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第252話 外交特権

 朝から新開市の空気は重かった。


 重いのに、騒がしい。

 騒がしいのに、進まない。


 ――捜査と監視が、“進みそうで進まない”朝。


 それは市民の肌感覚に先に来る。

 役所の窓口が詰まっているとか、車両の検問が増えたとか、SNSで「任意提出」のスクショが回り始めたとか。

 そういう小さな滞りが街に積み上がると、新開市民は敏感に察する。


 「お、今日もなんか来てるな」


 いつもの困った新開市民たちは、そこに祭りを見出す。


 そして正義の渋滞は、列を呼ぶ。


 治安機関の施設前。

 市役所前。

 企業ブースの前。

 あちこちで、誰かが声を上げる。


 「OCM出てこい!」(と言いつつ、今は海外部門のことを指している)

 「日本国出てこい!」(と言いつつ、元急進派の残滓を指している)

 「企業も出てこい!」

 「実行委員会も出てこい!」


 言葉は雑だ。

 雑だから広がる。

 広がるから節になる。


 ミコトの耳にも、真鍋の端末にも、同じ報せが降ってくる。


 捜査が一斉に走った。


 オールドユニオンが撒いた“証拠の欠片”。

 誰かが、どこかで、うっかり拾ってしまう程度の欠片。

 だが欠片は刃だ。

 刃は手順を動かす。


 新開市・中立フェス実行委員会。

 防災キャンペーンを名乗る企業群。

 その両方に、任意提出要求、事情聴取、記録の提出、資材の搬入履歴の確認――手順通りの要求が雪崩れ込む。


 刀禰ミコトは眉を寄せた。

 正義を掲げる者ほど、手順を捨てない。

 だから忙殺される。


「……全部、正しくやるしかないのね」


 真鍋はもっと露骨に苦い顔をした。


「“正しく”やると、一日が消える。

 だが“正しく”やらないと、こちらが燃える」


 新開市では、どちらに転んでも燃える。

 燃える街で、正義はいつも遅れる。


 ミコトと真鍋は渋滞の中心に飲まれた。


 電話が鳴り続ける。

 端末が震え続ける。

 議会からの問い合わせ。企業からの抗弁。委員会からの泣き言。

 そして市民の“お祭り”の雑音。


 その雑音の裏で、もっと醜い音が鳴り始めていた。


 ――疑心暗鬼。


 企業群は互いを疑い始めた。


 「誰が証拠の欠片を撒いた?」

 「今回、最も得をしたのは誰だ?」

 「どこから情報が漏れた?」


 疑いは、手順より速い。

 速い疑いは、最初に“分かりやすい敵”を作る。


 その槍玉に上がったのが、シラヌイの会社だった。


 今回の事件で最も知名度を得た。

 アリスに寄った。

 映像の中心にいた。

 “市民の顔”を作った。


 企業同士の会議は冷たい。


 「売名では?」

 「勝ち方が綺麗すぎる」

 「内部から動いた可能性がある」

 「実行委員会と結託しているのでは?」


 シラヌイ本人は現場で咳き込み、腕を痛めているというのに、

 企業は机の上で彼の価値を計算する。


 実行委員会の内部でも、同じことが起きていた。


 誰が企業と繋がった?

 誰がオールドユニオンに接触した?

 誰が“次の映え”を持ち込んだ?

 誰が証拠を持っている?


 善意の顔をした委員会は、いまや政治の顔をしていた。

 政治の顔は、責任を嫌う。


 責任を嫌う者は、誰かに責任を押しつけたがる。


 その空気は、世論へも広がる。


 ネットは早い。

 早いほど雑だ。

 雑だから燃える。


 「企業ヒーローってやらせじゃね?」

 「アリスと比べて出来すぎ」

 「安全キャンペーン自体が節づくり」

 「広告臭い」

 「結局、また燃やして儲けたいだけ」


 “企業ヒーロー=やらせ”ムードが、世論の中に形成されつつあった。


 企業群は焦った。


 焦った企業がやることは決まっている。


 ――絵を取り戻す。


 結論は早かった。


 「アリスを招こう」


 安全キャンペーンにアリスを招待する。

 アリスを並べれば、正統性が回復する。

 アリスと並べば、やらせ疑惑が薄れる。


 敵対するより、共闘した方が利益になる。

 囲い込めば席が取れる。

 囲い込みが敵対から協賛へ変質する瞬間だった。


 企業のやり方は上品だ。


 招待状。

 丁寧な文言。

 「市民の安全啓発」

 「中立都市の協働」

 「象徴としてのご登壇を」


 言葉は綺麗だ。

綺麗な言葉ほど鎖になる。


 だが企業は知らない。

 いや、知っている。知っていてやっている。


 アリスが嫌がるほど、映える。

 アリスが拒否するほど、価値が上がる。


 そして何より、企業の焦りはオールドユニオンにとって最高の煙幕だった。


 その頃、アリスは治安機関の施設に“合法的に”押し込められていた。


 真鍋は「これ以上は治安機関の仕事だ」と言い、

 義弘は「外が最悪だ」と言い、

 結果としてアリスは“安全な場所”に封じ込められている。


 安全。

 安全という言葉が、今日ほど腹立たしい日はない。



 施設の外は相変わらず祭りだった。


 「アリス見せろ!」

 「シラヌイ神!」

 「次はM-22完全撃破!」

 「フルーテッドかわいい!」


 叫ぶ声。配信のライト。

 節が膨らむ匂い。


 アリスは椅子に座らされ、歯を食いしばる。


 M-22は生きている。

 次が来る。

 追いたい。

 追えない。


 その“追えない”の隙を、誰が狙うか。


 オールドユニオンだ。


 扉が開き、空気が変わった。


 入ってきたのは、オールドユニオンの連絡官。

 制服は整いすぎていて、視線が冷たいほど穏やかだ。

 その背後にセグメンタタの影がある。


 真鍋が眉を寄せる。


「ここは治安機関の施設だ。

 何の用件だ」


 連絡官は、紙の束と端末を差し出す。

 外交の顔で、淡々と告げる。


「親善大使の公務に関する要請だ」


 要請。

 要請という名の命令。


 真鍋が食い下がる。


「事情聴取中だ。

 本人は——」


 連絡官は遮らない。遮らないまま、別の紙を示す。


「外交特権の範囲だ。

 新開市の自治を尊重するが、親善大使の行動は我々の管轄でもある」


 手順のぶつかり合い。

 合法と合法がぶつかると、力の強い方が押す。


 真鍋の顔が歪む。

 ここで拒否すれば、国際問題の匂いが立つ。

 今の市政と治安は忙殺されている。

 そんな余力はない。


 義弘が一歩前へ出る。


 アライアンス所属のインフラ守護者として、

 その立場がこの場では“重い”。


 義弘は静かに言った。


「……どこへ連れて行く」


 連絡官は淡々と答える。


「安全キャンペーン会場。

 親善大使として出席を求める」


 安全キャンペーン。

 企業の招待と、同じ方向。


 アリスの胃が冷える。


 ――全部、繋がっている。


 繋がっているのに、手順上は繋がっていない。

 繋がっていないから、誰も責任を取らない。


 アリスは椅子から立ち上がった。

 立ち上がった瞬間、真鍋が言う。


「行くな」


 義弘も言う。


「行けば、利用される」


 トミーが耳を立てたまま、ぽつりと言った。


「お前、また看板にされるぞ」


 アリスは唇を噛んだ。


 利用されるのは嫌だ。

 オールドユニオンの構図を固められるのも嫌だ。

 企業の広告塔にされるのも嫌だ。


 だが――M-22が生きている以上、情報と導線が必要だ。


 安全キャンペーン会場は、人が集まる。

 人が集まれば節が生まれる。

 節が生まれれば、M-22は動きやすい。

 動きやすいなら、匂いが出る。


 匂いが出れば、追える。


 アリスは腹を決めた。


 従属ではない。

 逆利用だ。


 アリスは真鍋を見た。

 真鍋の目は怒っている。

 怒りは心配の形だ。


 次に義弘を見る。

 義弘の目は静かで、疲れている。

 疲れは守る者の影だ。


 アリスは低く言った。


「……利用されるのは嫌だ。

 でも、追うために利用する」


 義弘が言う。


「焦りすぎるな」


 アリスは吐き捨てる。


「焦らないと死ぬ」


 その言葉に、誰も返せない。

 新開市では、それが本当だからだ。



 連絡官が一歩前へ出る。


「出発する」


 アリスの三歩後ろで、微かな共鳴音が鳴った。


 フルーテッド。


 当然のように、鎖が付いてくる。

 付いてくること自体が“構図”だ。


 アリスは振り返らずに呟いた。


「……勝手についてくんな」


 フルーテッドは返事をしない。

 返事をしないまま、追従距離を保つ。


 礼儀正しい鎖。


 義弘が最後に、静かに言った。


「何かあれば、呼べ。

 ……呼べるように、手順を残しておけ」


 アリスは一瞬だけ、胸が痛んだ。

 痛んだが、顔には出さない。


「……分かってる」


 そしてアリスは治安機関の施設を出た。


 外は祭りだった。

 叫び声。ライト。スマホ。ドローン。

 節が膨らみ、映像が燃料になる。


 その群衆の中を、オールドユニオンの護衛に囲まれて歩く。

 親善大使。外交特権。安全キャンペーン。


 最悪に映える構図が、完成しつつあった。


 アリスはフードの奥で赤い瞳を細め、心の中で呟く。


 ――M-22を追う。

 ――構図を壊す。


 その二つを同時にやらなければならない。

 だからこそ、次が怖い。


 次が怖いほど、街は燃える。


 安全キャンペーン会場へ向かう車列の窓の外で、

 一瞬だけ低い音が混じった気がした。


 アリスの指が、端末に触れる。

 ゴーストの仕事が、また始まる。

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