第251話 罪悪感という王冠
オールドユニオンの施設は、いつも静かだ。
静けさは、秩序の顔をしている。
秩序は、手順の影を伸ばす。
影は、見せたいものだけを照らす。
アザド・バラニは、その影の中心に立っていた。
扉が開き、金属の匂いが流れ込む。
重い車輪の音。
床を擦る音。
そして――低い音。
四脚の軍用機が搬入されてきた。
M-22 マルティネス歩行戦闘車(仮称MANTIS)。
軍用装甲の曲面は、光を散らす。
角はない。輪郭が掴みにくい。
だが今は、輪郭が崩れている。
装甲は凹み、脚関節は一部が歪み、
スラスター基部の一つは焼け跡を残している。
重機の一撃が確かに入った痕跡だ。
それでも、四脚は“立っている”。
軍用とは、そういうものだ。
M-22の後ろに、もう一つ影が続く。
VX-07 HOUND。
透明の獣。
地を駆け、熱に溶け、音だけを置く猟犬。
だが今、その獣は“おとなしい”。
首輪が見えるわけではない。
鎖が見えるわけでもない。
それでも従う。
従ってしまうように、手順が整えられている。
HOUNDが床に影を落とさないまま、アザドの背後に控える。
獣が“待つ”姿は、何より不気味だった。
アザドは表情を変えない。
変えないまま、淡々と視線だけを動かす。
搬入の列の端に、数名の人間がいる。
誰も目立たない。
誰も主張しない。
だが彼らは、手順の匂いがする。
オールドユニオンのエージェント。
アザドはこうなることを見越していた。
新開市・中立フェス実行委員会。
防災キャンペーンを掲げる企業群。
その内部に、最初から“手順の人間”を忍び込ませていた。
彼らの仕事は、派手ではない。
派手ではないから確実だ。
搬入書類を一枚ずらす。
箱の番号を入れ替える。
誰が触れたかの記録を空白にする。
監視カメラの視線を一度だけ逸らす。
そして最後に、回収する。
M-22とHOUNDは、その手順の末にここへ来た。
アザドは、軽く顎を引いた。
それだけが「よくやった」の合図だった。
エージェントたちは何も言わない。
言わないのが手順だ。
言葉は記録になる。
記録は足になる。
足は掴まれる。
アザドは足を残さない。
修復班が近づき、M-22の損傷を確認する。
「装甲の凹み、深い」
「脚関節の応答遅れ」
「スラスター基部、損傷」
「姿勢制御、要再調整」
誰もが「全修復」を口にする気配を出す。
軍用機なら、全修復が当然だ。
だがアザドは言った。
「最低限でいい」
修復班の一人が、わずかに目を上げた。
反論ではない。確認だ。
「……最低限、とは」
アザドは淡々と言う。
「動くように。
撤退できるように。
そして――倒されやすいように」
倒されやすいように。
その言葉が、修復班の空気を一瞬だけ凍らせた。
凍った空気はすぐに整う。
整うのがオールドユニオンだ。
アザドは続ける。
丁寧な説明などしない。
手順の言葉を置くだけで、人は理解する。
「こちらの足がつかぬよう、工廠ログは残すな。
同時に、サムライ・ヒーローに“倒されやすい”状態を維持する」
修復班が頷く。
アザドの狙いは二つある。
一つは当然だ。
オールドユニオンの足がつかないようにする。
足がつけば国際問題になる。
それは手順として愚かだ。
だが、もう一つの方が重要だった。
倒されやすくする。
戦争に勝つためではない。
絵を作るためだ。
勝つ絵ではなく、負ける絵。
負けてなお撤退する絵。
燃える街の中で、ヒーローが勝つ絵。
その絵の中心に、誰がいるべきか。
アリツェ・ヴァーツラフコヴァーだ。
アザドは、彼女の“制御不能”を資産と呼んだ。
制御不能が最大の影響力を生むと断じた。
ならば、制御不能を最も強く焼き付ける方法は何か。
アザドは知っている。
人は勝利より、痛みに記憶を刻む。
痛みの記憶は、罪悪感になる。
罪悪感は、最強の知名度になる。
アザドはモニターを点けさせた。
新開市の映像が流れる。
治安機関施設の外に溢れる群衆。
配信者のライト。
コメントの暴風。
《アリス見せろ!》
《重機神回!》
《フルーテッドかわいい!》
《オールドユニオン最高!》
《アリスは新開市のもの!》
熱狂。
現場の恐怖を消費した熱狂。
アザドは、その熱狂の中に欠けているものを見ていた。
“刺し”が足りない。
勝っただけでは、すぐ忘れられる。
次の神回が来れば上書きされる。
燃える街は忙しい。
刺しが必要だ。
傷が必要だ。
アザドは、静かに計画を組み直す。
いや、組み直すのではない。
最初からそうだった。
ただ順番が来ただけだ。
彼は淡々と、部下へ指示を落とす。
「再投入する」
修復班が頷く。
「新開市へ侵入させろ。
アリツェと企業ヒーローに追わせる」
追わせる。
追わせることで、彼女の行動を現場へ固定する。
視線も責任も、現場に集中させる。
そしてその間に――
「証拠を撒く」
エージェントが動く気配を見せる。
アザドは言う。
「中立フェス実行委員会と企業群が、今まで騒動を引き起こしていた証拠の欠片。
欠片でいい。欠片がよい。
治安機関に噛みつかせろ」
噛みつけばよい。
噛みつかなければ、世論に噛みつかせればよい。
アザドの狙いは二重だ。
治安機関が動けば、真鍋とミコトは忙殺される。
忙殺されれば、アリツェの周囲の守りが薄くなる。
世論が「企業ヒーローはやらせ」と思い込めば、企業群が焦って動く。
焦った企業は必ずミスをする。
ミスは節になる。
節は火を生む。
どちらに転んでも、混線が増える。
混線は隙を作る。
隙は、刃が入る場所だ。
そして、真の狙いが来る。
アザドは、背後に控える透明の獣へ視線を落とす。
VX-07 HOUND。
「これを使う」
獣は反応しない。
反応しないまま、熱の境目に溶けるような気配を見せる。
アザドは言葉を置く。
「アリツェに傷を負わせる」
ここで殺してはいけない。
死者は重い。
死者は手順を崩す。
必要なのは“傷”だ。
治療が必要な傷。
血が出る傷。
それでも立つ傷。
その傷が映像になり、
新開市民の胸に刺さり、
罪悪感を生む。
罪悪感は記憶を固定する。
記憶は名前を刻む。
アザドはゆっくりと言う。
「最も強大な知名度は罪悪感だ」
会合の誰も反論しない。
反論する余地がない。
手順の言葉は、いつも冷たいほど正しい。
「少女が街を守って傷つく。
その瞬間、市民はようやく気づく。
自分たちは騒いでいただけだ、と」
そして、その刺しの後に座席を置く。
アザドは淡々と結論を口にする。
「傷ついた少女の守護者の位置に、オールドユニオンが座る」
これが完成形だ。
アリツェ・ヴァーツラフコヴァー=オールドユニオン。
燃える街を守るのはオールドユニオン。
守護者はオールドユニオン。
アザドは、あくまで「彼女が自発的に力を使う」ように誘導する。
自発的に見せる。
自発的に“なるように”手順を整える。
整えた手順の中で、人は自由に動いているつもりになる。
アザドはそれを善とは呼ばない。
悪とも呼ばない。
ただ、運用と呼ぶ。
修復班が最低限の作業を始める。
スラスター出力は完全に戻さない。
熱痕跡は残す。
片脚関節の応答遅れは残す。
ただし撤退手順だけは生かす。
“負け方”の設計。
“生き残り方”の設計。
M-22が静かに起動する。
四脚が接地し、低い音が鳴る。
二腕が動き、装甲が鳴る。
そしてHOUNDが、床に沈む。
路面の熱がない場所でも沈むように、手順が整えられている。
アザドは、モニターの向こうの新開市の熱狂を眺める。
燃える街。
燃えるほど、刺さりやすい。
アザドは静かに言った。
「燃える街には、火傷の跡がよく似合う」
その言葉は上品だった。
上品なほど冷たかった。
そして手順は、次の火を起こすために動き始めた。




