第230話 親善大使
オールドユニオンのオンライン会合は、静かに始まった。
静か――というのは正しくない。
音がないだけで、圧はある。
画面に整然と並ぶ顔、肩書、バッジ。無駄のない議題。無駄のない時間配分。
手順がそのまま空気になっている。
アリスはその場に「出席させられていた」。
監査記録官補佐。外部協力枠。
所属の証は、腕の徽章だけではなく、端末の会議IDにも刻まれている。
画面の隅に自分の映像が映る。黒髪。前髪が片目を隠しがちで、赤い瞳が光る。白いフードが影を作る。
自分の顔が“出席者一覧”の中に混ざっていることが、嫌に現実だった。
頭の中は別の場所にある。
オスカーが自白して、収監されていく背中。
「君から責をもらおう、私が年長者だから」という言葉。
封緘が机の上に残り、刃の置き場所だけが重くなる感覚。
会合の議題が耳に入らない。
「新開市のインフラ・システム」
「中立性の維持」
「監査の立会い」
「新規規範運用の標準化」
言葉は整っているのに、アリスの中では音にならない。
画面の向こうの誰かが喋っている。
喋っているのに、遠い。
アリスは気づけば、自分の頬に指を当てそうになっていた。
両頬に、人差し指。
頬が少し沈む。
“にこっ”を作る形。
――やめろ。
アリスは手を引っ込めた。
笑顔は感情じゃない。筋肉の配置だ。
それを知ってしまった今、配置は呪いになる。
会合は進む。進むのに、アリスは置いていかれる。
その時、画面の中心が切り替わった。
プレゼンテーション。
資料が共有され、整然としたスライドが現れる。
発表者はアザド・バラニだった。
監査記録官。
手順のプロ。
そしてアリスをこの場に引き入れた男。
アザドの声はいつも通り冷たく、丁寧だった。
「次の議題に入る。
新開市におけるオールドユニオンの対外的姿勢について」
アリスは半分だけ意識を戻す。
対外的姿勢。
その言葉の裏に、いつも“見せ方”がある。
スライドには地図が出る。新開市。
観光都市化――という文字が淡々と置かれていた。
「日本国によって観光都市化する新開市において、
我々が存在をアピールする方法は、これまでの“インフラ・システムの守護者”だけでは足りない」
途端に嫌な予感がした。
アリスの胸の奥が、冷たくなる。
“足りない”。
その言葉が出る時、オールドユニオンは何かを足す。
足されるのは、いつも人の自由だ。
アザドは淡々と続ける。
「新開市は、事件を祭りとして消費する。
それは弱さであり強さだ。
我々がその場に介入するたび、
‘国際組織が国内に干渉’という絵を作られ、
‘監視社会’という言葉で切り抜かれる」
画面の端に“監視社会”の見出し例が並ぶ。
アリスは目を細めた。腹立たしいが、正しい。
アザドは、そこで一拍置いた。
そして、画面を切り替える。
次のスライドに現れたのは、アリスの顔だった。
正面から撮られた、あのフードの影と赤い瞳。
顔の横に、見慣れない正式名が並ぶ。
ALICE / ALITSE VÁCLAVKOVÁ
アリスの喉が鳴った。
“アリツェ”。
自分の名前が、自分の口から離れて商品になった音がする。
オンライン上のオールドユニオン関係者たちの視線が、画面越しに集まる。
注目されている。
注目はいつでも刃だ。
アザドは淡々と言った。
「新開市に大きなカリスマと影響力を持つこのアリツェ・ヴァーツラフコヴァーを、
オールドユニオンの観光親善大使とする」
アリスは一瞬、言葉を失った。
観光親善大使。
嫌な響きだ。
守護者ではなく、看板。
監視ではなく、笑顔。
アザドの声は冷たいまま続く。
「日本国、ひいては新開市との親善と協調と実力を、
‘敵対’ではなく‘歓迎’の絵で示す必要がある。
それが最も強い抑止になる」
歓迎の絵。
抑止。
矛盾しているのに、成立する。
オールドユニオンはそういう組織だ。
アリスは口を開こうとした。
口が悪い言葉が出そうになった。
——ふざけんな。
——私を何だと思ってる。
——看板にするな。
だが、その言葉は飲み込まれた。
飲み込まれた理由は、恐怖ではない。
手順だ。
オンライン会合の中で、発言権は順番だ。
順番を飛ばせば“逸脱”になる。
逸脱は記録される。
記録は規範違反として扱われる。
アリスは所属した。
所属は縛りだ。
縛りは、こういう時に刺さる。
アザドは淡々と条件を読み上げる。
「行動ログ提出。
発言ガイドラインの遵守。
親善大使としての言動は監査記録官補佐の職務とする。
——笑顔は、規範に従うこと」
笑顔。規範。
その組み合わせに、アリスの内側がざらつく。
議決は早かった。
オンライン上の同意のボタンが次々と押される。
反対はほとんど出ない。
出たとしても「条件付き賛成」だ。
手順の組織は、反対の仕方も手順だ。
アリスが何か言う前に、決まった。
決まってしまう時の無力感は、戦闘よりずっと嫌だ。
戦闘なら殴れる。
手順は殴れない。
殴った瞬間、こちらが逸脱になる。
アザドは淡々と言う。
「承認された。
準備に入る」
アリスは視線を落とした。
自分の手が、また頬に伸びそうになる。
笑顔を配置する指。
その指を、机の端に押しつけて止めた。
数日後。
新開市の路上は、また祭りだった。
「オールドユニオンが来る」
その一言で、街の半分が動く。
反省しない街は、観光親善大使という言葉に弱い。
路面には導線コーン。
撮影エリアのテープ。
救護導線の矢印。
ミコトの手順が、祭りを事故にしないよう先に線を引いている。
白い義弘が、少し離れた位置に立っている。
中立の制服。
見せるための白。
守るための白。
そして、黒い行進が来る。
セグメンタタが整然と歩く。
歩幅が揃い、視線が揃い、姿勢が揃う。
その美しさが、怖いほどだ。
脇を固めるのは、オールドユニオン最新型パワードスーツ――ハルニッシュ。
戦闘用というより、威容。
インフラ守護者の装備を“祝祭の衣装”へ変換して見せる。
そして中央。
リノトーレークスの引く山車が来る。
あの名は新開市にとって“因縁”でもある。
第23話のリベンジだの、導線屋だの、何だの。
それが今は、観光親善のために使われている。
山車の上に、アリスがいた。
白いフード。
黒髪。片目を隠す前髪。赤い瞳。
学生風の影のある雰囲気。
――その外見が、今日は「広告」として照明に照らされている。
アリスの翼は開いていない。
開けば“監視”になる。
今日は“親善”だ。
アザドがイヤモニ越しに命令する。
『笑顔を。
規範に従え、監査記録官補佐』
アリスは息を吸った。
自分の身体が、自分のものじゃないみたいだった。
笑顔は、感情じゃなく、筋肉の配置になる。
両頬に、人差し指。
頬が少し沈む。
“にこっ”を作る形。
その動きを、山車の上でやる。
観光親善大使の“仕事”として。
アリスの口角が上がる。
目は笑っていない。
だが笑っているように見える。
群衆が沸く。
「うおおお!」
「アリスだ!」
「オールドユニオンやべえ!」
「ハルニッシュ格好良!」
「セグメンタタ美しい!」
「リノトーレークスって山車引けるんだ……」
配信コメントが流れる。
《親善大使草》
《監査記録官補佐って何》
《笑顔が筋肉っぽいの逆に好き》
《でもこれ、抑止だよな》
《ガチ軍隊のパレード》
《新開市、今日も平常運転》
平常運転。
それが新開市の異常だ。
アリスは笑顔を振りまく。
振りまくたびに、内側が空洞になる。
“振りまく”のが仕事。
振りまくのは、自分の感情ではない。
筋肉の配置だ。
群衆の中に、いくつもの顔がある。
善意の顔。好奇心の顔。敵意の顔。
導線屋っぽい視線。
海外部門の影――今は退いているが、消えてはいない。
アリスはそれらを見てしまう。
翼を閉じても、目は閉じられない。
笑顔を作りながら、内側で低く呟く。
——守るための笑顔。
——でも私、何を守ってる。
守っている。
子どもたち。療養施設。新開市の中立。
そしてオスカーが戻る時間。
そう思わないと、笑顔が崩れる。
道の脇に、トミーがいた。
ウサギの耳が、人混みの中でも妙に目立つ。
トミーは見上げるように山車を見て、口をひん曲げた。
「おとといはOCM、昨日はNECROテック、そして今日はオールドユニオンか。
アリスもご苦労さんだな」
毒舌は毒舌だ。
だがその毒舌は、変に優しい。
アリスは笑顔のまま――筋肉の配置のまま、目だけを少し細くした。
返事はできない。
返事をすれば、笑顔が揺れる。
揺れれば切り抜かれる。
トミーは肩をすくめた。
「ま、笑顔が筋肉でも、守れるならそれでいいだろ」
その言葉が、アリスの胸に少しだけ刺さる。
守れるなら。
それでいい。
でも守るために、自分を広告にするのは、やっぱり嫌だ。
山車が進む。
セグメンタタの歩幅が揃う。
ハルニッシュが威容を見せる。
リノトーレークスが引く。
新開市は今日も祭りを抱え込み、事故にならないぎりぎりで踊っている。
そしてアリスは、笑顔を作り続ける。
感情ではない。筋肉の配置だ。
その配置の裏で、アリスの赤い瞳だけが冷えたまま、
“次の線”を探していた。




