第234話 切り抜きの刃
新開市は、めげない。しょげない。反省しない。
だからこそ、次の攻撃も速かった。
中立フェスの“成功”は、事故ゼロで終わった。
LC-07アーバレストが余計な一歩を踏み、柵が軋み、観覧席が揺れた――あの瞬間ですら、死者は出なかった。
義弘の白い導線、ミコトの手順、KOMAINUと外様サムライ隊の実務、そしてセグメンタタの記録が、事故を未遂にした。
普通なら、それで終わる。
だが新開市は終わらない。
終わらない街には、終わらせたくない者がいる。
デモ側の扇動層――企業ロビイスト、偽市民団体の運営は、アーバレストのトラブルから即座に“絵”を作り直した。
事故が起きなかったことすら、燃料に変える。
彼らの言葉は、正義の顔をしていた。
「新開市のサムライ・ヒーローが市民を守った」
「アライアンスとオールドユニオンは絶大な力を持ちながら眺めていただけ」
「外国勢力は肝心な時に何もしない」
その中で最も刺さりやすい矢は、最も弱く見える場所に刺さった。
アリス。
「アリスは何もしなかった」
「笑顔で踊ってるだけだった」
「親善大使は危機に役立たない」
「結局、新開市のヒーローが必要」
配信は切り抜かれる。
切り抜きは真実より速い。
中立フェスの映像が、次々に短い動画へ変換されていく。
義弘が導線を切る場面。
玲音が救護導線を開ける場面。
シラヌイが「危険区域だ」と宣言する場面。
アオイカゲが「節を作るな」と命じる場面。
そして――
山車の上で、アリスが笑っている場面。
両頬に人差し指。
頬が少し沈む。
“にこっ”を作る形。
笑顔は感情じゃない。筋肉の配置だ。
その“配置”が、今は無責任の象徴として切り抜かれている。
《笑ってるだけ》
《親善大使w》
《何もしないのに偉そう》
《外国の操り人形》
言葉は軽い。
軽いほど刺さる。
療養施設の控室で、シュヴァロフは画面を見ていた。
子どもを膝に乗せ、毛布を掛け、静かにあやしながら。
子どもたちはニュースの文字を読めない。
だが空気は読む。
「アリス、悪いの?」
小さな声が、シュヴァロフの胸の奥を刺した。
シュヴァロフは返事をしない。返事の代わりに背中を撫でる。
撫でることでしか守れない瞬間がある。
廊下の端で、コロボチェニィクが節を作り直す。
グリンフォンが出入口の線を調整する。
外に出たい。外で戦いたい。
だが守りとして置かれた以上、離れられない。
シュヴァロフは画面の中のアリスを見る。
笑っている。
笑っているのに、目は笑っていない。
その目が、どれだけ無理をしているか。
シュヴァロフは知っている。
だからこそ、ニュースの切り抜きが許せない。
だが怒っても、現場は変わらない。
変えるべきは線だ。
線を引くのはアリスだ。
シュヴァロフは子どもの頭を撫で、ただ一度だけ小さく息を吐いた。
——戻ってきて。
祈りのような音だった。
アリスは、笑顔の規範の中にいた。
オールドユニオンの滞在は続いている。
笑顔、握手、撮影、踊り、宣伝。
そして今日もまた、笑顔の筋肉配置が求められる。
控室の鏡に映る自分が、すでに笑っているように見える。
笑っていないのに、笑っている残像が残っている。
その残像を、世論は「何もしない笑顔」と呼ぶ。
アリスは端末を置き、低く言った。
「……ふざけんな」
口が悪い。
だが今日は毒舌が少し弱い。
怒りの奥に、疲労がある。
扉が開き、アザドが入ってきた。
監査記録官。手順のプロ。
彼は、苦笑に近い表情を浮かべていた。
珍しいほど人間らしい。
「御し難い街だ」
アリスは睨む。
「今さら?」
「今さらだ」
アザドは淡々と続ける。
「我々は記録し、線を引き、規範で勝った。
だが新開市は“絵”で殴り返してくる」
アリスは短く返す。
「知ってる。……だからムカつく」
アザドは頷いた。
「そこで提案がある。
監査記録官補佐――アリツェ・ヴァーツラフコヴァー」
アリツェ。
その呼び方に、アリスの眉が動く。
嫌な名前の使われ方だ。
アザドは資料を出す。
資料はいつも通り整っている。
整っているほど、怖い。
「君専用の実働戦力を持て」
アリスの背筋が冷える。
“実働戦力”。
その言葉は、火力より、所属を意味する。
アリスは即座に察した。
シュヴァロフ。コロボチェニィク。グリンフォン。
バンダースナッチ。トウィードルダム。トウィードルディー。
家族。
アザドは続ける。
「君がサムライ・ヒーローに頼らない実力と戦力を持てば、
今回の批判など一蹴できる。
——守った絵を、君自身の手で作れる」
アリスは即答した。
「嫌だ」
アザドが目を細める。
「合理ではない」
「合理とか知らねえ。嫌だ」
アザドは、責めない。
責めると反発が記録される。
彼は説得の手順を選ぶ。
「君は規範と手順に従うと言った。
従うなら、君の実働も規範の中に入れた方が安全だ」
アリスの赤い瞳が冷える。
冷えるほど、言葉が真っ直ぐになる。
「規範と手順には従う。
——私が所属だから」
アザドは頷く。
「ならば——」
アリスは言葉を切った。
「でも家族は所属じゃない。
だから渡さない」
アザドの指が一瞬だけ止まる。
止まるのは珍しい。
アザドは手順の人間だ。止まらない。
アリスは続ける。
口が悪いまま、芯だけ硬い。
「私が所属してるのは、私が決めた。
でもあいつらは違う。
シュヴァロフたちは、私の命令で所属するんじゃない。
——家族は、手順に渡さない」
アザドは静かに言う。
「君は、守るために所属したのだろう」
「守るために家族を売るのか?」
アリスの言葉は短い。
短いほど、刺さる。
アザドは息を吐いた。
苦笑が戻る。
「頑固だな」
「悪いか」
「悪くない。……扱いにくいだけだ」
扱いにくい。
それは褒め言葉でもある。
扱いやすい者は、同化される。
アザドはなおも言う。
「君が戦力を持てば、批判は一蹴できる。
君が現場で守れば、切り抜きは逆転する」
アリスは毅然として言った。
「切り抜きを逆転するために家族を差し出すなら、私は負けでいい。
……私が殴られるのは慣れてる」
その言い方が、かつての“ゴースト”だった。
批判や炎上に慣れ、冷たく受け流していた頃のアリス。
だが今は違う。
アリスは一人ではない。
子どもたちがいる。シュヴァロフがいる。
守るものが増えた分、刃の重さが増えている。
アザドはしばらく黙り、次の資料を出した。
「ならば別案だ」
別案。
その言葉が怖い。
オールドユニオンは「無理ならやめる」ではなく、
「無理なら別の手順」を出す。
家族所属化が無理なら、同化は止まらない。
方法が変わるだけだ。
アザドは淡々と説明する。
「所属ではない。貸与だ。
任務時のみ指揮権委任。
安全保障上の登録。
監査対象としての取り扱い」
言葉が丁寧で、怖い。
“登録”。
“安全保障”。
それらは優しい顔の鎖だ。
「拒否は尊重する。
——では別の手順にしよう」
尊重する、という言葉が最も尊重していない。
尊重するから別案。
別案は必ず通る手順にしてある。
アリスは歯を食いしばった。
同化の圧が、じわじわと増す。
だがアリスは譲らない。
譲れない線がある。
「登録もしない」
アザドが眉を動かす。
「安全保障上——」
「うるさい。
私だけでいい。
私が所属で縛られる。
家族は自由でいい」
アザドは言い返さない。
言い返すと、ここが交渉になってしまう。
交渉は相手に余白を与える。
アザドはただ、淡々と記録する。
拒否。
拒否の理由。
拒否の線。
手順の人間は、拒否すら資産にする。
街では追い打ちが始まっていた。
企業ヒーローたちが、切り抜き攻撃に乗る。
言い方は丁寧だ。
丁寧なほど、席を奪える。
シロサギ・リンは「観光リングの安全」を強調する。
“外国勢力の親善”ではなく、“地元観光の安心”を上書きする。
アオイカゲは「収束の実績」を数字で語る。
節を作らせない。事故を起こさない。
その手柄を、わざと大きく見せる。
シラヌイは「危険区域管理」を盾にする。
インフラを守るのが正義。
その正義を掲げれば、アライアンスに並べると信じている。
彼らが本当に欲しいのは、ヒーローの席ではない。
“制度の席”だ。
OCMが揺れ、海外部門が退き、オスカーが収監された今。
空席がある。
企業は空席を嫌う。空席に座りたがる。
そのために、アリスは邪魔だ。
義弘も邪魔だ。
そして国際組織は、もっと邪魔だ。
だから彼らは言う。
「新開市のヒーローが守った」
「外国勢力は眺めていただけ」
「親善大使は笑ってるだけ」
嘘ではない。
切り抜きだ。
切り抜きは嘘ではない。
嘘より厄介だ。
真実の一部を使うから、反論が難しい。
療養施設で、子どもがまた尋ねる。
「アリス、何もしなかったの?」
シュヴァロフは背中を撫で、ゆっくり首を振った。
言葉を選べない。
言葉は切り抜かれる。
代わりにシュヴァロフは、子どもの手を握る。
握ることでしか守れない瞬間がある。
その瞬間、シュヴァロフの胸にひとつの痛みが生まれる。
——アリスを守るために、外へ行きたい。
だが守りとして置かれた以上、離れられない。
だからこそ、アリスが「家族は渡さない」と言った意味が分かる。
自由でいること。
それ自体が守りだ。
控室に戻ると、アザドは最後に一言だけ置いた。
「君の線は尊重する。
だが街は、君の線を尊重しない」
アリスは目を細めた。
「知ってる」
「ならば、守れ」
守れ。
守った瞬間が一番綺麗だ。
新開市は、今日もまたその言葉に縛られている。
アリスは低く言った。
私、という一人称が短く落ちる。
「家族は渡さない」
それだけは譲れない。
笑顔の規範に殴られても、切り抜きに刺されても、同化の手順が迫っても。
翼(AR)が開かないままでも、アリスの赤い瞳は次の導線を追っている。
次の戦場は、戦闘ではない。
“絵”と“手順”の戦争だ。
そしてその戦争は、必ず家族に触れようとしてくる。
だからこそ、アリスは先に言った。
家族は渡さない。




