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第231話 笑顔の規範

 アリスは、気が狂ったのかと思った。


 オールドユニオンが新開市に来て滞在している間、アリスに要求してくるものは、ほとんど一つしかなかった。


 笑顔。


 笑顔、笑顔、笑顔。


 パレードで見物人に笑顔で手を振ること。

 刀禰ミコト市長と笑顔で握手すること。

 観光客の撮影に笑顔で応じること。

 そして――


 オールドユニオンのマスコットキャラクター、“ユニオンくん”と一緒に、笑顔でコミカルに踊ること。


 アリスはその存在を、今の今まで知らなかった。


 「ユニオンくんって何だよ」


 口が悪い独り言が漏れそうになる。

 だが漏れない。漏らせない。

 漏らした瞬間、それもまた「記録」になるからだ。


 笑顔は規範。

 規範は刃。


 オールドユニオンの親善パレードは、戦闘ではない。

 なのにアリスにとっては、戦闘よりずっと厄介な“任務”だった。


 笑顔は感情じゃない。

 筋肉の配置だ。


 それを、アリスは知ってしまった。


 朝。控室。


 ヘアメイクアーティストが前髪を整え、スタイリストがフードの角度を決める。

 医療関係者が体温と脈拍を測り、マッサージ師が肩を揉む。

 NECROテックの技術者が、背中の接続部の様子を確認している。


 アリスは椅子に座ったまま、視線だけで抵抗する。


 視線は抵抗にならない。

 だがアリスは、抵抗をやめたら終わることを知っている。


「……私、休みたい」


 ぽつりと言った瞬間、空気が変わった。


 誰も怒らない。

 誰も叱らない。

 代わりに“手順”が起動する。


「休憩は可能です」

 医療担当が柔らかく言う。


「ただしスケジュール上、次の撮影まで六分です」

 別のスタッフが淡々と告げる。


「六分の中で回復効率を最大化します」

 マッサージ師が腕を温める。


「水分、電解質、糖分」

 医療関係者がシートを差し出す。


「肌の反射率を整えます」

 ヘアメイクがパウダーを取る。


「笑顔は筋肉ですから、筋疲労のケアを」

 誰かが、善意の顔で言った。


 アリスは目を細めた。


 善意の顔で、拷問の手順が回っている。


 笑顔を作るためのケア。

 笑顔を作り続けるためのケア。

 笑顔から逃げないためのケア。


 アリスは舌打ちしそうになり、飲み込んだ。

 舌打ちは映える。映えるものは切り抜かれる。


 オールドユニオンは、アリスを“疲れさせない”のではない。

 “止まらせない”。


 止まらせないために、ケアという名の手順を敷く。


 アリスは、何を求められているのか分からなくなっていた。


 インフラを守れと言われた方がまだ分かる。

 監視して記録せよと言われた方がまだ分かる。


 だが笑顔は、意味が曖昧すぎる。

 曖昧なのに、重い。


 パレードの前。


 アリスは山車に乗せられる。

 リノトーレークスが引く山車。

 その両脇を、最新型パワードスーツ“ハルニッシュ”が固める。

 その外側を、セグメンタタが整然と行進する。


 美しい。

 美しいほど、怖い。


 美しさは、正当化に使われる。

 正当化は、侵入の免罪符になる。


 沿道の新開市民は湧く。

 いつも通り、反省しない街は祭りにする。


 「オールドユニオンだ!」

 「アリスだ!」

 「ユニオンくんもいる!」

 「何だよユニオンくん可愛いじゃん!」


 可愛い。

 その言葉が出た瞬間、負けた気がする。

 アリスは舌打ちしたい。


 山車の上、ユニオンくんが隣に立つ。

 丸い頭、丸い目、丸い手。

 胸にオールドユニオンのロゴ。

 動きがいちいち大きい。コミカルだ。


 ユニオンくんが手を振り、アリスの肩をポンポン叩く。


 アリスは反射で、ユニオンくんの頭を軽く叩き返しそうになる。

 ——やめろ。

 それは“暴力の絵”になる。


 アリスは代わりに、目だけでユニオンくんを睨んだ。

 ユニオンくんは気づかない。

 気づかないふりなのかもしれない。マスコットはそういう存在だ。


 イヤモニ越しにアザドの声。


『笑顔を』


 アリスは息を吸う。


 両頬に、人差し指。

 頬が少し沈む。

 “にこっ”を作る形。


 自分の身体が、自分のものじゃないみたいだった。

 笑顔は、感情じゃなく、筋肉の配置になる。


 口角が上がる。

 瞳は笑わない。

 でもカメラは「笑顔」を撮る。


 群衆が沸く。


 配信コメントが流れる。


 《筋肉笑顔きた》

 《でも可愛い》

 《可愛いって言ったら負けなのに言ってしまう》

 《ユニオンくん仕事してる》

 《オールドユニオン、観光やる気すぎ》


 観光。

 その言葉がアリスの脳内で反響する。


 観光親善大使。

 自分が、観光の札になっている。


 パレードの途中、ミコト市長と握手する場面が用意されていた。


 ミコトは公務用の笑顔で立っている。

 その笑顔はアリスとは違う。

 筋肉ではなく、訓練だ。政治の訓練。


 アリスは山車から降りる。

 導線が引かれている。

 撮影エリア、救護導線、立会い位置。

 全てが“美しく安全に映える”よう整えられている。


 ミコトが手を差し出す。


「ようこそ、新開市へ。

 ……親善大使殿」


 “殿”。

 皮肉にも聞こえるし、労いにも聞こえる。


 アリスは一瞬だけ目を伏せ、次の瞬間に笑顔を配置する。

 頬が少し沈む。

 口角が上がる。


 握手。

 カメラ。

 フラッシュ。


 「国際組織と新開市の協調」

 という絵が完成する。


 絵が完成するたび、アリスの内側が空洞になる。


 だが空洞は、オールドユニオンにとって都合がいい。

 空洞に、ロゴを入れられるからだ。


 パレードが終わると、終わらない仕事が始まった。


 次は撮影会。

 観光客の自撮り。

 「一緒に写ってください!」

 「ユニオンくんも入って!」

 「アリスちゃん笑って!」


 笑顔。

 笑顔。

 笑顔。


 アリスの頬がつる。

 つるのに、スタッフが即座にケアを差し込む。


「水分」

「頬のマッサージ」

「表情筋ストレッチ」

「NECRO接続の負荷、下げます」

「照明を変えて、目の光を柔らかくします」


 アリスはもう、笑うことが自分の意思なのか、手順なのか分からない。


 そしてその日の午後、オールドユニオンから通達が来た。


 「公式グッズを販売する」


 アリスとユニオンくんの公式グッズ。

 アクリルスタンド。Tシャツ。キーホルダー。ステッカー。

 そして限定の“筋肉笑顔”バージョン。


 ——ネットやテレビで、笑顔で宣伝せよ。


 アリスは目の前が暗くなる。


「……私、何してんだ」


 言葉が漏れる。

 漏れた瞬間、スタッフが柔らかく笑う。


「親善大使です」


 その笑顔が、怖い。

 怖いのに優しい。

 優しいから拒否しづらい。


 拒否すれば、“わがまま”になる。

 拒否すれば、“規範違反”になる。

 拒否すれば、“逸脱”になる。


 笑顔が足りない――職務不履行。

 その手順が、きれいに用意されている気配がする。


 アリスは息を吐いた。


「……気が狂う」


 ユニオンくんが横で、コミカルに首を振る。

 「だいじょうぶ!」みたいな仕草。

 それが余計に腹立つ。


 アリスはユニオンくんの頭を、今度は本当に軽く叩いた。

 叩いたのは、カメラが切れた瞬間だ。

 微小な反抗。

 それしかできない。


 その様子を少し離れた位置から眺めていたアザドは、静かに計算していた。


 アリスが混乱している。

 混乱しているほど、刷り込みは効く。


 アザドの狙いは単純だった。


 新開市におけるアリスの存在を、アリス=オールドユニオンにすること。


 前回の敗北は、アリスを獲得しようとしたからだ。

 獲得しようとして、義弘とアリス自身のカリスマに負けた。


 今回は違う。

 アリスは手元にいる。


 ならばこの機会を全力で生かす。

 アリスの新開市での印象をオールドユニオンと同化する。


 そうすれば、アリスの一挙手一投足がオールドユニオンの成果となる。


 アリスが守れば、オールドユニオンが守ったことになる。

 アリスが笑えば、オールドユニオンが歓迎したことになる。

 アリスが怒れば、それすら「情熱」として消費できる。


 同化は、獲得より強い。

 奪うより、染める方が戻らない。


 アザドは淡々とスタッフへ指示を出す。

 追加の撮影。追加の宣伝。追加の笑顔。


 “手順”で笑顔を量産する。


 それがオールドユニオンの戦い方だ。


 一方そのころ、街の別の場所で蠢動が始まっていた。


 外国勢力であるオールドユニオンを良く思わない新開市の過激派。

 そして、アリスの成果とOCMの席を欲しがる企業。


 過激派は言う。


 「監視社会だ」

 「外国に街を乗っ取られる」

 「アリスは利用されてる」

 言葉は正しい顔をしている。

 正しい顔ほど、燃える。


 企業は言わない。

 企業は静かに、数字を見る。


 「アリス=集客」

 「ユニオンくん=話題」

 「オールドユニオン=権威」

 その掛け算が、広告枠としていくらになるか。


 そして企業は考える。


 ——OCMの席を奪える。

 ——オスカーがいない今なら。

 ——海外部門が退いた今なら。


 “親善”という名の祭りの中に、次の戦場が生まれ始める。


 アリスの笑顔は、その戦場の看板になる。


 アリスはまだ、そのことを完全には理解していない。

 理解していないから混乱する。


 混乱しているから、アザドの狙いは進む。


 夕方。


 アリスは控室に戻り、椅子に沈んだ。

 頬が痛い。

 表情筋がつる。


 鏡の中の自分は、笑っているように見える。

 でもそれは、残った筋肉配置の名残だ。


 アリスは小さく呟く。


「……私、何のために所属したんだ」


 守るためだ。

 中立を守るためだ。

 捜査を透明にするためだ。

 子どもたちを守るためだ。


 分かっている。

 分かっているのに、笑顔の規範は別の方向へ引っ張る。


 扉が開き、トミーが顔を出した。

 ウサギの耳がぴょこっと動く。


「おとといはOCM、昨日はNECROテック、そして今日はオールドユニオンか。

 アリスもご苦労さんだな」


 アリスは机に突っ伏しそうになり、やめた。

 突っ伏すと髪が崩れる。髪が崩れるとまた手順が回る。


 アリスは顔を上げ、口が悪いまま言った。


「……お前、見てて楽しいか」


 トミーは肩をすくめる。


「楽しいわけないだろ。

 でもお前が笑顔で殴られてるのは、ちょっと面白い」


「殴られてるって言うな」


「殴られてるだろ」


 トミーの毒舌は、今日も正しい。

 正しいから腹が立つ。


 アリスは息を吐いた。


「……笑顔が筋肉になるとか、ほんと最悪」


 トミーが言う。


「筋肉でも、守れるならいいだろ」


 その言葉が、妙に胸に刺さる。


 守れるなら。

 それでいい。


 でも守るために、自分を同化させるのは、やっぱり嫌だ。


 アリスは赤い瞳を伏せ、低く言った。


「……私、逃げない」


 トミーは耳を立てた。


「逃げるな。

 逃げたら、あいつらのロゴがもっと深く入る」


 アリスは鼻で笑った。

 笑ったのに、心は笑っていない。

 筋肉の配置とは別の場所で、冷たい決意が固まる。


 同化されるなら、同化の線を逆に使う。

 アリス=オールドユニオン。

 ならば、オールドユニオンの規範を盾にして、次に来るものを斬る。


 笑顔の裏で、刃を研ぐ。


 新開市は今日も祭りを抱え込み、

 その祭りの中に、次の戦場が育っていた。

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