第二十三話 介入者の牙
中枢リングの空は、薄い金属の匂いがした。
熱い管の吐息。
焦げた樹脂。
焼ける塗装。
そして、人間の汗。
第二区域と第三区域の境界――新開市の血管が絡み合う結節点で、事故はまだ生きていた。
生きている、というより、誰かに生かされている。
「……提携初日でこれかよ」
配信のコメントが流れる。
怒りも、笑いも、すべてが同じ速度で消費される。
『OCMやっぱ危険』
『提携失敗w』
『ハーバーライト正義!』
『いや場所がやばいって』
『インフラ弄るのは笑えん』
『高速機動隊どこ?』
『国連呼べ』
『外国軍いらん』
『燃える燃える』
“国連呼べ”の文字が、冗談みたいに踊った瞬間。
現場の空気が、ひとつ下がった。
オールド・ユニオンは、速かった。
アライアンスが動かない――少なくとも、表には出てこない。
その“空白”を見て、彼らは迷いなく踏み込んできた。
広域通信に、上品な声が乗る。
丁寧で、柔らかく、だからこそ怖い。
「新開市のインフラ安定化のため、国際連合監視団は現場の秩序回復を支援する」
「供給継続は国際社会の利益であり、必要な措置を講じる」
必要な措置。
その言葉が、銃口より冷たかった。
そして、空から降りてきた。
戦闘用無人機。
灰色の都市迷彩。
角のない犀を思わせる重い胴体。
多関節の短い四肢。
背と腹にリング状の小型推進器がいくつも埋め込まれ、呼吸のように熱を吐く。
目に相当する部分は発光しない。
黒い湾曲センサー面が、ただこちらを見ている。
発光しない目ほど、怖いものはない。
「……あれが、国連の“鎮圧”」
誰かが呟いた。
鎮圧。
名目は非致死。
そう言われている。
だが、リノトーレークスは“名目”を知らない。
最初の一撃は、音が小さかった。
胴体の周囲のスリットが開き、全周囲に散弾が吐かれる。
低速のショック弾。
当たれば痛い。
見た目には派手でない。
“非致死”の顔。
――だが、それは群衆の形を崩すための刃だった。
「下がれ!」
誰かの叫びが、別の悲鳴に飲まれる。
次に飛んだのは、ワイヤーだ。
細い。速い。
関節に巻きつき、装甲の隙間に食い込み、締まる。
拘束。制圧。
そして――リノトーレークスが跳んだ。
跳ぶのではない。
貼り付くのでもない。
短い反発と吸着と推進の連続で、壁と梁と配管を“足場”として最短距離で詰める。
立体起動。
都市の骨組みを、自分の庭として使ってくる。
犀のような胴体が、空中で角度を変える。
全方位攻撃。
接近戦重視。
「こっちだ!」
ハーバーライト側のサムライ・ヒーローが叫び、派手に前へ出る。
正義の顔。
映える角度。
鎮圧の絵。
――そして、彼らは“これ幸い”とばかりに、次から次へとOCM機を押し出した。
保守用ドロイド。搬送ドローン。警備機。
提携初日から現場に出ている、白い外装の運用機。
「見ろ! OCM機が暴走している!」
誰の耳にも心にも刺さる言葉を、彼らは投げる。
物語の上書き。
だが――その上書きが、最悪の判定を引き出した。
リノトーレークスの黒いセンサー面が、無音で走査する。
危険度。
武装反応。
インフラ近傍。
混線。
敵味方ではない。
“危険”で選ぶ。
判定が跳ね上がる。
次の瞬間、リノトーレークスはハーバーライトのヒーローだけでなく、周囲のすべてを“危険”とみなし始めた。
「――来るな! ここは救助導線だ!」
鋭い声が、現場に割り込んだ。
灰色のフード。大きめのスカーフ。
小学生のような体格の少女が、金属の床を滑るように走る。
アリス。
彼女の背後で、闇が動いた。
シュヴァロフ――光を反射しない黒い戦闘用ドローン。
影と同化し、母親のようにアリスの周囲を守る。
双子――トウィードルダムとトウィードルディー。
救助用のアームと工作具を抱え、逃げ道と救助導線を縫う。
コロボチェニィク――巨大な三角の塊。
前へ出て盾となり、守ることだけを考えている。
グリンフォン――白い翼で上空を切り裂き、出口を探す。
そして、バンダースナッチ。
群体。壁。霧。
散弾を吸い、視線を乱し、センサーに“誤認識”を流し込む。
アリスは叫んだ。
「インフラの近くで遊ぶな!」
ハーバーライト側ヒーローが怒鳴り返す。
「犯罪者が何を言う!」
アリスは冷たく吐き捨てる。
「犯罪者でも分かる。
ここを壊したら、“全員”死ぬ」
その言葉が、配信のコメント欄を一瞬だけ黙らせた。
だが黙るのは一瞬だ。
この都市の喉は、止まらない。
『ゴーストが正論』
『でも犯罪者』
『国連の鎮圧こわ』
『非致死って言ってたよな?』
『いや今折ったぞ』
『折ったwww』
『笑えねえよ』
笑えない。
リノトーレークスが、アリスの方へ向きを変えた。
黒いセンサー面が、彼女を“見る”。
そして、ワイヤーが飛ぶ。
双子が前へ滑り込んだ。
トウィードルダムが救助アームでワイヤーを受け止め、トウィードルディーが瞬時に切断具を当てる。
火花。
細い悲鳴のような音。
「……っ!」
双子は、目でしか会話しない。
だが、その動きは明らかに“アリスが大好き”だ。
守る。先回りする。支える。
シュヴァロフが影でアリスの肩を押した。
「下がれ」と言っているような手つき。
だが、下がれない。
インフラだ。
守らなければ、全員が終わる。
“非致死”の顔が、牙を剥いた。
リノトーレークスは、接近戦に入ると露骨に強かった。
短い刃のようなブレードアームが伸びる。
狙うのは装甲の厚い胴体ではない。
膝。足首。肘。肩。
関節。
“無力化”。
そう呼べば、倫理が付く。
だが現場では、ただの破壊だ。
コロボチェニィクが盾になって前へ出る。
正面からぶつかる。
脳筋。誇り。気合。
リノトーレークスが、コロボチェニィクの関節へ刃を滑らせた。
ギィ、と嫌な音。
「――っ!」
コロボチェニィクがよろめく。
巨大な機体が、膝をつく。
それは“死”に近い。
膝をついた巨大は、次に転ぶ。
転べば配管を潰し、梁を折り、下にいる人間を圧し潰す。
“非致死”の名目のまま、死者が生まれる。
双子が必死に支えに走る。
工作具で支柱を立て、ワイヤーを巻き、転倒を止める。
救助と工作。
汗をかくような必死さ。
グリンフォンが上空から突っ込もうとする。
だが全方位散弾が、空を安全な場所から奪う。
ショック弾が翼を叩き、白い機体が一瞬揺らぐ。
グリンフォンが歯を食いしばるような動きをした。
プライドが折れかける。
それでも飛ぶ。飛び続ける。
シュヴァロフは、巧みだった。
狡知の一撃離脱。
都市の影。
母性の盾。
だが今の相手は、舞踏の相手ではない。
国家の歯車だ。
感情がない。
慈悲がない。
シュヴァロフがアリスの前に出た瞬間、ワイヤーが二本飛び、シュヴァロフの脚部と腕を締め上げた。
黒い装甲がきしむ。
シュヴァロフはそれでも、アリスの前から退かない。
母親みたいに、ただ立つ。
アリスが叫んだ。
「やめろ! こっちは救助してる!」
返事はない。
代わりに、リノトーレークスの胴体が重く沈み、犀のような打撃ラムが前へ出た。
押し付ける。
壁へ。床へ。梁へ。
“制圧”。
“圧壊”。
シュヴァロフが壁へ押し付けられ、アリスの視界が揺れた。
「――っ!」
一歩間違えば、アリスの小さな身体がその下敷きになる。
双子が、泣くみたいに動いた。
工具を投げる。支点を作る。救助導線を縫う。
必死で、しかし静かに。
バンダースナッチが群体で壁のように流れ込み、ショック弾を受け、センサーに霧をかける。
“誤認識”を誘う。
危険度の判定が揺らぐ。
ほんの一瞬だけ、リノトーレークスの動きが鈍った。
その隙に、アリスはシュヴァロフの拘束ワイヤーに手を伸ばす。
「……踏むな、私。踏むな……!」
彼女は歯を噛む。
都市の深層に触れれば、また“現行犯”だ。
また切り取られる。
また燃える。
だが――目の前で母親みたいに立つ機体が、潰されかけている。
アリスは小さく呟いた。
「……ごめん」
謝る相手は、たぶん自分だ。
彼女は指を差し込む。
違法の一段下。
拘束ワイヤーの制御信号へ、短い介入。
ワイヤーが一瞬だけ緩み、シュヴァロフがずらされる。
死者は、まだ出ない。
だが――死者が“出ないだけ”。
現場の空気は、完全に戦争だった。
鳴海 宗一――狛犬は、封鎖線の端で拳を握り潰しそうになっていた。
「……これは鎮圧じゃない」
彼の権限は届かない。
国内の手続きも届かない。
国際監視団の“必要な措置”は、現場の理屈を踏み潰す。
鳴海の通信が、また一瞬だけ“別のレイヤー”に切り替わった。
音が消え、雑音が消え、冷たい静寂が流れる。
来た。
来ていないのに、来た。
上が見ている。
鳴海は低く呟いた。
「……氷の母」
義弘は、その“現場の匂い”を画面越しに嗅いだ。
会議室ではない。
スポンサーの香水でもない。
血管が裂ける匂いだ。
彼の端末には、供給監視の警告が連続して跳ねている。
《供給制御ノード:不安定》
《国際連合監視団:実働投入》
《鎮圧機:リノトーレークス》
義弘の目が細くなる。
――来たか。
来てしまったか。
オスカー・ラインハルトが隣にいた。
いつものように静かで、いつものように冷たい。
机の端のサボテン。
彼は霧吹きの代わりに、指先で土を整えた。
「彼らは速い」
オスカーが言う。
「アライアンスが表に出ない空白は、国家が踏み込みます」
義弘は短く笑った。
「……だから止めなきゃならない」
オスカーは頷く。
「国内法では遅い。企業の停戦では届かない」
義弘は、口の中で転がし続けてきた言葉を、今度は吐いた。
「……場合によっては、アライアンスを動かしてでも、と思っていたが」
一拍置いて、義弘は言い切る。
「今が、その場合だ」
オスカーの目が、ほんの僅かに動いた。
それは感情ではなく、予定通りの確認。
「あなたが呼ぶなら、彼女は出ます」
「試験官は、答案を見に来る」
義弘は端末を握った。
連絡先は、ひとつしかない。
個人的なつながり。
そして、世界を動かす鎖。
義弘は呼び出しをかけた。
氷の母の声は、柔らかかった。
柔らかい声ほど、怖いものはない。
「津田義弘」
名前を呼ばれただけで、背筋が伸びる。
義弘でさえ、そうなる。
「理解しました」
それだけで、世界が一段冷える。
「中立性を保ったまま、インフラを守ります」
義弘は息を吐いた。
「……頼む」
氷の母は、微笑を含んだ声で言った。
「頼まれたから動くのではありません」
「インフラは、人類の背骨ですもの」
背骨。
折れれば終わる。
そして氷の母は、さらりと、恐ろしい匂わせを落とした。
「“人間を守るのは人間だけ”」
「揺り篭の日の教訓を、忘れてはいません」
義弘の指先が冷える。
それは――“本気”の札だ。
人間のサイボーグで構成された、特殊部隊。
アライアンスが組織されるきっかけとなった教訓を体現する舞台装置。
彼女は続けた。
「新開市へ、準備を進めます」
「必要ならば――中立的手段を実行します」
中立的手段。
その言葉が、なぜこんなに怖いのか。
義弘は知っている。
中立は、優しさではない。
切り分けだ。排除だ。処理だ。
「……分かった」
義弘が言うと、氷の母は一瞬だけ沈黙し、そして微笑んだ。
「……やっと、あなたが選んだのね」
現場。
通信が、再び“別レイヤー”へ切り替わった。
音が消える。
悲鳴が遠のく。
代わりに、冷たい静寂が流れる。
アリスが、わずかに肩を震わせた。
嫌な予感が、背骨を撫でた。
シュヴァロフが、母親みたいに彼女の前へ影を落とす。
双子が顔を上げる。
コロボチェニィクが歯を食いしばるような動きをする。
グリンフォンが上空で翼を畳み直す。
バンダースナッチが壁のように密度を増す。
リノトーレークスが、なおも“非致死”の顔で迫る。
ショック弾。
拘束ワイヤー。
関節を折る刃。
壁へ押し付けるラム。
死者は、まだ出ていない。
だが、出る寸前だ。
そのとき、どこからともなく、足音がした。
金属の床を叩く、重い規則正しい音。
ドロイドの足音ではない。
無人機の駆動音でもない。
“人間”の歩み。
それが、遠くから近づいてくる。
そして、音だけが告げた。
――高速機動隊が、動く準備を始めた。




