第249話 リミッター解除
アリスは走っていた。
走りながら、街を殴っていた。
殴ると言っても拳ではない。端末だ。
指先がガラスを滑り、都市の手順をねじ曲げる。
――誘導レース。
相手は軍用。
M-22 マルティネス歩行戦闘車、仮称MANTIS。
四脚、二腕、軍用装甲、スラスター推進。
見かけ以上に敏捷で、切り返しが異様に速い。
そして今、優先ターゲットはアリスだった。
アリスが自分でそうした。
囮になると決めて、そうした。
だから走る。
人を巻き込まない道を選び、最短を切り、迷わず角を曲がる。
背後で低い音が鳴る。
スラスター。
地面が震える。
四脚の接地音が、獣の息遣いみたいに迫ってくる。
M-22は速い。
速いだけではない。賢い。
節の匂いを嗅ぎ、導線を読むように迂回する。
アリスは歯を食いしばり、端末を叩く。
道路ゲート封鎖。
信号操作。
歩行者誘導表示。
立入禁止アラート。
ドローン飛行制限の即席ゾーン生成。
「危険。退避してください」
「この先、封鎖」
「迂回」
表示は正しい顔をしている。
正しい顔をしているから、みんな従う。
従うほど、節がほどける。
――人を守るための違法。
守るために、権限を飛び越える。
飛び越えた分だけ、逮捕状が近づく。
だが、今はそんなもの、後だ。
背後の音が近い。
M-22が屋台を弾き飛ばす音がする。
マルシェの布が裂け、鍋が転がり、誰かの悲鳴が上がる。
アリスは振り返らない。
振り返った瞬間に足が止まる。
足が止まった瞬間に死ぬ。
横から、熱が走った。
シラヌイが体当たりで割り込んだのだ。
「行け!」
シラヌイの声が短い。
短い声ほど必死だ。
シラヌイは企業ヒーローだ。
だが今の動きは企業の顔ではない。
一新開市民の顔だった。
M-22の二腕が伸びる。
シラヌイを掴もうとする。
掴む直前、微かな共鳴音が鳴った。
フルーテッド。
礼儀正しい鎖が、また刃になる。
共鳴音が空気を震わせ、M-22の姿勢制御がほんの一瞬だけ乱れる。
その一瞬で、シラヌイは体勢を崩しながらも踏ん張り、
M-22の進路を僅かにずらした。
アリスはその隙に距離を稼ぐ。
だが、稼いでも追いつかれる。
人間の足が軍用ドローンに勝てるわけがない。
アリスの喉が焼ける。
肺が痛い。
視界の端が白くなる。
それでも走る。
目標はインフラ設備。
重機がある場所。
軍用装甲を叩き割れる場所。
背後で低い音がまた鳴る。
M-22が跳躍した気配。
地面が沈むような圧。
――追いつかれる。
アリスが歯を食いしばった、その瞬間。
白い影が割り込んだ。
義弘。
純白のサムライスーツ。
そして、その背後に整然とした部隊。
高速機動隊――F.QRE.D.QVE。
その存在だけで、空気が変わる。
群衆が一歩引く。
節が削れる。
義弘は躊躇なく、M-22へ斬りかかった。
刀が閃く。
ワイヤーが走る。
機動隊が三角形に展開し、進路を“閉じる”。
だがM-22は信じられないほど俊敏だった。
スラスターが低く鳴り、
四脚が踏み変わり、
巨体が滑るように回避する。
刀が空を切る。
ワイヤーが噛み損ねる。
押し止めるはずの三角形が、するりと抜けられる。
義弘は歯を食いしばり、追撃する。
追撃しながら、義弘は“止める”のではなく“流す”を選ぶ。
進路を変え、群衆から遠ざける。
インフラへ向かう流れを作る。
義弘の戦い方だ。
F.QRE.D.QVEが連携する。
足元へ拘束器具。
路面へ衝撃吸収材。
視界を遮らない程度の薄い煙――節を作らない煙。
M-22は一瞬だけ速度を落とす。
義弘がその一瞬に踏み込み、刀で脚関節の隙間を叩く。
装甲は厚い。
だが可動部の隙間はゼロにできない。
金属が火花を散らす。
義弘は叫んだ。
「アリス、走れ!」
アリスは身を翻した。
走り出す。
インフラ設備へ。
重機へ。
その背中へ、義弘の声が刺さる。
「アリス、やりすぎだ!逮捕状が出ているぞ!」
アリスは振り返らずに叫び返した。
「知ってる!いつものことだろ!」
言い捨てる。
いつものこと。
自分のハックが、また罪になる。
封鎖・閉鎖・制御――権限逸脱。
守るためにやったことが、罪になる。
だが罪になっても、守る。
守らない正義など、意味がない。
背後で義弘が呻くように言う。
「……いつも、で済ませるな!」
その言葉が胸に刺さる。
刺さるが、止まれない。
アリスは走り続けた。
インフラ設備が見えた。
バイオ・オイルの導管区画に近い、重機ヤード。
巨大なアーム。
油圧。
鉄の塊。
ここなら叩き割れる。
アリスは端末を開き、重機の制御に侵入した。
古い系統。
だが古いほど穴がある。
穴があるほど、ゴーストは速い。
起動。
油圧稼働。
アームがゆっくり持ち上がる。
その瞬間、背後の空気が裂けた。
義弘の押し止めが崩れたのだ。
崩れたというより、M-22が“抜けた”。
M-22は止められない。
止めるのではなく、押し止めるしかない。
押し止める間に、アリスが叩き割るしかない。
アリスは操縦席へ飛び乗った。
古いガラス。
古いレバー。
古い安全リミッター。
リミッターがあるから安全だ。
安全だから、装甲は割れない。
アリスは歯を食いしばり、リミッター解除のコードを叩き込む。
「……外れろ」
解除警告が点滅する。
《危険:過負荷》
《危険:反動》
《危険:操縦者保護なし》
危険は分かってる。
危険でもやる。
やらなければ街が燃える。
アリスが解除を確定した瞬間――
低い音が真後ろで鳴った。
M-22が来た。
重機のアームより速い。
操縦席へ肉薄する。
ガラス越しに、角のない装甲が迫る。
四脚が踏み込み、二腕が伸びる。
アリスの喉が凍る。
ここで掴まれたら終わりだ。
操縦席を叩き潰される。
自分が潰れる。
その瞬間、共鳴音が鳴った。
フルーテッド。
音が刃になる。
姿勢制御が僅かに乱れる。
僅かな乱れが、数秒を作る。
そして、シラヌイが飛び込んだ。
「行け!」
シラヌイがM-22の脚へ組み付く。
無茶だ。
だが無茶をやるのはアリスだけじゃない。
シラヌイの装甲が軋む。
四脚の圧がシラヌイを潰そうとする。
それでも離れない。
フルーテッドが共鳴音を連続で鳴らす。
M-22の切り返しが鈍る。
鈍るのはほんの数秒。
だが数秒で十分だ。
アリスは操縦席から飛び出した。
地面へ転がる。
肩が擦れる。
息が詰まる。
アリスが転がりきった瞬間、
M-22の二腕が空の操縦席を叩き潰した。
ガラスが砕ける。
鉄が歪む。
操縦席が“箱”に変わる。
もしアリスが一拍遅れていたら、そこにいたのはアリスだった。
アリスは息を吐く暇もなく叫んだ。
「――今だ!」
リミッターが外れた巨大重機のアームが、遅れて動く。
遅れて動くのではない。
“溜め”がある。
溜めた力が解放される。
油圧が唸る。
鉄が空気を裂く。
アームが振り下ろされる。
M-22が振り向く。
振り向いた瞬間には間に合わない。
直撃。
巨大な鉄の塊が、軍用装甲を叩き割る。
衝撃が空気を潰し、地面が揺れる。
M-22の装甲が凹む。
関節が悲鳴を上げる。
スラスターが不規則に噴き、低い音が乱れる。
そして――炎が上がった。
炎上。
軍用の本物が、初めて“痛み”を見せる。
M-22がよろめく。
四脚のうち一脚が沈む。
二腕が乱れ、掴むべきものを掴めない。
完全停止ではない。
だが致命傷だ。
アリスは膝をついた。
息が苦しい。
手が震える。
それでも目は離さない。
義弘が駆けつける。
白い影がアリスの前に立つ。
F.QRE.D.QVEが周囲を固め、節を作らないまま人を遠ざける。
義弘が低く言った。
「……生きてるか」
アリスは息を吐き、口の端で笑いそうになって、やめた。
「死んでたら謝れないだろ」
義弘の眉が動く。
叱る顔。
だが叱る前に、視線がM-22へ向く。
炎上するM-22。
まだ動こうとしている。
軍用はしぶとい。
冗長制御は簡単には死なない。
シラヌイが倒れ込むように離れ、咳き込んだ。
フルーテッドがそのそばへ寄り添い、共鳴音を一度だけ鳴らす。
アリスはその音に、背筋が冷える。
守った音。
そしてログに残る音。
守れば守るほど、鎖が太くなる。
義弘がアリスを見下ろし、低く言う。
「……逮捕状の件、あとで話す」
アリスは目を逸らした。
「後でな」
後で、が来るのか分からない。
新開市では後でが来ないこともある。
だから今を生きる。
炎上の向こうで、M-22が低い音を残す。
それは撤退の準備にも聞こえるし、最後の悪あがきにも聞こえる。
アリスは息を整えながら、心の中で呟いた。
――終わってない。
終わってないから、また燃える。
燃える街で、守るために罪を重ねる。
それがゴーストの責だと、氷の母は言った。
アリスは小さく舌打ちし、立ち上がった。
まだ、戦いは続く。




