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第222話 女王と兵隊

 アリスは封緘を胸に抱えたまま、扉の前で立ち止まった。


 ここはオールドユニオン。

 かつて義弘とアリスを窮地へ追い込んだ、手順の怪物。

 敵だった相手だ。


 だが今、アリスに必要なのは敵味方ではない。

 監視だ。記録だ。第三者だ。

 “正義の顔”に刺されないための、別の手順。


 アリスは扉を叩いた。


 内側から、静かな声が返ってくる。


「入れ」



 アザド・バラニは机に座っていた。


 監査記録官。

 視線は冷たく、姿勢は崩れない。

 言葉も、無駄がない。


 アリスが入室した瞬間、アザドは封緘を一瞥し、次にアリスの顔を見る。


「来ると思っていた」


 アリスは挨拶を省いた。


「監視して。中立を守るために」


 言い切る。

 媚びない。

 頼むのに命令の形を取るのは、アリスの癖だ。


 アザドは眉一つ動かさずに返す。


「その程度で、我々が動くとでも?」


 声が淡々としている。

 淡々としているほど、拒絶が強い。


 アザドは指を組み、静かに列挙を始めた。


「オールドユニオンが日本国の行動に干渉すれば国際問題だ。

 対外的姿勢の整合性、批判、報復、前例化。

 内部の意見統一だけでも、両手を使っても数えきれないほどのリスクがある」


 アリスは黙って聞いた。

 舌打ちが出そうなのを、喉の奥で噛み潰す。


 アザドは続ける。


「そもそもオスカー・ラインハルトは一個人。

 NECROテック人権団体は新開市の一団体。

 国家が出張って監視するほど大げさなものではない」


 “国家”。

 その言葉が刺さる。

 アリスは反射的に言い返しそうになったが、飲み込んだ。


 アザドの言葉は正しい。

 正しいからこそ、厄介だ。


 正しさは、いつでも刃になる。


 アリスは椅子に腰を下ろさず、机の前に立ったまま言った。


「リスクも損得も分かってる」


 アザドの目が、ほんの僅かに動く。


 アリスは踏み込んだ。


「分かってても、条件があるんだろ。

 お前らが動く条件。

 “手順のプロ”なら、ゼロか百かじゃないはずだ」


 アザドは沈黙した。


 沈黙は拒否にも見えるし、検討にも見える。

 だがアザドの沈黙は、いつも“秤”だ。


 アリスは秤が動くのを待った。


 数秒。

 数十秒。

 時間が伸びる。


 アザドはようやく口を開いた。


「条件はある」


 アリスの胸が、少しだけ熱くなる。

 だがアザドの声は冷たいままだ。


「我々が動く価値を、こちらへ差し出せ」


 アリスが言う。


「何を?」


 アザドの返答は短かった。


「所属だ」


 空気が一度、止まった。


 アリスは眉を寄せる。


「……私が?」


「そうだ」


 アザドは淡々と続ける。


「現状では、新開市の一団体の監視のために国際問題を背負う価値はない。

 だが、君がオールドユニオン所属となり、新開市に我々の影響をもたらすなら話は別だ」


 アリスの口が悪い方へ動く。


「宣伝かよ」


 アザドは否定しない。


「宣伝でもある。抑止でもある。

 君が所属し、アライアンス所属となった津田義弘のように、

 “オールドユニオンが新開市に関与している”とアピールできるなら——」


 アザドの視線が真っ直ぐ刺さる。


「我々は君に全面協力する。

 監視、記録、抑止。

 日本国の捜査手順が逸脱しないよう、第三者として線を引く」


 アリスは息を吐いた。


 また所属。

 また檻。

 また制服。


 義弘がアライアンスに所属して中立を背負ったように、

 今度はアリスがオールドユニオンに所属して中立を守る?


 アザドは静かに言った。


「女王には、トランプの兵隊が必要だろう」


 不思議の国の言葉。

 アリスを“女王”と呼ぶ。

 皮肉であり、誘惑であり、契約だった。


 アリスはその言葉に、反射で笑いそうになり、笑えずに顔を歪めた。


 アリスの頭に、顔が浮かぶ。


 白い義弘。

 耳の長いトミー。

 寝不足の真鍋。

 橋の玲音。

 そして、首を差し出すと言ったオスカー。


 みんな、何かを差し出している。

 自由。評判。安全。時間。

 中立の代償として。


 アリスだけが、まだ差し出していない。


 差し出さずに守ろうとして、刃が外に漏れた。


 アリスは封緘を握り直した。

 紙の角が指に痛い。

 痛いほど現実だ。


「……所属したら、私の“ゴースト”はどうなる」


 アザドは即答しない。

 そして即答しないまま条件を置く。


「君の活動ログの提出。

 外部監査の受け入れ。

 規範への署名。

 ——そして、必要な時は我々の手順に従うこと」


 活動ログ。

 監査。署名。従属。


 アリスは舌打ちした。


「……最悪」


 アザドは淡々と言う。


「手順とはそういうものだ」


 アリスの目が、ほんの少しだけ細くなる。

 怒りではない。

 決意の目だ。


 アリスは一拍置いて、言った。


「なんだってやってやる」


 言葉が乾いている。

 乾いているほど本気だ。


 アリスは封緘を机の上に置き、両手を開いて続けた。


「私に軍隊をくれ」


 “軍隊”。

 オールドユニオンのセグメンタタ。

 監視の目。記録の刃。

 それが欲しい。


 アザドは初めて、ほんの僅かに口元を動かした。

 笑みではない。

 承認の形だ。


「では、契約だ」


 アザドは端末を開き、淡々と手順を提示する。


「署名。

 所属区分は“監査記録官補佐・外部協力枠”。

 君はオールドユニオンの規範に従い、我々は君に監視と記録を与える」


 アリスは端末を見つめる。

 署名欄。

 条件。

 代償。


 そして、ペンを取った。


 アリスは署名した。


 “中立を守るために”。


 敵だった手順の怪物と、手順で手を組む。

 女王が兵隊を手に入れる。


 その瞬間、新開市の盤面が、また一段変わった。

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