第243話 私の街
オールドユニオンの会合は、いつも静かだ。
静かで、冷たい。
椅子の並びが序列を語り、端末の配置が権限を語り、沈黙が結論を語る。
そして今日の議題は――
新開市の“怪獣”騒動。
議題が怪獣であっても、会合は静かだった。
静かなまま、巨大なものを測り、価値を決め、手順に落とし込む。
会場の壁面モニターに、新開市の映像が映っていた。
未完成リング。崩れ落ちる合体機。ワイヤーでぶら下がる二人。
そして群衆。
群衆の顔は、恐怖ではなく熱狂に変換されていた。
ニュースやネットやSNSに、今回の騒動の動画や切り抜き、まとめが乱立する。
コメントが暴風のように吹き上がる。
《中立フェスすげえ!》
《合体ロボなんて初めて見た!まるで怪獣だ!》
《むちゃくちゃだ!むちゃくちゃ楽しい!》
《アリスが止めた!俺は見たぞ!》
《やっぱアリスは新開市のものなんだよな》
《義弘の白やばい》
《次はもっとでかいの頼む》
《死者ゼロとか神運用》
現場の苦労も知らずに。
骨が軋む音も知らずに。
肺が潰れる感覚も知らずに。
好き勝手に、言葉を投げる。
投げる言葉は軽い。
軽い言葉ほど、早い。
早いものが真実になる。
その暴風の中心に、アリスの顔が何度も映る。
頬に指を当てる笑顔。
怪獣の腕に飛び移る影。
そして最後に群衆を睨んで言う、低い声。
「私のために、子どもを危険に晒すな」
その台詞さえ、切り抜かれ、消費され、賛美と炎上の燃料になる。
オールドユニオンの要人たちは、コメントの暴風を眺めていた。
眺めながら、顔色を変えない。
熱狂を軽蔑するでもなく、喜ぶでもなく、ただ測る。
熱狂は資源だ。
資源は運用できる。
運用できるなら、価値がある。
アリスは会合の端に座っていた。
監査記録官補佐としての席。
そこは“発言する席”ではない。
“聞く席”だ。
だからアリスは黙っている。
黙っている間に、心の中で毒舌が膨らむ。
膨らんでも出せない。出せば手順に吸われる。
アリスは目を細めた。
――現場で死にかけたのに、こいつらは「いいね」の数を見ている。
胸の奥で、ゴーストが冷たく笑う。
“だから嫌いだ”と。
“だから必要だ”と。
矛盾が刺さる。矛盾が生きる。
アザド・バラニが立ち上がった。
監査記録官。手順のプロ。
この会合の空気を支配する男。
アザドはモニターを指し示し、淡々と言う。
「結論から言う。
新開市における我々の計画において、アリツェ・ヴァーツラフコヴァーの影響力は見逃せない」
アリツェ。
その名前で呼ばれるたび、アリスは自分の輪郭が薄くなる気がする。
“私”が名前の外へ押し出される。
アザドは続ける。
わざわざアリス本人の目の前で、言い切る。
「しかしながら、彼女は我々の制御が利かない」
会場に微かなざわめきが走る。
ざわめきは否定ではない。確認だ。
制御が利かないという評価の重さを、全員が理解している。
アザドはそこで、微笑みもしないまま、次を言った。
「そして――制御が利かないことによって、彼女は新開市に多大な影響を与えることができる」
冷たい論理だ。
制御不能が価値になる。
制御不能が資産になる。
アリスの胸に、刺が増える。
自分の“拒否”が、評価として回収されている。
アザドは、モニターに映るコメントの嵐を指でなぞるように示す。
「見たまえ。
新開市民は『アリスが止めた』と書く。
『アリスは新開市のもの』と書く。
彼女が我々の制服を着ていようと、着ていまいと関係なく、だ」
会場の空気が冷たく頷く。
アザドは結論を積み上げる。
手順のように、順番に。
「ゆえに、“アリス=オールドユニオン”の印象を新開市に根付かせるには、彼女が自発的にオールドユニオンの力を使うよう勧めることが最適である」
勧める。
その言葉が優しい顔をしているのが腹立たしい。
アリスは口を開きかけて、閉じた。
開けば逸脱になる。
逸脱になれば、ここでの自分はただの“問題”として処理される。
会合は檻だ。
檻の中で吠えても、手順に吸われるだけだ。
他の要人が、懸念を表明する。
それは反対ではない。
“運用上の確認”だ。
「ミコト市長は今回の騒動に頭にきて、治安機関に捜査を命令したと聞く」
「新開市から得られる利益に対し、コストは増える一方ではないか」
「そもそも、アリツェ・ヴァーツラフコヴァーはオールドユニオンに所属して何を求めているのか」
アリスの胸がひりつく。
求めているものは決まっている。
守ることだ。
家族を。子どもを。街を。
だがその“守りたい”は、会合ではただの感情として処理される。
アザドは淡々と答える。
「コストは必要経費だ。
新開市は燃える。燃えるなら消化が必要だ。
捜査は予測している。規範で対応する」
規範。
規範という言葉で、刃を包む。
「彼女が何を求めているかは重要ではない。
重要なのは、彼女が新開市に影響を与えるという事実だ」
重要ではない。
その一言が、アリスの喉を冷やす。
自分は“資産”だ。
自分の求めるものは重要ではない。
重要なのは、影響の大きさ。
会合の空気はおおむねアザド案に賛成だった。
反対は出ない。
反対が出る前に、手順が整っている。
アリスは結局、一言も発言できないまま会合が終わった。
終わり方まで手順だ。
結論は既に出ている。
会合は確認だった。
アリスは椅子から立ち上がり、胸の奥で冷たい怒りを燃やした。
燃やすな、と言われても燃える。
燃えるのは街だけではない。
自分も燃える。
会合後、廊下でアザドがアリスに向き直った。
廊下の照明は白い。
白いほど、影が濃い。
アザドは穏やかな声で言った。
「オールドユニオンのドローンは必要ではないかね、お嬢さん」
お嬢さん。
年齢を盾にする呼び方。
優しい顔をした支配。
アリスは即答した。
「いらない」
アザドは眉を動かさない。
想定通りだとでも言うように、次の手順を出す。
「今回譲渡するドローンは、君の命令のみ聞くようにする」
アリスは鼻で笑いそうになって、こらえた。
「それで?」
アザドは続ける。
「君がそのドローンで我々と戦おうとも、それは君の自由だ。
私は許容する」
自由。
また自由。
自由は餌だ。
餌の先に鎖がある。
アザドはさらに言う。
「もちろん損傷したり消耗したりしたときは、オールドユニオンが責任をもって修復しよう」
修復。
補給。更新。点検。
修復は鎖だ。
修復を握る者が、所有者になる。
アリスは、二度目の答えも同じだった。
「いらない」
アザドは穏やかな声のまま、鋭く刺す。
「なぜだ。
君は軍隊を欲しただろう」
アリスの胸がきしむ。
あの夜の叫びが、また戻ってくる。
アリスは答える。
答えは短い。短いほど硬い。
「家族は渡さない」
アザドは静かに言う。
「家族ではない。ドローンだ」
アリスは赤い瞳を細めた。
「同じだ」
アザドは一拍置き、低く言う。
「新開市は燃える。
燃える街を消火するために、力が要る。
力を持てば、君は守れる」
守れる。
その言葉は甘い。
甘いほど危険だ。
アリスは低く返した。
「新開市を、お前らの都合で燃やさせたりしない」
アザドの口元がわずかに動く。
笑いではない。理解の形だ。
「新開市は勝手に燃える。
君が止めなくても燃える。
ならば手順として、我々が消化するのが正しい」
正しい。
正しさは刃だ。
刃は人を切る。
アリスは息を吸い、吐いた。
そして言った。
「たとえ私がどんな立場で、どんな都合があって、
新開市が勝手に燃える街だとしても」
言葉が続くほど、怒りが形になる。
形になった怒りは宣言になる。
アリスはアザドを真っ直ぐ見た。
赤い瞳が冷たく燃える。
「私は“ゴースト”。
新開市は私の街だ」
その一言は、会合では言えなかった言葉だ。
手順の檻の外で、ようやく出せた言葉だ。
アザドは驚かない。
驚かないまま、淡々と頷く。
「そうだ。
だからこそ――君は価値がある」
価値。
また資産の言葉。
アリスは背を向けた。
背を向けることでしか、これ以上の会話を拒否できない。
背を向けながら、アリスは心の中で繰り返す。
家族は渡さない。
子どもを晒さない。
街を燃やさせない。
新開市は自分で燃える。
だからこそ、燃やす者を許さない。
ゴーストは、手順の檻を抜けて、街へ戻る。




