第250話 構図
事情聴取室の空気は、乾いていた。
机は綺麗で、椅子は硬い。
照明は白く、影は少ない。
少ない影ほど、息が詰まる。
アリスは椅子に座っている。
座らされている、と言った方が正しい。
正面には真鍋。
治安機関の顔。
その背後に、鳴海宗一の部下たちが控える。
端末の光が、淡々と記録を増やしていく。
そして同席者が二人――いや、二人と一匹。
義弘。
純白のサムライスーツではなく、アライアンスの徽章を付けた“インフラの守護者”としての姿。
表情は硬い。硬いが、怒ってはいない。
怒りは真鍋が持っている。
トミーは、いつものように斜めに座り、耳だけが妙に立っている。
ウサギの耳は、場違いなほど目立つ。
目立つのに、誰も突っ込まない。
新開市ではそれが“普通”になる。
真鍋が口を開いた。
「まず確認だ。
M-22――マルティネス歩行戦闘車が現場から撤退した。
なぜ撤退できた」
アリスは答えを持っている。
持っているが、言いたくない。
言えば、追跡に行かせろと言いたくなる。
行かせろと言っても、行けない。
真鍋は続ける。
容赦がない。
「治安機関が到着したのとほぼ同時に、対象は再起動した。
煙幕を張り、撤退に踏み切った。
あれだけ破壊されながら撤退できる。軍用のしぶとさは折り紙付きだ」
アリスは歯を食いしばる。
炎上して、終わりだと思いたかった。
だが終わっていない。
終わっていないのが、新開市だ。
義弘が静かに言う。
「煙幕の質が、普通じゃなかった。
M-22単体ではない可能性がある」
真鍋が頷く。
「こちらもそう見ている。
だから追う。
――追うのは治安機関の仕事だ」
アリスが反射で立ち上がりかける。
「私が追う」
真鍋の声が硬くなる。
「追わせない。
この後は治安機関の仕事だ」
「私が一番、動きが分かる!」
「分かっている。
だからこそ、追わせない」
真鍋は言葉を切る。
切ることで、こちらの口を塞ぐ。
「君には、合法的に安全な場所にいてもらう。
――それが今の最善だ」
合法的。
安全。
最善。
正しい言葉ほど、拘束になる。
アリスは机を睨んだ。
睨んでも机は動かない。
動かないのが手順だ。
トミーが小さく鼻で笑った。
「最善、ね。
“最善”って言葉が出るときは、大抵、誰かが困ってる」
真鍋がトミーを見た。
睨むようで、睨みきれない。
ウサギに怒鳴っても絵にならないからだ。
義弘がアリスへ視線を向けた。
視線が静かで、やけに重い。
「追いたいのは分かる。
だが今、外の状況が最悪だ」
外。
その言葉で、アリスは思い出した。
自分がここに押し込められた理由は、M-22だけではない。
もう一つある。
――映像。
治安機関施設の外は、祭りになっていた。
施設の正面ゲートの向こうに、人が溢れている。
見物人。観光客。配信者。お調子者。
「正義の味方」を見たくて集まる群衆。
《アリス見せろ!》
《さっきの重機神!》
《M-22また出るってマジ?》
《シラヌイどこ!?》
《フルーテッドかわいい》
《オールドユニオン最高!》
《アリスは新開市のもの!》
《次は完全撃破だろ!》
コメントが暴風のように吹き上がっている。
フルーテッドが撮影した映像が、あまりに鮮明だった。
アリスが操縦席から飛び出す瞬間。
M-22が空の操縦席を叩き潰す瞬間。
リミッター解除済みの重機アームが直撃する瞬間。
炎上する瞬間。
神回。
英雄。
怪獣。
その言葉が、現場の恐怖を消し去って、娯楽だけを残す。
真鍋が渋い顔で言う。
「君がここにいると知れ渡った。
……施設の外が“列”になりかけている」
ミコトが怒る理由が、ここにある。
正義が働くほど、街が燃える。
アリスは唇を噛んだ。
守ったのに。
守ったからこそ、燃料になった。
義弘が低く言う。
「だから今、君を外に出せない」
アリスは吐き捨てる。
「私のせいみたいに言うな」
真鍋が即座に返す。
「君のせいだ。
――君が悪いと言っているのではない。
君が“映像”になっていると言っている」
映像。
映像は人を集める。
人が集まれば節が生まれる。
節が生まれれば事故が起きる。
アリスは椅子に沈み直した。
沈み直すしかない。
さらに厄介なのは、アリスだけではなかった。
シラヌイも、スターになっていた。
“企業ヒーローが市民を守った”という絵を作りたい企業群にとって、
シラヌイの活躍は最高の素材だ。
ところが、そのシラヌイ本人が、最悪に厄介だった。
シラヌイは謙遜した。
自分の手柄にしなかった。
「俺は援護しただけだ。
勝因はアリスの作戦と判断だ」
その証言が、治安機関の処理を変えた。
アリスのハッキング。
封鎖。閉鎖。制御。権限逸脱。
本来なら重い。
だが“市民の安全確保のための緊急措置”として扱われ、
軽い処罰で済みそうな流れになっている。
真鍋が淡々と言う。
「シラヌイの証言は大きい。
君の処分は軽くなる」
軽くなる、という言葉が、アリスには嬉しくなかった。
軽くなるということは、
「君の行為は利用価値がある」と言われるのと同じだからだ。
事実、空気が変わっている。
企業群が、アリスを“敵”として見るのをやめ始めていた。
敵対するより、共闘した方が利益になる。
囲い込んだ方が得だ。
企業の思考は早い。
早いほど怖い。
義弘が真鍋を見た。
「企業側の動きは?」
真鍋が渋い顔をする。
「……アリスと行動した方が利益になる、という空気が出ている。
表の安全キャンペーンに“招く”話まである」
アリスの胃が痛む。
敵対から協賛へ。
それは一見穏やかだが、囲い込みが強くなるだけだ。
アリスは言う。
「私は企業の広告じゃない」
トミーが小さく笑う。
「広告じゃなくても、看板にはなる。
看板ってのは、勝手に立つ」
トミーの毒舌は、いつも刺さる。
さらに最悪なのは、オールドユニオンだ。
フルーテッドの“活躍”と“撮影”が、
アリス=オールドユニオンの構図を強化している。
フルーテッドが守った。
フルーテッドが撮った。
フルーテッドが拡散した。
新開市民の目にはこう映る。
「アリスが強い」
「オールドユニオンが支える」
「だから安心」
「だから祭り」
安心が燃料になる街で、
安心を売る構図が出来上がりつつある。
アリスはそれが耐えられなかった。
新開市のものと言われるのも嫌だ。
オールドユニオンのものにされるのは、もっと嫌だ。
アリスは口を開きかけ、閉じた。
ここで吠えても手順に吸われる。
吸われた結果は、“問題行動”として記録されるだけだ。
だからアリスは、焦る。
焦りは言葉にならず、目だけになる。
目は鋭くなる。鋭い目はまた切り抜かれる。
最悪な循環。
義弘がアリスの焦りを見て、低く言う。
「……君は今、追い詰められている」
アリスは吐き捨てる。
「追い詰められてるのは街だ」
「街もだ。
だが君もだ」
義弘の声は静かで、重い。
重いから腹が立つ。
腹が立つほど、図星だからだ。
トミーが耳を立てたまま、ぽつりと言う。
「お前、また自分を燃料にする気か」
アリスが睨む。
「うるさい」
トミーは引かない。
「街は燃えるのが好きだ。
お前は燃やされるのが好きか?」
好きなわけがない。
だがアリスは返せない。
返せないまま、拳を握る。
真鍋が机を指で叩いた。
「話を戻す。
M-22は生きている。
煙幕撤退は単独では難しい。支援があった可能性が高い」
支援。
運用者。
誰かがいる。
アリスの背筋が冷える。
M-22が生きているなら、次がある。
次があるなら、今ここで止められているのは致命的だ。
アリスは身を乗り出す。
「だから追う!」
真鍋は首を振る。
「追わせない。
追うのは治安機関だ」
正しい。
正しいから、遅い。
アリスは叫びそうになって、堪えた。
叫べば手順が自分を殺す。
義弘が静かに言う。
「追えない時に限って、向こうは動く」
その一言が、喉に刺さる。
アリスは低く呟いた。
「……分かってる」
分かっている。
分かっているのに動けない。
その無力感が、アリスを一番削る。
外では群衆がまだ騒いでいる。
祭りは終わらない。
反省はない。
映像が燃料になる。
そして――構図が固まる。
アリス=オールドユニオン。
アリス=企業の広告塔。
アリス=新開市の象徴。
そのどれも、アリスが望んだものではない。
望んだのは、守ることだけだ。
だが守るほど、囲いが太くなる。
アリスは目を閉じた。
閉じても頭の中は止まらない。
M-22は生きている。
誰かが動かしている。
次が近い。
そして自分は、いまここに押し込められている。
義弘の声が、遠くで聞こえる。
「……アリス」
アリスは目を開き、低く言った。
「大丈夫だ。
……まだ、折れてない」
言葉は強がりだ。
だが強がりでも言わないと、折れる。
トミーが小さく笑った。
「折れてないなら、折れる前に寝ろ。
お前、寝ないともっと口が悪くなる」
アリスは鼻で笑い、椅子にもたれた。
――追えない時に限って、向こうは動く。
その言葉が、何度も頭の中で響く。
そして新開市の夜は、外の祭りのざわめきで、眠れないほど明るかった。




