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第229話 年長者

 “デュラハン”オスカー・ラインハルトの首は、どうなったか。


 結論として、誰のものにもならなかった。


 元急進派が病気療養で入院したというニュースが流れ、政治の視線がそちらへ移り、

 OCM海外部門が新開市から一時撤退したという報が追いかけるように続き、

 世論は「分かりやすい悪」の次の獲物へと熱を移した。


 新開市を振り回した政治家。

 企業の“海外部門”という名の黒い実働。

 どちらも燃やしやすい。叩きやすい。話題にしやすい。


 そしてその分だけ、オスカーへの興味は薄れていった。


 人は、長い悪に飽きる。

 悪が複雑であればあるほど、飽きるのは早い。

 「結局何が悪いの?」という問いは、いつも「次のニュース」で流される。


 オスカーにとって、その“隙”は計算の余白だった。


 元急進派の入院ニュースを見た直後。

 海外部門の撤退のタイミングを計ったかのように。


 オスカーは自分の所業を自白した。


 その報は、派手ではなかった。


 速報のテロップが一度だけ出て、

 解説が少しだけ付いて、

 SNSが一瞬だけざわついて、

 すぐに別の話題に飲まれていった。


 「え、今?」

 「今さら?」

 「でもまあ、オスカーだし」

 そういう反応が多い。


 オスカーの首は、“誰かが奪う首”ではなく、“自分で置く首”になった。

 だから誰の手も汚れない。

 汚れないから、燃えにくい。

 燃えにくいから、世論はすぐ冷める。


 それが、最も嫌らしい形の自己処理だった。


 だが嫌らしさの中心にいるのは、いつも合理だ。

 合理がある限り、オスカーは笑わない。

 怒りもしない。

 ただ、事務のように命を動かす。


 アリスは納得できなかった。


 療養施設の控室で、彼女は端末の画面を睨んだ。

 白いフードの影が前髪に落ち、片目が隠れがちになる。

 赤い瞳だけが、画面の光を冷たく跳ね返す。


 アリスの机には封緘が置かれている。

 オスカーの首を差し出せる刃。

 しかしその刃は、抜かれる前に“不要”にされかけていた。


 オスカーが自分で首を置いてしまったからだ。


 アリスは舌打ちした。


「……ふざけんな」


 口が悪いのはいつものことだ。

 しかし今日の毒は、自分に刺さる。


 玲音が横で息を吐いた。

 橋の顔をしているが、今日は眉間に疲れが残っている。


「君が怒るのは分かる」


「分かるなら黙れ」


「黙らない。黙ると君が一人で燃える」


 アリスは目を細めた。


「……燃えるのは嫌いだ」


「でも燃える街にいる」


「うるさい」


 アリスの怒りは、オスカーへの怒りであり、

 自分の保留を無効化された悔しさでもあり、

 そして何より、兄弟姉妹が自分の首を差し出すことへの恐怖だった。


 オスカーがいなくなる。

 一時でも、いなくなる。

 それが、どれだけ危険か。


 海外部門は退いた。引いたのではない。

 ヴェラがそう言った。

 戻ってくる。その時に、オスカーがいないなら。


 アリスは封緘を指先で押さえ、ゆっくり息を吐いた。


「……会いに行く」


 玲音が頷く。


「行こう。義弘さんにも連絡する」


 アリスは眉を寄せる。


「義弘も?」


「義弘さんも納得しない。

 それに——君一人だと、オスカーに言いくるめられる」


 アリスは即答した。


「言いくるめられない」


「言いくるめられる。君は感情で殴る。オスカーは合理で殴る」


 アリスは歯を食いしばった。


「……あいつの合理、嫌い」


「嫌いでも必要だ。今は」


 玲音はそう言い、真鍋へ連絡を入れた。

 真鍋は短く返した。


『面会は通す。

 ——ただし、手順の中でな』


 手順。

 その言葉が、今日の空気だ。


 義弘もまた、納得できなかった。


 白い制服の義弘は、アライアンス側の施設にいた。

 中立の象徴としての存在は、自由を奪う。

 それでも義弘は、扉の向こうの新開市を見続ける。


 真鍋から連絡が入った時、義弘は短く答えた。


「行く」


 トミーが横で耳を立てた。

 いつもの毒舌が、今日は少しだけ低い。


「オスカーの自白だろ。

 あいつ、また一人で勝手に盤面いじったな」


「そうだ」


「お前らの“首”の話、好きだな。

 首ってのは飾るもんじゃないぞ」


 義弘は疲れた目でトミーを見る。


「知ってる。

 ……だから行く」


 義弘の胸の奥には、別の重みがある。


 新開市の中立。

 そのために所属した自分。

 所属したからこそ、オスカーの行動が“中立を守るため”に見えてしまう恐ろしさ。


 正しい理屈が、間違った時に最も怖い。

 オスカーは、その正しい理屈を持っている。


 だからこそ、止めなければならない。


 面会室は狭く、清潔で、冷たかった。


 アリスと義弘が入ると、オスカーはすでに座っていた。

 表情はいつも通り。

 企業人の整い方。

 何も焦っていない顔。


 アリスは座る前に言った。

 挨拶はない。口が悪い。


「……何してんの」


 オスカーは淡々と返す。


「自白です」


 義弘が低い声で言う。


「分かってる。

 ——なぜ今だ」


 オスカーは指を組んだ。


「今だからです」


 アリスが即座に噛みつく。


「今だから、って便利な言い方するな。

 いつもそれだ。今だ、今だって。

 私たちを置いて勝手に——」


 オスカーは遮らない。

 遮らないまま、言葉を待つ。

 待つこと自体が圧になる。


 アリスは言い切る前に、息を詰めた。

 悔しい。

 怒りで喉が熱い。


 義弘が代わりに言う。


「海外部門が退いた。

 元急進派が退場した。

 世論が冷めた。

 ——そのタイミングを計ったように見える」


 オスカーは頷く。


「計りました」


 あまりに素直な答えに、アリスが顔を歪める。


「……最低」


 オスカーは否定しない。


「必要です」


 義弘が言う。


「自白すれば、お前は拘束される。

 ——お前の不在が、街の危険になる」


 オスカーは淡々と言った。


「不在は短い方がいい」


 アリスが机を軽く叩いた。


「短い方がいい?

 刑務所に行って短いとか、何言ってんだ」


 オスカーは表情を変えない。


「社会の興味が薄れている今だからこそ、罪に服せる時間が作れる。

 “正義の絵”が必要な時期に自白すれば、私は象徴として燃やされます。

 燃やされれば拘束は長引き、再構築が遅れます」


 義弘が眉を寄せる。


「再構築?」


 オスカーは頷く。


「私が不在の間、OCM本社は揺れます。

 海外部門は退きましたが、引いてはいない。態勢を立て直す時間が必要です。

 ——その時間は、私にとっても必要です」


 アリスの赤い瞳が細くなる。


「お前……自分が捕まるのに、時間が必要とか言うのか」


「言います」


 オスカーは淡々と続けた。


「海外部門が退いた直後に私が拘束されれば、

 海外部門が再侵入するタイミングと、私の不在が重なります。

 それが最悪です」


 義弘が低く言う。


「だから今、自白して拘束を“前倒し”した」


「はい」


 あまりに合理的な説明に、義弘の胃が重くなる。

 正しい理屈は、感情を置き去りにする。


 アリスはそれが許せない。

 許せないが、否定しきれない。


 オスカーは続ける。


「さらに——」


 オスカーは視線を一瞬だけ落とした。

 それが珍しい動きだった。


「海外部門は、元急進派を切って煙幕にしました。

 彼らは同じことを、次は別の相手にします」


 アリスが噛むように言う。


「……私とか?」


「可能性はあります」


 義弘が言う。


「だから、お前が先に“罪に服す”ことで、

 海外部門が使える材料を減らす?」


 オスカーは頷く。


「私の首を、誰の道具にもさせない。

 私が自分で置けば、誰も奪えない」


 アリスの胸が痛む。


 それは確かに、アリスの封緘の刃を無効化する。

 無効化することで、アリスが“オスカーを売る”選択肢を奪う。


 オスカーは言った。

 首を持っていけ、と。

 そして今、首を勝手に置いた。


 アリスは低く言う。


「……私を信用してないの?」


 オスカーは即答しない。

 その沈黙が、答えより刺さる。


 そしてオスカーは、淡々と言った。


「信用しています。

 だからこそ、君に“責”を背負わせない」


 アリスの喉が詰まる。


 口が悪い言葉が出ない。

 出るべき罵声が、出ない。


 義弘が代わりに問う。


「お前は、なぜそこまで背負う」


 オスカーは少しだけ首を傾けた。


「年長者だからです」


 その言葉が、面会室を冷たくする。


 兄弟姉妹の倫理。

 血縁ではない。だがオスカーにとっては、世界で唯一の共同体だ。


 アリスは唇を噛んだ。

 怒りたいのに、怒れない。


「……勝手に年長者面すんな」


 オスカーは微笑まない。


「勝手です。

 ですが、私はそうする」


 義弘が低く言う。


「お前が消えたら、海外部門は戻る。

 ——戻った時、誰が抑える」


 オスカーは淡々と答えた。


「君と、彼女です」


 義弘の白い制服が、少し重く感じられる。

 アリスの黒い徽章が、少し冷たく感じられる。


 オスカーは続ける。


「アライアンスとオールドユニオンが新開市に影響を与えている今だからこそ、

 私は罪に服せる。

 そして戻る準備ができる」


 アリスが絞り出すように言う。


「……戻る、って」


 オスカーは平然と言った。


「私は終わりません。

 兄弟姉妹を表舞台へ出す。

 その計画は、私がいなくても動くようにしてあります。

 ただ——最終責任は私が取ります」


 最終責任。

 またその言葉だ。


 オスカーは最後に、アリスへ視線を向けた。

 真っ直ぐに。逃げずに。


「君から責をもらおう。

 私が年長者だから」


 アリスは息を止めた。


 責をもらう。

 責を背負う。

 責を引き受ける。


 その言葉は優しいようで、残酷だ。

 アリスが持っている封緘を、ただの刃ではなく“約束”に変えてしまう。


 ——次に暴挙に出た時は、君が私を止めろ。

 そう言われているのと同じだ。


 アリスは口を開き、閉じた。

 毒舌が出ない。

 代わりに、短い言葉が落ちた。


「……ふざけんな」


 しかし声は震えていない。

 怒りではなく、痛みの声だった。


 義弘は机の下で拳を握り、言った。


「俺は中立に従う。

 だが、お前の合理に従う気はない」


 オスカーは頷いた。


「それで良いでしょう」


 良いでしょう。

 その言い方が、いつも通り腹立たしい。


 なのに今日は、腹立たしさより先に、妙な静けさが来る。


 オスカーは自分で首を置いた。

 誰の手も汚さない形で。

 誰の武器にもさせない形で。


 そして、自分の時間を作った。

 罪に服す時間。

 戻る準備の時間。


 すべてが、兄弟姉妹のための合理だ。


 面会時間が終わる合図が鳴る。


 オスカーは立ち上がり、淡々と扉の方へ向かった。

 背中は真っ直ぐだ。

 首のない騎士のように、首を差し出したまま歩く。


 収監されていく“デュラハン”。


 義弘は扉の向こうへ消える背中を見て、苦い顔をした。

 アリスは封緘を思い浮かべ、赤い瞳を伏せた。


 外に出ると、新開市は相変わらずだった。


 元急進派の入院を叩き、海外部門の撤退を嘲り、

 次の祭りの匂いを探している。


 終わらない街。

 終わらない中立。


 義弘が低く言った。


「……これで一つ、片付いた」


 真鍋が遠くで待ち、端末を掲げる。


「片付いてない。

 ——逮捕状の手続きは、まだ続く。

 そして海外部門は戻る」


 ミコトから短い連絡が入る。


『手順で受けます。

 誰も例外にしません。

 それが中立です』


 アリスは小さく息を吐き、言った。

 私、という一人称が短く落ちる。


「……分かってる」


 分かっているのに、痛い。

 分かっているから、痛い。


 アリスの封緘は机の上に残っている。

 オスカーの首を奪うための刃ではなく、

 次に“止める”ための刃として。


 首は誰のものにもならなかった。

 だからこそ、責は残る。


 新開市の中立は、今日もまた代償で支えられていた。

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