第246話 約束しない中立
企業は、邪魔者を嫌う。
邪魔者とは、反対者ではない。
反対者は議会で潰せる。
邪魔者とは、先に動く者だ。
新開市に企業ヒーローを売り込みたい企業群にとって、
トラブルに先回りして潰してしまうアリスは、目の上のたん瘤だった。
事故寸前の節が育つ前に切る。
怪獣が生まれる前に潰す。
「守った絵」を企業が撮る前に、現場を終わらせる。
アリスがいるだけで、席が取れない。
さらに悪いことに、アリスは「軍用ドローンの匂い」を嗅ぎつけ始めていた。
次の“映え”を企業が用意する前に、次の“事件”をアリスが潰してしまう。
それは企業にとって、損失だ。
損失を嫌う企業は、結論が早い。
――アリスを止めろ。
殺すわけではない。
死者は政治的に重すぎる。
だが入院させればいい。
捜査を止められる。現場に出られない。
「英雄の出番」を取り戻せる。
しかも今の新開市は、ゲリラ的にイベントが発生している。
責任の所在は曖昧になる。
混線の中で“事故”にできる。
企業群は、最も嫌な手を選んだ。
外国製ドローンの展示の中に、混ぜる。
透明の獣を。
VX-07 HOUND。
空を飛ばない。
猟犬のように地を駆ける透明の獣。
路面の熱に紛れ、光の境目に溶け、音だけを置いて突っ込む。
狙いは、脚。膝。転倒。
一度転べば、骨が折れる。
骨が折れれば、しばらく現場に出られない。
企業は“言い訳”も用意した。
「展示機の不具合」
「海外製の混入」
「安全柵の不備」
「想定外」
想定外。
それは誰も認めない、という意味だ。
一方その頃、アリスは“ゴースト”として、街の裏側を走っていた。
ゲリラ的に増殖するマルシェ、ライブ、展示。
それらの雑音の中に、軍用の匂いが混ざる。
角がない。
音が少ない。
存在感が薄い。
見た目は展示機っぽいのに、重心が違う。
結社の構成員が落とした言葉は、アリスの脳内で解析に変わっている。
目撃証言の断片を集め、配信の音声波形から低周波を抽出し、
位置情報と時刻を重ね、搬入ルートを浮かび上がらせる。
アリスの三歩後ろには、礼儀正しい鎖が浮いていた。
フルーテッド。
羽根のような装甲。静音。微かな共鳴音。
追従距離を崩さない。邪魔もしない。
邪魔しないのに、いる。
アリスは苛立ちを飲み込みながら、さらに深く潜る。
軍用が動き出せば、並みの手段では止められない。
搬入中に食い止めるか、
インフラ施設で使われているような重機で装甲を叩き割るか。
どちらも“現場”だ。
現場には、アライアンスがいる。
義弘の直通回線は、アライアンスによって変更されている。
それを逆用できる。
アリスは端末を開き、迷わず呼び出す。
氷の母。
呼び出し音が短く鳴り、すぐに繋がる。
いつも通りの、優しい冷たさが返ってくる。
『こちらは氷の母。お話を聞かせてちょうだい』
アリスは挨拶を省いた。
挨拶は手順だ。
手順を踏んでいる時間が惜しい。
「軍用ドローンが混ざってる。
動き出したら止められない」
『根拠は?』
「匂いだ。
……いや、ログもある。低周波、重心、搬入ルート。
“展示”の顔をしてるが、違う」
氷の母は声色を変えない。
変えないまま聞く。
『対処は、どうするの?』
アリスは息を吸い、吐いた。
「搬入中に止める。
無理ならインフラ設備までおびき寄せて、重機で装甲を叩き割る」
氷の母は一拍置いた。
『インフラ設備へ危険を誘導する――そういうおつもり?』
「そうだ。
危険区域に入れば、群衆は散る。
散らせる。
その上で叩き割る」
アリスは続ける。
ここが本題だ。
「その時、アライアンスは手を出すな。
……私が止める。
私のやり方で止める」
氷の母の沈黙が一瞬だけ長くなる。
その沈黙が、拒否の予告だ。
『約束はしないわ』
アリスは舌打ちしそうになった。
「中立だろ」
『中立です。
だから約束はしません』
優しい声。冷たい内容。
『インフラに危険が及べば、高速機動隊が対処するのは変わりません。
“我々”はそれを放棄しない』
アリスの胸が熱くなる。
怒りが燃える。燃えるほど言葉が荒くなる。
「それじゃ意味がない。
また“守った絵”がアライアンスのものになる。
また私の線が――」
氷の母が遮らない。
遮らないまま、核心を刺す。
『“我々”が約束しようとしまいと、貴女はするべきことをするのでしょう?アリス』
アリスは言葉を失う。
図星だ。
約束がなくてもやる。
約束があってもやる。
守るべきものがあるからだ。
だから氷の母は約束しない。
約束しないことで中立を守る。
中立を守ることで後手に回る。
その冷たさが、アリスを孤独にする。
アリスは歯を食いしばった。
「……くそ」
通話は続いている。
続いている最中に、街が動く。
音が走った。
いや、正確には――音だけが走った。
アスファルトの上を、何かが駆ける。
路面の熱に紛れ、光の境目に溶け、
透明の獣が、音だけを置いて突っ込んでくる。
VX-07 HOUND。
アリスは視界の端で、影が歪むのを見た。
見た瞬間にはもう遅い。
HOUNDは遅い獲物を待たない。
狙いは脚。
狙いは膝。
転倒。骨折。入院。
企業の事故設計が、現場に牙を剥いた。
「――っ!」
アリスが避けようとした瞬間、HOUNDの気配が足元に滑り込む。
音が近い。熱が近い。
透明な圧が、膝を刈り取る軌道で迫る。
アリスの身体が反射で跳ねる。
だが跳ねた先にも影。
二段。三段。獣の動きは曲がり角で強い。
これは、殺しではない。
怪我をさせるための設計だ。
アリスの頭の中で、冷たい理解が走る。
――企業。
同時に、通話の向こうの氷の母が言った。
『アリス、位置を教えて』
位置を言っている暇はない。
言えば追い詰められる。
追い詰められれば転ぶ。
転べば終わる。
その瞬間、共鳴音が鳴った。
フルーテッド。
礼儀正しい鎖が、初めて“礼儀を捨てて”動いた。
フルーテッドはアリスの三歩後ろから一気に前へ出る。
透明の獣の突進ラインへ割り込み、
羽根のような装甲を開き、
微かな共鳴音を――刃に変える。
音が、空気を切った。
ただの音ではない。
共振。超音波。
路面の熱の境目を乱し、光の境界を歪ませる。
透明の獣が、ほんの一瞬だけ“輪郭”を失う。
HOUNDの軌道が外れた。
外れた獣は、勢いのままアスファルトを擦り、
音だけを置いて横へ滑る。
アリスはその隙に身を投げ、
膝を刈り取られる寸前で躱した。
呼吸が喉で引っかかる。
心臓が跳ねる。
冷たい汗が背中を走る。
HOUNDは立て直し、再び突っ込もうとする。
だがフルーテッドがまた前へ出る。
共鳴音が短く鳴り、獣のラインが崩れる。
まるで“守り”を学習しているように。
あるいは――
守ったログを残すために守っているように。
最悪な推測がよぎる。
それでも今は、助かった。
アリスは歯を食いしばり、氷の母へ吐き捨てるように言った。
「……今、HOUNDに襲われた。
偶然じゃない」
『怪我は?』
「してない。
……まだ」
“まだ”が怖い。
次は当たるかもしれない。
氷の母の声は変わらない。
『“我々”は記録するわ。
ただ、約束はしない』
「分かってるよ!」
アリスは叫びたくなる。
だが叫べば切り抜かれる。
叫べば節が生まれる。
アリスは息を吐き、低く言った。
「……次は、私が噛みつく番だ」
HOUNDは一度距離を取った。
獣は獲物を見ている。
見ているから次が来る。
アリスは端末を握り直し、
HOUNDの動線を読む。
光の境目。路面の熱。
音が置かれる場所。
そして同時に理解する。
この襲撃は、単発ではない。
企業の事故設計だ。
自分を止めるための刃だ。
つまり、軍用ドローンの線は正しい。
自分が掴みかけた火種は本物だ。
企業は、アリスを邪魔だと思った。
だから牙を出した。
ならばアリスも、牙を出す。
ゴーストの牙は、情報だ。
情報で殴り、手順を崩し、設計を逆流させる。
フルーテッドが三歩後ろに戻る。
礼儀正しい鎖に戻る。
戻ったのに、さっきの刃の音が耳に残る。
アリスは低く呟いた。
「……お前、ただの鎖じゃないな」
フルーテッドは返事をしない。
返事をしないまま、微かな共鳴音をひとつ鳴らした。
肯定でも否定でもない音。
中立の音。
中立の音が、今日は妙に腹立たしかった。
だが腹が立つほど、生きている。
アリスは走り出した。
軍用の匂いへ。
企業の刃へ。
次の怪獣の手順へ。
そして、約束しない中立の影を背負いながら、
ゴーストは街の火種へ向かっていった。




