第248話 囮
車両の中は、妙に静かだった。
エンジン音と、タイヤがアスファルトを擦る音だけが続く。
窓の外では、ゲリラ的に発生したマルシェの旗が翻り、企業ブースの司会が笑顔でマイクを握っている。
「万が一暴走しても、うちの企業ヒーローが鎮圧できます!(笑)」
笑い声が起きる。
その笑い声が、車内にまで入り込んでくる気がして、アリスは歯を食いしばった。
隣に座るシロサギ・リンが、笑顔のまま言う。
「あなたは、現場に出るべきではありません」
言い方は丁寧で、柔らかい。
柔らかいほど、刃が深い。
アリスはフードの奥で赤い瞳を細める。
「私が動かなきゃ燃える」
リンは笑顔のまま首を振る。
「燃えません。
燃やさないのが、こちらの仕事です」
“こちら”。
その言葉が鼻につく。
アオイカゲは、前の席で短く言った。
「情報だけ出せ。現場は任せろ。以上」
以上。
会話を終わらせる言葉だ。
手順で蓋をする言葉。
アリスは苛立ちを飲み込みきれず、舌打ちの代わりに吐き捨てる。
「……都合のいい情報源が欲しいだけだろ」
車内の空気が一瞬だけ固まった。
固まった空気を崩したのは、シラヌイだった。
シラヌイは比較的静かな声で言う。
「俺は、そうは思わない」
アリスが目をやる。
シラヌイの表情は硬いが、敵意ではない。
「新開市民として……俺は見た。
前回、お前がどんな顔で止めたか。
それが“企業の絵”に見えたなら、俺が間違ってる」
アリスは鼻で笑いそうになって、こらえた。
「優しいこと言っても、手は貸さないんだろ」
シラヌイは首を振る。
「貸す。
ただし条件がある。
……俺のそばから離れるな」
リンが笑顔のまま割り込む。
「シラヌイ、危険です。彼女は——」
アオイカゲが短く切る。
「余計な情を挟むな。以上」
シラヌイは譲らない。
譲らないまま、アリスを見る。
「お前が単独で動けば、止められない節が増える。
なら俺が節を削る。
俺の範囲で、お前を守る」
守る。
守るという言葉が、今日はやけに重い。
守られるたびに縛られるからだ。
アリスは息を吐く。
「……要するに監視だろ」
シラヌイは言い返さない。
言い返さないのが、彼の誠実さだった。
車内はまた静かになる。
静かになった瞬間、アリスの端末が震えた。
音ではない。
振動でもない。
“警報”の質だ。
低周波。
スラスター熱。
重心の異常。
アリスの調査機器が、街の中に“軍用の匂い”を捉えた。
画面に短い文字が踊る。
M-22…侵入…
推進音…一致…
四脚反応…
アリスの背筋が冷えた。
言い争っている暇はない。
「止めろ」
アリスが運転手に言うと同時に、立ち上がろうとする。
リンが肩に手を置く。
笑顔は消えていない。
消えていないから怖い。
「待ってください。確認を——」
「確認してる!」
アリスは手を振り払う。
振り払う動作が荒い。荒いほど本気だ。
アオイカゲが低く言った。
「降りるな」
命令口調。
以上で終わらせる口調。
アリスは睨み返す。
「街にM-22が入った。
いま動いてる。
止めないなら死ぬ」
その言葉で、車内の温度が変わった。
シラヌイが一拍だけ早く動き、運転手に言う。
「止めろ。今すぐ」
車両が急停車する。
アリスはドアを蹴るように開け、外へ飛び出した。
空気が変わっている。
低い音が遠くで鳴る。
笑い声が途切れ、ざわめきが始まる。
背後から足音が続いた。
企業ヒーロー三人が追随してくる。
本来なら止める側が、追う側になる。
アリスは走りながら、端末を操作し、位置を割り出した。
目的地は近い。
イベント会場のひとつ――展示区画。
“防災キャンペーン”の看板が立つ場所。
最悪だ。
現場に到着した瞬間、アリスは息を呑んだ。
M-22 マルティネス歩行戦闘車――仮称MANTIS。
軍用装甲で全身が覆われ、角がない。
曲面が光を散らし、輪郭が掴みにくい。
四脚が低く踏ん張り、二本の腕が工具のように動く。
そしてスラスター。
短い噴射。
低い音。
それだけで、巨体が滑るように移動する。
見かけ以上に敏捷だ。
横移動が速い。切り返しが速い。
まるで獲物に張り付く昆虫のように、地面を舐める。
M-22は、近場の展示ドローン・ドロイドを、めちゃくちゃに破壊していた。
“映え”ではない。
破壊力の誇示だ。
支柱を折る。
ドロイドの脚をへし折る。
ドローンの羽根を叩き落とす。
そして次の標的へ迷いなく移る。
効率的。
要所だけ壊す。
戦闘用の思考。
アリスの胸が、きりきりと痛んだ。
壊されているのは、ただの機械だ。
だが“ただの”ではない。
新開市では、ドローンやドロイドは市民の相棒だ。
誰かの生活だ。
誰かの善意だ。
誰かの防災だ。
それが踏み潰されている。
アリスは歯を食いしばり、低く言った。
「……許さない」
その言葉より早く、アオイカゲが突入した。
「ライン封鎖」
ワイヤーが走る。
M-22の進路を切るように、地面に見えない線を張る。
リンが節を削る。
「皆さま、こちらへ!
密集しないで!間隔を!」
笑顔の声が群衆を流す。
流すことで事故は減る。
だが同時に、M-22を止める手が薄くなる。
シラヌイが低く言う。
「俺は援護。お前は——」
アリスが言葉を返す前に、M-22が動いた。
ワイヤーラインを踏まずに、横へ滑る。
四脚が踏み変わり、スラスターが短く噴く。
速度が異常だ。
アオイカゲのラインが空を切る。
“読まれている”。
M-22の二腕が伸び、展示機を盾のように掴む。
盾ごとワイヤーを弾く。
装甲に絡めても切れない。冗長制御が効いている。
アリスが端末を開き、侵入を試みる。
――弾かれた。
耐ハック性能。
表層の認証が厚い。
雑な侵入は通らない。
アリスの舌の奥が苦くなる。
「……硬い」
シラヌイが熱源を見て言う。
「スラスターの瞬間だけ熱が出る。
そこが痕跡だ。
だが……速い」
リンが目線を変えずに言う。
「破壊力アピールです。
群衆が密集する前に収束を——」
アオイカゲが短く言う。
「止める。以上」
止める。
だが止まらない。
M-22は企業ヒーローの動きを“戦闘”として捉え、
真正面から噛み砕きに来た。
四脚が踏み込み、二腕が押し出す。
リンの作る節が、圧で押し潰される寸前になる。
シラヌイが割って入る。
「下がれ!」
熱源を潰すフォームを撒き、境界を消す。
境界が消えると、スラスターの切り返しが一瞬鈍る。
一瞬だけ。
その一瞬にアオイカゲがラインを再構築する。
だがM-22は別の足で踏み直し、ラインの外へ出る。
アリスは歯を食いしばった。
このままでは、群衆に突っ込む。
インフラへ向かう。
“誰も認めない事故”になる。
そこへ、援軍が来た。
KOMAINU。
鳴海宗一の治安機関部隊。
パワードスーツが整然と並び、四脚の怪物へ向かう。
さらに玲音が走ってくる。
バンシー。
群衆の視線に弱い青年が、今日は視線を切り捨てている。
息が浅い。だが目が真っ直ぐだ。
「止める!」
玲音が叫ぶ。
叫ぶ声が震える。
だが震えは恐怖ではなく、覚悟だ。
数で押す。
囲う。
押さえる。
それでも――M-22は崩れない。
冗長制御。
片脚が縛られても三脚で動く。
片腕が押さえられてももう片腕で壊す。
スラスターが低く鳴り、
巨体が横へ滑り、
治安機関の列をすり抜ける。
まるで“節”を避けているように。
まるで“導線”を読んでいるように。
アリスの脳内で、冷たい理解が走る。
これは“映え”ではない。
軍用の思考だ。
要所を切る。指揮を切る。通信を切る。
そして――アリスを切る。
アリスは端末を握り直し、深く潜る。
耐ハック性能の“穴”を探す。
厚い表層をこじ開けるのではなく、隙間から刺す。
スラスターの制御。
姿勢制御の同期。
そこは完全に閉じられない。
アリスの指が止まる。
穴を見つけた。
だが穴は小さい。
小さすぎる。
できることは――
“支配”ではない。
“誘導”でもない。
ただ一つ。
優先ターゲットの変更。
アリスは息を吸い、吐いた。
これをやれば、M-22は自分を狙う。
自分を狙えば、インフラへ誘導できる。
重機のある場所へ引きずれる。
装甲を叩き割ることができる。
だがそれは、最悪に無茶だ。
自分が囮になる。
自分が狙われる。
自分が死ぬかもしれない。
氷の母の言葉が頭をよぎる。
“我々”が約束しようとしまいと、貴女はするべきことをするのでしょう?
図星だ。
アリスは低く呟いた。
「……するべきことをする」
そして、ハックを叩き込んだ。
M-22の内部で、優先度が書き換わる。
ターゲット固定。
最優先。
アリス。
M-22の首のようなユニットが、わずかに角度を変えた。
視線がないはずの機械が、
まるで“見る”ようにアリスへ向く。
アリスの背筋が冷えた。
冷えるほど、集中は鋭くなる。
その瞬間、フルーテッドが反応した。
三歩後ろの鎖が、二歩になる。
一歩になる。
共鳴音が短く鳴り、アリスの側へ寄り添う。
護衛するように。
アリスは一瞬だけ、嫌悪と安堵を同時に感じた。
鎖が、盾になる。
盾になるほど、鎖が太くなる。
シラヌイがアリスの目を見た。
「……作戦があるんだな」
アリスは答えない。
答えれば揺れる。
揺れれば死ぬ。
シラヌイは、答えを求めないまま言った。
「分かった。
俺が援護する」
その声は、企業の声ではなかった。
一新開市民の声だった。
アオイカゲとリンが、アリスの動きを見て眉を動かす。
だが言う暇はない。
M-22が動いた。
企業ヒーローも治安機関も蹴散らしながら、
一直線に――アリスへ向かう。
四脚が踏み込み、
スラスターが低く鳴り、
巨体が“跳躍”する。
見かけ以上の速度。
横移動ではない。
真正面からの襲撃。
アリスの心臓が跳ねる。
足が固まりそうになる。
だが固まれば終わる。
フルーテッドの共鳴音が短く鳴る。
空気が震え、アリスの硬直をほどくように響く。
シラヌイが一歩前へ出た。
熱源を読んで境界を潰し、
M-22の跳躍の着地点を僅かにずらす。
「行け!」
シラヌイの声が飛ぶ。
アリスは走り出した。
インフラへ。
重機へ。
装甲を叩き割る場所へ。
背後でM-22が着地し、
地面が揺れ、
低い音が街に響く。
そして、アリスの背中に確かな“視線”が刺さる。
最優先ターゲット。
囮。
自分。
果たして、二人と一機の作戦は間に合うのか。
M-22が、再び跳躍して襲いかかる――
その影が、アリスの頭上を覆ったところで、世界が切れた。




