第253話 檻の中のゴースト
安全キャンペーン会場は、明るすぎた。
明るい照明。
眩しい看板。
元気なBGM。
そして、笑顔の司会。
「新開市の安全は、私たちが守ります!」
拍手が起きる。
歓声が起きる。
配信のコメントが流れる。
《うおおお》
《安全キャンペーン最高》
《アリス来るらしい》
《シラヌイ見たい》
《オールドユニオンのドローンも来る?》
アリスは、舞台の裏に立っていた。
立っているが、自由に立っているわけではない。
導線が固定され、立ち位置が固定され、視線が固定される。
オールドユニオンの送迎。
オールドユニオンの護衛。
オールドユニオンの“親善大使”の手順。
フルーテッドが三歩後ろで静かに浮き、
当然のようにログを積み上げていく。
礼儀正しい鎖。
アリスはフードを深く被り、赤い瞳を細めた。
――M-22を追いたい。
追いたいのに、追えない。
追えないのに、舞台に立たされる。
檻だ。
檻の中のゴースト。
それが今日の自分だ。
企業ヒーローたちの温度差が、檻の格子をさらに硬くする。
アオイカゲは短い。
「動くな。
情報だけ出せ」
それだけ言って、目線を外す。
アリスを人として扱っていない。
扱っているのは“情報源”。
シロサギ・リンは笑顔で刃を置く。
「あなたは象徴です。
象徴は、ここに立って“安全”を示してください」
安全。
その言葉が、最悪に腹立たしい。
安全と言いながら、節を作る。
安全と言いながら、人を集める。
安全と言いながら、燃料を撒く。
シラヌイだけが違った。
控室に入ってきた瞬間、シラヌイはアリスの顔を見て、息を吐いた。
「来てくれて助かる」
企業の言葉ではない。
一新開市民の言葉だ。
「……お前、無理してる顔だ」
アリスは鼻で笑った。
「無理してない顔があったら教えろ」
シラヌイは笑わない。
笑わないまま、静かに言う。
「今日は俺が盾になる。
お前が勝手に動けば、あいつらが噛みつく。
噛みつかせないのが俺の仕事だ」
仕事。
その言葉が、妙に優しい。
アリスは一瞬だけ胸が痛くなり、すぐに視線を逸らした。
優しさは油断を生む。
油断は死ぬ。
「……盾なんて、勝手に名乗るな」
「勝手に名乗る」
シラヌイはあっさり言った。
そのあっさりが、逆に信用できる。
リンが控室の外から声をかける。
「間もなく出番です。
アリスさん、笑顔をお願いします」
アリスは舌打ちしそうになって、耐えた。
笑顔。
また笑顔。
笑顔は筋肉の配置だ。
感情ではない。
アリスは両頬に指を当てる癖が出そうになり、拳を握って止めた。
今日は“ゴースト”でいなければならない。
“親善大使”になったら負ける。
控室の扉が、そっと開いた。
入ってきたのは、数人の影。
アリス結社の面々だった。
以前、吊るし上げた。
脅し、すかし、釘を刺した。
それでも残った――違和感を持った者たち。
彼らの顔は青い。
焦りと罪悪感が混ざっている。
「……アリス」
誰かが、象徴の名前を口にした。
アリスは即座に言う。
「名前で呼ぶな。
――用件だけ言え」
結社の一人が唾を飲み込む。
「証拠が……ばら撒かれました。
実行委員会と企業が、一斉に捜査を受けて……
俺たちも、追い詰められて……」
追い詰められている。
それは自業自得だ。
だがアリスは“説教”をしない。
説教は時間の無駄だ。
時間の無駄は命の無駄だ。
アリスは短く言った。
「節を作るな。
子どもを危険に晒すな。
――それが守れないなら、今ここで帰れ」
結社の面々が、一斉に頷く。
頷きが必死だ。
シラヌイが視線を動かす。
結社の存在を嫌がるでもなく、ただ警戒する。
アリスが言った。
「お前ら、まだ“償い”たい気があるなら、手順を覚えろ」
「手順……?」
「見て、記録して、逃げろ。
トラブルを起こすな。
手を出すな。
――証拠を拾え」
証拠。
その言葉で、結社の空気が変わる。
彼らは“映え”の人間だった。
映えを食わせ、節を育てる人間だった。
だが今、アリスが求めているのは映えではない。
証拠だ。
日なたへ引きずり出す刃だ。
アリスは言った。
「M-22は必ずまた現れる」
結社が息を呑む。
シラヌイが目を細める。
アリスは続ける。
「撤退できた。
単独じゃない。運用者がいる。
運用者がいるなら、次の出現は既定路線だ」
既定路線。
その言葉が、嫌なほどしっくりくる。
新開市では“事故”が既定路線になる。
誰も認めない事故が、手順として整えられる。
「それに……この安全キャンペーン。
舞台が整いすぎてる」
リンとアオイカゲが作る“安全”の絵。
オールドユニオンの護衛。
群衆。配信。照明。節。
全部が、見せ場のためにある。
アリスは歯を食いしばり、言った。
「私の勘と経験で言う。
M-22の周りに“手順”の匂いがする。
オールドユニオンだ」
結社がざわめく。
シラヌイが小さく息を吐く。
「……お前、そこまで言い切るのか」
「言い切る。
M-22を止めるだけじゃ意味がない。
M-22とオールドユニオンの関係を証拠化する」
証拠化。
合法の顔に穴を開ける。
手順の檻を壊す。
アリスは続ける。
「M-22でオールドユニオンを日なたへ引きずり出す。
――そのチャンスが今日ある」
檻の中にいる。
だから檻の内側から錠を壊す。
アリスは結社を見た。
「お前ら、調査班になれ」
結社が目を見開く。
調査。
映えではなく調査。
アリスは具体的に言う。
「①搬入目撃。
低周波、熱痕跡、車種、時間。
②監視カメラの死角と、不自然な空白。
③企業ブースの裏導線。倉庫、関係者パス、出入口。
――見て、記録して、逃げろ」
アリスは最後に釘を刺す。
「絶対に手を出すな。
トラブルは起こすな。
……私のために、子どもを危険に晒すな」
結社の面々が、深く頷く。
その頷きに罪悪感が混じっているのが見える。
罪悪感。
その言葉が、今日の空気に刺さる。
アリスは思う。
誰かが、それを狙っている。
控室の外で、司会の声が上がった。
「さあ!新開市の皆さま!
本日の特別ゲストをご紹介します!」
歓声が爆発する。
アリスの名前が呼ばれる。
映像が燃える音がする。
リンが笑顔で言う。
「出番です。
アリスさん、こちらへ」
檻の扉が開く。
アリスは一歩、踏み出す。
だが踏み出しながらも、端末の画面は見ている。
檻の中で捜査する。
檻の中でゴーストをする。
アリスはフルーテッドのログを逆利用する。
ログの空白。
空白が出る位置。
空白が出る時間。
空白は嘘をつかない。
会場のネットワークを覗く。
認証テーブルの差分。
アクセス権の揺れ。
誰かが“今日だけ”通れる扉。
シラヌイが横につき、低く言った。
「俺が前を塞ぐ。
アオイカゲの監視は俺が受ける。
お前は手を動かせ」
盾。
盾が本当に盾になっている。
アリスは短く言った。
「……借りる」
借りる。
それが精一杯の礼だ。
舞台の光が眩しい。
アリスは笑わない。
笑えば切り抜かれる。
笑顔は筋肉の配置。
今日は筋肉を使う余裕がない。
だが群衆は勝手に熱狂する。
《アリス!》
《アリス!》
《アリス!》
名前が節になる。
名前が燃料になる。
アリスはその中で、ひとつの音を拾った。
低い音。
歓声の下に混じる、低周波。
スラスター熱の痕跡が、端末のグラフに一瞬だけ出る。
ありえない重心の移動。
アリスの呼吸が止まる。
来る。
来る、と確信した瞬間、
フルーテッドが微かな共鳴音を鳴らした。
まるで同意するように。
まるで“準備完了”と言うように。
アリスは心の中で呟く。
――舞台は整ってる。
そして、その舞台を整えたのが誰かも分かる。
オールドユニオン。
アザド。
檻の中で、ゴーストは牙を研ぐ。
研ぎながら、笑顔の要求を拒む。
アリスは舞台袖で、結社に短く送信した。
「来る。記録しろ。逃げろ」
場面は変わる。
静かな場所。
秩序の匂い。
オールドユニオンの影。
最低限修復されたM-22が、再び起動する。
四脚が接地し、低い音が鳴る。
二腕が動く。
透明の獣、VX-07 HOUNDが足元に沈む。
アザド・バラニが静かに言った。
「舞台は整った」
その声は上品で、冷たい。
そして次の瞬間、
新開市の安全キャンペーン会場のどこかで、
低い音が、もう一度だけ鳴った。




