第254話 御し難い街
最初に見たのは、粉塵だった。
白い粉塵が、午前の光を鈍くする。
粉塵の向こうで、壁が“内側から”盛り上がり、ひび割れ、そして――
破れた。
建物の壁を突き破って、四脚の影が現れる。
M-22 マルティネス歩行戦闘車(仮称MANTIS)。
アリス結社の構成員は、息を呑んだ。
目の前にいるのは“怪獣”ではない。
あれは軍用だ。
映えるための暴走ではない。勝つための機械だ。
だが今日のM-22は――ボロボロだった。
装甲は欠け、凹みが残り、脚関節の一部は歪んでいる。
スラスター基部は焼け跡を残し、姿勢制御の応答が遅い。
“最低限動く”だけの修復。
それでも、四脚は立つ。
結社の一人が震える指で端末を叩いた。
《来た》
《壁破り》
《ボロボロ》
《会場へ直進》
そして送信先は、ひとつ。
アリス。
安全キャンペーン会場は、相変わらず明るすぎた。
司会の笑顔。
元気なBGM。
整然と並ぶ企業ブース。
そして“象徴”の導線。
アリスは舞台袖で、端末を見た瞬間、呼吸が止まった。
結社からの報告。
同時に、現場のスマホ映像とドローン撮影が雪崩れ込む。
M-22が再び現れた。
しかも――ろくに修復されていない。
アリスの赤い瞳が細くなる。
「……おかしい」
おかしい、というより、嫌なほど分かりやすい。
手順のプロ、アザドのやることだ。
M-22を“勝たせる”ために出したのではない。
M-22を“倒される”ために出したのだ。
倒されるための怪獣。
倒されるための軍用。
ならば次の手順は何だ。
アリスの脳内で、冷たい計算が走る。
倒される。
映像になる。
英雄が勝つ。
その直後に――
何かが刺さる。
その何かが“本命”だ。
アリスは必死に考える。
手順を打ち破るには何が必要か。
手順は正面から壊せない。
手順は裏から崩すしかない。
アリスは画面を拡大し、M-22の進路を読む。
M-22は、会場へまっすぐ前進している。
暴れることもない。
節を育てるような余計な動きもない。
ただ、舞台に上がりに来ている。
その事実が、背筋を冷たくした。
「……まずい」
まずい、と言いながらアリスの手は動く。
信号機ハック。
案内ドローン改変。
路面表示変更。
立入禁止アラート。
誘導音声の上書き。
安全確保。
群衆を散らす。
節を切る。
“人を守るための違法”がまた積み上がる。
逮捕状の匂いが増える。
だが、今はそれどころではない。
舞台袖にいた企業ヒーローたちが、空気の変化を感じて身構えた。
アオイカゲが短く言う。
「来たな」
リンが笑顔のまま、しかし声色を硬くする。
「皆さま、落ち着いて。
……アリスさん、勝手に動かないでください」
シラヌイだけがアリスの横に立ち、低く言った。
「来たか」
アリスは頷く。頷く暇も惜しい。
その時、会場の外から、粉塵混じりの低い音が届く。
M-22のスラスター。
低周波が、BGMの下に潜る。
アオイカゲとリンは、最初こそ緊張していた。
だが映像でM-22のボロボロぶりを確認すると、わずかに冷静さを取り戻す。
「……損傷が大きい」
「なら、止められる」
止められる。
その言葉が軽いほど、アリスの胸は嫌な予感で満ちる。
止められるようにしてある。
だからこそ怖い。
M-22は、特に暴れることもなく、会場まで前進した。
破壊をばら撒かない。
余計な節を作らない。
ただ舞台へ向かう。
舞台に上がる。
観客の前に立つ。
そして、企業ヒーローと対峙する。
完璧に“絵”だ。
アリスは治安機関に通報した。
だがミコトも真鍋も忙殺されている。
撒き餌の捜査で手順が渋滞している。
正義の手順が遅れている。
遅れている間に、現場が燃える。
アリスは歯を食いしばる。
手順通り。
これが手順通りなら、次の手順は何だ。
アリスは思考を巡らせる。
アザドは以前、一度だけ言った。
――御し難い街だ。
新開市を指して、そう言った。
御し難い。
つまり、手順通りに行かない要素がある。
想定外のノイズがある。
ならば、手順を頓挫させるには“ノイズ”が必要だ。
ただし、子どもを危険に晒さないノイズ。
アリスは結論を急ぐ。
手順を読むのは後だ。
まず止める。
止めながら、手順を折る。
戦闘が始まった。
M-22は損傷していても強い。
四脚は低重心で踏ん張り、
二腕は押さえ、叩き、掴む。
スラスターは出力が落ちていても、切り返しの鋭さを残している。
企業ヒーローが突入する。
アオイカゲがラインを張る。
リンが節を削り、群衆を散らす。
シラヌイが熱源を読んで境界を潰す。
そこへKOMAINUが到着する。
鳴海宗一の部隊が包囲を作る。
それでも押し切れない。
損傷がある分、倒しやすいはずなのに、
倒れない。
倒れない程度に強い。
倒れない程度に動く。
“倒されるため”の強さ。
アリスは歯を食いしばり、考えるのをやめた。
考えている間に、誰かが死ぬ。
死ねば手順が崩れる。
崩れ方が最悪になる。
アリスは端末を開き、ハックで支援に入る。
耐ハック性能の隙間。
スラスター同期。
姿勢制御の遅れ。
穴は小さい。
だが小さい穴を広げるのがゴーストだ。
アリスのハックが刺さる。
刺さってしまう。
刺さるように作られている。
M-22の切り返しが僅かに遅れる。
遅れた瞬間にアオイカゲのラインが絡む。
絡んだ瞬間にシラヌイが脚関節へ踏み込む。
リンが群衆を遠ざけ、節を潰す。
KOMAINUが押さえ、
装甲の隙間へ衝撃を入れる。
そして――
M-22が“綺麗に”倒れた。
綺麗すぎる倒れ方だった。
まるで「ここで倒れる」と決まっていたみたいに。
まるで「この角度で映像が撮れる」と決めていたみたいに。
アリスの背筋が凍る。
倒したのに、勝った気がしない。
勝った瞬間が、一番怖い。
刹那。
音だけが走った。
路面の熱に紛れ、光の境目に溶け、
透明の獣が音だけを置いて突っ込んでくる。
VX-07 HOUND。
狙いはアリス。
アリスの脚。
膝。転倒。
血。痛み。
そして“守護者の椅子”。
その瞬間、アリスは理解した。
アザドの手順。
M-22は倒されるための舞台装置。
本命はHOUND。
アリスを傷つける。
少女が街を守って傷つく映像を作る。
罪悪感で新開市に名を刻む。
そして――
傷ついた少女の守護者の位置に、オールドユニオンが座る。
王冠。
罪悪感という王冠。
アリスは息を呑む。
だが回避する時間がない。
避ければ、誰かが代わりに噛まれる。
避ければ、守護者の椅子は奪われる。
避ければ、手順通りに「助けられる側」になる。
ならば――
アリスは決めた。
自分で、絵を選ぶ。
アリスはHOUNDにその身を投げ出した。
透明の獣の牙を、思い切り肩口で受ける。
衝撃。
熱。
肉が裂ける感覚。
息が詰まり、視界が白くなる。
血の匂いが鼻を刺す。
アリスは地面に倒れ伏した。
痛い。
痛いのに、頭が冷たい。
――これでいい。
守護者の椅子に座るのは、オールドユニオンではない。
オールドユニオンに座らせない。
その瞬間だった。
報告に戻ってきたアリス結社の構成員が、絶叫した。
「アリス!!」
叫びながら、構成員がHOUNDに殴りかかった。
無茶だ。
無茶だが――それが新開市のノイズだ。
シラヌイが盾を掲げ、HOUNDの二撃目を止めようと踏み込む。
「下がれ!!」
盾が衝撃を受け、金属が鳴る。
リンが群衆を押し返そうと声を張る。
アオイカゲがラインを張ろうとする。
だがその前に――新開市民が動いた。
近場の市民がスマホを投げ捨てた。
投げ捨てたスマホがアスファルトに転がる。
画面が割れる。
配信が止まる。
止まったのに、誰も気にしない。
市民が駆け寄り、アリスの肩口を押さえる。
「止血!布!
誰かタオル!」
「救急!救急呼んで!」
「動くな!肩押さえろ!」
声が飛ぶ。手が伸びる。
導線が自然に出来る。
節ではない。
救助の導線。
“守護者の椅子”に座ったのは、オールドユニオンではなかった。
新開市民だ。
スマホを捨てて、手を伸ばす市民。
叫ぶ結社。
盾を掲げるシラヌイ。
アザドが恐れた――
御し難い街の絵が完成した。
アリスの視界は揺れる。
音が遠のく。
コメントの暴風が消える。
代わりに見えるのは、“手”だった。
血を止める手。
震えながらも押さえる手。
「生きろ」と言う手。
アリスは薄く笑いそうになって、やめた。
笑えばまた映像になる。
映像になればまた燃える。
アリスは唇を震わせ、低く呟いた。
「……馬鹿」
それが誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
ただひとつ確かなのは、
今日、手順は一度だけ崩れたということだった。




