派が望む炎なのだ。
オールドユニオンの内部は一枚岩ではない。
手順は一つではない。
アリスは、その事実を改めて思い知らされた。
会議の議長格が静かにまとめに入る。
「提案を検討する。
代替案は……有効だ」
有効。
その言葉が、病室の空気を一段冷やした。
アリスは思わず、笑いそうになった。
笑えないのに笑いそうになる。
それは絶望の癖だ。
自分が撒いた過去動画が、
自分の席を薄める提案を後押しする。
皮肉が過ぎる。
アリスは拳を握りしめた。
肩が痛み、顔が歪む。
シュヴァロフがそっと近づき、毛布を整える。
その手順が、アリスを現実へ戻す。
アリスは、画面の中のアザドを見る。
アザドは無言のままだ。
無言の中に、計算がある。
アザドは守護者継続派の人間だ。
少なくともアリスの理解ではそうだ。
罪悪感という王冠。
その手順で守護者の座を奪う。
だが代替派の量産案は、
その手順を無力化する。
アザドにとっても危うい。
アリスは小さく息を吐いた。
(……馴染ませるまで、なんだってやってやる)
自分で言った言葉が、胸に刺さる。
責だ。責の形だ。
馴染ませる。
踏みつぶさない。燃やさない。手順を盾にしない。
だがオールドユニオンは、いま燃やす準備をしている。
量産された偶像で。
会議が終わりに近づく。
議論は決着しない。
決着しないが、方向は見えた。
代替案は前へ進む。
それがオールドユニオンの手順だ。
画面の片隅で、報道映像が切り替わる。
新開市民がまたカメラの前で気炎を上げている。
「俺たちが守る!」
「もう誰のもんでもねえ!」
「アリスも、街も!」
その声に、アリスは目を閉じた。
守ると言う。
守ると言いながら燃やす。
でも――あの時スマホを捨てた手も、確かにこの街にある。
御し難い街。
アザドが嫌そうに言った言葉を、
アリスは今、味方として抱え直す。
御し難いなら、御し難いまま守る。
手順で御すのではなく、
人の手で支える。
そのために、
自分は“なんだってやってやる”。
アリスは目を開き、モニターを睨んだ。
低く呟く。
「……また、燃やす気だな」
その一言は、誰にも届かない。
病室の中で消える。
だがアリスの中では、次の戦いの火種になった。
オールドユニオンが“量産”に舵を切った。
ならばアリスは、“馴染ませる”という言葉を武器にする。
踏みつぶすな。
燃やすな。
新開市を玩具にするな。
その当たり前を、手順のプロの前で突きつける。
病室の白い天井の下で、
アリスは痛む肩を押さえながら、静かに息を吐いた。
――まだ終わらない。
終わらないから、やる。
なんだってやってやる。




